4話 七天紋章VS七天紋章
ぴちょん。
なんてことはない。結露した水滴が垂れただけ。
……なんてことはない?
すこし、気を緩ませすぎていたかもしれない。
これこそが、俺が迷い込んだ鏡の世界だったのだ。
「クソッ! あと少しだったのに!」
「ああ、危うく閉じ込められるところだったよ」
俺はてっきり、洞窟に広がる水晶の世界に閉じ込められたと思っていた。だが、そうではなかったのだ。
俺が閉じ込められていたのは、別の物。
「まさか水滴の世界とは思わなかったぜ。随分小賢しい真似をしてくれたな、偽物野郎」
あれから、ぐるりと鏡の世界を見渡して、俺は気付いた。もう一つの可能性、水面が映す鏡の世界に。
その水たまりは、明らかに俺より小さなものだった。だから、そこを潜れるだなんて思いもしなかったわけだが、試してみるとこれがドンピシャ。
俺は無事に、この世界に戻ってこれた。
「シヴァ! シヴァなんだよね!?」
「おいおい。道中の掲示板はあんな遠くからでもしっかり判別できたのに、この距離で間違えるなんて冗談だろ?」
「シヴァ……シヴァだ! シヴァ!!」
そう言って、パルティは俺に飛びついてきた。
そんな子供っぽい行動をとるとは思っていなかったので、少し面食らった。だけど、怖い目に遭ったというのは分かった。だから、彼女の頭を撫でた。
「大丈夫だったか?」
パルティは大きく首を振った。
「遅くなった、ごめん」
そう言うと、パルティは一際強く頭を押し付けた。
「いい。間に合った、から……許す!」
その一言で、俺は安堵した。
どうやら、滑り込みセーフらしい。
「……よくも俺の姿でパルティを泣かせてくれたな」
「くそ、くそぅ、クソォッ!! こうなったら、力づくで送り返してやる! 俺は、この世界で自由を掴むんだ!」
「……なっ!?」
俺の偽物は、大きく叫ぶと、俺に左手の手の平を向けた。その構えは、酷く見覚えがある。
「させるかッ!」
相対する俺は、それに向けて右手を突き出す。ここ最近ですっかり馴染んだ、七天の紋章が浮かび上がる。
洞窟内に、魔力の渦が迸る。
空間が悲鳴を上げて、水晶がひび割れて軋む。
「「«七天紋章の荒御魂»!!」」
発動は、同時。
7対14の輝く漆黒が、相対する。
「「薙ぎ払え!」」
其れは死そのものだった。
或いは滅亡だった
闇色に煌めく荒魂だった。
7柱の凶星は、拮抗する。
ぶつかり合うたびに閃光が弾け、また闇に飲み込まれる。彼らは光を喰らい、加速する。
万物必壊、絶対不可避の理。
それらが相対した時、迎える結末など知れている。
爆音、轟音、破砕音。
ぶつかり合った力から、相殺される。
「この力は――」
だからこそ、俺は負けるわけにはいかない。
俺は、俺の強さを証明しなければいけない。
この力を受け継いだ理由を噛み締めて、新たな一歩を踏み出さなければいけない。
必要なのは宣誓だ。
覚悟は決まった。
あとは吠えろ!
思うままに!
「――守るために、受け継いだんだよォッ!!」
その瞬間、七天の紋章が鳴動した。
ドクンと脈打つ感覚が、右手から心臓に逆流する。
力が体の底からあふれ出る。
「おおおおぉぉぉっ!!」
消滅しかけた7柱の魂魄が、蘇る。
ただ主命を遂行するために。
敵対する全ての打倒のために。
「バカな!? 何故! 俺はお前だぞ!?」
紛い物の俺が叫ぶ。
「こんな、こんなことがあってたまるか!! 俺は俺として! 自由を手に入れるんだァ!!」
「……鏡の世界でも、俺は残念なやつなんだな」
まさか自分を憐れむ日が来るとは思わなかった。
だけど、そうか。
どこの世界でも、俺はこういう感じなのか。
「俺は俺の世界を生きる、お前はお前を生きろ」
「う、うぉぉぁぁぁぁぁ!?」
彼を取り巻く、闇色に煌めく七つの欠片。
彼自身、それの能力を知っているのだろう。
「くっそぉぉぉぉ!」
鏡から、彼の姿が消えた。
それから、水晶の中に消えていった。
(……ディーチェ)
『オッケー』
去り行く彼の背中に手を翳す。
手の甲の紋様が鈍色に輝く。
その光は徐々に神々しく。
鈍色はやがて白銀へと至り。
その呪文は完成を迎える。
お別れだ。
「«白銀世界の怠惰領»」
訪れるべき結末は、一瞬の内に現れた。
世界が白銀に染まる。
ホワイトアウトする視界。
白い世界に、白い吐息が溶け込んだ。
水晶で出来たこの洞窟は、今や氷獄と化していた。
「シヴァ……?」
一つ、長く息を吐いて、パルティに向き直った。
それから、安堵に笑みを浮かべ、語り掛けた。
「戻ろうか、……先に進むために」
「……うん。うん! うん!!」
そうして俺達は、その洞窟を後にした。
◇◇◇
洞窟の外には、陽の光が差していた。
実際にはそんなはずないのだが、もう何日も見ていなかったような懐かしさに包まれる。
(もし、あのまま鏡の世界に囚われていたら)
もう二度と、日の目を見れなかったかもしれない。
もう二度とパルティと会えなかったかもしれない。
それがたまらなく恐ろしかった。
(それでも、今は)
ここに、帰ってこれたことに感謝しよう。
今生きていることに感謝しよう。
「にしても、誰だよ、こんな看板立てたの」
来た道を引き返すと、やはり看板は残っていた。
こいつのせいだ。こいつのせいで酷い目に遭った。
「よっ、ふっ、ぬん!」
引っこ抜いて放り捨てようとしたが、どうにも深々と刺さっているようで捨てられない。
「どいて、シヴァ。そいつは私が殺る」
振り返ればそこに、鬼の形相をしたパルティが立っていた。
え、と。パルティ……さん?
それ、無機物。……最初から生きてな――。
あ、ごめんなさい。
すぐに立ち退きます。
「はぁぁぁぁぁ!! 第四星剣、«火夏星»ッ!!」
彼女の双剣を前に、その木材は跡形もなく消し炭になった。なるほど。死んだな。
「さ! いこっか、シヴァ!」
「……そうだな」
空は青々と晴れ渡っていた。
そんな空を見たら、多少の悩みなんて何のその。
そう、思わないか?
俺はちなみに思わない。
――パルティこっわ。
『……ここも、違ったか』
ん?
(ディーチェ、何か言ったか?)
深刻な考え事(如何にパルティを怒らせないか)をしていたから、ディーチェがなんて言ったか聞き取れなかった。だから聞き返した。
『……いや、なにも』
だけど、ディーチェは返さなかった。
……。
青々とした空、万能説。
悩みも不安も、全部晴らしてくれないかな。
切に、そう願った。




