6話 『MEMENTO MORI』
「«七天紋章の荒御魂»ッ!!」
詠唱、刹那、顕現。
其れは死。或いは滅亡。
闇色に煌めく魂魄。
ただ君主の意志を遂行するために。
7柱の凶星が自らを轟かんさんと迸る。
「薙ぎ払え!」
主命を受諾した霊魂は、鋭い声を響かせる。
雄叫びは空間を切り裂いて、光を引き裂く。
加速する世界の中で動けるものは彼らのみ。
万物必壊、絶対不可避の理が、仇為す悪蛇に天誅を下す。
爆音、轟音、破砕音。
怒れる神を想起する妖霊が、敵を虐殺する。
「ギシャアアァァァァァ!!」
フッと世界が弾ける。モノクロの視界が色付く。
七天紋章の荒御魂が通った後は虚無だけが残る。
それはアポフィス・ナラヤナとて例外ではない。
驚異的な再生力すら、追随を許さない。
大蛇がのたうち回る。
先ほどまでの強者はしかし、今は風前の塵に同じ。
彼が足搔けど藻掻こうと、弱肉強食、自然の摂理には抗えない。
それは絶対の掟、不変の法。
いくら7つの命を持とうとも、7体の死神の前には同じこと。
それならせめてと。
彼は自分より弱いものを道連れにしようと試みた。
一番近くにいたパルティに、その顎門を開いて襲い掛かる。
「第一星剣二式、«水星»」
しかしパルティは、これを軽くいなす。
自身は流水の如く。手に持つ双剣で受け流す。
柔よく剛を制す。
結局、それが悪蛇の最期の足掻きだった。
7つの星に、魂すらも喰い殺される。
血の一滴すらこの地に残す能わず。
一切の跡形無く完全に消滅した。
室内に、静寂が満ちた。
『おめでとう、シヴァルス。新たな継承者の誕生だ』
静寂を切り裂いたのは声。魔王の声だ。
ハッとして、ペンダントを閉じる。
『ああ、もう手遅れだよ。そのペンダントの封印は完全に解けた。感謝するよ』
「なっ」
もはや魔王の声が消える事は無い。それどころか、以前にもましてはっきりと聞こえてくる。
まるで、魂の深い部分で繋がったかのようで。
「シヴァ! 今のは何!?」
間髪あけず、パルティが問いかけてきた。
もう隠すことはできないか。
隠す意味ももうないか。
封印を解いてしまったのは俺だ。
取り繕ったって、その事実は恒常不変だ。
俺は黙って、ペンダントを見せた。
「何これ、ロケットペンダント? これが、何?」
「多分、賢者の真の遺産」
「……はい?」
わけが分からないといった表情のパルティ。
「宝物庫に隠されてたんだ。それ以来、魔王を名乗る亡霊が視えたり、声が聞こえたりして」
ペンダントのチェーンの部分をしっかり握る。
「……ここに真の遺産があるという幻聴も?」
「そうだ」
「迷宮が流砂の奥に続いているって気付いたのも?」
「……そうさ、全部、魔王の啓示だ」
再び、手が震えだした。
だけど今回は、前回のとはちょっと違っていて。
恐怖から来る震えには変わりは無いんだけど。
「ごめん……っ、俺のせいで、危険に晒した……ッ」
怖かった。
パルティが死ぬんじゃないかと思った。
空っぽになった俺に残った、最後の希望。
それが影も形もなく、俺の手から零れ落ちてしまうんじゃないかって。
それは俺が、軽率だったからなんじゃないかって。
「火に弱いってのも、間違った情報だった! 一歩でも間違えたら、パルティを死なせるところだった」
記憶違いか、文献が間違っていたのか。
それは分からない。
だがしかし、誤った情報を引き渡し、彼女を危険に晒したのはほかならぬ俺だ。
彼女を死の間際に立たせたのは、辛い顔させたのは紛れもない俺だ。
「ごめん、本当に、ごめん」
抜け殻のような声が出た。
彼女に対する懺悔というより、自責の念。
そっちの色の方が濃くにじんでいた。
けれどパルティの返答は、叱責ではなかった。
「私だって、おんなじだよ」
「……は?」
顔を上げて、ようやくパルティと目が合った。
一度柔らかく微笑んで、パルティはさらに天を仰いだ。
訥々と、独白する。
「私も、後悔したもん。迷宮に連れ込むなんて、危険なことをして。でも、シヴァは文句の一つも言わないから」
言葉を探すように、パルティは言う。
胸に手を当て、自分の言葉を探すように。
「流砂にシヴァが飛び込んだ時、私がどんな思いだったか、今なら分かるよね?」
「……ぁ」
その言葉は、深く心に刺さった。
俺が今しがた言ったことと同じだ。
パルティはパルティで罪悪感と自責の念に苛まれていたのだ。
それを、ようやく、理解した。
「だから、私の方こそ。……ごめんなさい」
そういってパルティは、深々と頭を下げた。
謝る必要なんて、彼女にはないのに。
「さ! 賢者の遺産を確認しましょう!」
少しして、彼女は顔を上げてそう言った。
その顔に曇りは一切なく、太陽のような笑顔が輝いている。
「ほら! 何をボケっとしてるの!」
「……あのな、パルティ。ペンダントの封印を解いたのだって想定外なんだ。何があろうと封印は……」
「何を言っているのよ。たった一つであれだけの力が解放されるんだよ? 私たちが封印を解いて回れば、伯父様の生存率もきっと上がるわ!」
「……っ」
俺は、気付いた。
気付いてしまった。
俺は彼女に隠し事をしている。
«七天紋章の荒御魂»の事実を隠している。
これは、魔王の力だ。
俺が封印を解いたところで、親父が使えるわけじゃない。
(……どうする)
打ち明けるか、内に秘めるか。
道は二つに一つだ。
――お前に隠し事ができるのか?
内なる声が、そう囁く。
できない、というより、したくない。
こんな俺を捨てずにいてくれたパルティに、何かを隠して生きるなんて。
――お前が魔王と取引したと知って、それでもそばにいてくれるかな?
心臓を握り締められた。そんな気がした。
言えない。
パルティにさえ言えない。
この秘密は、誰にも打ち明けられない。
「シヴァ……?」
黙りこくる俺に、パルティが口を開く。
彼女の澄んだ瞳は、俺の罪を詰るようだ。
俺は、たまらず瞳に蓋をした。
「そうだな。親父を助けるためだから」
「……」
そう言って、俺は祭壇に向けて歩き出した。
訝し気な視線に、気付かないフリをして。
祭壇にあったのは、一冊の本だった。
古ぼけているが、タイトルは確かに読める。
「『MEMENTO MORI』……死を忘れるな、か」
おそらく、賢者が記した物だろう。
ご丁寧に、もともと記されていた『FIVE YEARS DIARY』というタイトルに筆ペンでバツ印をつけて、その上から改題したものを書き直してある。
『留め具を外してみなよ。新たな力がそこにある』
……ああ。また、今度な。