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七天紋章のシヴァ  作者: 一ノ瀬るちあ/エルティ
1章 流砂の楼閣
9/22

9話 世界の半分をくれてやる

 日記を読み終えた。

 吐き気を覚えた。

 なんだよ、これ。

 俺の知る大賢者の物語とはまるで違うじゃねえか。


『まあ、そういうわけさ。私だって、なりたくて魔王になったわけじゃない』


 そういう魔王の声は、平淡としていた。

 俺は、心に巣食う悪魔が恐ろしくてたまらない。

 どうして、なんで。

 こんな目に遭って、こうも平静を保てられる。


 愛した人に殺された。

 信じた人に殺された。

 大事な人に殺された。


 もし自分がそうだったとして、発狂せずにいられるだろうか。いいや無理だ。俺にはこいつが理解できない。


「……結局、お前は復活して何がしたいんだよ」


 この日記を読む限り、彼女が好き好んで混沌を齎したわけではないことが分かる。

 だったら、蘇ってまでしたい事とは何だ。

 このまま封印、眠りについていた方が平和だ。


『冥界』

「……は?」


 考える俺に、魔王は淡々と答えた。


『日記にも出ていただろう? この世界のどこかには、冥界に至る方法が記されたダンジョンがある筈なんだ』

「それで? 正式に黄泉の国に帰りたいってか?」

『帰る? くっはは! まさか!』


 心がざわついた。

 いや、魔王の感情が膨れ上がった。

 それが俺に伝播している。

 懊悩惨苦、拘泥執念、追慕厭悪。

 形容しがたい感情が勢いを増して渦巻いている。


『――連れ戻すんだよ。今度は私がね』


 ゾッとする声だった。

 同時に俺は理解した。

 俺の予想は間違っていなかった。

 こいつはとっくに、狂っている。


『もう一度彼を連れ戻す。今度はもう離さない。取りこぼさない』


 どうしようもなく壊れている。

 ただ一つの使命を果たす。

 その為ならば、彼女はどこまでも走り続ける。

 まるで暴走列車。

 鉄皮面の裏側には、不滅の炎が燃え盛っている。


『だけど、あいにく私はこんなでね。是が非でも協力者が必要なんだよ』

「……それを、俺にさせようってか」


 魔王が笑う。凄艶に。


『悪い話じゃないだろう? 君は力を手に入れる。私は願いを叶えられる』


 彼女の声は、甘く心地よい。不思議なほどに。

 まるで麻薬のように、脳に染み渡る。

 理性の糸だけを溶かすかのようだ。


『ダンジョンを踏破する力が足りないならば、私の力を貸し与えよう。賢者の真の遺産と、魔王の力の二つを君は継承する』


 ドロドロした欲望が渦巻いている。

 頭のどこかで警鐘が鳴っている。

 「戻ってこい」、「戻れなくなるぞ」と。

 だけどどれも、まるで対岸の出来事の様で。

 全く心に響かない。


『――塗り替えてしまいなよ、全部、思い通りに』


 どうしようもなく。俺の心は。

 このろくでもない魔王に支配されている。


 ああ、やっぱり。

 俺の予想は正しかった。


「……せ」


 やはりあの日記は、俺の大きな分岐点だった。

 この先の運命を決定づけるような重大な。

 そんなターニングポイントだったのだ。


「寄越せ。あの世の全てをくれてやる。道化だろうと演じてやる。だから、寄越せ」


 俺は封印を解くことを選択した。

 どんな事態だって覚悟していたはずだ。

 もう、振り返るな。


「この世の全てを俺に寄越せ!」


 運命の歯車は回り始めた。

 立ち止まることは許されない。


『世界の半分か、いいねぇ』

「どうする、魔王様?」

『くはっ、どっちが魔王だか』


 俺の内で、魔王が随喜に震える。

 以心伝心、唇歯輔車。

 俺と悪魔は手を組んだ。


『元々私からの願い出だ。喜んで受けるとも。ただ、呼び方はどうにかならないかな? 魔王と呼ばれるのは、好きじゃないんだ』

「あ? エウリディーチェと呼べと?」

『まさか。単にディーチェと。そう呼んでくれたら構わないさ』

「……いいのか?」

『あいつの末裔なればこそ、ね』


 一握の寂寥。

 それと、慈愛が広がった。


 夜空に浮かぶ白月は、皓皓としている。


 ◇◇◇


 遠く、東の空が茄子色に染まり出す。

 この暁霧もあと数刻もすればカラッと乾き、また新たな日が昇るのだろう。浮かぶ彩雲にそんな予感を抱きつつ、ぼんやりと空が薄青く変わっていく様子を見届ける。


 その時、コンコンと。

 扉がノックされる音が響いた。

 俺が返事をするより早く、扉は開け放たれる。


「おはよう、シヴァ」

「……おやすみパルティ」

「え!?」


 一日の始まりを告げる彼女に、一日の終わりを告げた。昇る朝日が一日の始まりだと思うなよ?


「シヴァ! 空! 空! 朝で・す・よー!!」

「あぁ、分かってるよ」


 朝だからなんなんだよ。

 なんでこいつは元気なんだよ。

 慣れか。慣れなのか。

 ダンジョン巡りが本業の彼女には常なのか。

 人の適応する力っていうのは恐ろしいな。


 恐ろしいから今は眠ってしまおう。


「シヴァ!」

「起きるのはちょっとシヴィア」

「誰が上手い事言えといいましたか!」

「お婆ちゃんは言っていた。『指示待ち人間にはなるな』ってな」

「起きろって指示されてるんですよ!」


 布団が引っぺがされる。

 所業が無情すぎる。

 鬼か。


「もう! ご飯冷めちゃうよ?」

「馬鹿か。うちに朝食を取る予算は無い」

「私の携帯食よ。下で待ってるからね?」


 違った。聖母だった。

 おはようございます。

 今日も一日頑張りましょう。


 着替えて、階下に向かおうと扉に手をかける。

 ふと、考えた。

 ポケットに眠る、ロケットペンダント。

 愚かな賢者の置き土産。


 特に理由は無いが、それを首からさげた。


「……重い」


 それは想像以上に重量感があった。

 俺の双肩にずっしりと重く圧し掛かる。


『女性に向かって重いって、失礼じゃないかな?』

「お前に言ったわけじゃねえよ」


 カチリと開く。

 中には写真が埋め込まれている。

 ひとりの女性が太陽のように笑う写真だ。


 瞑目して、考える。

 今の、三日月のように悍ましく嗤うディーチェに、この笑顔を取り戻すことができるだろうか。

 俺はその力になれるだろうか。


 頭を振った。不安を振り払うように。

 ドアノブを改めて握り、戸を開く。

 階段を下りれば、パルティがふてくされながら待ってくれていた。


「遅い」

「おはよう」

「だから遅いんだってば……もう」


 パルティはふくれっ面を保ったが、それはわずかな間の事だった。

 すぐに諦めたように息を吐いて、笑顔になる。


「ね、次はどこに行く?」

「ん?」

「もう呪いは解けたんでしょう? だったら、また、夢を追いかけるんだよね?」


 そういう彼女は、瞳をキラキラさせていた。

 ああ、なんかもう、な。

 悩むのが馬鹿らしくなってくるな。


「……そうだな、再臨した海底都市ルミナス・アトランティスなんてどうだ?」

再臨した海底都市ルミナス・アトランティス!? 忘却の海底神殿ロスト・アトランティスに潜るの? 大賢者を除いて、誰一人踏破できてないSSSランクダンジョンだよ?」

「だからこそ、だよ」


 ああ、そうだ。

 俺のちっぽけな手と足で、できる事なんて限られているじゃないか。

 だったら、せめて。

 今の俺に出来ることをしよう。


「それくらいじゃないと、夢とは言わねえ、だろ?」


 俺がそう言うと、パルティは目を丸くした。

 俺がそんなことを言うなんて。

 そんな感じの表情だ。


 それから、口元を緩め。

 にぱっとして頷いた。


「うん、そうだね!」


 この目に映る平穏を、精一杯大事にしよう。

 そう、心に誓った。

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