海女の祖母の話
私の亡くなった祖母は海女だった。
目鼻立ちのハッキリした、大正生まれにしては背の高いひとで、その美しさは近隣の村々にも知られ、祖父に嫁ぐ前は結婚の申し込みが引く手あまただったそうだ。
幼い頃、その祖母から聞いた話しをしようと思う。
祖母は、海辺で遊ぶのが好きだった私に、「あんまり海を覗き込んどると亡者に引っ張られるぞ」と脅す様によく言っていた。
「亡者ってなに?」私は聞いた。祖母は、「海で死んだ人間の亡霊とか妖怪の類いやな」と教えてくれた。
「婆ちゃんもな、海に潜るときは必ず気をつけとることがあるんや」と話し出した。
祖母曰く、曇天の日に海に潜って貝を探していると、あと少しで手が届きそうで届かない岩の間に、大きなアワビが見えることがあると言う。
どうしても獲りたい一心でそこまで手を伸ばすのだが、何故か獲ることが出来ない。
心残りではあるが、このままでは息が続かないと、諦めて水面へ泳ぎだす。すると、どこからともなく自分と似た年格好の海女が近づいてきて、さっき見た大きなアワビを差し出すのだと言う。
「それをもらったらいかん」と祖母は眉間に皺を寄せた。
そのアワビを受け取った瞬間、ガッチリと手を捕まれ、暗く深い海の底へと引き摺り込まれてしまうのだと言う。
この妖魔は「トモカズキ」と呼ばれ、これに出会わぬよう、海女はドーマン(格子状の印)セーマン(星の印)という二種類の魔除けの印を衣服や道具に描いて護符としていた。
祖母もまた、それを必ず身につけて海へ潜っていたことを思い出した。
その風習は、今も細々と残っているらしい。