猫の伝手
それは急な連絡から始まった。SNSの一つであるmakenguramuのDMに届いた、見ず知らずの他人からのお願いを僕が聞いたところから、この関係が出来たのだ。
文字と文字のやり取りだけが、僕と、DMのやり取りをしている相手とを繋いでいる。
「そういえば、だいぶ前になるけど猫を助けなかった?」
猫……相手からの言葉に、僕は首をひねった。たしかに助けはしたが、僕はそういった話をした記憶はない。ちょうど僕と相手とのやり取りが始まったのと同じ日の出来事であり、日数で言うと三日前ほど。話した内容を忘れるほどに日にちは経っていなかった。
「助けたけど、そんなこと話したっけ」
「あ、やっぱり助けたよね。たまたま見かけたんだ。近くに病院があるでしょ?あそこからちょっとね」
「あぁ、そういうこと」
このやり取りをしている顔も声も知らぬ誰かは、入院していて電話ができない。そして、あとどれだけ生きられるかも分からない。
憐れんでいるだとかそういった感情で僕はチャットをしているつもりではないけれど、一度会話が始まったら出来る限り付き合うようにしているのを、他人から憐れみと言われたなら、どうしようもなく愛想笑いをするだけなのも確かだ。
「あの猫、病院の中庭でもよく見るんだ」
「病院に猫?そんなことある?」
「あるんだよ」
相手から送られてきた文字の圧は強いものだったが、脳裏の中に浮かぶ人物は微笑んでいて、僕の口角も自然と上がる。
「それで、その猫がどうかした?」
「いや、ありがとうって言いたかっただけなんだ。本当にありがとう」
「なんか急だな」
「こんな体だから、猫に親近感がわいたのかもね」
「そう言われると返事返しにくいわ」
苦笑いへと変わった表情のまま、僕の指は携帯の文字盤からまったく動かない。
僕から相手の病状について聞くことはしない。最初に決めたことだ。
「ごめんよ」
やっぱり、送られてくる文字にはどこか微笑ましいものが込めらている気がする。けれどそう思ったのもつかの間、続けて届いた文字に僕の体が凍り付いた。
「それと、このやり取りは今日で最後にしよう。もう体がもちそうにないんだ」
こんな時、どういった言葉を送ればいいのだろう。正解がないのは何となく分かるし、自分の気持ちを素直に伝えるべきだと思っている。でも、文字盤を叩く指は僕の気持ちを正しく言い表してはくれない。
「短い時間だったけど、君と話せてよかったよ」
「いかないでくれ」と、咄嗟に打った文字がそれだった。
このまま相手が画面の灯りを落としてしまえば、僕の言葉は一生届かない。せめて何か、言葉を送らせてくれと。
「感情がぐちゃぐちゃになってる?そういうの人間らしくて好きだよ」
「せめて一目合わせてくれ。あの病院に居るんだろ?」
「お見舞いは無理だよ。最期は一人でひっそり死ぬのがいいんだ」
「じゃあなんで」
「ありがとうを伝えたかったんだ。あの日君に助けられたから、どうしても」
僕は相手が言っていることがまったく訳が分からなくて、胸が締め付けられるように痛い。
言葉にできない棘が体の中に刺さって酷くもどかしいのだ。僕は誰かを助けた覚えなんてないし──いいや、ありえないだろうけど……まさかの可能性があるのに気が付けば、体は急に汗ばんで、ゆっくりと文字を打つ。
「それじゃあね」
「……明日会いに行くよ」
「…………」
それ以降、返事は返ってこなかった。
少し待って返事が来ないと分かれば、何の情緒もわかない文字だけのやり取りの跡を見て、まるで狸にでも騙されたのではと思ってしまう。
明日僕が何も見つけられないほうがいいのか、何かを見つけたほうがいいのか。いっそのことすべてが夢の出来事であったらいいのにと、僕は名も知らぬ相手とのトーク履歴を消すのだった。