会話ってなんでするの?
どうも。因数分解の三次式の公式を覚えてない系男子こと私oaです。まぁ覚えなくても支障はないと思うので大丈夫です。
さて、皆さん「会話」してますか?新型コロナウイルスのせいで友人との会話もはばかられるような今ですが、お話をしているでしょうか。
かくいう私は会話できていないのをコロナのせいにできてちょっとした役得です。嘘です。嘘であって欲しいです。
「会話は大事だよ。コミュニケーションは大事だよ」
と言っていた知り合いがいました。まぁ私は置いといて、皆さんは肝に銘じておいた方がいいと思います。
というのも、丁度その頃私は落ち込んでて——私風に言うと病んでて——それを相談した時の言葉です。
確かに重要なのかもなとは思いました。何せ当時は家族以外とはろくに話をしてませんでしたし、そういう節はあるのかなと思いました。
ですが、そう簡単に挫けるような私ではありません。当然ながら、私の中に潜む知と理解の強欲で傲慢な存在が囁いてきたのです。
『なんで、どうして、なぜ、いかにして、なにゆえに、なんの意味があって、何がしたくて、何が望みで、何を求めて人と「会話」するんだ?』
残念ながら、私の心たるものは確信のない状態で盲信できる程に優れていません。こうして探求の螺旋へと私は誘われたのです。
1.そもそも「会話」ってどういうものですか
会話。適当に英語にするとTalk with someone. あれってどういうものなんでしょうね?
会話においてどういう出来事が発生するのか。それこそアレなんですが、素因数分解のようにやっていきましょうか。
会話とは、人と人とが言葉を交わす事です。それによって両者が得られるのは、他人の体験だったり、おすすめだったり、やってはいけないことだったりと多岐に渡ります。
それらを統括すると、つまり会話とは「情報の交換」である、という結論に達しました。
ここでひとつ、注釈しておくのですが、私は「身の無い会話」については否定の立場を取りました。つまり初めから相手の言葉なんて手に取るようにわかるのに共感を求めたりするようなアレは完全に無視しました。単純で純粋な、根幹にある会話の会話たる意味を捉えました。
情報の交換。果ては感情情報の交換にまで至りかねない会話です。互いに互いの情報を共有して、知見見聞を広めるわけです。
2.それをやる意味って?
ここで私はとんでもないことに気づきました。
会話、要りません。ちゃちゃっと県指定のゴミ袋に入れて出しちゃいましょう。
……と、どうしてそう考えたのか。
先に私は会話を「情報の交換」と定義しました。だからこそ古来から人と会話して、必要な情報を得たのです。
でも、ほら。「情報」。
今貴方様は、何でこの文を読んでいらっしゃいます?(読んでいただき恐悦至極の限りです)
そうなんですよね。インターネット。ウェブ。情報社会になったのです。
今や必要な情報なんて検索すればすぐに出てきます。果ては感情さえも出てきます。携帯端末で分からない情報なんて探すのも困難なくらいに。
なら、人と会話する必要がどこにありましょうか?わざわざ人なんて情報の少ない存在から情報を欲する必要もないじゃないですか。
勿論、例外はあります。その道のプロだとか、そういう極めた人の体験談というのは、中々インターネットに流れてないものですしね。技術についても、百聞は一見にしかずという言葉がある通りです。
でも逆説、それを除けば会話をする必要は無いんですよね。
こうして私は一時塞ぎ込みました。鎖国にも似てます。SNSで知り合いと会話なんて不毛なことを断絶しました。
そりゃあ会話したいですよ。他愛のない話で盛り上がりたいですよ。でも理論上必要ないとあってはしょうがないというものです。
会話する度に罪悪感に苛まれました。私は要らないことで人の時間を奪ってしまっているんだと四六時中考えてました。
自分の自己満足で、自分の承認欲求のために、他人の命を喰らうのはもうやめよう、という訳です。
ですが、そうでは無い可能性に私は気づきました。
3.会話。ちゃんとしようね。
少し私の過去を遡りましょう。私が似たように病んだ時に、知り合いらに「私をどう思っているか」を聞きました。(この話はいつかするかもしれませんね)
その時に一人だったか二人だったか、こんなことを言われました。
「不思議」「よく分かんない奴」
確かに振り返ってみると私はよく分からないやつです。昨日までハイテンションだったのに突然病むし、唐突に人に「自分のことをどう思ってるか」なんてこと聞きますし、かと思ったら「会話する意味がわからない」って……。なんですかこの人、不審者ですかね?
他にも挙げきれないほどに、客観的に見ておかしい私の行動はあります。突然、「やっと(あなたを)信じる事が出来そうです」みたいなこと言い出しますし……これ以上は黒歴史になりそうなので止めましょうか。
つまりこれら、何が起因してるかと言うと、ズバリ
「一人で考え込んでるから」
なんです。
殆どの人はそうでしょうけど、出来事に対して考えうる全パターンを予測した上で動きますよね。勿論私もです。
そして咀嚼しまくります。弥生時代の人ですかってくらい思考で咀嚼しまくって、やっと飲み込みます。
私の中でそれは紛れもなく修羅場です。最悪のケースをよく考えるので当たり前なんですけどね。
けれど、他人から見たら?私とその人の間では何一つ起きていないのに、勝手に私が納得して、解決して、結論を出して居るんです。これ程気持ち悪くて訳の分からないことは無いでしょうね……。(本当に申し訳ない)
ここです。ここに会話の理由があるのです。
再定義して、結論と行きましょう。つまり会話の意味とは
「足並みを揃えるため」
です。
この結論を出すために三日三晩はかかりましたね多分。覚えてませんけど。
会話とは、お互いの人間関係やその他色々な出来事でどちらかが先に行き過ぎないように、整理するために存在していたのです。
分かりやすく?言うと、深紅の王様です。過程はいくらでも自分の中でできます。でも、結果だけを残しても「はぁ?」ってなるんです。理解不能です。
だからこそ会話するのです。互いに過程を作るために、理由を作るために会話をするのです。
4.こんくるーじょん
こうして私の病みは終わりました。近年でもそこそこ類を見ない落ち込み具合だったので、解決できて何よりでしたね。
人間関係って、こうやって育まれていくんだなぁ、としみじみ思います。そしてそんな確認作業になんの気もなしに時間を割けて、割いてくれる。そういうものが理想像なんでしょうね。
因みに自信満々でこの話をした結果、「は?」って言われました。
私には当分、そういった関係を築ける人は出てきそうにないですね。HAHAHA。