3話 ネテル=ケルテト
「流砂の楼閣は一度最深部まで潜ったわ。でも、そんなの無かったよ?」
「だから、幻聴だって言ってるだろ」
俺は溜息をついた。
まあ、確かに。親父が行方をくらまして。
精神的に参っていたのは確かだ。
宝物庫に逃げ出すくらいには。
まして彼女にはペンダントの事も魔王の事も話していない。俺がそんな幻聴と真剣に向き合っているのなら、まず頭の心配をするだろう。あるいは心だろうか。まあ、不調を考えるのが普通だろう。
「じゃあ、行ってみる?」
「は?」
行くって、どこに。
「流砂の楼閣に行ってみましょうよ」
「無茶言うなよ」
「伯父様は何の能力も無しにダンジョンに潜ったわ」
「ああ、人はそれを無謀と呼ぶ」
「シヴァは? 臆病者?」
安い挑発だ。
怒りすら湧いてこない。
ただ、むなしくなるだけだ。
「……分かんねえよ、努力が結実するお前には」
つい、そんな言葉が口から出た。
墓場まで持っていくつもりだった。
ずっと胸の内に秘めていた。
俺の言葉に、目を見開くパルティ。
それから、眉をひそめて、瞑目した。
……傷つけた。最低だ。
その自覚はあったが、謝る気にはなれなかった。
俺はできた人間じゃなかった。
彼女が才能に溺れる人間だったなら、俺も彼女を嫌いになれたかもしれない。だけど、俺は知っている。
パルティが努力していることも、夢に向かって邁進していることも、俺は知っている。
だから彼女を嫌いになれない。
だけど、俺に押し付けないでくれ。
誰も彼もがお前みたいに優秀じゃないんだ。
沈黙が広がると、カチコチと、時計の針が進む音が耳に痛い。この沈黙は、彼女が破るまで続いた。彼女は目を見開くと、続けざまにこう口にした。
「もう一度、シヴァに見せるわ。夢を」
「……分かんない奴だな」
「ううん、分かる。このままだと、シヴァは壊れてしまう。そんなの、私には耐えられない」
そう言って、彼女はもう一度口にする。
「流砂の楼閣に行ってみましょう」
俺は首を振る。
「それで何が変わる?」
「変わるよ、ここに閉じこもっているよりは」
「ああそうだな。自分の無力さに打ちひしがれるだろうさ」
一度堰が壊れたからか。
普段は言わないような嫌味が、滔々と溢れる。
嫌気が差して、俺は閉口した。
もう十分だ。
魔法を使えない苦しみも、武術の才が無いことも。
もう十分、心に傷を残した。
これ以上進んで、傷つきたくはない。
「封印を解きましょう」
パルティは、声を絞ってそう言った。
聞き間違いか?
「は? 今、なんて言った?」
「……封印を解くのよ。そうすれば、【徒花の呪い】も解けて、もう一度夢を追えるでしょう?」
「バカ言うな。魔王は復活させちゃいけない。封印を解くわけにはいかない」
「だったら! シヴァが苦しむ顔を見続けろっていうの!?」
机越しに、襟を掴まれた。
勢いそのままに引き寄せられれば、目と鼻の先に彼女の顔がある。
尖らせた口をぷるぷると震わせ、奥歯を食いしばって、涙ぐむ瞳から、涙がこぼれないよう堪えている。
その時、気付いた。
俺はいつの間にか彼女から視線を外し、顔を合わせずに話していたことに。
「もう、やだよ。また、昔みたいに笑ってよ……」
一筋。
瞳から、雫が零れ落ちるのを見た。
俺が泣かせた。
俺が、ふがいないせいで。
俺に力があれば、こうはならなかったのだろうか。
ポケットにある、ペンダントをぎゅっと握る。
「たられば」を実現する方法が、一つだけある。
ああ、でも、それは。
「……パルティ、お願いがあるんだ」
ポケットから手を出して、彼女の背中に回した。
ダメだった。
俺には、あの深淵と向き合う覚悟が足りない。
だけど――
「連れて行ってくれ、流砂の楼閣に」
――彼女の泣き顔を晴らすくらいは。
俺にだってできると、信じたいじゃないか。
◇◇◇
流砂の楼閣は、神の怒りに触れた文明跡だと言われている。太陽を信仰するばかりの民に怒った夜の神が、一夜にして一個の都市を大地に飲み込んでしまったのだと。
入り口は砂漠に突き出た天守閣。
そこから城を、地下に向かって潜っていく。
そんな迷宮だ。
打ち付けられたランプの薄明かりが照らす壁。
無限にも思える、どこまでも続く回廊。
何万枚という固焼きレンガ。
天井から零れては床に染み込んでいく白い砂。
息が詰まりそうだ。
思わず足早になりかける俺とは対照的に、パルティの足は冷静だ。力みもなければ、無駄な足音もない。経験の差が如実に表れていた。
前を行く彼女が、すっと足を止めた。
「どうした?」
「いる、サンドスネーク」
「サンドスネーク?」
それはどこにいるのかという意味で投掛けた疑問だったが、パルティは丁寧に答えてくれた。
「白いざらざらとした体皮が特徴的な魔物。すぐそこにある砂の堆積地帯、あそこに2匹、いや、3匹。擬態して身を潜めてる」
「3匹も?」
目を凝らすが、俺には分からない。
だが、彼女は確信しているようで、頷いた。
俺にこの場から動かないように注意して、それから躍り出た。
1匹目、投げナイフが脳天を穿つ。
2匹目、横薙ぎで斬り伏せた。
3匹目、返す刃で命を絶つ。
一瞬の出来事だった。
彼女は表情一つ変えず、凛として納刀した。
強い。
彼女が有数の冒険者なのは知っていた。
だが、それにしても想像以上だ。
こんなの、まるで……。
(……ああ、くそ)
まるで剣聖じゃないか。
浮かんだその考えに、嫌気が差した。
どうして。
同じ祖父を持つのに、どうしてこうも違う。
どうして俺の夢の先に、あいつが立っている。
そんなことを考える自分が嫌になる。
「シヴァ……?」
よほど深刻な顔でもしていたのだろうか。
パルティが、不思議そうな顔で覗き込んでいた。
「いや、親父はやっぱり無茶したんだなって思っただけだよ」
それを思ったのは、今まさにだが。
親父だって、俺とスペックはそう変わらない。
迷宮に潜るなんて、無謀にもほどがある。
きっと、ただでは済まないだろう。
そう思ったのは俺だけではないようで、パルティも表情を曇らせた。
しかし、それは短い間の出来事だった。
一度瞑目した後には、元の顔色に戻っていた。
「伯父様がどこの迷宮に潜ったか分からないけれど、擬態するモンスターがいないところもあるわ」
擬態する必要のない魔物、か。
擬態は外敵からの危険を減らすための能力だ。
それを持たないという事は、そうする必要が無いほどに強いことを意味している。
「そうだな。きっと無事だよな」
それでも、俺を思いやってくれたことは分かる。
ここでひねくれたら、屋敷と同じ展開だ。
「先を急ごうか」
だから、この事は一旦忘れておこう。