死にたいざかりの私たち
18歳の誕生日に私は死ぬ。1年前にそう決めた。
別に将来に不安があるとか、学校で苛められてるとかいうわけじゃない。ただ、大人になりたくない。それだけだ。
18歳という年齢は、あらゆる場面で子供と大人のボーダーラインにされる。例えば国会の選挙権も18歳からだし、レンタルビデオ店に行っても、アダルトビデオコーナーの入口には「18禁」と書かれたのれんが下げられている。つまり18歳以上は大人というわけだ。
もちろん、大人と子供の境界を20歳だと言う人もいるだろう。確かにお酒や煙草は20歳からだし、法的にも20歳未満は未成年として扱われる。でも、18歳を過ぎたら高校を卒業する。そのあと進学するにせよ就職するにせよ、制服を着て学校や家族に守られている期間を脱してしまえば、きっともう子供であり続けることは出来ないのだ。
大人になるということは老いて醜くなるということだ。それは例えば暑い季節を過ぎて茶色く萎れた向日葵と同じだ。もう二度と美しさを取り戻すことなど出来ないのに、未練がましく俯きながら生きている姿は、毎日の通学電車で乗り合わせる疲れきった大人たちにそっくりだ。そんな醜態をさらけ出しながら生きていたいなんて思えない。私は花の盛りに散りたいのだ。
大人になるということが美しさの下降線なら、美しさのピークとなるのは、やはり大人になった瞬間だろう。つまり18歳の誕生日こそ、死ぬのに最も理想的なタイミングなのだ。17歳の誕生日にその結論へ到達してから、私は毎日が嬉しくて堪らなくなった。朝起きて鏡に映る姿を見るたび、昨日より美しくなっていることを実感する。そして最も美しくなった瞬間に、私は自分の時間を止めるのだ。
今日、私は18歳になった。