6、この決断の責任は必ず取ります
二人が無言のままでも馬車は役割を果たし、彼らを館まで連れ帰った。馬車から下りた途端、セオドアはいつもの調子で笑いながら振り返る。
「さて、そろそろ夕飯だな!」
「……こんな状況でよく食べられますね」
こんなことを言うべきではない。セオドアはこの重苦しい空気を換える為にわざと明るく振る舞っているのだ。そのくらいのことはアデラインにも理解できたが、それでも口をついて出たのはそんな言葉だけだった。見事な自己嫌悪がアデラインに襲い掛かったが、一人だけ大人になってしまったセオドアは苦笑するだけだ。
「空腹時にはいい考えは浮かばないと相場が決まっている。それだけならまだしも、悪い考えに支配されやすくなる。何でもいいから少しだけでも食べるんだ」
「……」
「アデライン」
「……昔、セオドア様が作ってくださった卵の乗ったパンをまた作ってくださるなら食べます」
それは、アデラインにとって学生時代の大切な思い出の一つだ。
生活魔道具を試す体験として出された課題で、その魔道具を使って食事を作ってみるというものだった。貴族子女が自分の食事を用意するなんて滅多にないことであったから、人によっては苛立ちながらそして物珍しさで楽しみながら皆が課題に取り組んでいた。
アデラインが魔道具を使い学友たちと焼き菓子を作っていると、何故か見学に現れたセオドアとアデラインの兄が乱入して来て簡素な食事をテキパキと作り上げたのだ。「騎士になるのなら野営で自炊することもあるし、魔法使いになるならこんな初級魔道具の構造は完璧に理解できていて当然だ」などと先輩に言われては、不真面目だった生徒たちも真剣にならざるを得ない。それを狙って教員が彼らを呼んだのだが、その予想は見事にあたり課題のレポートの出来はとてもよいものだったらしい。
卵の乗ったパンとは、その時にセオドアが作りアデラインにくれたものだ。アデラインは今でもあの素朴で素晴らしい味を夢に見る。しかし、セオドアはもう騎士として確固たる地位を確立していた。学生のあの頃とは違うのだ。もうあんなことはしないだろう。そう決めつけたアデラインが自室に下がろうとした時、セオドアは静かに一つ頷いてみせた。
「よし分かった。ちょっと手伝ってくれ」
「え」
また手を掴まれたアデラインは、今度は館の中を引きずられていく。すれ違う使用人たちは皆いつものように微笑ましそうに見てくるから、アデラインには「今回のこれは違うから助けてほしい」と馬鹿正直に伝えることはできなかった。
目的の場所は館の奥にあったらしく、アデラインがまだ近寄ったことのない場所だった。初めて入るその大きな部屋には大小様々な魔道具が所狭しと並んでおり、圧巻という表現がよく似合う。
セオドアは途中で使用人に伝えていたものが届けられると、すぐに作業にとりかかった。
「ほら、もう焼けるぞ。皿を出してくれ」
「ま、待ってください。わわわっ」
「便利だろう。自領で作っている魔道具の使い方くらいは知っておきたいから、最新のものは一通りあるぞ」
「パンの焼き色が丁度いい……」
「目玉焼きもできたぞ」
箱型の料理用魔道具から取り出されたのは、焼きたてのパンと目玉焼きだ。アデラインが持った皿の上に置かれたそれらは、特別な味付けなど何もされていないのにあまりにもよい匂いを漂わせていた。
「アデラインが言ったんだからな、責任を持って食べろよ?」
「……いただきます」
アデラインは簡易な木の椅子に座り、ただ目玉焼きの乗った焼かれたパンにかぶりついた。それを見届けて、セオドアも自分の分を齧る。お互いに高位の貴族子女であるのに、何という行儀の悪さだろう。こんなことは学院と一緒に卒業せねばならないことであるのに。
けれど、アデラインはもう何の文句も言えなかった。
「お、久しぶりに食べるとこういうのも美味いな」
「ええ、美味しいです、とても」
ただ焼いただけの卵とパンが、泣けるくらいに美味しかったから。アデラインは子どものように無心でパンを食べた。何かが頬を伝っているのには気が付いていたが、すぐに拭う気にはなれなかった。それほどパンが美味しかったのだ。
「なあ、泣くなよ」
「別に泣いてませんわ」
指摘されてやっと顔を拭ったアデラインはパンを食べきってから、ふうと息を吐いた。
セオドアのもとに来たのはただの思い付きで、しかし彼であれば助けてくれるだろうという打算もあった。それでも本当にセオドアにここまでの迷惑をかけるつもりはなかったのだ。だが結局蓋を開ければこれで、アデラインは自身の浅慮を呪った。
でも、本当の本当に他人を巻き込んで大事ごとにするつもりなどなかったのだ。ただ多くの人々が経験するらしい反抗期というのものを、最後にしてみたかっただけ。そんな言い訳を心の中でいつまでも練りながら、アデラインはそんな自身を嘲笑した。
「わたくし、両親にとって、よい子どもでありたかったんです」
そう、初めはそうだった。両親に愛してほしかった。そんなことを思い出すように、アデラインはぽつぽつを話し出す。この状況を打開するには、頭の中を整理する必要があった。
「あの人たちにとって愛せる子どもになれるなら、魔法なんて本当にどうでもよかった。体が弱くてすぐに熱を出して簡単に骨折もするから剣も馬も禁じられていたけれど、どんなに体が駄目になってもいいからやりたいのだと本気で思っていました。でも、それは許されないから」
幼いアデラインの主張は全て却下され、兄姉以外とは関わらない日々が長く続いた。私設騎士たちの前に出ることさえ恥だと叱られていたアデラインの世界は、自室と食堂、そして小さな中庭だけだった。
「きっと、あの人たちもわたくしのような子どもが生まれて、大変だったんでしょう。わたくしが生まれたせいで、兄と姉まで両親と喧嘩をしなければいけなくて」
アデラインが大きくなるにつれ、両親と兄姉の衝突は激化していった。確実にアデラインの存在がそうさせていた。それを肌に感じながらも、アデラインは何も知らないふりをして呑気に学生生活を謳歌したのだ。学生の身分が剥奪されればこれまで以上に行動を制限される日々がくると、それだけは正しく理解していたから。
あの家に、自身は生まれてくるべきではなかった。アデラインはずっと、そんなどうしようもないことばかりを考えて生きていた。
「どんな事情があろうと、それはアデラインに責任のあることではない。辛かったのなら、そう言っていい」
「ふふ、セオドア様はそう言いますよね。そう言ってくれるって知っていました。ずっと見てたから、貴方のことはよく知ってるんですよ」
冗談めかしてアデラインがそう笑うと、さすがのセオドアも眉間に皺を寄せた。珍しく怖い顔である。誤魔化すなとでも言いたいらしい。アデラインは卒業式にも似たようなことをしてセオドアを煙に巻いたのだが、それは使わせてくれないようだ。
アデラインは今度は困ったように笑ってぎゅうと手を握りしめてから、セオドアの目を見た。もう終わらせなければいけない。まだあの私設騎士は遠くには行っていないだろう。彼を追いかけて、一緒に家に戻るのだ。そう決意して、最後にとアデラインは口を開いた。
「……セオドア様のことが好きです、ずっと好き。貴方の気持ちも嬉しいですわ。でも、これ以上貴方に迷惑はかけられな――、ひ」
アデラインの肩に、衝撃が走る。掴まれたのだ、すごい勢いで。最後に想いと感謝を伝えて、別れを告げるはずだった静かな空間に似つかわしくない悲鳴も上がった。
「言ったな?」
「……今、絶対、こういうことしていい場面じゃない」
「いいや! 絶対にこういう場面だ!」
か細い声でアデラインがそっと抗議したが、そんなものはセオドアには通用しなかった。何かがおかしくなり始めているが、セオドアは構わずアデラインを思い切り抱きしめる。
「わ」
「あああ! やっと、やっとだぞ! 遅すぎる、俺がどれだけ待ったと思っているんだ!」
「え、な、何です!?」
「何ですじゃない! 俺のことが好きなくせに何度もふりやがって!」
「やがって、て……」
アデラインはもう、何をどう言い返すべきか分からなくなってきた。セオドアの力強い腕の中があまりにも心地よくて、混乱もしている。
「全部、独りよがりなんじゃないかと悩んだ時期もあった。君は俺のことなんて、本当はちっとも好きじゃなくて迷惑だと思われているんじゃないかと。でも、それでもいいと決めたんだ」
「セオドア様……?」
「頼む、アデライン。俺を選んでくれ、愛してるんだ」
「それは、ですが、あの……」
至近距離で目を合わせながらそう言われ、アデラインは場違いにも顔を赤くして胸を高鳴らせた。いや、状況だけを切り取ればアデラインは好きな人の腕に抱かれ口説かれているのだから、その反応は正常なのかもしれない。しかしアデラインは別れを切り出していたのだ。今度こそもう二度と会うことはないと伝えようとしていた。
なのに、これはどういうことだろう。何が起こっているのだろう。アデラインの混乱は深まり、返事もままならない。それに畳みかけるようにセオドアはもう一度、アデラインの肩を掴んだ。
「……いいか、アデライン?」
「は、はい?」
「これ以上、君にふられると俺は泣く」
「泣く」
「いい年をした大の男が四肢を投げだして泣き喚く」
「四肢を投げだして」
「いいのか、俺にそんなことさせて」
「そういう話じゃないと思うんですけど」
また話題の空気感ががらりと変わって、アデラインは自身が落ち着いていくのを感じた。本当に何の話をしているのか。もういっそ、四肢を投げだし泣き暴れるセオドアが見たいまである。そんなことをちらりと考えながら、アデラインはやっと腕に力を籠め体を離そうとした。
けれど今度は両手を握り込まれて、いとも簡単に押さえ込まれてしまう。抵抗されずにすぐ放してくれるだろうと高を括っていたアデラインは、多少の驚きを持ってセオドアを見上げた。その表情には必死さがにじみ出ていて、茶化した雰囲気は一切なかった。
「いや、俺たちの問題は実は結構簡単な話だ。アデライン、君が俺と一緒にいたいと言ってくれるだけでいい」
「そんなはずがないんですよ」
「そうなんだ、本当なんだよ。……そもそも俺を捨てて、あんな家に帰りたいだなんて言わないだろう」
セオドアがあまりにも当然だという体でそう言い切るので、アデラインは呆れにも似た感情でふうと息を吐いた。けれどその言葉に反論もできない。アデラインだって何の障害もないのなら、そうしたいに決まっているのだ。それでもできない、という現実の話をしているのにとアデラインは僅かに首を傾げた。
「なんだか、わたくしたち、違う話をしているみたい」
「まさか、同じ話だ。……ただ君はここでどちらかを選び、捨てなければならない。それは申し訳ないと思う。だが、俺は引く気はない。俺にはアデラインが必要だ」
「どうしてですか。わたくしなんて、何にもならないのに」
「……なるよ。少なくとも俺は、アデラインがいないともう何も頑張れない」
そんなのは嘘だと言いかけて、アデラインはそれを止めた。セオドアの目の中に、偽りを見つけることができなかったから。
ああ、とアデラインは唇を震わせた。セオドアは本気で「アデラインがいないともう何も頑張れない」と思い込んでいるのだ。魔法系名門貴族の者として初めて騎士の称号を勝ち取り、今や出世頭の一人として名を馳せているセオドアがである。妬み嫉みや妨害は他の者たちの比ではないほどだっただろうに、それでもそれをやり遂げたセオドアがそんなあり得ないことをこの人は盲目的に信じている。
アデラインは、それを諌めなければならなかった。自身がセオドアの前から消えたところで、世界は何も変わらないと伝えなければならなかった。しかしもう、アデラインにはそれができない。セオドアの言葉が嬉しいと、そう感じてしまったから。アデラインは涙をこぼしながら笑った。
「……ふふ、なら仕方がないから、一緒にいてあげます」
「そうしてくれ!」
もう一度セオドアに抱きしめられながら、アデラインは両親への未練を断ち切ることと出自に不義理することを覚悟した。本当は、こんな選択をしていい筈がない。貴族の家に生まれたのなら、どうであれ家長に従うべきなのだ。それが貴族の在り方で、正しいことだ。それでもアデラインはもう、これ以外の選択はできなかった。
「よっし! よし、泣くなアデライン! 大丈夫だ、本当に全部大丈夫だから!」
「……泣いてなんていませんわ。でも、ええ、信じます。それにわたくしも頑張ります。何を頑張ればいいのかまだ分からないけど、頑張りますから」
「ああ、なら一緒に頑張ろう。ずっと一緒に、な」
嬉しそうに声を弾ませるセオドアにしがみつきながら、アデラインは少しの間静かに泣いた。
―――
アデラインがあんなに重要な決断をした次の日も別段世界の何かが変わることはなく正確に時間を刻み、きっちりと日は昇った。セオドアは少し機嫌がいいくらいでやはりこれまでと何も違うこともなく、深刻そうな雰囲気もない。そのことに文句を言うつもりはないが、アデラインは何となくこんなに呑気でいいのだろうかと少し悩んで小さく頭を振った。
アデラインには、そんなことをうじうじと考えている暇はないのだ。自身に何ができるのか、それを早く見つけ出さなければならなかった。「一緒にいる」なんて言ったものの騎士系貴族の出身者であり家出娘であるアデラインが、セオドアと正式に結婚なんてできるはずがない。
セオドアは愛人や妾として囲ってくれるつもりなのかもしれないが、それにしたって自立ができているのはよいことだ。商人の子どもに読み書きを教えるような仕事であれば、アデラインでも就けるかもしれない。その辺りは後日セオドアに相談するとしても、何にせよ知識は必要だ。あれば、あるだけいい。アデラインのした選択がどんな結末を迎えたとしても、身に着けた知識はその後を支えてくれるだろう。
それに悲観するばかりでもない。幸いセオドアは嫡子ではないから、もしかすると法的な結婚ができないだけで彼の言う「ずっと一緒に」が叶う可能性だってある。だからとにかく頑張ろう。アデラインは小さく拳を握って決意を新たに書庫へ向かおうとしたが、珍しくそれをセオドアに呼び止められ応接室に連れていかれた。
そこには、とても懐かしい人が立っていた。
「小さなノーチェ、久しいな」
アデラインに向かってそう独特な呼び方をしたのは、貴族学院の教員の一人でアルフィという名の男だった。
初老に差し掛かる手前のアルフィは、古典魔法の権威であるが下位貴族の縁者である。貴族子女が生徒である学院において貴族籍を持たないという微妙な立ち位置にいたが、むしろだからこそなのか歯に衣着せぬ独特な言動で一部生徒からは人気のよい教師であった。そして選択授業で魔法学を取らなかったアデラインに何かと用事を言いつけて、こっそりと古典魔法を教えてくれた人でもある。
思わぬ人の登場に、アデラインは文字通り飛び上がった。
「せ、先生!? なななな、何で!?」
「俺が呼んだ」
「呼ばれた」
「はあー!?」
アデラインは淑女教育などなかったかのように大声を上げたが、セオドアはただにこにこと彼女を見ているだけだった。いや、笑っている場合ではない。これはどういうことなのかとアデラインが説明を求めようとした時、アルフィが彼女に向かって矢継ぎ早に言葉を投げかけてきた。
「あの本の二巻が見つかったと聞いた。どこにある、解読はどこまで進んだ?」
「あ、ええと、一章の半分までで」
「もうそんなにも解いたのか。どうだった、新しい知見はあったか、三巻二章の謎は解けたのか」
「あわわわ」
次から次へと質問され、アデラインは一歩も二歩も後ろへ下がった。下がりながら、そういえばアルフィはこういう人だったと懐かしさを感じてもいた。アルフィはよき教員であったものの古典魔法の研究者としてしての一面を強く持っていたので、知的好奇心を押さえるのが苦手な人でもあったのだ。
「とにかく現物を見なければ分からんな。剣持つロイファー、書庫を借りるぞ。ノーチェ、来て手伝いなさい」
「え!?」
「いいですけど、ちゃんと食事はとってくださいよ? 約束破ったら恩師であっても力づくで引きずりだしますからね」
「仕方がないな、従おう。ノーチェ、行くぞ」
「えええええ!?」
アルフィに引きずられてアデラインは書庫へ向かった。セオドアはそんな二人を愉快そうに、そしてしてやったりといった顔で見送る。アデラインは結局訳が分からないままで恩師と書庫に籠り、古典魔法の解読を始めた。
聞かねばならないことは多くあったのに、一人でしていた時よりもはるかに素早く解読されていく古典魔法にアデラインはすぐに夢中になってしまった。
「……この呪文、綺麗ですね」
「ああ、美しい。古典魔法の神髄である。……ふむ、これは」
「どうなさったんですか、先生?」
「ここだ、ノーチェ。三巻二章の解読法が書かれている。ああ、あの魔法はつまりこの文を解読して初めて使えるものなのだ」
「では、三巻の魔法がどんなものであるかというのも分かるんですか」
アルフィがとんとんと指で叩いた箇所が、ぼんやりと光を放つ。魔法書にはそれ自体に魔力が込められているものがあり、この本もそうであった。効果は様々だが、この本に込められた魔力は柔らかな光を放つことで暗闇でも本を読みやすくする為のものだ。昔は魔道具が普及していなかったこともあり、古典魔法の魔法書にはこういう仕掛けがかけられていることが多い。
しかし、アルフィが示した箇所の文字はあまりにも難解だった。古典魔法の魔法書には古典文字や文章が使われているというだけでなく、そこからさらに暗号化していることが多い。
昔の人々がいかに魔法を特別視し管理してきたということが察せられるが、解読法は口伝であった。けれど現代魔法の普及に伴い、その解読法の多くが途絶えている。つまり地道に暗号を読み解き、それを古典文字に直しその文章を現代語訳して意味を理解しやっと失われた古典魔法は復活を遂げるのだ。その地道な作業を面倒だと嫌う者が過半数であるが、中にはその手順を踏むことで達成感を得る者もいる。そしてアルフィとアデラインは後者だった。
「そうだな。早く解読を進めねば……」
二人が高揚を覚えながら暗号解読にとりかかろうとしたその時、書庫の扉が乱暴に開いた。
「はい、ご飯ですよー」
「いいところだというのに!」
「いいところですのに!」
「はい、駄目でーす。この駄目魔法使いども、早速約束を破ろうとしてんじゃないんだよ」
セオドアに睨まれ、二人ははあとため息を吐いた。約束は約束で、セオドアは正論を述べているだけなのだ。どんなに続きが気になろうとも、従わない訳にはいかない。
三人は食堂へ行き、昼食をとった。健康的で素晴らしいことだ。ただ雑談をしていると昔話に花が咲き、思いの外時間が過ぎてしまったのは痛恨のミスだった。現役の教員であるアルフィは、学院に帰らねばならないのだ。
「ではな、小さなノーチェ、剣持つロイファー。また来る。風邪など引かないように」
まるで小さな子どもに言い聞かせるような口調で二人に別れを告げると、アルフィは転移魔法を使い学院に戻った。ここから学院まではかなりの距離があるが、アルフィは現代魔法ではなく古典魔法での転移を使ったので消費魔力は少なくて済む。往復することもアルフィにとっては何の問題もないことだった。
久しぶりに規格外の魔法使いを見たアデラインは改めてその偉大さに素直に驚きつつ、隣にいるセオドアを見上げた。
「いろいろと聞きたいことはあるのですけれど、答えてくれます?」
「悪い、今は無理だ。で、悪いついでに、これ」
何がついでなのかは分からないが、セオドアはポケットからペンダントを取り出しアデラインに着ける。脈略もない上にいきなりの至近距離でアデラインは多少驚いたが、この突拍子のなさもセオドアであるしと諦めた。しかし着けてもらったペンダントについては、さすがに問わねばならなかった。
「あのこれ、すごく加護がつけられているんですけど」
アデラインの首元で輝くペンダントからは、重みを感じそうな程の魔力が放たれている。実際は加護の魔法がどれだけかけられていようとそれ自体に重量はないが、そう表現したくなる程には何重にもかけられているのだ。加護がつけられた装飾品というものは貴族にとって一般的なものであるが、それでもこれはやりすぎだった。
「ああ、うちの魔法使いたちがごりっごりに加護つけたらしいからそうなんだろうな」
「……ん?」
「うん?」
「えっと、え? あの、まさかとは思うんですけど、もしかしてわたくしに渡す為にこのペンダントを作らせたとか言いませんよね?」
「あー、すまん。さすがにフルオーダーじゃない」
「あ、ですよね。いえ、全然構わないんです。むしろそれがいいまであります。とても素敵なデザインで嬉しいですわ」
「よかった。だが、アデラインに贈るように加護を頼んだから馴染みもいい筈だぞ」
「まあ、そんな、嬉し……。は?」
「どうした?」
セオドアは目を見開いて止まったアデラインを心配するように、彼女の顔を覗き込んだ。いつものアデラインであればそういう気遣いをさせたことに感謝と謝罪をするところだが、今はそれどころではない。
「わたくしに贈るように?」
「ああ、魔法で加護を付与する時には人によって合うものとそうでないものがあるのは周知のことだろう。アデラインの魔力や性質に合わせて加護をつけさせた」
「えっと、あの、それって、わたくしがここにいることって……」
「俺の家の人間は知ってる」
アデラインは今度こそ声にならない悲鳴を上げた。
アデラインは、家出をしているのだ。家長の許しなく家を飛び出して、本来何の縁もゆかりもないロイファー家の別宅に押しかけている。そんなふざけた状態をセオドアの両親やロイファー家に仕える魔法使いたちが知っているなんて、しかもそんな恐ろしいことをあっけらかんと言ってみせるなんて。
アデラインは眩暈を起こしかけたが、すんでのところで踏みとどまった。
「……昨夜、全部大丈夫って言いましたよね?」
「おう、任せておけ」
セオドアはやはり自信満々に笑う。アデラインは深く考えるのをやめた。信じると決めたのだ。
この状況を知ってもなおアデライン自身にロイファー家からお叱りや抗議がないなら、それが決定するまでは様子をみるべきだろう。ペンダントを用意してくれてもいるのだから、楽観視するなら何らかの理由でこの状態を許してくれているのかもしれない。ただそれが何故なのか、その理由はまだアデラインには告げられないのだ。けれどセオドアは「今は無理だ」と言った。つまり、いつかは教えてくれる日がくる。
アデラインはゆっくりと息を吐いて、セオドアの目を見た。
「分かりました、信じます。そう決めましたもの。ですが、わたくしにできることは何かないんですか。セオドア様が現在進行形で頑張っている“何か”のお手伝いとか?」
「……アデラインが俺のことを信じてくれていれば、それだけで俺は頑張れるよ。けど、そうだな。今後も先生と古典魔法の解読を続けてほしい」
「それはもうわたくしの趣味みたいなことになりますけど、それだけでいいんですか」
「それだけって、結構すごいことなんだが。まあ、機嫌よく笑ってここにいてくれるだけでいいよ。今は」
「今は?」
「全部が解決したら、また、な?」
「はあ」
「あ、体力作りは続けるからな。食事と運動、忘れるなよ」
「う、はい……」
セオドアは、渋い顔をして頷くアデラインを笑った。