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7、やることは多く、そして事態は待ってくれません・前

 アルフィと再会したその日から、アデラインは本格的に古典魔法の研究と解読にとりかかった。教員として忙しくしているアルフィも時間を見つけては館に訪れ、アデラインと意見交換をしていく。古典魔法は魔法学の中でも特殊で、これから先の何か仕事に繋がるかといえば微妙なところではあるが仕方がない。何よりも、アデラインは楽しかった。


 アデラインは学生時代、両親や他人の目を気にして選択授業で魔法学はとらなかった。だからアデラインの魔法の知識は、全生徒対象である必修の初級魔法学で止まっている。けれどこそこそと誰にも見つからないように図書館の隅に座って本を広げては、魔法について学んだものだ。


 しかし今は隠れる必要も誰かに怯えることもなく、アルフィに堂々と質問をして一緒に魔法書の解読をしている。家庭教師を目指すなら本当はもっと人気のある学問を学び直すべきだが、とにかくあの三巻二章の魔法が解読できるまではいいだろう。そう言い訳をして、アデラインは魔法書と向き合った。



「光魔法のようだが、いやしかし、ううむ……」

「先生、この手の呪文で真逆の闇魔法だったこともありませんでした?」

「ある。それにあれは属性を間違うと大爆発が起きる仕様になっていた。古典魔法には守秘の為にそんな仕掛けをしてある呪文も多い。気安く試せないのだ……」



 だが、魔法書の解読は一朝一夕で終わるものではない。記号が解読できたかと思えば、その前提が崩れ一からやり直しをすることもしばしばだった。それでもなんとか呪文のほとんどが解読できたものの、今度は属性と効果が分からない。呪文が詩的すぎるのだ。例えば【薔薇のように】から始まる呪文でも、火炎魔法だったり闇魔法の毒効果だったりする。


 しかも解読できたのは古文の呪文そのままであって、その全てが現代語訳できているのでもない。古典魔法に使われている古文は、純粋な文学として残っているものとは若干違うのだ。完璧に訳せないこともある。あとは別の魔法書や歴史書を読み漁ってヒントを探し出すくらいしかなく、最終的には閃きが必要なのだとアルフィはぼんやり天井を眺めだしてしまった。アデラインもそれに倣うが、それだけで何も思いつかない。


 途中まで順調だった解読は、完全に行き詰っている。そんな二人を見かねてか、様子見に来たセオドアが苦笑しながら窓の外を指差した。



「そんなに煮詰まってるなら、気晴らしに皆で街にでも行かないか」

「……いいかもしれません、先生」

「……そうだな。街では別行動をするが、それでいいのなら」



 三人は馬車で街に向かった。アルフィは言葉通りに街に着いた途端、魔道具の工房の方にふらふらと歩いて行ってしまって、アデラインとセオドアはすぐに二人きりになった。



「大丈夫でしょうか、先生……」

「あの人もいい大人だから、そこまで心配しなくてもいいだろう。それよりも、アデライン。せっかく二人っきりなんだからデートだぞ、これ」

「で」

「デート」

「……デート、って、あのデート、ですか?」

「そのデートだ」



 セオドアは戸惑うアデラインの手を取ると、ふは、と豪快に笑った。



「あっははっ、あのデートってなんだ、あのって!」

「わ、笑わないでください! だって、セオドア様がいきなりそんなこと言うから!」

「だって、そうだろう? 俺たちは恋人同士で二人で街に出かけるんだから、これはデートだ」

「……そう、ですか、ね?」



 学生時代にもデートというものをする人はいた。けれどあの頃の二人には、無関係でなければいけないものでもあったのだ。それなのに今、デートなんてとアデラインは一人であたふたとしながら頬を染める。セオドアはそんなアデラインを見てまた笑った。



「そうです。で、どこ行きたい? ブティック、カフェ……あ、本屋と工房は駄目だぞ。デートだからな」

「えっと、そういうものなんですか」

「そういうものなんです」

「なるほど……?」



 よく分からないままでアデラインが頷くと、セオドアは満足したように目を細めて歩き出した。


 二人は小物屋やブティックを覗いて少し公園を歩き、カフェで休憩をした。アデラインはまた私設騎士が来るのではないかと少しだけ心配したが、それは杞憂だったらしい。



「セオドア様、何だか今日は警備が多くて観光客が少ないですね?」

「まあほら、この前不審者が出ただろう? だから、この地域の警邏を増やしたんだ。何も俺たちの警備って訳じゃない。あと、観光客はシーズンがあるからな。祝日とか大型連休とかがないと」

「不審者って……」

「さて、次どこ行く? 疲れてないか?」



 この話はおしまいだと言わんばかりの態度にアデラインは苦笑して、けれど繋いだ手に僅かに力を込めた。



「さっき休憩したばかりなので大丈夫です。次の行き先はお任せしても?」

「そうだな。なら、屋台が出ている通りに――」



 セオドアが話しながら歩き出そうとしたその時、悲鳴が通りに響いた。驚いた二人が声の方向を振り返ると、そこには逃げ惑う人々とそれを追う複数の小型モンスターがいるのだ。増員した警邏たちが魔法を使って応戦しているが、数が多くてさばき切れていない。



「な、何が……」

「アデライン、動くな!」

「っ」



 セオドアは収納魔道具から剣を取り出し、迫ってきたモンスターを容赦なく切り捨てた。その間に、アデラインは周りを見回す。人々は逃げ惑い、少し離れた場所にいた護衛たちもモンスターの対応に追われているようだった。


 こんなこと、あり得ないのだ。確かにこの領地の近くには深い森や洞窟も多くあり、そこにはモンスターも生息している。しかし人々が住む地域にはモンスター除けがされており、少なくともこんな小型モンスターが大量になだれ込むなどということは起こる筈がない。


 けれど、そのあり得ないことが現実に起きている。アデラインは恐怖で震えそうになるのをどうにか堪え、モンスターに向かって指をさした。



【留まらぬ花よ、ひと時この場に根をはり紅蓮のように咲け】



 アデラインの言葉は魔力を孕み、呪文として成立し魔法となって現れる。モンスターは魔力でできた炎に閉じ込められ、一瞬で消えた。ぶっつけ本番であったけれど、アデラインの魔法は成功したらしい。知らず力が入っていた肩からそれが抜け、その代わりに達成感がじわりとアデラインを満たした。



「……古典魔法って、本当にあれだよな」

「……わたくしもちょっと思いますけど、あれって言い方はよくないと思いますわ」

「いや、悪い。すごいなってことで……。お?」



 セオドアがアデラインの腕を引き下がらせると、その場に一人の魔法使いが転移してきた。重厚感のあるローブを見に纏ったその男は、ただそこにいるだけで魔力の圧を感じる程で相当の使い手であることがすぐに分かる。



「セオドア様、国境付近から大量のモンスターが入ってきております。避難は順に行っておりますが、恐慌状態になっている者も多く進みが悪いようです。領民の避難とモンスターの排除、どちらを優先いたしましょう?」

「もう少しすれば増援も来るから避難が先だ。転移魔法で館の敷地に集めて必要なら治療もしてやれ」

「は」



 魔法使いは短く返事をするとまた転移魔法でどこかへ行ってしまった。そして彼がいなくなったと同時に悲鳴が途切れ、街が徐々に静かになっていく。その異様さに気付いたアデラインがそっと見上げると、セオドアは苦笑した。



「奴はうちお抱えの中でも上位の魔法使いだから、仕事が早いんだよ」

「転移魔法を他人に使って、それもこんなに素早く? 魔力はどうなって……?」

「うん、俺には分からない。あ、アデラインも連れて行ってもらえばよかったな……」

「いえ、わたくしはセオドア様のお傍にいたいです。お邪魔にならないようにしますから」

「まさか、古典魔法の使い手が邪魔になる筈がない。だが俺から離れないこと、魔法はやれる範囲でいい。さっきも言ったがこういう非常事態には増援がくるようになってる、それまでの辛抱だ」

「……はい!」

「よし、小型ばっかりみたいだが気をつけていくぞ」



 そう言うと、セオドアはばさばさモンスターたちを切り捨てていく。そういえば現役の騎士だったと今更ながらそんなことを思い出したアデラインは、必死になってついていった。


 しかし、何かがおかしい。いや、モンスターが街に入ってきた時点でもうおかしいのだが、魔法使いたちが苦戦しすぎている。


 相手は小型モンスターで、そこまで強くない。スライム状であったり動植物の形をしていたりとその姿は様々で性質も違うがどれも弱く、学生が授業の課題で倒すようなモンスターだ。警備や保安、護衛を仕事としている魔法使いたちが、数が多いとはいえ苦戦を強いられる相手ではない。


 ただ変だということは分かっていても、それでも目の前のことに集中するしかない状態でもある。アデラインは言われた通りセオドアの傍を離れず、できる範囲で魔法を使うことしかできなかった。


 打開策もないままとにかく突き進んでいると、二人の目の前に閃光が走る。それは強力な魔法の光だった。



「何だね、まったく騒々しい」



 いつもの鷹揚とした調子で現れたのは、アルフィだった。慌てる様子もなく、しかしその周りには大量のモンスターたちが倒れている。



「先生って本当に学院で燻っていい器じゃないんだよなあ……」

「私は教職を気に入っていてね。しかし、これは一体どうしたものか」

「一応増援は来る予定なんですけどね」

「それまで持ちこたえろと? 人は逃がせたようだが、悠長にしているとご自慢の煉瓦と魔道具が全て壊されてしまうぞ」

「それが困るからこうやって地道に倒してんですよ!」



 セオドアは半分自棄になったかのようにそう叫んで、モンスターたちを一体ずつ仕留めていく。しかし数は一向に減らない。少し遠くに見える国境からどんどんモンスターたちが入ってくるのも見えているのだ。増援が来てもこれではどうしようもない気がする。アデラインはアルフィを見上げた。



「先生、結界を張れませんか? どんどん入ってくる魔物たちを少しでも足止めできれば、時間が稼げるかと」

「よい考えだが、結界を張るには範囲が広すぎる。この場には魔法使いたちが多くいるが、実戦経験が豊富な者は少なそうだ。目の前のことで手一杯なのだろう。いくら小型とはいえ数が多すぎるからな。私だけではさすがに……。いや、そうか、そうだな……」

「あの、せ、先生……?」



 アルフィは考えこむように口を覆い、目を見開きながらぶつぶつと何かを呟き始めた。これは古典魔法を解読をする時のアルフィの癖で、この状態になれば何かしらの解が見つかったといっても過言ではない。しかし今は緊急で、危険な状況だ。この場で集中しださないでほしいとアデラインは少し涙目になりながら、襲い掛かってきたモンスターに魔法を放った。



「わーっ」

「アデライン、大丈夫か!?」

「だ、大丈夫です!」



 けれどその悪い状況は長くは続かなかった。アルフィがいきなり顔を上げ、高揚したように口を開いたのだ。



「小さなノーチェ、君も手を貸しなさい」

「はっはい、何をすれば?」

「結界を張ろう。ずっと考えてはいたんだが、やはりあの三巻の解読できなかったのは結界魔法だ。今、閃いた」

「え、今!?」

「そう、今。ノーチェ、君のおかげだ。失われた古典魔法の解読に重用なのは閃きである。そう教えただろう。あれは光属性の結界魔法で正しい。呪文は覚えているね?」

「……はい!」



 何度も行き詰まり意味と効果を考えながら諳んじた呪文だ。忘れるはずがない。アデラインは緊急事態であるのにと多少の後ろめたさを覚えながらも、失われていた古典魔法が使えることに胸の高鳴りを感じた。しかしそこにセオドアが水を差す。



「先生、危険はないんでしょうね!?」

「ない。まあ、万が一間違いがあってもノーチェには危険が及ばないようにする。ほら、剣持つロイファー。早く近くのモンスターをどかさないか、呪文の詠唱ができないだろう」

「好き勝手言うな、この教職員……」



 呆れながらも安全の確認をするセオドアが、この場で一番正しいのだ。モンスターに襲われて本当に危険で大変な時なのに、古典魔法が使えるからと喜んでいるアデラインたちがおかしい。それを自覚し申し訳なく思いつつも、アデラインは頭の中で呪文の確認をした。


 そうこうしている間にセオドアが付近のモンスターを一掃する。アルフィが目線だけでアデラインに合図をすると、二人は詠唱を始めた。



【始まりは混沌、そこに一滴の光と――】



 明確に訳すことのできていない部分はもう異国の言葉のようにも感じるが、その音こそが古典魔法なのだ。節があり歌っているようにも聞こえることから、真似て作られた楽曲もある。魔法ではあるのだけれど、文学や芸術としても評価されている特殊なもの。魔法に興味はあるがそれを言うのが罪であったアデラインにとって、唯一芸術であるからと言い訳のできるのが古典魔法だった。


 最初こそ消極的な選択で始めた勉強がこんなところで役立つなんて、図書室の隅に隠れていたあの頃のアデラインには思いもつかないことだろう。そんな過去を笑ってしまいながら、アデラインは詠唱を続けた。



【――そして今こそ、分かたれよ】



 二人の声が途切れたその瞬間、街をぐるりと覆うように光の壁が出現した。その壁は一瞬で見えなくなったが、そこには確かに存在している。見えない壁がモンスターを阻み、もう侵入はできないようだった。



「ああ、やはり正しかった。これで失われた古典魔法がまた復活を遂げたのだ。一件落着である」



 魔法の効果をその目で見たアルフィは満足げに頷くが、それにセオドアが噛みつく。



「いや、新しく入ってくるのがいなくなっただけでまだ領内に魔物いるんで! 終わってないから終わった感出さないでください!」

「それはお前たちの仕事だろう、ロイファー。あれらはご丁寧に対魔法の守護をかけている。つまり、魔法は効きが悪い。そして、物理はその対象ではないのでよく効く」

「いやいや、え? やる気失くすの早くないです? ここにいる物理俺だけなんですけど、可愛い教え子を助けてあげようとか思わないんですか?」

「お前は初級古典魔法学で寝てばかりいただろうが。選択授業でもどの魔法学も取らなかった。その癖に可愛い教え子を自称するのはどうかね」

「ひどい!」

「ああ、小さなノーチェは違うぞ。お前は熱心で、古典魔法をこよなく愛している」



 ロイファー家お抱えの魔法使いたちが苦戦していたのは守護のせいだったのかと悠長に感心していたアデラインは、急に水を向けられて慌てた。セオドアがモンスターを倒し続けながらも、恨めしそうにアデラインを見ているのだ。



「ええと、ありがとうございます、先生。ですがあの、もう少し手伝ってくださると……」

「その必要はない!」



 馬の嘶きと共に、アデラインのよく知る声がそう言う。驚いたアデラインは、言葉を失くした。今日はもうずっと驚いているような気がする。


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