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星読師ハシリウス

星読師ハシリウス【王都篇】8 獣の罠から救い出せ(前編)

作者: シベリウスP

『星読師ハシリウス〜王都編』は久しぶりの投稿になります。

今回、ハシリウスの仲間に大きな転機がやってきます。

起章 風変わりな転校生


 「ハシリウス、キミは夏休みには、何か予定はある?」

 ここは、ヘルヴェティア王国という白魔術師の国。そのギムナジウムの女子寮で、生徒たちが他愛もない話をしている。ギムナジウムがもうすぐ夏休みに入るので、その計画を話し合っているらしい。

 ハシリウスと呼ばれた少年は、やや長めの栗色の髪をかきあげると、碧色の瞳で遠くを見る目つきをして言う。

 「そうだなあ……久しく海で泳いでいないなあ……。今度の夏休みは、ギムナジウム最後の夏休みだから、幼なじみ3人でどこか旅行に行きたいなあ。ソフィアはどう思う?」

 そう、ハシリウスは自分に問いかけてきた女の子と違う、テーブルを挟んで向かい側にいる、金髪で銀の瞳を持つ美少女に笑って言った。美少女の名はソフィア・ヘルヴェティカ。この国の王女で、王位継承権第1位の“未来の女王様”だ。ハシリウスの幼なじみでもある。

 「そ、そうですね……せっかくのお誘いですけれど、私は……。ハシリウスとジョゼ、二人で行ってきたらどうですか?」

 「え~っ! 最後の思い出なんだよ!? ボクはハシリウスなんかと二人きりより、ソフィアがいてくれた方がいいよ!」

 最初にハシリウスに問いかけた、赤毛のショートカットでブルネットの瞳を持つ少女がそう言ってハシリウスを見た。彼女の名はジョゼフィン・シャイン。彼女もまた、ハシリウスの幼なじみだった。しかし、彼女の場合はただの幼なじみではない。彼女が6歳の時、両親がモンスターによって殺されてしまったため、隣に住んでいたハシリウスの一家に引き取られた。それ以来、ハシリウスと一つ屋根の下で姉弟のようにして育ってきた少女である。

ジョゼの目配せを受けて、ハシリウスもうなずく。

 「ねえ、ソフィア、僕は卒業後はアカデミー、君は女王様になるための王立学習院、そしてジョゼは王宮騎士団って、進路がバラバラなんだ。僕たち、ギムナジウムを出たら今みたいに気軽に集まって話をすることなんて、年に何回もできなくなっちゃうんだよ? 僕たち、6歳のころからず~っと一緒で、仲のいい幼なじみだったじゃないか。その思い出を作りたいって思わないのかい?」

 「でも……二人に悪いですし……」

 顔を伏せて小声で言うソフィアの言葉に、ピンときたジョゼが笑って言う。

 「ごめん、ハシリウス。ちょっとソフィアと二人だけで、女の子同士の話をしたいんだ。悪いけどこの話の続きは明日にして、もう部屋に戻ってもらっちゃっていいかな? 追い返すみたいで悪いけど」

 「ああ、構わないぞ。じゃ、また明日な、ジョゼ、ソフィア」

 ハシリウスは微笑んでそう言うと、ジョゼに送られて部屋から出る。

 ハシリウスの姿が曲がり角の向こうに消えたことを確認すると、ジョゼはドアを閉めて鍵をかける。そして、ソフィアに神妙な面持ちで聞いた。

 「ねえ、ソフィア……ひょっとして、ボクたちが付き合っていること……気付いちゃった?」

 ソフィアは顔を伏せたまま、無言でうなずく。ジョゼは何かいたたまれない気持ちになってしまった。

 「……ゴメン、ソフィア」

 ジョゼが謝るのに、ソフィアは顔を伏せたまま、割としっかりした声で言う。

 「……あなたが謝る必要はありません。謝られると、私がみじめになります」

 「あ……ゴメン……って、ご、ゴメン……」

 しどろもどろになるジョゼに、顔を伏せたままソフィアは静かに言う。

 「あなたも知っている通り、私もハシリウスのことが好きです。幼いころから、彼ばかり見てきました。今だって、彼以外のことは考えられません」

 ジョゼは何も言わずにうなずく。

 「でも、ハシリウスはあなたを選びました……女として個人的な気持ちを言えば、私はあなたが妬ましいですし、残念です。諦めきれません……」

 「そ、そうだよね……そう、だよね……。ボクだって、ハシリウスはたとえソフィアにだって渡したくないもん……。ごめんね、ソフィア、抜け駆けしてしまって……」

 小さくなってそう言うジョゼに、ソフィアは初めて顔を向けて言う。

 「私、2学期から王立学習院に転校しようかとも考えました……」

 「そ、そんな……」

 ジョゼが慌てて何か言おうとするのを、ソフィアは目で押しとどめて言う。

 「でも、それでは、あなたに彼を奪われたから逃げることになっちゃいますし、何よりジョゼに後ろめたい気持ちを持たせることになります。それは私としても不本意です。彼があなたのことを選んだのは、私が自分の気持ちを彼に伝えてこなかった、私が臆病だったせいでもありますから……」

 そう言ってソフィアは、意地悪い目でジョゼを見つめて言った。

 「知ってる? ジョゼ。王立学習院は、ハシリウスの通うアカデミーの一角にあって、ハシリウスが入る研究室って、私が通う研究室と同じなんですよ?」

 「えっ?」

 ジョゼはきょとんとして言う。そんなジョゼに、ソフィアは勝ち誇ったようにして、

 「あなたの所属する王宮騎士団の養成施設は、お城の中にあります。あなたとハシリウスの気持ちがしっかりしていなければ、私がハシリウスの心を奪うチャンスは、いくらでもあります。だから、私は卒業までハシリウスと一緒のこのギムナジウムにいることにしました」

 そう宣言すると、優しい目でジョゼに言った。

 「私は、ハシリウスのこともジョゼのことも大好きです。今までどおり、ジョゼとも仲良くしたいと思っています。けれど、あなたからハシリウスを奪うチャンスがあれば、それを見逃してあげるほど私は可愛い女ではありません。覚悟していてくださいね?」

 ジョゼは、あっけにとられていたが、ソフィアの言葉が終わるとニコニコしながら言った。

 「うん、ハシリウスのことは受けて立つよ! 絶対キミに負けないような素敵なレディになるから。ソフィア、キミはずっとボクの親友で、そして最大のライバルさっ。これからもよろしくね!」

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 次の日の朝、ハシリウスは焦りまくっていた。

 「くそ~っ! アマデウスめ、何で起こしてくれなかったんだ~っ!」

 そう、ハシリウスが目覚めた時には、すでに時計はホームルームまで15分しかない時刻を指していた。机の上には、アマデウスの字で置手紙が一本……いわく、『ちゃんと起きろよ アマデウスより』。

 「寝てる人間に置手紙してどうするっつーの!」

 ハシリウスはソッコーで着替えて、ホーキでぶっ飛ばして、ホーキ置き場からは全力疾走した。

 「……っぷあ! 間に合ったあ!」

 ハシリウスがギリギリセーフで教室に飛び込むと、

 「よ~う、ちゃんと自分で起きられたようだな。エライエライ」

 同室の親友であるアマデウス・シューバートがそう笑って頭をなでに来た。

 「コラ、アマデウス! 起こしもしないで置手紙だけって、お前、僕専用の目覚ましっつー役割を放棄したのか!?」

 「誰がお前専用目覚ましじゃ!? 朝は自分で起きるもんだ! 俺はお前を甘やかすことは止めたんだ!」

 ハシリウスの抗議にそう反論したアマデウスは、今度はハシリウスに顔をずいっと近づけて言う。

 「だいたい、すでに王立アカデミーの、しかもセネカ学長直々の『光と闇魔法研究室』に進路が決定して、ソフィア姫と仲よしこよしでお勉強できる立場っつーのも気に入らんが、貴様、そのソフィア姫を差し置いて、ジョゼフィンちゅあんと、キ、キ、キッスしたじゃないか!」

 「え? だれがそんなことを……?」

 ハシリウスは赤くなってとぼけるが、アマデウスの追及はやまない。

 「ふふっ……ハシリウス……アマデウスくんは見てしまったのだよ、部屋の窓から……。貴様、誰がのぞくか分からんのに、カーテンも引かずによくも堂々とあんなことしてくれちゃったなあ、ヲイ」

 「ちょっと待て! そういう言い方するってことは……まさか……」

 「うん、ポッター校長とポピンズ副校長が見てた☆」

 「げっ! それって、かなりヤバいじゃん……」

 慌てるハシリウスに、アマデウスは勝ち誇ったように告げた。

 「ふふ、ハシリウスくん……呼ばれているよ?」

 『3年のハシリウス・ペンドラゴンくんとジョゼフィン・シャインさん、至急、職員室に来なさい。繰り返します。3年の……』

 アクア教諭の声で繰り返される校内放送を聞きながら、顔からさーっと血の気が引くハシリウスであった。


 「……何度も言いますが、あなた方学生の本分は勉学に励むことです。学生寮で不謹慎な行為をするなんてもってのほかです。……しかし、ハシリウスくん、あなたは久しぶりにアカデミー学長の研究室に内定した生徒ですし、ジョゼフィンさんは本ギムナジウム始まって以来最初の王宮騎士団に内定した女学生です。そのことを考慮して、二人とも今回は私からの訓戒で済ませていただくことにしました」

 アクア教諭がそう言って微笑む。アクア教諭としても、二人の仲を知らないわけではないので、ハシリウスとジョゼのキスシーンをたまたま目撃してしまったポピンズ副校長が

 『女生徒を男子寮に引き込んで、キスなんていうみだらな行為をするなど、学生にあるまじき所業です! 二人とも退学処分にすべきです!』

 と、ヒステリックに怒るのをなだめるのに一苦労したのである。

 『まあまあ、ポピンズ先生。ハシリウス・ペンドラゴン君とジョゼフィン・シャイン嬢は、親が決めた許嫁という話ですので……。それに、二人とも普段からまじめな生徒です』

 ポッター校長がそう言って弁護するのを、ポピンズ副校長は不服そうに聞いていたが、

 『それに、この話が公になれば、女王陛下から私たちの管理責任も問われますよ? 何しろ、女王陛下はハシリウス・ペンドラゴン君をソフィア姫の婿にしたいと考えておられますから』

 というポッター校長の言葉に、自分の意見を引っ込めたのである。

 「はい、以後気を付けます。アクア先生」「ご心配おかけしてすみませんでした」

 ハシリウスとジョゼが、顔を赤くして謝ると、アクア教諭はイタズラっぽい目をして忠告した。

 「ハシリウスくん、女性の気持ちを大事にしてあげるのが、紳士としての責務よ。それからジョゼフィンさん、自分を大事にしてくださいね。二人ともまだ若いんだから、軽々しく自分の純潔を捨ててはいけませんよ? そういうことは、アカデミーや騎士団養成所を卒業し、一人前になってからでも遅くはないわ。分かったかしら?」

 「はい」「分かっています」

 ハシリウスとジョゼが答える。

 「とにかく、二人の仲の良さはみんな知っていることですけど、寮ではおとなしくしていなさい」


 「よっ、ハシリウス。退学かい?」

 二人して教室に戻ってきたハシリウスとジョゼを、アマデウスが茶化して迎える。ハシリウスはジロリとアマデウスを睨むと言った。

 「お前、のぞいていたんなら、なぜ教えてくれなかった?」

 「あんな雰囲気の場面だったら、誰だって先が気になるじゃんか? 俺だってまさか校長が来るなんて思ってもいなかったんだ」

 「と・こ・ろ・で!」

 ひそひそ話をする二人に、ジョゼが割って入る。

 「アマデウス、あんたまさか、ボクたちのこと言いふらしたりしていないよね?」

 ジョゼは真っ赤になりながら、アマデウスをジトッとした目でにらむ。

 「い、いいえ、めっそうもない! 不肖このアマデウス・シューバート、ジョゼフィンちゃんの不利になることはいたしませんです、ハイ」

 ジョゼの瞳に燃え上がる殺気を感じたアマデウスは、慌ててそう言う。ジョゼは殺気を隠さずに、アマデウスにくぎを刺した。

 「ボクの純潔がどうのこうのって言われるのは構わないけど、あんな噂が流れたらソフィアが傷つくんだ。アマデウス、もしこのことをしゃべったら、キミがマチルダさんとデートしてたってこともしゃべるからねっ!」

 「あ、アイ・アイ・サーっす。口が裂けてもしゃべりません!」

 アマデウスは顔をひきつらせてそう誓った。

 「はいはい! みなさん、席についてください!」

 折よく、そこにアクア教諭が現れて、手をパンパンと叩いた。生徒たちは慌てて自分の席に着く。

 全員が着席し、教室が静かになったのを満足そうに見渡すと、アクア教諭が言う。

 「さて、遅れましたが1時間目の授業を始めます……と言いたいのですが、その前に、転校生の紹介をします」

 「セ、センセー、転校生って、オンナノコっすか? きゃわうぃいっすか?」

 アマデウスが混ぜっ返す。アクア教諭はニコニコ笑いながら、

 「さあ、どうかしら? ティアラさん、お入りなさい」

 と転校生を教室に招き入れた。

 「はい……」

 そう言って入ってきたのは、身長155センチくらいの女の子だった。その子を見て、教室中がどよめいた。女の子は確かにかわいかった。薄い茶色のカールがかかった肩までの髪、くりっとした栗色の瞳、小さな唇は桜色をしていて、頭の上には髪の毛からのぞいた可愛らしい猫のようにピンと立った耳、そして極めつけは、少女の後ろでぴょこぴょこ動いている茶トラ模様のしっぽ……。

 「ティアラ・フィーベルと言います。皆さん、よろしくお願いします」

 ティアラは、少し細い声でそう言うとぴょこんとお辞儀をした。それにつれてしっぽがぴょこんとはねる。

 固まってしまった教室の雰囲気を察して、アクア教諭がにこやかに説明する。

 「ティアラさんは、東の方、『シルクの国』に近い地方に住んでいる獣人族の一つで、『猫耳族』と呼ばれる種族の方です。種族として初めて王立ギムナジウムの編入試験に合格して入学しました。見た目どおり可愛くて、頭もいいお嬢さんです。皆さん、仲良くしてあげてください」

 そう言うと、教室をぐるっと見回して、

 「あ、ハシリウスくんの隣が空いていますね。では、ティアラさん、とりあえずハシリウスくんの隣の席で授業を受けてください。教科書は、準備ができるまでハシリウスくん、見せてあげてください」

 そう言う。

 ティアラはゆっくりと歩を進めて、ハシリウスの隣まで来ると、可愛らしい微笑みでハシリウスにあいさつをした。

 「よろしく、大君主様」

 「え?」

 ハシリウスは、初対面の女の子から『大君主様』と呼びかけられて驚いた。ティアラはハシリウスのそんな顔を見て、くすりと笑って言う。

 「私たちの所まで、大君主様の噂は流れてきています。この学校にいらっしゃるとお聞きしていましたので、お会いできることを楽しみにしていました」

 「へ、へえ~、そうなんだ……」

 ハシリウスは自分の噂がかなり広まっていることに正直驚いて、やっとそう言ったが、その様子がおかしかったのか、ティアラは手を口に当てて笑う。

 「うふふ……大君主様って、怖い人かと思っていましたが、こんなに可愛らしい方だったなんて、正直驚いています」

 ハシリウスは、何と答えていいのか分からなかったため、

 「と、とにかくよろしく」

 とだけ言い、急いで教科書を机の上に広げた。


 カランカラン……カランカラン……。午前の授業が終わった。ハシリウスが昼食のために立ち上がった時、ティアラが話しかけてくる。

 「大君主様、教科書見せていただいて、ありがとうございました」

 「い、いや、どういたしまして。それより、『大君主様』っていうの、やめてくれないかな?」

 ハシリウスは赤面しながら言う。ティアラは不思議そうに耳をぴくぴく動かして訊く。

 「どうしてですか? 大君主様なんでしょう?」

 「そ、そうだけど、何て言うか、名前とか苗字で呼ばれた方がいいかな~なんてさ」

 ハシリウスがそう言っても、ティアラは不思議そうにしている。ハシリウスが困ってしまった時、

 「ハ~シリウスっ! ごはん食~べよっ!」

 と、ジョゼが元気に話しかけてきた。ハシリウスはほっとしてジョゼに言う。

 「あ、ああ、ジョゼ、ティアラさんも一緒に食べてもいいかな?」

 ジョゼはティアラにニコリと笑って自己紹介する。

 「もちろんだよ。あ、ボクはジョゼフィン・シャイン。ハシリウスの幼なじみなんだ。どうぞよろしく、ティアラさん」

 しかし、ティアラはジョゼの微笑みを見ても何の反応も示さずに言う。

 「……じゃ、大君主様、またね」

 そう言うと、席を立ってどこかに行ってしまった。ジョゼはボーゼンとしている。

 やがてジョゼはムスッとしてハシリウスを見て、

 「ハシリウス、あの子、何なの? ボクがあいさつしても何も言わないなんて? まさかキミ、授業時間中にあの子に手を出したりしていないよね?」

 そうむくれる。ハシリウスは慌てて言う。

 「まさか! 俺にそんな甲斐性があると思っているのか? ジョゼは」

 「……自分で言ってりゃ世話ないね。でも、ぶっちゃけハシリウスは見た目も雰囲気もイケてる方だから、案外あの子、キミに一目ぼれしちゃってたりしてね~。この先天性女ったらし!」

 ジョゼはそう言ってハシリウスの頬をつねる。そして、ペロッと舌を出して笑って言った。

 「とにかく、ご飯食べよ❤ ソフィアも待っているし、今日はボクがキミの分のお弁当も作って来たんだよ」

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 ティアラは、校舎の裏で一人の人物と話をしていた。その人物は、黒い衣に身を包み、身のこなしも尋常ではなく、一目で歴戦の戦士と分かる迫力に満ちている。

 「……確かに、大君主はこの学校にいました。見た目はとぼけているようですが、魔力はかなり強いようです。それに、近くにいつも星将がいるようです。目には見えませんでしたけど……」

 ティアラがそう言うと、黒服の男は黒い瞳を細めて、低い声で言った。

 「ふん……とにかく、ハシリウスに近づいて、その命を頂戴するのが、お前の役目だ。どんな手を使ってもいいから、大君主を始末しろ。それから、大君主の左右にいる『日月の乙女たち』にも、十分注意しろ。お前の狙いを悟られてはいかん」

 「分かっています。必ず、ハシリウスの首をデイモン殿に引き渡します」

 ティアラが感情のない声でそう言うと、男は低い笑いを残して虚空に消えて行った。

 「分かっています……」

 ティアラは唇をかんでそうつぶやくと、誰もいなくなった空間に頭を下げた。

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 午後の授業が終わった後、ハシリウスが帰り支度をしていると、隣の席のティアラが話しかけてきた。

 「ねぇ、大君主様。大君主様は、真っ直ぐ寮に帰るのですか?」

 「いや、ジョゼやソフィアと約束しているから、ちょっと街に出てから帰るつもりだけど?」

 ハシリウスが言うと、ティアラは瞳を輝かせて言う。

 「大君主様ぁ~、私、つい先日シュビーツに出てきたばかりなので、首都のことあんまりよく分からないんです。一緒について行っていいですか?」

 「そりゃ、構わないけど……ジョゼと仲良くしてくれよ?」

 ハシリウスが言うと、ティアラはニコッと笑って、ハシリウスに抱き着いて言う。

 「は~い、大君主様。だから私、大君主様のこと、だ~い好き❤」

 「わわ! ちょっと……」

 顔を赤くするハシリウスに、よく通る冷たい声でアンナが話しかけてきた。

 「あら、お熱いですこと……。ハシリウスくん、あんまり見せつけていると、あっちではジョゼが爆発寸前よ?」

 「え゛!」

 思わず冷や汗を流してハシリウスが振り返ってみると、両の目に“激怒”という文字を浮かべてジョゼが二人のことを睨みつけている。いや、よくよく見ると、ジョゼの後ろでソフィアまでが顔にでかでかと“ヤキモチ”という字を浮かび上がらせて、冷たあ~い目で見つめているではないか!

 固まってしまったハシリウスのそばに、ショゼとソフィア、二人がゆっくりと歩いて来る。

 ――何て言うか、あれって、嫉妬?

 ハシリウスは慌ててティアラを引っぱがすと、ひきつった笑いを浮かべて二人の方へ歩いて行く。

 「あ、あのさ……ジョゼ、これは俺じゃなくて……」

 額に汗を浮かべて釈明するハシリウスを、ジトーッとした目で見据えつつ、ジョゼは腕を組んで黙って聞いている。

 「……言い訳はいいよ。なにサ、鼻の下伸ばして……。抱きついたのがソフィアならともかく、今日知り合ったばかりの転校生から抱きつかれるなんて、キミってホント、甲斐性があるよねぇ?」

 「そうですよ。私だってまだ一度もハシリウスに抱きついたことがないっていうのに……ほんとに妬けちゃいますわ!」

 ソフィアもそれに加わってハシリウスを責める。

 「う……」

 身長175センチのハシリウスだが、163センチのジョゼと151センチのソフィアから詰め寄られて、小さくなってしまっている。

 「何だ何だ! この雰囲気は? 一触即発だな」

 ハシリウスを誘って帰ろうと考えたアマデウスが、近くに来て楽しそうに言う。アンナが説明する。

 「転校生がハシリウスくんに抱き着いたから、ジョゼとソフィア姫がお冠ってわけ」

 「何だよ、それ。ジョゼフィンちゃんにソフィア姫、それにアンナ女史やライムちゃん……ただでさえ複雑なハシリウスの女性関係に、また新しい女の影かあ?」

 「女性関係言うなっ! それに僕はまだ何もしていないっ!」

 ハシリウスが叫ぶ。それを聞いてアンナがため息をつきながら言う。

 「『まだ何も』? じゃ、今名前が挙がった私たちにいつか何かをしたいわけ?……ハシリウスくん、言葉はしっかりと選ばないと、変な誤解を受けるわよ?」

 そして、アンナはとどめの言葉を口にした。

 「ま、私はあなたにヌードを見られているから、今さら何されようと平気だけどね?」

 「……アンナ女史、今のセリフはわざとか?」「アンナの方がすげえKYじゃん」

 ハシリウスとアマデウスがボソッとつぶやく。

 「ハシリウス!」「ハシリウス~!」

 ジョゼとソフィアが同時に叫び、ハシリウスに必殺のフォイエル・バーストとリヒト・バズーカが炸裂する。ハシリウスは辛くもそれを避けて叫ぶ。

 「落ち着け、落ち着けってば! ジョゼ、ソフィア!」

 「うるさ――――――い!」「聞く耳持ちませ――――――ん!」

 ジョゼとソフィアは見境を失くしている。ハシリウスは必死に叫ぶ。

 「アンナが言ってるのは、第3巻のことじゃないか! あれは不可抗力だってば!」

 ハシリウスは何発目かの攻撃をかわしたが、運悪くその先にティアラがいた。

 「しまったっ!」「あ!」「え!」

 ハシリウスとジョゼとソフィアが同時に叫んだ。ジョゼやソフィアは女の子とはいっても、片や王宮騎士団候補、片や未来の女王である。魔力の高さは常人と比べるとけた違いだ。使っている魔法もA級クラスのものだから、いかに獣人族とはいってもオンナノコであるし、直撃すれば下手すりゃ致命的である。三人が青くなったのも無理はない。

 しかし、ティアラはその攻撃魔法を避けるでもなく、じっと近づいてくる魔法の波動を見つめていたが、一瞬、ティアラの姿が黒く沈んだだけで、フォイエル・バーストもリヒト・バズーカも爆発一つ起こさなかった。

 「あ、あれ……?」

 “大爆発=ティアラの大けが”を覚悟していたみんなは、一瞬きょとんとした。ハシリウスがすぐにティアラに聞く。

 「ティ、ティアラさん。大丈夫かい?」

 「はい、私は別に何ともありません。大君主様、一緒に街に行きましょう」

 ティアラはそう言うと、ハシリウスの腕をつかんで教室から出て行った。

 残されたジョゼとソフィアは茫然としていたが、アンナがつぶやいた言葉で我に返った。

 「あれは、“ドレイン”系の魔法ね、闇魔法の……」

 「闇魔法?」

 ジョゼがアンナに訊くと、アンナは眉をひそめて言う。

 「私は、水と風の魔法が得意だから、光魔法や闇魔法には敏感なの。あれは、エネルギーを吸い取る“ドレイン”系の魔法よ、おそらく。それも、呪文詠唱なしにあなたたちのA級魔法をああも跡形もなく吸い取るのであれば、あの子、ああ見えてかなりの闇魔法の達者だわ」

 「アンナさん、“ドレイン”系の魔法を封じることができますか?」

 ソフィアが訊くと、アンナは薄く笑って答えた。

 「魔法の発現を押えることはできないけれど、私だって治療魔法の専門機関に内定もらった身だし、かけられた“ドレイン”系の魔法を解くことは可能よ」

 「じゃ、ご足労ですが、私たちと一緒にハシリウスとあの子の後をつけてもらっていいですか?」

 ソフィアの願いに、アンナは快く承諾した。

 「いいわよ、ヒマしてたところだし……。それに、彼女が『闇の使徒』かもしれない……そう疑っているのね?」

 アンナの言葉に、ソフィアがうなずく。すると、アンナはニコリと笑ってアマデウスを差し招く。アマデウスが目を丸くして近寄ってくる。

 「何だい、アンナ女史、俺に何か用かい?」

 アマデウスが言うと、アンナは一度ソフィアを見つめ、ソフィアの瞳に承諾の色が出ていることを確かめると、アマデウスに笑って言った。

 「私たちがハシリウスくんを見守っている間、調べることは調べましょうよ。アマデウスくん、彼女のこと、洗いざらい調べてみて。得意でしょ? 女の子の身辺調査」

 三人の真剣な様子にアマデウスは一瞬顔を硬くしたが、すぐにいつもの彼に戻っておどけて言った。

 「おお、任せとけ! 身体調査じゃないのが残念だが」

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 ハシリウスとティアラの二人は、首都シュビーツの東自然公園に来ていた。首都シュビーツは女王の居城であるヘルヴェティカ城を中心に、半径8キロ程度の円形をしている。それぞれの自然公園は、城から4キロ程度の所に、直径500メートル程度に造られており、ちょっとした動植物園ともなっていた。自然公園の真ん中は広場になっていて、名物のお菓子『ヘルヴェティアン』や『ゾンネンフルーレ』、『ムーンサルト』などを売る屋台も出ていた。

 ちなみに『ヘルヴェティアン』は巨大なロールケーキ、『ゾンネンフルーレ』はちょっと辛めのワッフルみたいなお菓子、そして『ムーンサルト』はしっとりとしたクッキーであり、値段はそれぞれ1個が1ソル、80ドゥニエ、8ドゥニエである。

 「わあ、このお菓子、生クリームがたっぷりでおいしい~。それにこれも、さくっと口の中で溶けて、甘ったるくもないし~。うちのシェフもこんなの作れないわ♪」

 ティアラは『ヘルヴェティアン』と『ムーンサルト』に舌鼓を打つと、幸せそうに言う。そしてさらに『ゾンネンフルーレ』に手を伸ばして、小さな口であむっとほおばる。

 「ん~♪ これはまた少し辛めで、お口直しにぴったり❤ 首都ってこんなにおいしいものがあるのね~。ティアラさん感激です」

 ハシリウスは、感激して耳やしっぽをぴくぴく動かしながらそう言うティアラに、ニコリと笑って訊いた。

 「ねえ、ティアラさん。今日初めて授業を受けたんだろうけど、ギムナジウムはどうだい?」

 ティアラは『ムーンサルト』をぱくつきながら答える。

 「そうね……大君主様が優しいから、ギムナジウムに入ってよかったなって思うわ」

 「気に障ったら謝るけど、どうして王立ギムナジウムに入ろうって思ったんだい? ティアラさんだったら、『ウーリヴァルデン州立ギムナジウム』にいた方が、種族の仲間も多いんじゃないかな?」

 ハシリウスは、自分が『ウーリの谷』にいた時のギムナジウム生徒たちを思い出して、そう訊いた。

 州立ギムナジウムには、比較的文化的な習慣を持つミュータントや獣人族、有角族や有翼族などの生徒が入学することもままある。しかし、王立になると、首都に位置することもあり、人間以外の種族の子弟が入学することは非常に珍しかった。

 「……」

 とたんにティアラの顔が曇った。何かを思い出しているような顔が、大きな悲しみに潰されそうな顔に変わる。ハシリウスはその表情の変化を見て、慌てて言う。

 「あ、別に無理に話してくれなくてもいいんだ。僕の好奇心ってやつだから、ティアラさんが話したくなければ話さなくてもいいんだよ」

 しかし、ティアラは、半分ほおばっていた『ゾンネンフルーレ』を皿に戻し、うつむいてしまう。テーブルの上に置かれた両手が握りしめられる。ハシリウスは、その様子を見て、

 ――ティアラさんの種族、何か問題を抱えているんじゃないか?

 そう思ったが、

 ――種族の中の問題だったら、人間である僕がとやかく口出しすべきでないし、適切なアドバイスなんてのも無理だろう……。しかし、ティアラさんに悪いことしちまったなあ……。

 そう思い直した。

 ティアラは、ハシリウスの言葉に、危うく感情を爆発させるところだった。しかし、ハシリウスの近くに一人や二人ではない星将の気配を察したため、必死で気を落ち着かせた。

 やがて、ティアラは顔を上げてハシリウスを見つめると、ニコリと笑って言う。

 「大君主様のイジワル……。大君主様に会ってみたかったからって、そんな恥ずかしいこと、私の口からは言えないよ……」

 それを聞いて、ハシリウスは顔を赤くしたが、何とか笑顔を保ったまま言った。

 「それはありがとう。君みたいなかわいい子からそう言われると、僕もうれしいよ」

 しかし、ハシリウスはティアラの嘘を見抜いていた。

 ――顔を上げた一瞬、この子の目に宿った光は、間違いなく殺気だ。それに、この子は闇魔法を使うし、それもかなりの腕だ。こんな子が嘘までついてギムナジウムに入り、僕を狙うなんて、いったい何がこの子に起こったのか?

 そう思うと、ハシリウスはさらにとぼけて訊いてみた。

 「ティアラさん、『猫耳族』のことは話には聞いていたが、種族の人とこうやって話すのは初めてだ。不謹慎な言い方かもしれないが、僕はとても君に興味がある。君の種族のこと、少し詳しく教えてほしいんだけど……例えば、君の種族は、闇魔法が得意みたいだけど、どうかな?」

 すると、ティアラはしっぽをピンと立てて言う。

 「さすがね、大君主様。私たちの祖先は、創造神アルビオンの妻である豊穣の女神・マリアが飼っていた猫だと言われています。その猫はティアラという名前で、人語を解し、人々に癒しを与えていました。そして、猫は夜の世界の番人です。私たちの血には、その神猫ティアラの血が流れているため、夜の力、すなわち闇の力を生まれながらにして持っているのです」

 「ふ~ん。闇の力を生まれつき持っているなんて、すごいことじゃないか」

 ハシリウスが優しい目でティアラをみつめたまま言うので、ティアラは少し顔を赤くして訊いた。

 「大君主様、闇魔法って、怖くありませんか?」

 ハシリウスは首を振って言う。

 「ちっとも……子どものころは、闇や夜って、モンスターが潜んでいるみたいで怖かったけど、今はそうでもない。それに、魔法って、使う術者によって善悪が決まると思う。だから、僕は単純に『光=正義、闇=悪』っていう構図でひとくくりにするのは、間違いだと思うんだ」

 そう聞くと、ティアラの顔がぱっと輝いた。ティアラは続ける。

 「そんな風に言ってくれる人、初めて会いました。私、州立のギムナジウムでは、少し浮いていたんです。だって、闇魔法を使える人って、めったにいないでしょ? 生徒たちは他の5系統の魔法習得ですらアップアップの状態でしたし……。一度、闇魔法を使っているところを見られてからは、みんなから悪魔みたいに思われちゃって、結局、友だちもできませんでした」

 「同じ珍しい魔法でも、光魔法を使うものは称賛されるのにね。でも、光と闇は対立するものじゃなく、互いに響きあうものだ。だから、僕は闇魔法のことをもっと知りたいと考えている。僕自身、7系統すべての魔法を使うけれど、やっぱり光と闇の魔法には特別な何かを感じるからね」

 ハシリウスが言うと、ティアラはびっくりした顔で言う。

 「え! 7系統すべての魔法を使えるんですか?……すごい」

 だいたい、人間には向き不向きや精霊との相性もあり、普通の人間であれば1系統の魔法をマスターし、その補完として別に1系統をある程度使えるレベルまで修練する程度である。稀に2系統をマスターできるものもいるが、その場合でも補完的に1系統を修練するくらいである。

 ハシリウスの周囲にだって、火魔法と光魔法を主とし風魔法を副とするジョゼは半神だから別にしても、アマデウスは風魔法が主で木魔法が副、アンナが水魔法が主で風魔法が副、ソフィアでも光魔法が主で土魔法が副、といった具合で、だいたい2から3系統使えれば御の字なのである。

 ハシリウスには、そう言った意味でも特別な才能があったのであろう。

 しかし、ハシリウスは笑って言う。

 「木と水と土に関しては、序の口の魔法が使えるくらいさ、そんなにいばれるものじゃない」

 そんなハシリウスの顔を見ながら、ティアラは、

 ――やはり大君主は簡単には殺せないわ。……でも、みんなの命がかかってるんだ。

 そう思い返し、公園の隅にいるはずの黒服の男の部下たちをちらっと見た。

 ハシリウスは、ティアラの表情の変化に気づいた。やはりこの子は、僕を狙っている……しかし、なぜ? ティアラは『猫耳族』の、たぶん王女クラスの子であろう。それは、ティアラの持つ雰囲気やこれまで話したことでうすうす察しが付く。しかし、それならば『なぜ?』という問いはさらに謎を大きくするばかりだ。

 「ティアラ、危ない!」「きゃっ!」

 ハシリウスは、ふいにティアラの手を引っ張ると、地面に身を投げた。二人のいた空間を、何か銀色の光るものが通り過ぎた。

 「え!?」

 ティアラは目を疑った。あれは毒針に違いない。しかし、そのいくつかは確実に自分がいた空間を通り過ぎた……。ティアラは、自分が狙われているなんて露ほども思っていなかったし、この段階で攻撃があるなんて夢にも思わなかったので気を抜いていた。ハシリウスが気付かなければ、自分も死ぬところだった……。

 「貴様ら、『闇の使徒』か? 白昼堂々、こんな真似をするとは身の程知らずめ」

 ハシリウスはいつの間にか『大君主』へと変貌している。しかし、ハシリウスが神剣『ガイアス』を抜く前に、『日月の乙女たち』の手によってすべては終わっていた。ハシリウスとティアラを狙った男たちは、ジョゼとソフィアの手で一人残らず気絶させられていたからである。

 「ハシリウス、こいつら、キミとティアラさんを狙ってたんだ」

 ジョゼが、気絶した男たちを木にくくりつけながら言う。

 「よく気づいたな、ゾンネ。それからルナも、ご苦労だった」

 ハシリウスがそう言うと、ソフィアもハシリウスに微笑み、そしてティアラに向き直って訊いた。

 「どう、ティアラさん? あなた、この人たちがあなたまで狙うとは思っていなかったでしょ?」

 「!」

 ティアラはびくりとした。まさか、自分の狙いが見抜かれたのかと思ったからである。しかし、ティアラは平静を装って言う。

 「……ええ、何で私が狙われるのか、分かりませんけれど……」

 しかし、ティアラのしっぽは落ち着きなくぴくぴくと動き、心の動揺を余すところなく表現してしまっている。この子はもともと嘘がつけない性質なんだろう――ハシリウスはそう思ってみていた。

 「大君主様、私、寮に戻ります」

 ティアラが急に立ち上がって言う。ハシリウスは眉をひそめて言う。

 「確かに君も狙われていた……一人で帰るのは危ないんじゃないか? 僕たちで送ろう。どうせ同じ寮に帰るんだし……」

 しかし、ティアラは笑ってそれを断った。

 「大君主様は、幼なじみさんや王女様と約束があるんでしょう? 私は大丈夫ですから、幼なじみさんたちとゆっくりお過ごしください。では、王女様、ジョゼフィンさん、ごきげんよう」

 立ち去って行くティアラの後姿を見ながら、ハシリウスは鋭い声で低く言う。

 「星将デネブ!」

 「何でしょうか? 大君主様」

 星将デネブが顕現して訊く。ハシリウスはニコリと笑って言った。

 「あの子を、見守ってあげてほしい。あの子は何か大変な事件に巻き込まれているようだ。どんな奴がいるか分からないから、決して気配を気取られないようにお願いするよ」

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 ハシリウスたちが寮に帰ると、思いがけないお客が来ていた。

 「あ、ハシリウスくん、お帰りなさい。あなたにお客さんよ」

 ハシリウスがジョゼやソフィア、そしてアンナと一緒に寮の門をくぐった時、寮監のアンジェラ・ソールズベリーから、そう声をかけられた。

 ちなみに、アンジェラはアンナの姉であり、父母の事故死によってギムナジウムを泣く泣く中退した。今回、前の寮監の叔母さんが停年を迎えたこともあり、ポッター校長の好意で寮監へと迎えられたのである。

 「あ、アンジェラさん、ただいま。僕にお客って、どんな方ですか?」

 ハシリウスが訊くと、アンジェラはにこりと笑って言う。

 「とってもいい方よ。とにかく会ってらっしゃい」


 コンコンコン……ハシリウスが面会室の分厚いドアをノックする。すると、中から

 「お入りください」

 と優しげな男の声がした。思い切ってハシリウスはドアを開けると、

 「お待たせしました。ハシリウス・ペンドラゴンです」

 そう言って部屋に入る。部屋に入って、ソファに優雅に腰かけている人物を見て、思わずハシリウスは素っ頓狂な声をあげてしまった。

 「ベレロフォン卿! お久しぶりです。『ジョゼ平原の戦い』以来ですね」

 ソファに座っていたのは、『ウーリの谷』の領主であるベレロフォン・ファン・イオニアクスだった。ベレロフォンはにこやかに笑うと、

 「やあ、お久しぶりです。久しぶりに女王陛下にお会いしたのですが、せっかく首都まで出てきたのだからハシリウス卿に会って行こうと思いましてね……。ソフィア殿下、それからご学友たちも一緒にどうぞ」

 そう言って笑う。ソフィアやジョゼ、アンナたちは顔を赤くして部屋に入ってくると、ハシリウスを中心に腰かけた。ハシリウスは、ベレロフォンの涼しげな顔を見て、『ウーリの谷』の領主である彼に『猫耳族』のことを聞けば、何か分かるかもしれないと思いついた。

 「あの、ベレロフォン卿、つかぬ事を伺いたいんですが?」

 ハシリウスが言うと、ベレロフォンは髪をかきあげて、涼やかな瞳をハシリウスに当てる。

 「ウーリの谷の近くに、『猫耳族』という種族の邑があると聞いていますが、その状況をお聞かせ願いたいのです」

 ベレロフォンはその瞳をすっと細めると、用心深く言葉を選んでハシリウスに訊く。

 「ハシリウス卿、その種族の名を、どこで聞かれましたか?」

 「い、いえ……僕のクラスに今日転校生が来て、その女の子が『猫耳族』だったものですから……どうしました? ベレロフォン卿」

 ハシリウスは、自分が喋っている最中に、ベレロフォンがひどく興奮した面持ちで立ち上がったため、びっくりして訊く。

 「ハシリウス卿、その娘は確かに『猫耳族』と言ったのですね?」

 ベレロフォンが真剣な表情で聞くので、ハシリウスも何も言わずにうなずいた。その表情とうなずきから、ハシリウスの言葉に偽りがないことを確信したベレロフォンは、驚くべきことを言った。

 「『猫耳族』の邑は、一週間前に『闇の使徒』の攻撃で壊滅しています。ヨーマンリーで虐殺現場をくまなく探しましたが、生存者はいませんでした。しかし、ハシリウス卿のクラスメイトが『猫耳族』であれば、当時のことを詳しく聞けるかも知れません。その娘さんと話をさせていただけないでしょうか?」

 「ベレロフォン卿、『猫耳族』の邑が壊滅って……本当ですか?」

 ソフィアが訊く。ベレロフォンはうなずいて言う。

 「残念ですが、本当です。『猫耳族』は、誇り高く、戦闘的でしたが、他の獣人族と違って人間ともうまく折り合いを付けられる種族でした。それは、『犬耳族』もそうですが……。しかし、『犬耳族』と違いあまり人間とは干渉しない種族でしたので、発見が遅れたのです」

 「生き残った者はいないってことですけれど、じゃ、ティアラさんはその邑から脱出してきたのでしょうか?」

 ソフィアの言葉に、ジョゼが首を振る。

 「それはないと思うな……。あの子、確かに魔力は強いけど、今まで戦闘に加わったことがないと思うよ。だって、ハシリウスと話をしているところを見たり、あの子の態度振る舞いを見たりする限りでは、ソフィアと同じ、深窓の令嬢みたいなところがあるもの……。男の子に対してあんなにあっけらかんと振る舞えるのは、よっぽど男の子とたくさん付き合っているか、あるいは男の子の本性を知らない子だよ」

 ハシリウスは、ジョゼが意外にティアラのことを観察していたことに驚いた。

 「とにかく、ティアラさんをこの場に呼んできてくれないか?」

 ハシリウスが言うと、ジョゼとアンナが

 「じゃ、私たちが呼んできます」

 そう言って部屋を出ようとした。その時、

 「おいハシリウス、あの子は何か胡散臭いぞ!」

 そう言って、アマデウスがたくさんの書類を抱えてその場に飛び込んできた。

 「胡散臭い? どういうことだ、アマデウス?」

 ハシリウスがそう訊くと、アマデウスはベレロフォンにあいさつして言う。

 「あ、ベレロフォン卿、初めまして。僕はハシリウスの友人で同室のアマデウス・シューバートと言います。よろしくお願いします。……って、ハシリウス、あの子の邑は、一週間ほど前に何者かに襲われて全滅している。新聞記事に出ていた」

 そう言うと、アマデウスは持ってきた新聞記事を見せる。ヘルヴェティア王国最大の新聞社である『エコー・ド・ヘルヴェティア』だ。見出しには“辺境の悲劇、『猫耳族』壊滅――虐殺犯を捜索中” とある。ざっと記事を見てみると、事件が起こったのは水の月12日ごろで、邑長はじめ住民1万8000名余りが惨殺されている。しかし、邑長の長女と長男、そして2000人ほどの住民が行方不明になっているので、その安否を現在捜索中――とのことだった。

 「“長女と長男”とあるだけで、名前は載っていないな……」

 「その名前だけれど、長女の名は“ティアラ・クルタ・フィーベル”、長男の名は“クラウン・クルト・フィーベル”って言うらしい」

 「じゃ、ティアラさんは、やっぱりこの邑の……」

 アマデウスが言うのに、ジョゼがそうつぶやくと、ベレロフォンがうなずいた。

 「そうです。この邑長であるミサンガ・フィーベルと私は、10年来の友人でした。ですから、私はこの犯人をぜひともつかまえて処断したい。……ハシリウス卿、ご協力願えませんか?」

 「喜んで。僕もこういった事件はほっとけませんし、『闇の使徒』が動いているとしたら、なおさらです」

 ハシリウスが言うのに、アマデウスが真剣な顔で忠告する。

 「ハシリウス、この事件は、心しておいた方がいい点がいくつかある」

 「何だ? 忠告なら喜んで聞くよ」

 ハシリウスが言うと、アマデウスは別の書類を見せながら言う。

 「ティアラさんのギムナジウムへの転校は、転入試験が水の月――つまり今月の2日に行われているから、別に怪しい所はない。それに、ティアラさんは今月10日にはお付きの者と一緒にシュビーツに出てきている。これは、ティアラさんが昨日まで泊まっていた宿屋の宿帳で確認できた」

 確かに、シュビーツ一番の高級ホテル『プリンセス・ソフィア』の宿帳には、端正な文字で“ティアラ・クルタ・フィーベルその他2人”と書いてあり、ティアラは10日にチェック・インして12日にチェック・アウトしている。しかし……ハシリウスは碧の目を細めてアマデウスを見た。

 アマデウスは、ハシリウスの考えを読んだようにうなずいて言う。

 「そうさ、お付きの者二人の所在が分からない。名前は“ホルト”という執事と“リンダ”というメイドらしいが、シュビーツで消息を絶っているんだ」

 そして、アマデウスはさらに衝撃的なことを言う。

 「ティアラの双子の弟――ま、この邑の王子様だが、クラウンのほうは、邑が襲われたその日に州立ギムナジウムの寮からいなくなっているんだ。同室にいた生徒は、ミンチになってたそうだ……ハシリウス、“チュモン・ボリバル”っつー名前、聞いたことないか?」

 ハシリウスはうなずいて言う。

 「去年の『王宮武闘大会』の学生の部で優勝した奴だろう? ソフィアやクリムゾン様から聞いているよ」

 「彼は、圧倒的でした。そして……今だから言いますけど……ハシリウス、彼はあなたと勝負したがっていました。去年の大会、ハシリウスは棄権したんですよね?」

 ソフィアが言う。ハシリウスは難しい顔をしてつぶやいた。

 「仕方ないよ、サランドラの事件のおかげで、猶予してもらったとはいえ僕は『リッター』に準じた扱いを受けることになっちゃったんだから……」

 『王宮武闘大会』は、特にレギオン入隊や王宮騎士団を目指す学生たちがこぞって参加する大会で、10位までに入賞するとかなり入隊・入団に有利になる。しかし、伝統的に貴族は参加禁止であり、『風の谷』に800年封印されていた『火竜・サランドラ』が復活したのを鎮め、貴族に準ずる取り扱いを受けることとなったハシリウスは自動的に出場資格を失ってしまったのである。

 「その“チュモン・ボリバル”って、このクラウンの別名なんだ」

 アマデウスが言うと、ハシリウスも、ソフィアも、そしてジョゼもびっくりする。

 「それに、行方不明になっている『猫耳族』、2000人ほどだけどな……」

 アマデウスがゆっくりと言う。

 「そのうち100人が、クラウンが私的に作っていた武装集団のメンバーで、特異能力の持ち主ばかりなんだ。そして、クラウンと彼らはまだ見つかっていない。もし、彼らが犯人たちを追っかけているんだとしたら……」

 「相手は『闇の使徒』かもしれないのに……そりゃ無茶だよ!」

 ジョゼが言う。ベレロフォン、ソフィアとハシリウスもうなずいた。

 「とにかく、ティアラさんから話を聞こう。そして、僕たちも力になるって伝えるんだ」

 そこに、アンジェラが血相変えて飛び込んできた。

 「は、ハシリウスくん、ちょっと来てほしいの!」

 ハシリウスは、アンジェラの表情を見て、立ち上がって訊く。

 「どうしました、アンジェラさん?」

 「ち、血まみれの男の人が、『大君主様に会いたい』って……」

 アンジェラが言った時、星将デネブが顕現してつぶやいた。

 「大君主様、こいつはどうやら、かなりややこしい事件に巻き込まれちまったようですよ?」


承の章 『猫耳族』の受難


 ティアラは、考え込みながらゆっくりとシュビーツのまちを歩いている。その猫耳としっぽがある特異な姿に、町の人たちは思わず振り返り、好奇の視線を投げるが、ティアラはそんなものを無視していた。この町に来てもう3日になるが、慣れっこになってしまったのだった。

 それよりも、ティアラは自分まで襲われたことに動揺していた。

 ――あいつらは『闇の使徒』デイモンの手先だ。好機と見たらいつでも大君主様を狙うのは分かるけれど、なぜ私まで?

 その時、ティアラは、何かの気配を感じて振り返る。

 「!」

 そこには、黒ずくめの男が立っていた。黒いフードの下から、ニヤニヤとした口元だけがのぞいている。思わず後ずさりするティアラに、男は低い声で言った。

 「逃げられると思うか? ティアラ、おとなしくしていればお前には何もしない。いいことを教えてやろう。私について来い」

 男はそう言うと、振り返りもせずに歩き出す。ティアラはその無言の圧力に屈し、おとなしく後について歩き出した。

 やがて、二人はシュビーツの町はずれにある路地に入る。そして、一軒の家の前に立ち止まった。

 「ティアラ、先に言っておくが、私から逃げようなどと思うなよ? 逃げようとしたら、今からお前が目にするような悲惨な運命が待っている……さあ、ついて来い」

 男はゆっくりとドアを開けると、部屋に入る。ティアラは続いて部屋に入ると、思わず目を覆って立ち止まってしまった。そこには、たくさんの青年たちが無残な姿になって並べられていたのだ。

 ある者は首を斬られ、ある者は腹を裂かれ、鼻を削がれ、目をくりぬかれ、そしてある者は、もと生きていたとは信じられないくらいズタズタにされ……それでも、彼らはゆっくりとうごめいていた。彼らにはまだ安息はないのだ。すでに死んでいる彼らに、この黒ずくめの男は“死反魂”の魔法をかけているのだ。ティアラはあまりの衝撃に、吐き気さえ催して座り込んでしまう。

 「どうした、ティアラ。こいつらはみんな、お前の弟の仲間たちだ。自分たちの種族の仇討だと言って、弟とともに私に勝負を挑んできた。お前にしてみれば種族の英雄であろう? ちゃんと屍を見て、ねぎらいの言葉一つかけてやらないと失礼ではないかな?」

 嘔吐と嗚咽をもらすティアラに、男は冷ややかな声で言う。

 「しかし、まだまだ私を相手にするには力不足だったな……こいつを除いては……」

 男がそう言うと、奥のドアがゆっくりと開き、一人の青年が出てきた。黒い髪には黒い猫耳が立ち、黒いしっぽをゆらゆらとさせている。細身の身体だが、筋肉の一本一本がまるでピアノ線のようにしなやかに動き、その秘めた力を垣間見せている。しかし、その黒い瞳は焦点が定まっておらず、顔は能面のように無表情であった。

 「クラウン……」

 ティアラは、青年を見てそう言った。そう、そこに現れたのは、双子の弟、クラウン・フィーベルだったのだ。思わずティアラはクラウンのそばにかけ寄った。

 「クラウン、無事だったのね? ホルトやリンダに探してもらっても、全然消息がつかめないから心配していたのよ」

 すると、クラウンはにこりと笑って言う。

 「姉さんこそ、大君主ハシリウスの魔の手から、よく逃れてこられましたね。心配していました」

 「え!? な、何言ってるの? ハシリウス卿はそんなお方じゃありません」

 思わず顔を赤くしてティアラが言うと、クラウンは無表情のまま言う。

 「『猫耳族』は、僕と姉さん、二人だけになってしまいました。僕は姉さんと結婚して、種族を再興したい。だから姉さんはだれにも渡しません」

 「え!? クラウン、私たち、実の姉弟よ? 何言ってるの? しっかりしてちょうだい!」

 そう叫ぶティアラを無視して、黒ずくめの男がクラウンに笑って声をかける。

 「チュモン・ボリバルことクラウン・フィーベル、約束通り君のお姉さんを『大君主』の魔の手から救ってきたんだ。今度は君が私との約束を果たす番だ。『大君主』ハシリウスを殺して来い!」

 すると、クラウンは凄絶な微笑みをして答えた。

 「はい、わが主クロイツェン様のみ名にかけて、ハシリウスを始末してきます」

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 「ハシリウスくん、残念だが彼はもう長くない……。血を失いすぎたのと、傷口が物凄い闇魔法の毒に冒されていた。彼自身、そのことは分かっている。死ぬ前に君とぜひとも話したいと言うから、一時的に賦活しておいた。訊きたいことがあれば今のうちに聞いておいた方がいい」

 校医のジェンナーが、診察後にハシリウスにそう言った。ハシリウスはうなずくと、ジョゼ、ソフィア、そしてベレロフォンとともに病室に入る。初老の上品な紳士が、浅い息をして、ベッドに横になっていた。彼は、星将デネブを従えたハシリウスの姿を見ると必死の形相になった。

 「おお、大君主様……私はティアラ様の執事でホルト・ステープラーと申します。わが姫様に、そしてわが『猫耳族』におとずれた災厄をお聞きください。そして、ティアラ様をお救いください」

 ハシリウスは、にこりと笑うと、ホルトのそばに腰かけて言う。

 「聞きましょう。思い残すことのないように、すべてを僕に教えてください」

 ホルトは、ハシリウスの言葉を聞くと満足そうにうなずき、しばらく呼吸を整えていたが、やがて、

 「わが主ミサンガ様は、闇の帝王を自称するクロイツェンという者から、同じ闇の魔法を良くする者同士、同盟を結ばないかという話を持ちかけられていました。闇魔法を使う者たちで、人間以外の者たちで、この世界に君臨しないか……そう言う誘いの言葉だったとのことです」

 「それを、ミサンガ殿は断られたのですね?」

 ハシリウスが言葉を引き取る。ホルトはうなずくと続けた。

 「はい、しかし、わが主は、クロイツェンの報復を恐れました。そこで、ティアラ様をこの学園に転入学させなさるとともに、女王様や大君主様にこのことをお知らせするように、姫様におっしゃられたのです」

 「だから、慌ただしくティアラさんがこの学園に来たってわけか……それで?」

 ハシリウスが先を促す。

 「あんなに早く、クロイツェンの報復があるとは思いませんでした。姫様は知らせをお聞きになり、半狂乱になられました。弟君のクラウン様の行方も知れないとのことでしたので、私とお付きのリンダで、情報収集を行っていたのです……そして、おとといのこと、クラウン様が種族の仇を取るために、ご自身が作っておられた親衛隊の面々と、『闇の使徒』デイモンを襲われ、返り討ちに会われたという情報が入りました。その情報を確かめるため、私はリンダとともに、シュビーツのはずれにある森に行きましたが、そこでリンダに襲われて、この通りのありさまになってしまいました……あの女もクロイツェンの仲間になっていたのですね……」

 そこまで話すと、ホルトの顔に死相が濃く現れた。ぐったりしたように身体をベッドにもたせかけるホルトは、息苦しいのか少し襟元を緩める。

 「大君主様……お願いです。ひ、姫様を救ってください……」

 必死の面持ちでハシリウスを見たホルトの瞳が、驚きで大きく見開かれる。ハシリウスの後ろに、星将シリウスが顕現していたのである。長い銀髪、鋭い黒い瞳、白銀の衣に群青色のベルトを締め、銀の手甲と脛当てを着けた若者の姿……星将シリウスは、虚空から蛇矛を取り出すと、ゆっくりと構える。

 「? シリウス、やめなさい!」

 突然のシリウスの行動にびっくりして、星将デネブも姿を現す。しかし、シリウスはびっくりしたまま青い顔をして固まっているホルトから、目を離さずに言った。

 「執事よ、そなたが命惜しさ、金欲しさにティアラ姫とその侍女を敵に売ったのではないか。これがその証拠だ!」

 星将シリウスはそう言いざま、蛇矛を無造作に振り下ろす。執事は、さっきまでの瀕死の状態だったことが嘘のように、するりと蛇矛をかわしてベッドの向こうに降り立った。その胸が蛇矛でざっくりと斬り裂かれ、心臓や白い肋骨が見えているが、まったく血が流れない。ホルトは青い顔にどんよりと曇った目を見開き、ゆらゆらと立っている。

 「くっ! 星将は騙せぬか……」

 ホルトは、薄く開いた口から、瘴気を含んだ息を吐きながら笑って言う。

 「私は、『闇の使徒』デイモン様から、永遠の命を授かったのだ。貴様がいかに私を切り刻もうと、私の命は絶えることはない。ミサンガ様はバカだった。クロイツェン様と組めば、私のように永遠に生きられたものを……ティアラもクラウンも、その頑迷さの犠牲になったのだ」

 星将シリウスは、そんな彼の言葉を聞いて、せせら笑った。

 「永遠の命など、聞いて呆れるぜ! ホルト、貴様はもう死んでいるのだ。その屍にまだ魂魄がしばりつけられ、行くべきところに行けず、戻れぬところに戻ろうとしているのが、今の貴様の姿だ」

 「……なるほど、『闇の使徒』の中には、手段を選ばぬものが多いらしいな……」

 ハシリウスは、『大君主』へと変貌して、神剣『ガイアス』を抜きながら言う。いつの間にか、ジョゼも『太陽の乙女』に変身し、ソフィアも『月の乙女』とシンクロしている。

 「ホルトよ、そなた、何が怖かった?」

 ハシリウスがホルトを碧の目で見据えて言う。ホルトは、ハシリウスの眼光に射すくめられたのか、動けなくなってしまった。

 「ホルトよ、人間はいつか死ぬ。それは太古の昔から変わらぬ森羅万象の姿だ。行くべきところに行けぬ魂は、やがて力を失い、煙のように消え果てる……それが消滅だ。そなたはその道を選びつつある」

 ハシリウスがそう言って神剣『ガイアス』をホルトに向ける。すると、ホルトの身体が瘴気の煙を上げながらぐずぐずと崩れ始めた。

 「うっ!……くっ、くおっ……か、身体が……」

 ホルトは目を見開く。今になって、自分が何を手に入れたのかを悟ったようだ。哀願するような目でハシリウスに言う。

 「だ、大君主様……意識が遠くなってきました……。私は消えるのだけは嫌です……何とかしてください……」

 「キリキチャ、ロキニ、ヒリギャシラ、アンダラ、ブノウバソ、ビジャヤ、アシャレイシャ、マギャ、ホラハ・ハラグ、ウッタラ・ハラログ、カシュタ、シッタラ、ソバテイ、ソシャキャ、アドラダ、セイシュッタ、ボウラ、フルバアシャダ、ウッタラアシヤダ、アビシャ、シラマナ、ダニシュタ、シャタビシャ、ホラバ・バツダラヤチ、ウタノウ・バッダラバ、リハチ、アシンビ、バラニ――」

 唱えているハシリウスの身体が、金色に光りだし、それが虚空と連動して、鼓動を響かせる。ハシリウスの鼓動は、だんだんと強く響き、その鼓動は宇宙の波動と共鳴して、心地よい響きを奏で始めた。

 「……28神人よ、大宇宙の意識を総括する28神人よ、女神アンナ・プルナと正義神ヴィダールの名において、ハシリウスが謹んで奏す。その力をハシリウスに貸し、悪しき、禍々しきこの魔力を破砕させしめて、この者の魂に平安を与えたまえ……」

 ハシリウスが構える神剣『ガイアス』には、昼間ではあるが星々の光が集結しているのだろう、金色に、そして銀色にと、剣が輝く。

 やがてハシリウスは澄んだ声で叫んだ。

 「……ノウキシャタラ・ニリソダニエイ、キリキチャ神は南東へ、シラマナ神は北東へ、バラニ神は北へ動きたまえ!」

 ハシリウスが神剣『ガイアス』を南東に、北東に、そして北にと振る。それに伴い、虚空に星々が現れ、その配列が変わり始めた。宇宙が、神剣『ガイアス』の鼓動と同じ波動で輝きだす。

 「……イム・シュルツ、イム・ヘルツ、イム・コスモス・ウント・ガイア……」

 神剣『ガイアス』に28神人が座す星々からの光が集まり始めた。ハシリウスは、十分に星の力が集まったとみるや、澄み切った声で叫ぶ。

 「星々の加護は、我にあり! ノウキシャタラ・ニリソダニエイ“星々の剣、大地の刃”!」

 そう叫ぶと同時に、ハシリウスは神剣『ガイアス』を逆手に持ち替え、ドスンと地面につきたてた。すると、ハシリウスの身体から円形に優しい光が広がった。

 『おお、明るい!』

 光の中に、ホルトの歓喜の声が響く。ホルトはやっと『死反魂』の魔力から解き放たれ、自らの死を平穏の中で受け入れられた。

 『大君主様、逝く前に告白します。私がリンダをだましてティアラ姫を誘い出させ、種族の生き残りたちが隠れている場所を闇の使徒・デイモンに教えました。デイモンは種族の生き残りたちの命と引き換えに、大君主様の首を持ってくるよう、ティアラ姫に要求したのです。ティアラ姫は悪くありません。悪いのは、この私です』

 ハシリウスはニコリと笑うと言う。

 「それは違う。悪いのはクロイツェンの奴らだ。そなたは人間として弱かっただけで、悪かったのではない。種族の生き残りの皆さんは、どこに監禁されている?」

 『はい、シュバルツ・ゼーの近く、“マジャールの砦” と呼ばれる山の中です』

 ハシリウスは、それを聞くと静かな声で言った。

 「分かった、ご苦労だった、ホルト。逝きたまえ、平安の中に……」

 すると、光が消え、ホルトは影も形も残していなかった。着ていた服を除いて……。

 ハシリウスは、それをじっと眺めていたが、ふと星将シリウスに訊いた。

 「シリウス、なぜあの男が死者だと分かった?」

 シリウスは笑って答えた。

 「魂の影がなかったのさ。大君主よ、お前もそれくらいは気付いたはずだが?」

 ハシリウスはじっと考え込んでいたが、笑って言う。

 「あれが“影のない魂”の色か……勉強になった。ところで、そなたとトゥバンに仕事をお願いしたい」

 「何なりと、大君主よ」「何でっしゃろか? 大君主はん」

 ハシリウスは、星将シリウスと星将トゥバンに命じた。

 「“マジャールの砦”にいる『猫耳族』の生き残りを、救出してほしい。それから、ベレロフォン卿にもお願いがある」

 ハシリウスの変貌に茫然としていたベレロフォンは、はっと気づいて言う。

 「何でしょうか? 大君主様」

 「星将とともに、『猫耳族』の生き残りを救い出し、しかるべき場所で保護して差し上げてほしいのだ。お願いできないか?」

 ベレロフォンは大きくうなずいた。

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 翌日、ティアラは学校に来ていなかった。寮監のアンジェラによると、寮にも無断で外泊しているらしい。

 「ティアラさんは、無断外泊するような生徒じゃない。きっと『闇の使徒』と関係がある」

 ハシリウスはそう言うと、とりあえず今までのことをアクア教諭に報告した。その報告はポッター校長に上げられ、校長からは各教諭にそれとなくハシリウスたちの行動を支援するように通達が出された。

 また、ベレロフォン卿がエスメラルダ女王に『猫耳族の悲劇』の件を報告したこともあり、王宮からはソフィアを通じてハシリウスに協力依頼の内報があった。すでに『マジャールの砦』については、ベレロフォン卿のヨーマンリー1万とともに、マスター・オルフェウスとマスター・エレクトラのレギオン2万が秘密裏に発向したということだった。

 ハシリウスは、アマデウスとともに放課後、町での聞き込みを開始していた。もちろん、ジョゼやソフィアも協力している。

 しかし、4人の必死の捜索にも関わらず、『東の公園』で姿を見られたのを最後に、ティアラの足取りはぷっつりと途絶えてしまった。

 「おかしいなあ、あの姿だから、見た人はきっと忘れないだろうと思うんだけど……」

 ジョゼがつぶやく。ハシリウスは、地図とにらめっこしている。

 「ハシリウス、星将に探してもらうわけにはいかないのですか?」

 ソフィアが言うのに、ハシリウスは首を振って答える。

 「星将ベテルギウスとデネブが動いてくれているが、『闇の使徒』もなかなかしっぽを捕まえさせてくれないんだ」

 「そうか……でも、みんながこれだけ頑張っているんだ。先生たちも気を付けて町の噂を聞いてくれているし、きっと見つかるさ」

 アマデウスが言うと、3人はうなずいた。


 そのころ、ティアラは、シュビーツの町はずれにある『闇の使徒』デイモンの隠れ家の一室に監禁されていた。

 ――もう、何日になるんだろう……。

 ティアラは、手足を縛られてはいないものの、小さな窓も板が打ちつけられているので、外を見ることができない。食事も水も一日に一回、鉄格子越しに与えられるだけなので、すっかり時間の感覚がマヒしてしまい、今が夜なのか昼なのか分からなくなってしまっていた。

 ――大君主様……優しかったな……。やっぱり私、大君主様を討ち取るなんてこと、できないな……。

 ティアラは、街の屋台でいろいろなものを食べさせてくれたハシリウスの笑顔を思い出すと、何か無性に涙が出てきた。

 ――みんな、無事かな……。

 ティアラは、『闇の使徒』デイモンに捕らえられてしまった仲間たちのことを思いだした。でも、なぜデイモンは、みんなの居場所が分かったのかしら……?

 そば近くに仕えていたホルトが裏切っていたとは知らないティアラは、それがデイモンの魔力のなせる技だと思い込んでいた。だから、逃げようとすれば逃げられないこともないこの小屋に、じっと我慢しているのだ。

 何故?……それはみんなのために、そして、いつまで?……それは、助けに来てくれるまで……。

 そこまで考えて、ティアラははっと気づいた。

 ――誰が、私を、助けに来てくれるの?

 弟のクラウンは、どうやら『闇の使徒』の手下になってしまったらしい。そして今日もハシリウスを探しているのだろう……彼を殺すために。

 ホルトやリンダは、どこに行ってしまったんだろう?

 ――ハシリウス……さま……お願い、助けてください……。

 ティアラは、もはや頼れるものはハシリウスしかないと気付いた。自分は、そのハシリウスの命を狙っていたのだ。そして、自分の弟が、今もハシリウスを狙っているのだ……ティアラは絶望的な気分になった。

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 ソフィアは、夢を見ていた。夢であることは分かっていた。なぜなら、ハシリウスと手をつないで歩いているのが、ジョゼではなく自分だったから。

 でも、夢であると分かっていても、ソフィアは幸せな気分だった。ハシリウス、いつか自分と暮らすことになる人、この世で一番愛しい人、幼いころから見つめ続けてきた人、自分のすべてを捧げられる人……そして、今はジョゼの恋人。……ううん、これは夢の中だもの、ジョゼのことは気にしなくてもいいよね?

 ソフィアは、そんな背徳的な気分で、でも、とても満ち足りた気分で、ハシリウスとのデートを楽しんでいた。

 『ハシリウス、ここらでお弁当にしましょう』

 ソフィアがそう言うと、ハシリウスはニコリと笑って、

 『ソフィアのお弁当か、久しぶりだなあ』

 そう言うと二人でマットを広げる。ソフィアは、かいがいしくそこにお弁当を広げた。

 『いけない、せっかくお紅茶のパックを持ってきたのに、お水持ってこなかった』

 ソフィアが言うと、ハシリウスはほほ笑んで言う。

 『水なら、精霊アクアスにお願いすればいい。“レイン”でちょこっと出してもらおうか?』

 ソフィアは首を振った。

 『これくらいのことで、精霊さんの手を煩わすのもよくないわ』

 『そうだね。ちょっと待って、あの小川から水を汲んでくるから』

 ハシリウスは、ソフィアの言葉を受け入れて、水を汲みに立った。ゆっくりと小川へと歩くハシリウスの背中を見つめながら、ソフィアは不意にとてつもない不安に襲われる。ハシリウス、その川に近づくと、戻って来られなくなる……。

 『……ハ、』

 ソフィアが不安を口にしようと立ち上がった時、

 『大君主、その首もらった!』

 不意に、小川の近くの茂みから、黒いものが飛び出した。それは、黒い猫耳としっぽを持つ若い男だった。男が爪を一閃させると、ハシリウスの顔に三条の深い傷ができ、顔面から血潮が飛び散る。

 『ぐわっ!』

 その一撃で両目を潰されたハシリウスが、顔を押えてうずくまる。男はしなやかに音もなくハシリウスに近づくと、鋭い爪をハシリウスの首筋に立てて、引いた……。

 「ハシリウスっ!」

 ソフィアは自分の声で目覚めた。隣のベッドではやはり同じ夢を見ていたのか、ジョゼが飛び起きている。ジョゼは寝汗でぐっしょりと額に張り付いた髪の毛をかきあげると、ソフィアに訊いた。

 「ソフィア……キミも夢を見ていたんだね?」

 ソフィアも、同じように首筋に張り付く金髪をかきあげてうなずく。

 「あれは、きっと、ティアラさんの弟さんですね……」


 次の日のお昼休み、ジョゼとソフィアはハシリウスの姿を探していた。

 「アマデウスくん、ハシリウスはどこに行ったか知りませんか?」

 ソフィアが、ちょうど学食からパンを抱えて出てきたアマデウスを見つけ、そう聞く。アマデウスはニコリと笑うと、

 「ああ、お姫様。ハシリウスはベルが鳴ると、町にすっ飛んでったよ。俺、これからハシリウスにこのパンを届けるんだ。あいつ、時間を惜しんでティアラちゃんの足取りを調べているみたいだな」

そう答えた。ソフィアはジョゼと顔を見合わせる。ジョゼがアマデウスに言った。

 「ハシリウスらしいや……。ねえ、アマデウス、ボクたちがそのパンをハシリウスに届けるから、どこに行けばいいか教えてよ。ボクたち、ハシリウスとちょっと話をしたいことがあるんだ」

 すると、アマデウスは渡りに船とばかりに、

 「え? いいの? じゃあ、お言葉に甘えてお願いしちゃうよ。ハシリウスとは『東の公園』で落ち合うことにしているから。悪ィな」

 そう言うと、パンをジョゼに押し付けて、

 「待っててねェ~、マチルダちゅあ~ん❤」

 と、学食へと走り出した。


 「御苦労さま、ハシリウス」

 『東の公園』で、ぼんやりと行き交う人を眺めていたハシリウスに、ジョゼがそう言って話しかけた。

 ハシリウスは、びっくりしてジョゼとソフィアを見ている。

 「あ? ああ、ありがとう」

 そう言って、差し出されたパンを受け取ったハシリウスを挟んで、ジョゼとソフィアが腰かける。

 「ティアラさんのことになると熱心なんだね?」

 ジョゼが言うと、ハシリウスは慌てて釈明する。

 「ばっ、バカっ! そんなんじゃないよ! 『闇の使徒』が絡んでいるんだったら、事態は一刻を争うから、こうして昼休みも出てきているんだ。本当は俺だって、昼休みはジョゼやソフィアとゆっくりしたいよ」

 「まあ! 私のこともちゃんと考えてくださってるのね? ジョゼのことしか眼中にないと思っていましたわ」

 ソフィアが意味ありげにそう言うと、ハシリウスはさらに真っ赤になって言う。

 「そ、ソフィア……いつから君はそんなにイジワルになったんだ?」

 「知りません。それはそうと、私にはまだ、正式な報告がないと思いますが?」

 ソフィアが言うと、ハシリウスはきょとんとしている。

 「正式な報告……何の?」

 ボケているハシリウスに対して、ソフィアがむくれる前にジョゼが慌てて言った。

 「そ、それは、ソフィア、キミ自身が言ったじゃないか。決着はまだついていないって……だからボクも遠慮していたんだ」

 ジョゼの言葉に、ソフィアはとたんに機嫌を直して言う。

 「あら、ジョゼったら、決着がついていないって認めちゃうの? じゃあ、ジョゼ、今は暫定的にあなたの勝ちってことで、私にもまだまだチャンスはあるってことなのね?」

 「しまった……」

 ジョゼは思わず口を押えて後悔する。口は災いのもと、後悔先に立たずである。

 「ところで……」

 ハシリウスがパンを食べながらジョゼに訊く。

 「お前たち、何しに来たんだ?」


 「ここが、大君主がいる王立ギムナジウムの寮か……」

 月のない深夜、一人の男が、ギムナジウム寮の正門前で、そうつぶやいた。ギムナジウムの寮は、高さが4メートル近い格子塀で囲まれている。もちろん、寮の正門もそのくらいの高さがある。それは、寮生が勝手に出歩かないように、たとえ“フライ”を使ってもおいそれとは超えて行けないような高さにしてあるためだった。

 しかし、男はニヤリと笑うと身をかがめ、鉄格子の塀を軽々と飛び越える。着地しても、まるで音がしない。身軽な男だった。

 さらに、暗闇の中でも物が見えるのであろう、男は周囲を照らす物も持たず、男子寮の方へと歩き始めた。

男子寮の前まで来ると、男はじっと周りや玄関の中を見つめた。特別なセキュリティがないことを確かめると、寮の玄関にかかっている錠を鋭い爪で一閃する。錠はまるで飴か粘土でできているもののように、あっさりと二つになる。

 「ふん、警備がぬるいな……」

 男はせせら笑うと、ゆっくりと廊下を歩く。まるで音もしないのは、男が恐るべき力を秘めていることを示していた。やがて、男はある部屋の前で立ち止まった。部屋の名札には『ハシリウス・ペンドラゴン』『アマデウス・シューバート』と書いてある。男は唇を歪めると、ハシリウスの札に鋭い爪を走らせた。簡単に名札が二つに斬れて、床に落ちた。

 そして男は、ゆっくりとドアにかかっている錠を調べ始めた。そして、ドアと壁の隙間に、薄く鋭い爪を差し込むと、音をたてないように注意しながら、錠を斬り裂いた。ドアがゆっくりと開く。

部屋の中からは、静かな寝息が聞こえてきた。男はハシリウスの顔を知らないので、どちらが大君主か分からずに、しばらく二人の様子を見ていた。

 やがて、一人の生徒が、

 「う、う~ん、ハシリウス、貴様ずるいぞ……」

 と寝言を言って寝返りを打つ。それで、男には彼がハシリウスでないことが分かった。

 男は、ハシリウスのベッドの横に立つと、栗色の髪をぼさぼさにして寝ている、あどけないハシリウスの寝顔を見つめてほくそ笑んだ。大君主よ、いい夢を見ていろよ……夢を見ている間に殺してやるからな……。

 男はゆっくりと右手を上げると、電光石火の速さでハシリウスに鋭い爪を叩きこんだ。

 「くっ!」

 ズブリというくぐもった音とともに、男の口から驚きの声がついて出た。ハシリウスは男の爪を寝返りでかわしたのだ。そのままハシリウスはスースーと軽い寝息を立てる。

 「……大君主よ、俺をバカにするか?」

 男はそうひとりごちると、再び電光石火の速さで、鋭い爪をハシリウスの胸元めがけて繰り出した。

 「ぐわっ!」

 今度は、男が苦痛の声を漏らした。男の爪はハシリウスに届かなかった。そして男の右手は、指の付け根から肘まで縦に裂けていた。ハシリウスを守るように突き出された剣が、男の肘でとどまっている。

 「残念だが、私たち星将がいる限り、ハシリウスに手は出せぬ」

 星将ベテルギウスが顕現して言う。男は噴き出る血を押えながら跳び下がり、ベテルギウスの“氷の剣”の攻撃範囲から出る。

 「待っていたぞ、クラウン・フィーベル卿」

 ハシリウスが静かな声でそう言い、ベッドに起き上がる。すでにハシリウスは大君主のいでたちへと変わっていた。

 「この男かい、ティアラちゃんの双子の弟っつーのは?」

 いつの間にかアマデウスも起き上がり、自分を“ヴィンド・ケッセル”で守りながら言う。

 クラウンは、思いもよらぬ展開に戸惑ってしまった。星将も、ハシリウスも、それからこの同室の友人にしても、彼にとって想定外の行動をとっていた。しかも、クラウンはもう一人の星将が自分をどこからか見ていて、いつでも攻撃できるようスタンバイしていることも分かっていた。

 「クラウン卿、戦うことはいつでもできる。しかし、その前に少しそなたと話し合いがしたい。ティアラ姫の話では、『猫耳族』は戦闘的だが誇り高く、正義にもとる戦いはしないという話だったが、その点は真実か?」

 ハシリウスが訊くと、クラウンは押し殺したような声で答えた。ハシリウスは、クラウンの声を聞きたかった。声を聞けば、クラウンがどんな状況かが分かる。だから、必ずクラウンが答えると思われる問いかけをしたのだ。ハシリウスの狙いは当たった。

 「……そうだ、姉さんのおっしゃる通りだ。わが『猫耳族』は、正義の戦いしかしない」

 「そなたたちの邑を襲い、2万人からの人々を殺した『闇の使徒』に復讐もせず、わが命を狙うのは正義か?」

 「くっ!」

 ハシリウスの鋭い問いに、クラウンは言葉に詰まる。ハシリウスは畳み掛けた。

 「生き残りの方々の命がかかっていれば、それは仕方ないかもしれぬが、それにしてもティアラ姫を辛い目に遭わせる必要はあるまい。クラウン卿、すべてを話し、私と手を結ばないか?」

 ハシリウスの言葉に、クラウンは頭を殴られたような感覚を味わった。ハシリウス、大君主、貴様、何者だ! なぜ『生き残りの人々の命がかかっている』など、こちらの事情を知っているのだ!

 「くそっ!」

 クラウンは、突然身を翻すと、窓をぶち破って中庭に降り立った。そして音もなく疾走すると、軽々と女子寮の屋根に跳びあがり、そのまま屋根伝いに逃げて行った。

 「ハシリウス……逃がしていいのか?」

 アマデウスが訊くと、ハシリウスは薄笑いを浮かべて言った。

 「星将デネブが、クラウンの後を付けている……もうすぐティアラ姫は救い出せるな」


 「く、くそっ! 大君主め……“シュバルツ・ヒール”」

 クラウンはギムナジウムの寮からかなり離れた路地まで逃げると、右腕の傷を検めて歯噛みした。彼も一応“ヒール”系の魔法は使える。

 クラウンは、しばらく目をつぶって痛みに耐えていたが、“シュバルツ・ヒール”が効いたのであろう、血は止まり、右腕も何とかつながって、指も動かせるようになった。しかし、ここまでざっくりと割られたら、元通りに使えるようになるまで一月はかかる。

 『クラウン卿、すべてを話し、私と手を結ばぬか?』

 不意に、クラウンはハシリウスの優しい目と、温かい声と、信じられないような言葉を思い出した。自分を狙ってきた者を殺しもせず、こちらの事情は分かっているから協力しよう……ハシリウスはそう言っていたのだと気付くと、信じられないような気持ちがクラウンの心の中に広がった。

 ――あの男、バカか?

 少なくとも、今までクラウンが相手にしてきた男の中に、ハシリウスのような男はいなかった。特に人間は自己中で、策略が多くて、信用できない……そう信じて疑わなかった人間観に、なぜか亀裂が入ったようだった。

 ――あの男、姉さんに対して、『ティアラ姫』と言ったな……。私に対しても“卿”づけだった……。人間にも、あいつみたいなやつがいるんだな……。

 そう気づいたとき、クラウンの心の中で何かが崩れた。それは、デイモンがかけたマインド・コントロールが外れた音だったかもしれない。

 ――姉さんを助け出さねば……。あいつの所に行けば、私たちの種族のことも、何とかなるかもしれない。

 クラウンは、一瞬、何かつきものが落ちたように清々しい顔になると、すぐに表情を引き締め、闇の中をいずこかへと駆けて行った。


 ――ハシリウス様……早く助けに来て……。

 ティアラは、何度そう思ったことだろう。しかし、一筋の光明も見えない時の流れの中で、だんだんと心が折れそうになってきた。

 ――私、ここで死んじゃうのかな……? 弟に辱められ、あいつに好きにされて……。そんな目に遭うくらいだったら、私……。

 ティアラは、涙でぼうっとかすむ視界の中、自分の爪を見てみた。『猫耳族』の爪は、オリハルコン鋼に近い硬さを誇り、鋼鉄でもやすやすと斬り裂く。この爪と、空中でバランスを保つセンサーとなるしっぽ、その二つが『猫耳族』の最大の特徴だった。

 ――今まで、誰も傷つけたことがない私の爪。最後に私自身を守るため私自身の血を吸うのね……。

 ティアラの頬を涙が伝い落ちる。ティアラはゆっくりと、爪を出した右手を自分の首筋に近づけた。

 その時、

 「姉さん」

 押し殺したような声が聞こえたので、ティアラははっとして爪を引っ込めた。目を開けて鉄格子を見ると、

 「姉さん、ここを逃げましょう」

 鉄格子を爪で斬りながら、クラウンがそう言っていた。

 「クラウン……。正気に戻ってくれたのですね?」

 クラウンはニコリと笑うと、ティアラが通れるくらいの隙間をつくり、姉にうやうやしく言った。

 「姉さん、ハシリウス殿の所に参りましょう。私が姉さんをお守りいたします」

 「ええ……」

 ティアラが喜んで鉄格子から出た時、

 「そんなことをしたら、種族の生き残りの運命はどうなるのかな?」

 『闇の使徒』デイモンの冷たい声が響いた。

 「デイモン……」

 ティアラが身を震わせる。クラウンがそんな姉をかばうように、立ちふさがって言い放った。

 「姉さん、早くハシリウス殿の所へ! こいつは私が相手します!」

 そして、クラウンは爪を出してデイモンに斬りかかる。

 「ふん、益体もない」

 デイモンは目にも止まらぬ早業で剣を抜き打ちに斬り払った。キイインという甲高い音がして、デイモンの剣が折れる。しかし、

 「うわあああっ!」

 クラウンも、右腕を押えてうずくまってしまった。先ほど星将ベテルギウスから受けた傷が、また裂けたのだ。

 「クラウン!」

 ティアラがクラウンに呼びかける。しかしクラウンは傷を押えながらも、左手の爪を出して。

 「だ、大丈夫です……。姉さんは、早くハシリウス殿の所へ……。うぐっ!」

 そう叫ぶが、デイモンの杖に強かに腹を突かれてうずくまる。

 「ティアラ! 逃げるなよ。逃げても捕まえてやるがな……。しかし、こいつは許せんな……」

 デイモンはそう言うと、自分の魔力を込めた杖で、クラウンの心臓を押さえつける。

 「ぐ、ぐおおおお……」

 クラウンは叫ぶ。闇の魔力がクラウンの心臓を締め付けているのだ。クラウンの口から、鼻から、血が噴き出してくる。

 「ふふ、苦しいか? もっと苦しめ」

 デイモンはクラウンにそう言うと、爪を出したティアラを睨みつけてけん制する。

 「動くな! ふふ、お前が少しでも動けば、弟の心臓を握りつぶしてやるぞ。あと1センチ、いや、あと5ミリ私がこの杖を押せば、そなたの弟の心臓は破裂する……さあ、ティアラ、爪をひっこめろ」

 「ぐおお……ね、ねえさん……はやく、ハシリウスどのの……ぐふっ!」

 苦しい息の下から、クラウンがそう言うが、ティアラは動けない。

 「ふん、強情な奴め。そろそろ楽にしてやろうか」

 デイモンがそう言って、サディスティックな微笑みを浮かべ、杖を押そうとした時、

 「なっ!」

 突然、デイモンのミスリル銀でできた杖が何者かによって真っ二つに斬り払われた。そいつは唸りを上げてデイモンに斬りかかってくる。

 「はっ!」

 デイモンはその攻撃を間一髪でかわし、とんぼ返りをうちながらクラウンから5メートルほども離れた。そこに、肩までの茶髪を揺らし、紫紺のチャイナ・ドレス風の服に銀のベルトを締め、双刀を構えたうら若き美女――星将デネブの姿が現れる。

 「悪いがね、デイモン、この二人はあたしがもらっていくよ」

 「き、貴様は闘将デネブ! デネブなら、相手にとって不足はない……」

 デイモンは、一時の驚愕が過ぎると、舌なめずりをして言う。そして、虚空から長刀を取り出すと、構えて言う。

 「星将デネブ、勝負だ!」

 デネブは、くすりと笑って言う。

 「あ~あ、これがシリウスだったら、あんたもスタコラと尻に帆かけて逃げるんだろうけどね……。まあ、闘将筆頭シリウスとあたしじゃ、ちょいと力量に差があるから仕方ないね。ムカつくけど、相手してやるよ」

 そう言うと、両刀を構えて気を込める。その構えを見て、デイモンは少し後ろに下がった。デネブが女だと甘く考えたらけがをする……デイモンもできる夜叉大将である。デネブのすきのない構えを見てそう悟ったのである。

 「貴様の種族の生き残り、一人残らず殺して血をすすってやる。覚悟しておけ!」

 デイモンはティアラにそう言うと

 「ふん、貴様、女だてらに強そうだな。後日再戦だ! そんなんじゃ、男にモテまい!」

 と星将デネブにも捨て台詞を残して、虚空に消え去った。

 「なんだと!」

 激昂したデネブが斬りかかるが、それより早くデイモンは消え去った。

 「くそっ! あたしが男にモテないだって!? こんな美人をつかまえて、あいつの目は節穴かい!今度会ったらただじゃおかないよ!」

 星将デネブはぷりぷり怒りながら、両刀を鞘に納める。そして、ティアラたちを振り返った。クラウンは、ティアラに抱えられて何とか身を起こしていた。

 「あんた、大丈夫かい?」

 デネブが言うと、ティアラとクラウンは周りをきょろきょろしながら言った。

 「あ、あの……星将デネブさん、ありがとうございました。お姿が見えないので、どちらにいらっしゃるか分かりません。見当違いの方向だったらご容赦ください」

 星将は、人間には姿が見えない。ただし、ハシリウスのそばで顕現した場合を除いては……。それが分かっているため、デネブは機嫌よく言った。

 「構わないよ、さ、ハシリウスの所に行こうか?」

 「はい……でも……」

 ティアラが口ごもる。何かとてつもない悲しみと、心配があるようだ。デネブはそれを見抜くと、笑って言った。

 「あんたの種族の生き残りのことだね?」

 「はい……私たちのためにみんなが犠牲になるのかと思うと……」

 ティアラが泣き声で言うのに、デネブは力強く答えた。

 「心配しなさんな、“マジャールの砦”には、シリウスとトゥバンがいるよ。ここの女王様の命令で、ベレロフォン卿とマスター・オルフェウス、マスター・エレクトラの軍隊も向かっている。心配せずに吉報を待つことだね」

       ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★  ★

 水の月の25日、マスター・オルフェウスのレギオンが、“マジャールの砦”から『猫耳族』の生き残り約2000人を救出して凱旋した。

 この戦いには『ウーリの谷』のベレロフォン卿のヨーマンリーも大活躍し、魔軍団約2万はなすすべもなく壊滅した。魔軍団の大将たる夜叉大将デイモンが、星将シリウスや星将トゥバンの活躍によって活動を阻まれたことが、その最も大きい原因だった。

 マスター・オルフェウスとロード・ベレロフォンは、王国を騒がせた『猫耳族の悲劇』を解決した人士として国民の称賛を浴びた。そして、『猫耳族』の王子たるクラウンと王女ティアラは、ソフィア王女とハシリウス卿の同席のもと、エスメラルダ女王と親しく懇談し、クラウン・クルト・フィーベルは『猫耳族』の正式な族長として女王陛下から認定された。

 「クラウン卿、『闇の使徒』たちの横暴を、私は長く許しておくつもりはありません。近い将来、ハシリウス卿を中心として征伐の軍を起こし、クロイツェンを倒して平穏な時代を創りたいと思っています。そなたも、十分に民を愛して、ハシリウス卿の事業に協力してください」

 クラウンは、女王陛下からの言葉に、

 「承知しています。私も姉さんとともに、一族の復興に尽力し、ひいては王国の安寧に寄与したい所存です。精いっぱい民を愛し、一族を愛し、国を愛し、天下平安を望みたいと思います」

 そう答えた。

 二人が退出した後、エスメラルダはハシリウスに親しく話しかけた。

 「ハシリウス卿、今回もお手柄でした。ハシリウス卿がいるので国も安泰だと、多くの国民がそう話をしています。私もわがことのようにうれしく思いますし、感謝もしています」

 ハシリウスはニコリと笑うと首を振って言う。

 「僕の手柄などではありません。今回は、ベレロフォン卿のお力添えがとても大きかったです。それに、ソフィア……姫の忠告がなければ、こうはうまくいかなかったでしょう」

 その言葉を謙遜と見たエスメラルダは、満足そうにうなずく。

 「ハシリウス卿、そなたの気持ちはよく分かりました。何にしても、私はそなたのような臣下がいて心強い。これからも私やソフィアの力になってください」


 ヘルヴェティカ城の北に、『蒼の山地』と呼ばれる険しい山地がある。その山地の麓に、シュビーツの大地を潤す『蒼の湖』という湖があった。

 その湖のほとりに、一軒の丸太小屋がある。ここに、ヘルヴェティア王国の筆頭賢者であり、ハシリウスの祖父にあたるセントリウスという老人が隠棲していた。

 セントリウスは、ヘルヴェティア王国建国時の功臣で、神祖オクタヴィア女王を助けた希代の軍師、『星読師』として青史に名を残すヴィクトリウス・ペンドラゴンの直系の子孫であり、彼自身も12人の星の力をまとった戦神・星将を手足のごとく使いこなし、28神人の声を聴き、王国の難題を解決してきた力のある星読師だった。

 そのセントリウスの小屋に、一人の少女が訪れていた。少女は、栗色の髪からピンと立った耳や、茶トラのしっぽを隠すでもなく、セントリウスと一所懸命話をしている。そう、訪れていたのはティアラ・フィーベルだった。

 「今回は、筆頭賢者様のお孫さんに大変お世話になりました。私の父・ミサンガが筆頭賢者様と親しくさせていただいていたということで、王都に来ましたのでご挨拶に伺いました。今回、私の双子の弟、クラウンが族長を引き継ぎました。父同様、ご指導ご鞭撻をよろしくお願いします」

 ティアラが丁寧に言うのに、セントリウスは静かに答える。

 「丁寧なごあいさつですな。ミサンガの受難をお聞きし、残念に思います。彼は種族のみならず、生きとし生けるものすべてに優しさを持った、よい族長でした……」

 「セントリウス様、ぶしつけなお願いですが、新しい門出に当たり、私と弟の星を見て頂きたいのです。今後の人生に何が必要か、セントリウス様からの啓示をいただければ幸いに存じます」

 ティアラは、口ごもりながらもそうお願いした。セントリウスは、黒曜石のような目を細め、ティアラのそんな様子を見ていたが、やがてゆっくりと口を開いた。

 「新たな族長殿については、元々が尚武の気質にあふれ、然れども人の話をよく聞く優しさや素直さと、たくさんの情報の中から正しいものを選び出して決断する聡明さをお持ちです。その気質を伸ばして行けば、父に勝る族長となられることでしょう。しかし、優しさは弱さと、尚武の気質は人への侮蔑と紙一重……姉君として、彼の心の弱さをしっかりと鍛錬してお上げなされ」

 「はい」

 ティアラは決然とそう答える。その頬が紅潮しているのは、セントリウスの見立てが的を射ていると心当たりがあったからである。

 セントリウスは、優しくうなずくと言った。

 「姫様には、王佐の才がおありです。それも、姫様の『闇の魔力』の強大さと関係しています」

 「私に、王佐の才?」

 ティアラは怪訝そうに言う。『王佐の才』というからには、弟の補佐ではあるまい……しかし、ヘルヴェティア王国には大賢人ゼイウスをはじめとした賢才が綺羅星のように集まっている。そんな中で、何ができるのだろう……。ティアラはそう思ったのである。

 セントリウスは、さらに優しい顔をして続けた。

 「この国の王女様は、『光魔法』の達者です。星が教えるところによれば、その力は、すでに現女王陛下を超えていると思われます。よって、ソフィア王女は遠からず、現陛下の摂政として国政に参与される運命が待っています」

 ティアラは、ハシリウスのそばにいた小柄な美少女を思い出した。確かにあの王女様は、光に満ち溢れていた。こんな女王様ならば、国民は安心するに違いない……ティアラもソフィアを一目見て確かにそう思った。ティアラはうなずく。

 「しかし、ソフィア王女様は、現在『月の乙女』として大君主の智を補佐する役目もお持ちです。摂政職と『月の乙女』の役目……これは両立しません」

 ティアラはまた怪訝な表情をする。今セントリウスが話しているのは、ヘルヴェティア王国の大事である。自分のような辺境の一部族の王女が聞いていい話ではない。なぜセントリウス様は、そんな大変なことをまだ小娘の私に話されるのだろう……。

 セントリウスは続けて言う。

 「ティアラ姫、あなたは強力な『闇魔法』の力をお持ちです。おそらく、ご自分では気づいていないでしょうが、それはハシリウスを凌ぎます。そして、『月の乙女』の性質は“闇の光”です。ティアラ姫、あなたがその王佐の才を活かすのは、大君主の側でありましょう」

 それを聞いて、ティアラは顔を赤くして慌てる。

 「ちょ、ちょっと待ってください。私はハシリウス様の近くにいられるほど、聡明でも魔力が強くもありません。まして、ソフィア王女様はハシリウス様のことがお好きなのでしょう? 見ていて分かります。私なんかがハシリウス様の側にいることなんてできません」

 しかし、セントリウスは笑って言った。

 「女神アンナ・プルナ様は、ハシリウスの側にジョゼ嬢ちゃんとあなたがいることを望んでいるようです。ソフィア王女様には、ハシリウス個人よりもっと大きなものを守る運命があるようです。心の準備をしておかれた方がよいですぞ、ティアラ姫」

 セントリウスの予言を、赤くなって聞いていたティアラだが、そこまで言われると心を決めざるを得なかった。時が来るまでは口外しないと約束して、ティアラはギムナジウムの寮に戻って行った。

 「さてさて、だんだんと女神様の思し召しに沿った人物がハシリウスの周りに集まってきているのう……。『日月の乙女たち』とあと一人、『特異点』となる人物が現れるときが、ハシリウスの旅立ちであり、そして運命の輪が大きく回るときじゃろうな……」

 セントリウスは、窓から遠くヘルヴェティカ城を見やると、そうつぶやいてパイプに火をつけた。

【第9巻へ続く】

最後までお読み頂き、ありがとうございます。

今回も7万字を超えたので、前・後編での投稿になったことをお許し下さい。

後編は2・3日後にはアップしますので、お楽しみに。

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