5話 七天紋章の荒御魂
ダンジョンからは、時折文献が出土する。
それは神話であったり、思想であったり様々だ。
流砂の楼閣では、太陽を唯一神と捉えていた。
彼らはこう考えた。
太陽が西の空に沈むとき、天に虚空が広がる。
原初、無から生まれた光と闇が重なるからだ。
故に、人々は信じていた。
大地の底には夜の神がおり、それは慈悲深い太陽が持つ恐ろしい一面であると。
そして、現代ではこう伝えられている。
太陽のみを信仰する民に怒った夜の神が、都市を丸ごと大地の底に引きずり込んでしまったのだと。
流砂の楼閣は神の怒りに触れた文明の跡だと。
その、夜の神の名をアポフィス・ナラヤナという。
「知っているの?」
「ああ、どこかの文献で見た。7つの首を持つ大蛇。頭を切り落としても再生する化け物」
「そんなの、どうしろっていうのよ」
「弱点があったはずなんだ! たしか、えっと」
ヤバい。
記憶から飛んだ。
「シヴァ!」
今度はパルティに抱えられ、その場を後にする。
それから彼女は二転三転し、俺を通路に隠した。
もう手遅れだと思うが。
「私が時間を稼ぐわ。すぐに思い出して!」
そう言うと彼女は、剣先に左手を添えるように前傾姿勢を取り、力を解放するように飛び出した。
双剣の内一本だけを用いた片手の攻撃。
猛り、吠え、疾風の如く駆け抜ける。
「第一星剣、«彗星»ッ!」
パルティの持つ剣が、深々と突き刺さった。
寸分たがわず喉に刺さったその一閃。
どす黒い血が飛沫を上げ、パルティは返り血を浴びるより早くその場を離脱する。
ぐにゃり。
空間が歪むかのような錯覚。
風穴が渦を巻くように、時を逆巻くように。
見る見るうちに再生していく。
ドロドロとしたたり落ちていた粘り気を帯びた血。
それもピタリと止まり、眼前の大蛇は何事もなかったかのようにそこにいる。
「くッ!」
彼女は着地すると、苦しそうな声を上げた。
それから、大地を蹴って飛翔する。
「第二星剣、«明けの明星»!」
剣の腹で、大蛇の顎を叩き割る。
その威力は、巨体をやすやすと弾き飛ばした。
天上の暗闇目掛けて、花火のように打ちあがる。
花火……。
光、音、熱……。
そうだ。思い出した!
「パルティ! 火だ! 奴は熱に弱い!」
「おっけー!」
宙返りをするパルティと、視線が交差する。
ぼとりと落ちてくるアポフィス・ナヤラヤ。
一歩退いたパルティは瞑目し、呼気を整える。
刹那、刮目。
矢のように飛び出し、炎を纏った刃を閃かせる。
「最終星剣! «龍星哀火»ッ!!」
それを形容するならば、爆裂。
鋭い閃光が迸り、炎熱の乱舞を彼女は踊る。
一つ振るえば炎が軌跡を描き。
二つ振るえば爆風が吹きすさぶ。
三つ振るえば灼熱の業火が全てを飲み込む。
「ギャアアアアァァァア!」
耳をつんざく音が反響する。
苦しそうにのたうち回っている。
効いてる。
行ける。
そう、思った。
「……ぇ」
パルティの顔が、驚愕に満ちた。
きっと、俺の顔もそうだ。
メラメラと燃える炎。
爛れる鱗。
その中から、ぬめりを帯びた大蛇が現れた。
まるで、脱皮でもするかのように。
何事もなかったかのように。
それからチロチロと舌を出し。
獲物に、飛び掛かった。
あれほどの大技を出したばかりだ。
体にかかる負担も大きかったのだろう。
パルティはその場を動けずにいる。
「パルティ!!」
俺は走り出した。
衝動に熱くなる血液。
相対的に、冷静な俺が俺を詰る。
――間に合う訳がない。
歯を食いしばり、その呪縛を振り払う。
うるさい。やってみなければ分かるものか。
――何もやってこなかったお前が言うのか?
また、冷めた理性が俺を責める。
世界がスローモーに溶ける。
彼女に吸い込まれる大蛇。
見届けるしかできない。
視界が黒に染まる。
俺は、無力だ。
『――力を、貸してあげようか?』
声がした。
魔王の声だ。
加速する思考。
粘性を帯びる世界。
鼓膜に、べっとりと。
魔王の声がこびりつく。
『求めなよ、私を。覚えているでしょう。全身から溢れる魔力の事を。全能感に浸った時の事を。鍵は君が握っているはずだ』
一体いつの間に、握り締めていたんだろう。
俺の手中には、魔王を封印したロケットペンダントが収められていた。
そうだ。これを開けば、封印を解けば。
あるいは、パルティを救えるかもしれない。
だけどそれは。
『悩んでいる暇なんてあるのかい? どれだけ思考を加速しても、時は決して止まらない。このままだと、手遅れになるかもね?』
うるさい。
お前の傀儡になんかなってやるものか。
『君の言動とは裏腹に、その手はこの首飾りを掴んで離さない。正直になりなよ。力、欲しいんだろ?』
うるさい。
何か、他の手段を。
そう、視線を泳がせた。
その先で、彼女の瞳と目が合った。
泣き出しそうな顔で、こちらを見ている。
――瞬間、何かが弾けた。
「……こせ」
『ん? なんだい?』
「力を寄越せ!
エウリディーチェ=イグニス=イザナリア!!」
カチリと、ペンダントの口を開いた。
あの時と同じ。邪気がペンダントから弾ける。
禍々しく、酷くどす黒い瘴気だ。
水を得た魚のように生き生きと。
凛然たる朔風のように寒々と。
悍ましく、身の毛もよだつ邪悪が溢れ出す。
悪魔がそっと微笑んだ。
そんな気がした。
『くっはは、いいだろうとも! 君には私のとっておきを教えてあげるよ!』
オルフェウスは心底嬉しそうに、楽しそうに言う。
ああ、滑稽だろうさ。
自分を封印した子孫が自分の封印を解く。
これ以上の喜劇なんてあるまいさ。
『君の名前を教えてよ。それで契約は成立だ』
「契約?」
『あの子を救うだけの力を授ける、その儀式さ』
なんだっていい。
パルティを救う手段があるのなら。
「シヴァルス=ヘイム=アルフォンス。俺の中にある物なら、なんだって持っていけ!」
『くっはは、いいねぇ。なら、これはお返しだよ』
刹那。脳裏に、一つの呪文が浮かんだ。
否、刻まれたと言う方がいいだろうか。
とにかく、強大な力を手にした。
そんな直感を抱いた。
『さあ、私の力を受け継ぎし者よ。垣間見なさい! 至高の力の一端を!』
「ああああああ!」
水飴のように粘り気を帯びた世界で。
俺は足搔くように右手を翳した。
手の甲には不思議な紋様が浮かんでいて、全身から溢れ出す魔力がそこを目掛けて迸る。
激流に身をゆだねるように。
俺はその呪文を口にした。
「«七天紋章の荒御魂»ッ!!」