追跡調査
胸が絞られたように痛くて、いてもたってもいられなくなった。
「だから代わりに、俺が側で慰めてやろうかと……」
チェスターの話を最後まで聞く余裕もなく、ジルは宣言する。
「決めたぞ、願い事」
「っ、人の話を遮るな。なんだ」
「この村を守ってくれ」
チェスターはニヤリと不敵な笑みを見せた。
「ああ、いいとも。共にこの村で……」
「そんなに長い間は開けるつもりがないから、少しの間だけ頼む!」
「は?」
間抜け面を晒したチェスターを置いて、ジルは素早く旅の準備をした。突然の行動に戸惑い部屋まで様子を見にきたチェスターに、家の鍵を押しつける。
「小さい方が家の鍵で、大きいのが教会の鍵だ。困ったら牧場に住むフランかトットを頼ってくれ、じゃあな!」
「ま、待て! 貴様、何処へ行くつもりだっ⁉︎」
「聖都だ! もう行くぞ、後は任せた!」
チェスターの問いに手短に答えると、コートを羽織って家を出た。太陽は丁度中天に差し掛かったばかりだ、急げば日暮れまでには聖都に入ることができるだろう。
ほとんど駆け足で小山の方角へ歩いていく。道中トットに出会ったので、思いきり手を振った。
「おーい! ちょっと聖都に行ってくる!」
「えっ⁉︎ ま、また村を空けるのかー?」
「代わりの霊牧師が来てるから、そいつを頼れ!」
「よくわかんねえけど、霊牧師が村にいるんだな? わかった!」
これでよしと気合いを入れて、山の方へと駆けだした。
(待っていろローレンス、私がお前に相応しい相手か見極めてやる!)
もしもたちの悪い女に捕まっているとしたら、助けてやらないといけない。そんな使命感を持って、勢いのまま山越えを達成した。
狙い通り日暮れ前には聖都に辿りつく。もう日が暮れるため、ローレンスの元に出向くのは明日にした方がいいだろう。
逸る気持ちを抑えて宿を取り、寝支度を済ませてベッドに体を横たえた。明日の朝一番に様子を見にいくために早めに寝つこうとしたが、一向に眠気はやってこない。
寝返りを打つと思い出すのは、ローレンスの凛々しい横顔だった。彼の隣に立つ女性はどんな人なんだろうか……
(ローレンスのやつ、私を好きだと言った舌の根も乾かぬうちに、別の人を好きになるなんて)
いや、やはり時間を置いて考えてみると、彼に限ってあり得ない話のように思える。ローレンスの忍耐力と執念深さは、長年一緒にいたジルが一番よくわかっている。
(だとすると、彼に懸想をした女性に付きまとわれているとかか? あり得るな……)
そうだとしたら弟子の代わりにハッキリ断ってやると決意し、だが過保護すぎるだろうかと心配にもなった。
だいたい、カペロに任せてきたはずなのだから、タチの悪い女性に言い寄られているなら追い払ってもらえないと困る。
段々とムカムカしてきて、けれど怒りの炎はもう一つの可能性を思いつくと瞬時に萎んでいった。
(もし……もしもだぞ? 村を出て様々な人と出会って、私以上に素晴らしい人を見つけたのだとしたら)
カペロも退ける必要がないと判断するような、完璧な女性と相思相愛になっているのだとするならば、ジルはローレンスを祝福してやらねばならないだろう。
グッと握り締めた手を胸の前に引き寄せた。冬の初めの聖都は寒く、指先は凍えている。温めてくれる人が側にいないことを思い知り、きつく目を閉じた。
(ローレンスに会いにいこう。明日になればすべてわかるはずだ)
結果的にジルにとって望まない事態になったとしても、受け入れなければならないだろう。彼の手を取らなかったのは己のせいなのだから。
悶々とした気持ちで夜を過ごした。
*
起きたのはすっかり日が昇った後だった。まだ眠気を訴える身体を無理矢理起こして身支度をし、軽く食事をしてから教会を目指した。
この時間帯なら、見習いや新米霊牧師は掃除を終えて、休憩している頃だろうか。兵士に一言告げて教会の敷地に入れてもらい、廊下を捜索した。
(どこだ、ローレンス……早く顔を見せてくれ)
いつものように師匠と笑いかけてほしい、偽物の笑顔ではなく本当の笑顔で。
そう願いながら廊下を進むと、待ちかねた姿が中庭にあるのを見つけた。コートを着た後ろ姿だが、ジルが見間違えるはずはない。あれはローレンスだ。
駆け足で近づくが、途中で止まる。弟子の目の前にはドレス姿の女性がいた。
(もしやあの女性が、チェスターが言っていた人物だろうか)
二人から姿が見えないであろう廊下の柱の影に隠れて、聞き耳を立てた。教徒が来訪する安息日でもないのにドレス姿で教会にいるなんて、彼女は教会関係者なのだろうか。
軽やかで浮かれた声が耳を突く。
「ローレンス様は本当に博識でいらっしゃるのね」
「いえ、霊牧師になる人間はこの程度のこと、皆知っていますよ」
「まあ、そうなの? でも叔父様はちっとも教えてくれなかったわ」
「父は忙しい人ですからね」
ローレンスの口から出た、父という単語に胸がドキリと音を立てる。
(ということは、あの女性はローレンスの従姉妹なのか)
半身を柱の陰から出して、女性の姿形を確認する。明るい茶髪は華やかに結い上げられており、女性らしくメリハリのある体型をしているのが遠目でもわかる。
ローレンスとはあまり似ていないと、可愛らしい顔立ちの彼女を睨むように見つめた。弟子が振り向きそうな気配がしたため、慌てて柱の影に身を寄せる。
「あ、来ましたね」
「叔父様!」
「待たせたねローレンス、それにミリシアも」
ジルのいる柱の側から、カペロが通り過ぎていった。一瞬姿を見られたかとヒヤリとしたが、彼はジルの方には見向きもせずに息子と姪に走り寄っていく。
「もう、遅いですわ。今日はお二人で聖都を案内してくださる予定でしょう?」
「すまないミリシア、急用が入ってね。申し訳ないが、ローレンスと二人で行ってきてくれないか」
「えっ、ローレンス様と二人きりで……?」
ミリシアの顔が桃色に染まる。満更でもなさそうな様子だ。ローレンスは卒のない笑顔を返した。
「喜んで案内させていただきます。僕もあまり聖都は詳しくないのですが」
「全然いいわ! 行きましょうローレンス様!」
「すまんな、任せた」
「はい」
ミリシアはローレンスと腕を組んで教会を出ていく。ジルはじっとりとした視線を送りながら二人を追いかけた。
商店街の方へと歩く二人に、木枯らしが襲いかかる。薄着のミリシアは肩を震わせた。
「寒いわね」
「もう冬が来ますからね。よろしければこちらをお使いください」
ローレンスは自身の巻いていたマフラーを取り去り、ミリシアに巻いてあげた。
「まあ、いいの? ありがとう」
ますます頬を赤らめるミリシアに、ローレンスは優しげに笑いかけている。その笑顔を見ていると、ジルはイライラしてきた。
二人の様子を半眼で見守っていたが、ミリシアはやはり寒いらしい。上着を調達するため女性用の服飾店へ入るようだ。店内は女性客でごった返しているらしく、ローレンスは遠慮して店の前で待つことにしたようだ。
「僕のことは気にせず、行ってきてください」
「悪いわね、防寒着を調達したらすぐに戻るわ」
ミリシアは何度も振り返りながら店の中へと入っていった。通りを見渡しているローレンスの方へ、通行人のフリをしながら近づいたジルは、背中から声をかける。
「おい、ローレンス」
「え……ジル? わあ、もしかして僕の様子が気になって見にきてくれたんですね?」
満面の笑みで喜ぶローレンスの鼻頭を指先で突いてやる。
「その通りだ、来て正解だった。なんだあの態度は」
面食らうローレンスに、ジルは片手を腰に当てて説教をした。
「お前、本当に家族と交流する気があるのか? 偽物の笑顔を振り撒くんじゃない、お前が心を開かなければ本当の家族に失礼だろう」
「ジル……」
ローレンスは罰が悪そうに首を横に振ると、へにょりと安心したように笑み崩れた。
「師匠には敵いませんね。僕の笑顔を偽物だと見破って指摘するのは、貴方くらいですよ」
「私にわからないはずがない、何年一緒にいたと思っているんだ」
「そうですね……師匠は僕のことなんてなんでもお見通しなんでしょうね」
「見くびるな、お前のことならお前以上によく知っているぞ。例えば赤ん坊の頃、私の指をしゃぶるのが大好きだったこととか」
「赤子の頃の話はやめてくださいよ」
情けなく目を逸らしたローレンスは、ため息をついた後気を取り直して再び前を向く。真っ直ぐに向けられた金の瞳には、紛れもなく恋情が宿っていた。
「師匠……ジル以外の人間相手に、どうしても目がいかないんです」
「……なに?」
「貴方だけが僕の世界の中で輝いている。自然と笑いかけたくなるのも、欲しいと願ってしまうのも、貴方だけなんです」
「そ、んな……」
熱烈な告白を受けて、ジルの白い頬がどんどんと朱に染まっていく。ローレンスの頬も同じように、赤く色づいていた。
「愛しています、ジル」
「……っ!」
心臓の鼓動が跳ね上がり、ごうごうと勢いよく血が流れるのを感じる。開いた口を閉じることもできず、ジルは穴が開くほどローレンスの琥珀の瞳を見つめ返した。
ローレンスの真剣な瞳に炙られる。頬が熱でのぼせてしまいそうだ。私も愛していると言ってしまいたくなった。
何度か喘ぐように口を開け閉めして、何か言おうとしたその時、華やかな女性の声が耳に飛び込んできた。
「戻ったわ、お待たせ……あら、どなた?」
「っああ、おかえりなさいミリシア」
暖かそうなコートを身にまとったミリシアがジルを見下ろす。ローレンスの隣に並んでいた時は小さく見えた彼女は、ジルよりも背が高かったようだ。
なんとなく負けた気になって睨みつけそうになるのを、咳払いで誤魔化した。なるべく威厳のある態度に見えるように胸を張る。
「ローレンスが世話になっているようだな。私は彼の師匠で、ジルという」
「まあ、お師匠様……小さいわ」
「ごほん、げふん!」
「あ、ごめんなさい! つい」
小さいが禁句だと知っているローレンスは、すかさず話を逸らした。
「ミリシア、少しだけ師匠と内密の話をしてもいいでしょうか? 霊牧師としての仕事に関係することなんです」
「ええ、もちろん」
ミリシアに背を向けたローレンスは、こそこそとジルに耳打ちする。
「師匠、一つ頼まれてほしいことがあるんです」
「んっ、なんだ?」
弟子が頼み事など珍しいと、耳に吐息が吹き込まれてビクつく肩に力を入れつつ問いかけた。
「実は父の執務室を整理していた時に、気になる手紙を見つけまして」
「……ぁ、っどんなだ」
駄目だ、ぞわぞわする。変な声が出てしまったと耳を押さえると、ローレンスも口元を押さえて頬を紅潮させながら狼狽えていた。くぐもった声が耳を打つ。
「真面目な話をしている時に、感じないでください」
「ばっ、お前のせいだろうが!」
「どうかしたの?」
「いえ、なんでもありませんミリシア」
これ以上醜態を晒してなるものかと、苦労して平静を装いながら彼の頼み事を聞き取った。ローレンスは念を押すように懇願する。
「僕が単独行動をすると警戒させてしまい、彼に勘づかれてしまうかもしれない。師匠だけが頼りなんです」
「ああ、任せておけ。必ず突き止めてやる」
「はい、よろしくお願いします」
力強く頷くと、彼の口元がようやくジルから離れていく。引き留めたい衝動をグッと堪えて、再び町案内に戻るローレンスとミリシアの姿を見送った。
(待っていろ、私が必ず真実を突き止めてやる)
彼の願いを叶えてやりたいと、やる気が胸のうちに満ちるのを感じる。ローレンスと会話をするまで感じていた寒さが嘘のように、指先までぽかぽかと熱が回っていた。




