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慣れない不在

ローレンスは小柄なジルの体を両腕の間に閉じ込めた。


「ジル、気づいていましたか? 貴方は嘘をつく時に、声を上擦らせる癖があるんです。だから貴方が嘘をつくとすぐにわかるんですよ」

「ローレンス……」


 いつもは穏やかに見える琥珀の瞳が、切なげに揺らいでいる。声を潜めてささやく彼の表情は苦悩に満ちていて、こんな顔をさせてしまった原因がジルにあると思うと胸が痛んだ。


「教えてください、貴方の本当の気持ちを。昨晩の帰り道、愛していると言わないでくれと叫んだのは、僕を恋愛対象として意識しているからですか……?」


 至近距離で流し込まれる声は震えていて、頬は僅かに赤く色づいている。その様子がどうにも色っぽくて、目が離せなかった。

 ジルは喘ぐように二度三度と口を開いては締め、やがて諦めたように首を振る。


「……本当に、ローレンスには叶わないな」

「! ジル、やはり……」


 期待に揺れる瞳を直視できなかった。声を上擦らせないように細心の注意を払いながら、彼に真実を告白する。


「ああ、実は……いざお前と離れると考えただけで、寂しくてたまらなくてな。ローレンスのことは本当に大切な、実の子どものように思っているから」


 ローレンスは目を見開き、言葉を無くして動きを止めた。あくまでもローレンスのことを子どもだと言い張るジルに、傷ついたようにくしゃりと顔を歪める。それでも、ジルは彼にとって残酷な言葉を放ち続けた。


「本当はお前がカペロ殿を父と呼ぶのも、複雑な気持ちになるんだ。だって私がお前を育ててきたのにな。父と呼んでほしいとは言わないが、私だって親なんだぞって言いたくなった」

「ジル……」


 本心を隠す時は、嘘の中に本当のことを混ぜるといい。かつて神学校時代にチェスターが教えてくれたことだ。彼は卒業時にジルに告白するまでの四年間ずっと、ジルのことが好きだったと言っていた。


 ジルはまるでチェスターの気持ちに気がついていなくて、告白された時は何かの罰ゲームだろうと間に受けず、彼を酷く怒らせてしまった。その彼が言っていた言葉なのだから、間違いないだろう。


 ローレンスが好きだ。けれど彼を育て慈しんできた気持ちだって本物だ。彼への恋慕を隠し切るために、ことさら親子愛を強調するしかない。それでローレンスが傷つくとしても、彼の将来のためにはこうした方がいい。


 傷口を晒して痛む胸を意識しないように、気をつけながら胸を張る。


「行ってこい。お前はもう、どこに行ったって立派にやっていけるさ。なんせ私の自慢の弟子だからな」


 ニヤリと笑いかけるが、彼はいつものように笑ってはいなかった。幼い頃に何度か見た、泣き出す寸前のような顔をしている。胸がはち切れそうに傷む。グッと拳を握って頭を撫でてやりたい衝動を堪えた。


 ローレンスはジルを閉じ込めていた両腕を下ろし、長いため息を吐き出す。


「はあ……わかりました」

「お、わかってくれたか弟子よ」


 ローレンスは肩を落としながらも、考え事をするように顎に手を当てた。


「これもいい機会かもしれませんしね、しばらく聖都に滞在することにします」

「ああ、それがいい」


 今まではターニャの不可解な事件があって聖都に留まるのを反対していたが、今ならカペロがいる。彼がしっかりローレンスを見守ってくれるだろう。


「ちゃんと戻るつもりでいますので、部屋はそのままにしておいてください。特に掃除の必要もありません」


 しばらくと言わずそのまま聖都で暮らせばいいと言おうとして、喉がつかえて言えなかった。これ以上嘘をつくのが辛くて視線を逸らす。


 じわじわと湧き上がる喪失感に胸を痛めるが、ローレンスが広い世界を見た方がいいと思っているのは本心だ。


 寂しさを押し殺して、毅然とした態度でいなければならない。呼吸を整え平常心を取り戻そうとしたところで、廊下の端から見知った霊牧師が歩み寄ってくるのが目に入った。


「カペロ殿の息子だな? こんなところにいたのか。探されていたぞ」

「チェスター! 怪我はもういいのか」


 昨夜は少なくない量の血が流れていたようだが、立って歩いて大丈夫なのか。青白い顔に問いかけるような視線を向けると、鼻で笑われた。


「軟弱な貴様と一緒にするな。貴様の方こそ顔色が死人のようだ」

「失礼な、少し寝不足なだけで至って健康だ」

「ふん、ならいい。おい貴様、早くカペロ殿の所へ戻れ」


 刺々しい視線が弟子に向いた隙を見計らい、ジルは踵を返す。


「せっかくだから連れてってやれ。私はもう帰るから、じゃあな」

「待てジル、まだ話は終わってないぞ!」


 チェスターにまで引き止められたが、せっかく納得したローレンスに話を蒸し返されてはたまらない。逃げるようにして教会から退散した。


 宿を引き払い、ローレンスの荷物をまとめて教会のシスターに託した。感傷的な気分で白亜の列塔を見上げる。


 ジルの初恋はこの地で散った。そして今、新たに抱いた恋心も置き去りにしようとしている。


「……元気でな」


 これでいい。愛した人を守れなかったジルには、人を愛する資格なんてない。だからこれでいいんだと何度も言い聞かせながら、チノン村の方角に向かって歩き始めた。


 厳しい道のりを一山分越えた頃には、気持ちの整理がついていることを祈りながら。


**7**


 村は悪霊に襲われた様子もなく、至って平和だった。町の乙女達からはローレンスが帰ってこないことを随分と残念がられ、ひと月経つ今でも嘆く者はいるが、変わったことといえばその程度だ。


 溜まった聖具の穢れ落としを黙々とこなしていると、何も考えずにいられる。日がな一日作業場にこもってどんどん聖具を整備していたせいで、在庫は一ヶ月分どころかその倍ほどできた。そろそろ磨く物がなくなってしまいそうだ。


 ジルは凝り固まった体を、思いきり手を上に伸ばしながら解す。少し解した程度では肩の重だるさは抜けず、もっと体を動かさないとなと自嘲した。


 そろそろ飯にしようと作業場から出ると、弟子の得意料理であるオニオンスープの匂いがした。無意識のうちに声をかける。


「ローレンス、今日の昼ご飯は……あ」

「おや、珍しい。声をかける前に出てきたね」

「……母さん」


 フランは家事能力のないジルを見かねて、週に一度か二度食事を作りがてら掃除をしていくようになった。お陰で教会もその隣にある家も、ゴミ屋敷にならずに済んでいる。


「今日は寒いからね。あったかいスープにしておいたよ」

「ああ、助かる」


 てきぱきとスープやパン、干し肉を食卓に並べたフランは、勝手知ったる我が家といった様子で食べ始めた。ジルも向かい側に座って温かい食事をいただく。


「ローレンスのことを考えていたのかい」

「……! ごほっ、ぐ」


 てっきり流してくれた物だとばかり思っていたことを指摘されて、ジルは咽せた。なんとか息を整えると、恨みがましい目で母親を見やる。


「別に、そういう訳ではない。ただ、このスープはローレンスの得意料理だったから、思い出しただけで」

「ああ、そうだね。私が教えてやったのさ。師匠はオニオンスープが好きだから覚えたいんですって言い出した時には、まあなんて健気な子なんだいと感激したね」

「そうだったのか」


 ローレンスと物理的に別れた場所にいれば彼のことを考えずに済むだろう。最初の頃はそう思っていたが、次第に間違いだということに気付かされた。


 見回りの最中に振り向いても弟子の姿がないことに戸惑うし、村人達や家族からはしょっちゅうローレンスの話題を振られる。


 彼が側にいないことはジルにとって不自然で、慣れるまではまだまだ時間がかかりそうだった。


「あの子は今頃聖都で何をしているんだろうねえ。綺麗な顔をしていたし、性格だっていい。彼女の一人くらいは見つけているかもしれないね」

「……そうだな」


 自分に対しては多少意地悪だったがなと言おうとして、なんだかみっともない気がしてやめた。そんなことを自慢してもどうにもならない。


(今頃は聖都の霊牧師として、カペロ殿に教えを請うているのだろうか。流石に心変わりするには早いだろうが、私のことを諦めていい人を見つけた可能性も……)


 それ以上考えたくなくて、首を横に振った。いつかは来る未来だとしても、まだ受け入れられそうにない。


 落ち込んでいるジルを前にして、母は肩を竦めた。


「まったく、難儀な子だねえ。ローレンスが気になるなら様子を見にいけばいいのに」

「そんなに簡単に村を空けられないんだ」

「そうかねえ、その気になればなんだってできると思うけどね。一度ローレンスの部屋でも掃除してみたらどうだい。気が変わるかもしれないよ」

「なんだそれは、どういう意味だ」


 下手にジルが掃除をすると、やれここに汚れが残っているだの、拭き方がなっていないだのと口煩いのに、藪から棒に掃除を勧めてくるなんてどういう意図があるのだろう。


 それに、ローレンスからは部屋をそのままにしておくように言われている。母は時折埃を叩きに行っているようだが、ジルは手をつけたことがなかった。


「言葉通りの意味さ。ま、お節介はこのくらいにして私はそろそろ帰るよ」


 母は昼食を食べて帰っていった。一人きりの家は暖炉の火を入れていても寒々しく、まだ外の方が日差しが出ていて暖かそうだ。


 日差しに導かれるように外に出て見回りをはじめる。寒々しい景色はいつもと変わりがなかった。聖都の霊牧師達は無事に回復したようで、あれから悪霊が村まで流れてくることはない。


 それでも油断は禁物だと、葉がほとんど落ちた木々の間を抜けて隅から隅まで村中を見回っていると、小山の方角から意外な人物がやってくるのが見えた。


「あれ、チェスターじゃないか」


 白いローブの上に厚手のマントを羽織ったチェスターは、ジルを見つけて眉をしかめた。


「ふん、元気そうだな」

「お前こそ。どうして来たんだ?」


 金の髪をかき上げたチェスターは、意地が悪そうな表情で緑の目を眇める。


「寂しがりのお前のことだから、弟子がいなくてへこんでいるかと思ってな。情けない顔を拝みにきた」

「あのなあ……」


 聖都で再会するまで便りすら寄越さなかったのに、どういう風の吹き回しだろう。寂しがり屋であることも見破られていて、気まずくなって頬を掻いた。


「……ローレンスはどうしてる」

「ああ、カペロの倅はなかなか優秀だな。スカした笑顔でなんでも卒なくこなしているぜ」


 あいつらしいと苦笑する。家への道を辿りはじめると、チェスターもついてきた。


「それで、お前の用件はなんなんだ」

「先程も言っただろう、顔を見にきた」

「それだけか? なんで急に?」


 チェスターは周りを見回し村人が歩いているのを確認すると、ジルの背を押して急かした。


「いいから黙って歩け、家に案内しろ」

「それが人に物を頼む態度か」


 文句を言いながらも家路を急ぐ。こんな風にチェスターと気安く話すのは何年ぶりだろうと、くすぐったい気持ちになった。


 ふと彼に告白をされた身であることを思い出す。家に上げるのはまずいだろうか……


(いや、考えすぎだな。さっきの受け答えも以前の友人関係だった頃と同じだし、さすがに今も好かれているってことはないだろう)


 ジルは軽く判断して、チェスターを家に招いた。隣に立たれると、チェスターの背が学生時代より伸びていることがわかる。顔つきもすっかり大人の男となっていて、過ぎた月日を感じさせた。


「なんか、変わったなお前」

「貴様は変わらないな。相変わらず小さい」

「誰が小さいって?」

「フッ、そうやってムキになるところも変わらない」

「うるさい」


 小さいと言われたのは業腹だが、わざわざ会いにきてくれたわけだし一回は失言を許そうと怒りを収めた。軽口を叩きあいながら茶を淹れてやる。


 テーブルの向かい側に座ったチェスターは、しばらくの間気まずそうにティーカップを見つめていた。わざわざ山越えまでして村に来たのだから、何か話したいことがあるのだろうと水を向ける。


「それで、どうしたんだ」

「ああ、その……あの夜は世話になった」

「ん?」

「だから、呪われた霊に襲われた夜のことだ! 強い口調で追い返して悪かったな……あの日は他の霊牧師が全員使い物にならなくなっていて、追い詰められていてな。本当に危険な霊だったし」


 語尾を濁しながら言い訳するように謝られて、ジルの目は丸くなる。


「あの意地っ張りなチェスターが、素直に謝っただと……!?」

「おい貴様、人がせっかく謝っているのに茶化すとはいい度胸だな? わかった表に出ろ」

「待て待て、なんでそう短気なんだ!」


 立ち上がるチェスターを手で制し、気まずげに頬を掻いた。


「いや、まあ。無事でよかったよ」


 チェスターは拳をテーブルの上で握ったままだったが、なんとか落ち着いて席に座り直した。


「それでだな……お前に礼をしてやってもいいと思い、こんな辺鄙な村まで来てやったのだ」

「礼を言いにきた割には上から目線すぎないか?」

「黙れ。貴様は俺の心遣いが嬉しくないのか?」

「いやまあ、嬉しくないわけじゃないが。何をしてくれるつもりなんだ?」


 チェスターはなぜか頬を染めて、視線を泳がせた。


「ふん。寂しがりの貴様の願いを一つだけ叶えてやる。貴様の為に地方赴任状も手配してきているんだ」


 地方赴任状まで用意するとは、長期間かかる願い事でも叶えてくれるつもりなんだろうかと首をかしげる。


「願い事……なんでもいいのか?」

「ああ、遠慮なく口にするがいい。弟子がいなくて寂しいのだろう? あいつは聖都でいい人も見つけたようだしな、ここに帰ってくることはないだろう」


 衝撃が身体を貫いた。ローレンスにすでに相手ができたのか、まさか……


(あいつは滅多に他人に心を開かない、だからチェスターの思い違いということもあり得る……いやでも、聖都の女性は華やかだろうし、ふらっと惹かれてしまうことだってあるのか!?)


 あんなにもジルのことを全力で口説いてきたのに、とても信じられない。

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