ショタは女性である。
ショタは女性である。厳密に言えばそういうわけでは無いのだが、厳密に言わなければこういうことになるので、今回のタイトルはこれにした。
最初にこのタイトルを見て、何を言ってやがる、どう考えても男に決まってんだろ、と考えた人は正常な思考の持ち主だ。私はそういうまっすぐとした思考があまりできないタイプの人間なのでとても尊敬する。うらやましい。
私がこういうのにも、理由があってのことだ。まずはそれを聞いてから、自分の中で判断してみてほしい。それでも依然男性であると言うのであれば、それはあなたの立派な持論であるため、大切にしていただきたい。
さて、ではまず女性とは何かという点について考えていこう。タイトルにもある通り、これは完全な私の持論であるため、ところどころおかしな部分があるかもしれない。そこら辺は、まぁ、目を瞑っていただこう。
女性。今回の女性と言う部分は、身体的特徴ではなく、精神的特徴、または、客観的特徴と言う視点から捉えさせていただく。
男性と女性の違いと言えば何だろうか。これはジェンダーバイアスを見てみればわかるかもしれない。今回この論を展開するにあたって、私はジェンダーバイアスについての知見を深めてはいない。全くをもって調べていない。なので、ジェンダーバイアスに対する若干の偏見があるかもしれない。言うなれば、ジェンダーバイアスバイアスだ。まぁややこしくなるのでここら辺にしておこう。
私が思う、男性と女性の大きな違い。それは、かわいいと言うことだ。男性は雄雄しい、というのが求められ、女性は可愛らしい、というのが求められる傾向にあるように思える。雄雄しいに関しては、雄と書いてあるのでそのままだ。
かわいいは正義と言うのはとっくに知れ渡っている全体としての共通価値観だろう。女性に求められるほとんどは、可愛らしさであると私は考えている。
というか、私自身が女性に対して可愛らしさを求めていると言う部分がある。これもまた自論のうちの一つとしていただきたい。
極論言ってしまえば、女性=かわいいであるのだ。それについては、ほとんどの人が理解をしてくれると思う。
次に、ショタと言うものについての話だ。ちなみにだが、ショタコンと言うのは、正太郎コンプレックスの略称らしい。まぁどうでもいいことだ。
ショタとは何か。それすなわち、幼い少年のことである。ただしこれは、直接的な意味だ。起源はこれであるが、今となってはその意味を変形させている。
ショタとは、可愛らしい男性のことである。どんなに身長があっても、どんなに筋肉があったとしても、可愛ければショタとなってしまうのだ。
余談だが、私はショタコンではない。一部の男性を時折可愛らしいと思ってしまうだけである。ちなみにホモセクシュアルでもないぞ。絶対だからな。絶対だからな?
理解し難いことではあるかもしれないが、ショタ=かわいいと言うことだ。
さぁ、三段論法の締めに入ろう。女性=かわいい、ショタ=かわいい、つまり、女性=者であると言える。
三段論法について、真偽のほどはあるかもしれない。三段論法はもともと、破綻している論法だ。そんなことはないと私は言いたい。
ここに、さらに私の考えたことを付け加えよう。それは、なぜショタコンと呼ばれる人が生まれたのかということについてだ。
先程の事から、ショタコンは、ショタに、可愛らしさを求めていると言えるだろう。ショタコンは可愛らしさに飢えているのだ。
当然のことである。男性は可愛らしくない。というか、男は大概気持ち悪い。そう考えている女性は少なくないだろうし、私自身そんなふうに考えている。
そんな中で、ショタコンは男性に可愛らしさを求めたのである。本来、女性にあるべき可愛らしさと言うものを、男性から得ようとしたのだ。
話の筋が見えてきただろうか。可愛らしさなんて、女性から得れば良いだろうに。そうすることができないのは、本能的なものである、と、私は結論づけた。
今でこそLGBTエトセトラ……。そういった性の多様化と言うものが進んでいるが、普通は男は女を、女は男を性的対象に見るものなのだ。
これは差別とかそういうものではない。ただただ、生物の繁栄と言う点において、そうであるべきなのではないかと言う私の持論だ。生殖が同性でできるのであれば、そういった偏見は深層心理には埋め込まれなかっただろう。
古くから慣れ親しんだ先入観は、やがて私たちに常識と言う形で根付いた。そうでないと思いつつも、多少はそういうものが働いてしまったのだ。
性的対象に見るのは、異性だけである。しかし、男性と言うのは可愛らしくなく自分たちの欲求を満たすには充分でないし、気持ち悪い。であるならば、男性の中でも、男性の女性と言う分類を作ってしまえば良いのではないだろうか。
これが、ショタの誕生の理由であると、私は考えている。女性は、裏技的な方法で、人間の深層に埋め込まれた異性との恋愛しか許されないと言う価値観を打ち破ったのだ。
つまりショタコンはレズビアンであり、百合である。これが私の言いたいことだ(一般姫男子より)
冗談は置いといて、これで、ショタは女の子であると言う私の考えに納得がいっただろうか。多少は暴論であろうが、それなりに良いところまでは行っているはずだ。私はそう信じたい。
もしよかったら、この論について、反論だったり、さらに考えたことだったり、私に対する悪口だったり、そういうことを感想に書いて欲しい。(承認欲求の塊)
あと、最後に1つだけ言っておきたいのだが、二形と男の娘は、別ジャンルであるので、混同しないようにしておこう。あの辺も、これと似たような理由により生み出されたものであると私は思っているが、こんなことを言うと殴られてしまいそうなので、もうやめとこう。