1、遅くなりましたが反抗期をしてみようと思いまして
その日、この館の主であるセオドアの前に現れたのは、ここにいる筈のない人だった。
ただ庭を歩いていたセオドアの前に転移魔法で出現したのだと理解するには、その為に少しばかり時間がかかった。
「アデライン……?」
「お久しぶりです、セオドア様。突然の訪問、誠に申し訳ございません。更に恥を忍んでお願い申し上げますが、わたくしを三日間かくまっていただけないでしょうか」
「……うん?」
「まあ、ありがとうございます! さすがは新進気鋭と評判の騎士様ですわ! では三日間、よろしくお願いいたします!」
「違う違う違う、待て待て待て待て!」
貴族令嬢にしては飾り気のない質素なワンピースを着たその人は、小ぶりの旅行鞄を持って館の方へ進んで行こうとする。セオドアは久しぶりに大声を張り上げて、彼女の肩を掴んだ。
「何ですの?」
「何ですの、じゃないだろう。まず俺は許可を出したのではない」
「えー」
「アデライン、君な」
「……駄目、ですか?」
今の今まで自信に満ち溢れていた顔をしていたアデラインの顔が曇る。それを見たセオドアは、ぐっと唇を噛んだ。ともすれば傍若無人そうに見える彼女が、意外と常識人であることを彼は知っている。今回の訪問にも何かしらの理由があることは明らかだった。
「……はあ、まず話を聞くから、中に入れ」
「きゃー! さすがセオドア様、お優しい!」
「鞄も貸せ」
「ありがとうございます。でも、結構ですわ。自分の荷物くらい自分で持てます」
「君は、俺が女性に荷物持ちをさせる男なのだと使用人たちに噂されてもいいと?」
「……お腹に穴が開いたと聞きましたよ? セオドア様こそ、わたくしが怪我人に荷物を持たせる女なのだと言われてもいいんですか?」
「いい」
「え、ひどい!」
「ふはっ」
「笑いごとじゃないです!」
笑いながら、セオドアはアデラインの手から旅行鞄を奪った。そのままアデラインの手が届かないところまで上げてしまうと、さすがの彼女もセオドアの腕にしがみついて奪い返そうとはしなかった。
二人が直接会うのは実に五年ぶりであったけれど、その長い期間を感じさせない程度の雰囲気が二人の間にはあった。
―――
セオドア・ロイファーとアデライン・ノーチェは同じ貴族学院に通っていた。
ここトルトゥーガ王国では、貴族子女は十八になる直前の五年間は必ず貴族学院に入学せねばならない。例外はあり、アデラインの二つ上の姉などは十三になる前から隣国に留学に行っていたが、基本的には皆が通うのだ。それまでの間も学校はあるが自宅学習も認められているので、十三の時に初めて集団生活をする生徒も多い。
セオドアはロイファー侯爵家の第一子で、アデラインはノーチェ侯爵家の第三子だった。セオドアはアデラインの兄と同じで彼女より三つ年上だったが、学生時代の二人は先輩後輩というよりは友人という間柄であった。学年が違うので同じ授業をとることもなかったが、自由時間にはよく共に過ごす友人同士ではあったのだ。
年が離れ性別も違う二人が何故、友人と呼べる間柄になったのか。そこに特に大きな理由はない。気が付いたらそうなっていたが、セオドアがアデラインの兄と同じ部活に入っていたことがきっかけではあるだろう。
セオドアは魔法使いを多く輩出するロイファー侯爵家の第一子でありながら、魔法の腕がいまいちだった。彼は早々に自身の才能に見切りをつけ、既に継承権を妹に譲っている。
そして自身で身を立てる為に騎士となったが、学生時代には馬術部と剣術部に入っていた。そして、アデラインの兄もその二つの部に入っていた。騎士を多く輩出するノーチェ侯爵家の第一子であり面倒見のよいアデラインの兄は、セオドアにちょっかいをかけながらその成長を手助けしてくれた。二人の間にも、確かな友情がある。
その縁でセオドアとアデラインは知り合った。セオドアに対して物怖じもせず憐れみもしないアデラインは、彼にとってそれなりに珍しい人物だった。
ロイファー侯爵家の第一子でありながら、家督を継ぐことを放棄しているセオドアは周りの貴族子女から見てあまりよい境遇にはいなかった。更に彼は端正な顔をしているが、子どもの頃から体が大きく威圧感があった。そんな彼であるので、友人でない貴族子女たちからは一歩引かれた存在であったのだ。
アデラインはアデラインで、兄の友人にしては理知的な人だと少し驚いた。騎士の家系だからかアデラインの兄も姉も少しばかり力任せに物事を解決しようとする節があり、彼らの友人たちも似たような考えを持つ人ばかりだった。
それはそれで悪いことではなかったのだけれど、騎士の家系に生まれながら丈夫な肉体に恵まれなかった彼女には理解できないことが多かった。その代わりにアデラインは魔法が得意だったが、今度は逆に彼女のことを理解できる人が周りにはいなかった。むしろ魔法嫌いの両親に疎まれるくらいだった。
そんな少しばかり似通ったところのある二人であったので、話がかみ合うのは当然のことだったのかもしれない。アデラインの入学時に彼女の兄がセオドアに彼女を紹介したことにより、二人の付き合いと友情は始まった。
お互いに友人と呼べる人は他にもいたけれど、おそらく学生時代の一番の友人はお互いなのだと即答できるくらいには二人は共に楽しい時を過ごしただろう。……そこに、恋愛は絡まなかった。絡ませてはいけなかった。
表向き、ロイファー侯爵家とノーチェ侯爵家は特に確執などないふりをし続けているが、そうではなかったからだ。そもそもトルトゥーガ王国では騎士系の貴族と魔法使い系の貴族、そして文官系の貴族の三つに分類が分かれている。それは家の成り立ちや培ってきた技術と知識が関係しているが、騎士系と魔法使い系は古くからどちらが王に重用されるのかを競い合ってきた。
しかし先代の国王が競い合うのではなく手をとり合うようにと厳命した為、いがみ合いは一応なりを潜めている。現国王も先代の考えを支持しているし、文官系の貴族たちは元々中立だった。
徐々に考え方を改める家もあったが、何十年も続けて教えられてきた思想を簡単に変えられない家も未だ多い。ロイファー侯爵家は革新派だったが、ノーチェ侯爵家は考えを変えられない筆頭格の家だった。だからこそ、二人が育むのはせめて友情でなければいけなかった。
けれど、子どもの時間は有限だ。セオドアが卒業してしまい、二人は頻繁に会うことがなくなった。騎士見習いとなったセオドアが忙しかったというのもあるが、友人だと嘯いたところで、結婚適齢期になる貴族令嬢に若い貴族令息が会いに来るなど簡単に認められるものではなかったからだ。
二人の交流も友情も、そこで途絶えた筈だった。しかし今、どういう訳だかアデラインはセオドアを訪ねてきた。その理由を彼女は何でもないことのように話しだす。
―――
客間に通されたアデラインは優雅に紅茶を飲みながら、にっこりと微笑んだ。
「ちょっと遅いですが、反抗期というものをやってみようかと思いまして」
「もっと詳しく」
「両親がわたくしの婚約者をやっと見繕ってくれたのですが」
「……」
「お顔が怖いですよ、セオドア様」
「生まれつきだ」
「まあ、嘘つき。貴方、顔はいいんですから」
「続きを話してくれないか?」
眉間に皺を寄せたままのセオドアが、少し強い口調で続きを促す。アデラインはその様に一瞬口をとがらせたが、すぐになんでもなかったように表情を整えた。そういえば、自分たちの会話はいつもこんなふうであったと思い出しながら。
「そう、誰かさんの妨害が切れた期間にわたくしの結婚相手が決まったそうなのですが、さすがにお相手がちょっと嫌で」
「誰だ?」
「前西部騎士団副団長様ですわ」
「……正気か」
「両親は正気のつもりなのでしょうが、わたくしはそうではいられませんでした。ですから、ここにいますの」
前西部騎士団副団長とは、その通りに西部地域を守護する騎士団の前副団長だった人だ。その職を退いてもう十年以上経っているその人は、御年七十四歳。アデラインより年上の孫がいるような人で、しかし二人の妻に先立たれ確かに現在独身だった。
アデラインは後妻として、前西部騎士団副団長との結婚を言い渡されたのだ。両親は嬉々としていて、彼女がどう感じるかなどとは考えてもいなかった。
「本来、わたくしも貴族の娘ですから、親の取り決め通りに結婚するのは当然のことでしょう。ですから、一応聞いてみたのです。『前西部騎士団副団長様にわたくしが嫁ぐことによって、我がノーチェ侯爵家にどのような益があるのですか?』と」
「それで?」
「両親は今のセオドア様みたいに顔を顰めながら堂々と『ない』と言いました。『売れ残りのお前を貰ってもらえるのだから、誠心誠意お仕えしなさい』と」
それだけではない。アデラインの両親は『西部は騎士系貴族が強い地域だから、魔法にもそう関わらずに生きていけるだろう。まったく、魔法なんてものに傾倒するなど、お前はノーチェ侯爵家の恥だ。前西部騎士団副団長殿にしっかりと鍛えなおしてもらいなさい』とまで言った。
前西部騎士団副団長も古い人間で、魔法嫌いだ。アデラインが彼に嫁げは、魔法の一切を禁じられるだろう。まあ、それでも問題はないのだ。彼女はこれまでだって、両親の意向に従い魔法を日常的に使うことはしていなかった。学校で少しもてはやされるような実力を持ってはいたが、彼女は学校で習うような最低限の魔法しか知らない。つまり両親が言うように『魔法に傾倒』など、一度だってしたことはなかったのだ。
けれど、『魔法に傾倒するなんて』という両親の言葉を聞いたその時、アデラインの中の何かがぱきりと綺麗に割れた。
前西部騎士団副団長とアデラインの結婚に利益がないのは、本当のことだ。彼は年を取り過ぎていて、既に政治からも騎士の世界からも退いて長い。もう影響力はほぼないのだ。それでも前西部騎士団副団長だった、という功績はあるが、所詮その程度だった。
そうであるのに本人はひと昔前の英雄色を好むタイプで、未だにお盛んだと社交界の真っ当な淑女たちからは嫌厭されてもいる。しかも若い頃にはモテていたことから老いた今でもそうであると勘違いをしており、実子たちに迷惑をかけているというのが最新の情報であり彼の評価だ。
そんな利益がないどころか苦労ばかりの結婚をせよと、両親はアデラインに言いつけたのだ。
「それでわたくしも、さすがに怒っていいかしらって思いまして」
「……当たり前だろうが」
「それでは家出でもしようと思って、ここに来ました」
アデラインは微笑みながらそう言い切った。対するセオドアの表情はひどく硬い。
「兄も姉も遠征中で、他に頼る方がいなくて……。いいですよね、三日間くらい」
「いいが、何故三日なんだ。その後はどうするつもりだ?」
「とりあえず三日間ここに置いて頂いて、その後は転移魔法でできるだけ遠くに飛びます。国境を超えるには結界をくぐらないといけないので、許可がないと難しいでしょう? ですから、東側の国境付近にある魔法植物がたくさん自生していると噂の洞窟ダンジョンに行ってみようかと!」
転移魔法には魔力を多く使う。一度長距離移動をしてしまえば、それを回復するのにアデラインは三日を要した。だから、三日なのだ。最後に一目会いたかったとか、そういうことじゃない。決して、そうであってはいけないのだ。
東側の国境付近にある洞窟ダンジョンは魔力濃度が高く、それなりのレベルの魔法使いでなければ侵入も難しい。万が一、アデラインに追っ手がかかったとしても、彼女の両親に高レベルの魔法使いの知り合いなどいないから簡単には捕まえられないだろう。
ダンジョン付近には中のアイテムを売買する専門の店や冒険者向けの宿屋があるから、アデラインでもしばらくは生きていける。……計画がその通りに進めば、の話であるが。アデラインは改めて楽観的過ぎる自身と、あんまりにも渋い顔をしているセオドアに対して少し笑った。
「……」
「ですから、そんなに怖い顔をなさらないで。時間を稼げれば兄か姉が帰ってきてくれますし、そうすればきっと何とかなります。……ならなかったらならなかったで、まあ、結婚するだけなんで死にはしません。とにかく、わたくしは両親に対して反抗がしたいだけなのです」
両親の魔法嫌いは相当だが、アデラインの兄と姉はそうではなかった。二人も騎士として華々しく活躍をしているが、魔法に対しての偏見は持っていない。彼らはむしろアデラインを溺愛しており、両親にさえ食ってかかる。その仲裁に入るのは毎回何故かアデラインの仕事だった。
アデラインは今まで、両親の方針に自分から逆らったことはなかった。あんまりにも酷いものは兄と姉が止めてくれていたし、多少疎まれてはいたものの両親は娘としてきちんと金をかけてくれてはいた。それが外聞の為だったとはいえ、恩はある。そして、貴族に生まれたからには責任を果たさなければならない。それが今までのアデラインの考え方だった。
「……誰かさんが妨害工作をしなかったら、もう少しマシな結婚相手が見つかっていたかもしれませんが」
アデラインはちろりと横目でセオドアを睨みつけた。彼女は現在二十歳だ。女性の学友たちは十代で結婚した人が多く、そうでなくても婚約者がいる。古くから女性も職を持っていたトルトゥーガ王国では、二十代前半まではまだ晩婚とは言い難いが高位の貴族令嬢が婚約者もなくふらふらとしているのは珍しいことだった。
何故そんなことになっていたのか。それはアデラインの婚約が決まりそうになるたびに、何かしらの不具合がおきたからだ。……裏で誰かが動いているのは明白で、しかし尻尾は掴めないと両親は焦れていた。そうだというのに、アデラインの兄はその度に爆笑して彼女に詳細を教えてくれるのだ。隠すつもりがあるのかないのか、はっきりして欲しかった。
「馬鹿を言うな、全員まともではなかったぞ」
そう言って、セオドアは紅茶を一口含んだ。彼がアデラインの兄と共謀して潰したアデラインの婚約話は片手ではもう数えられない。
まともな人間であればあるいは、と僅かに思った時期がセオドアにもあった。しかしアデラインの両親が連れてくる婚約者候補たちは、とにかく何かしらの大きな難がある者ばかりだ。浮気癖が激しい者、既に庶子がいる者、家柄はいいが権力を振りかざし無茶苦茶やっている者、その他諸々。しかも皆一様に騎士系貴族で、魔法を嫌っている。
魔法系貴族であるが、騎士となったセオドアとは対立関係にある者ばかりでもあった。騎士系貴族でありながら学生時代に魔法の腕がいいと評判だったアデラインが嫁いで、いい扱いを受けるとは思えない。
「それでも前西部騎士団副団長様程ではなかったでしょう?」
「誰かに比べてまし、などというものは本来あり得ない。まともじゃない奴は総じてまともじゃないんだ」
「もう……」
アデラインは苦笑しながらふうとため息を吐いた。兄もセオドアも言い出したら聞かないのだ。姉も似たようなものだが、女同士だからかまだ話が通じる。
「……かくまえばいいんだったな?」
「ええ、お願いします。代金はこれを、兄と姉に買ってもらった物なんです」
アデラインは質素なワンピースのポケットから、ネックレスを二つと指輪を一つ取り出した。宝石はついていないが、一目で純金製の高価な品だと分かる代物だった。
「これは?」
「何かあった時にはこれを使いなさいって言われていたんです。使うことになるとは思っていませんでしたが」
「なら、それは今じゃないな。しまっておけ」
「あら、ですが……」
「金品はいらない。その代わり、君には俺の暇つぶしに付き合ってもらう」
「暇つぶし?」
「不覚を取って腹に穴を開けたのは事実だが、怪我はもう治っているんだ。それを上司たちが面白がって、あと一ヶ月は休んでおけと厳命されてな」
「面白がっている訳ではないですよね、それ。妥当な判断だと思うんですけど」
国家転覆を謀った政治犯を追い詰めた際、セオドアが負傷したとアデラインが聞いたのはまだ二か月前だ。攻撃魔法が腹部を貫通し重症を負って、一ヶ月は寝たきりだったとも聞いている。いくら回復魔法をかけて優秀な医者にかかっていたとしても、復帰はまだ早すぎるだろうことは素人でも理解できた。
「なので、アデライン。君には一ヶ月、この館で俺の話し相手になってもらう」
「三日でいいのですけれど」
「一ヶ月だ。いきなり人の家に押し掛けておいて、まさか不服があるなんて言わないな?」
一ヶ月かと、アデラインは少し考えこんだ。きっとそれだけあれば、遠征に出ている彼女の兄か姉のどちらかは帰ってくるだろう。それまではかくまってくれる気でいるらしいセオドアに、アデラインは何とも言えない気持ちになった。
嬉しいのだけれど、嬉しくない。その一ヶ月が終わればきっと、戻ってきた兄か姉が両親を諌めてくれるだろう。けれど結局、アデラインは実家に戻るしかなく、そのままセオドアとも会えなくなるのだ。一緒にいる時間が長くなる程、惜別が辛くなるのは目に見えている。
しかし、これ以上ない申し出であることも確かだ。アデラインの魔力はこの館に転移した時にほとんどが尽きていて、徒歩で行くにもそんな体力はない。慣れないダンジョンで冒険者に紛れるよりはずっと安全な上に、両親に見つかる心配もぐっと減る。アデラインはそう算段をつけて、できるだけ傲慢に見えるように笑った。
「まあ、いろいろ思うところはありますが、いいですよ。先輩の頼みですから、断れませんよね」
「……君、自分が頼んでいる方の立場だという自覚はあるか?」
「ありますよ! だからこうやって、平身低頭でお願い申し上げているのではありませんか」
「平身低頭……?」
「細かいことは言わない方がモテますわよ」
「細かいとは思わないがな」
二人は顔を見合わせてしばらく黙ったあと、同じタイミングで笑いをこぼした。まるで、あの有限で美しかった学生時代の自由な時間が戻ってきたみたいで、アデラインは少し泣きたくなった。
読んでいただき、ありがとうございます。
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