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七天紋章のシヴァ  作者: 一ノ瀬るちあ/エルティ
2章 再臨した海底都市
18/22

9話 取引

「この先が市長の家だっぺ」

「ありがとうございました」

「いいってことだべ」


 迷宮攻略を終えた翌日。

 俺たちは、市長の家を訪ねていた。

 色々としなければいけないことがある。

 心優しき案内してくれた町民に別れを告げて、改めて扉と向き合う。


 コンコンコン、とノックをすると、中から人が現れた。

 中年の、タキシードに身を包んだ男だった。


「どちら様でしょうか?」

「私、シヴァルスと申します。忘却の海底神殿ロスト・アトランティスの件で、市長のお耳に入れたいことがありまして」

「便を増やすことはできません。風船クジラの個体を保つためですので」


 ああ、笑っちまうぜ。

 こんなくだらない化かし合いに意味は無い。

 とっとと要件に入ろうじゃないか。


 懐から、金色の箱を取り出す。

 男は最初は目を細めたが、やがて俺が言わんとすることを理解したようだった。

 それを見て、俺は内心ほくそえみながらこう切り出す。


「いえ、そちらの件ではございません。既に(・・)解決しましたから」


 男の目が見開かれる。

 口をわなわなさせ、「旦那様にご報告させていただきます。少々お待ちくださいませ」と言い、屋敷の奥へと消えていった。


 扉が再び開かれたのは、それからすぐの事だった。


「大変長らくお待たせいたしました。ご案内させていただきます」


 玄関は開け放たれた。

 俺は金の箱を懐に仕舞い、大人しく後を追う。

 一個の建物とは思えない長い廊下を渡る。

 通された部屋はアクアリウムのような部屋だった。


「お客様をお連れしました」

「うむ、ご苦労だった」


 中からあらわれたのは、醜く肥え太った男。

 風船もかくやという肥満体型。

 野太い声を聞いてから、使用人と思しき男は一礼してから部屋を去った。


 それから市長が口を開く。


「さて、君かね。忘却の海底神殿ロスト・アトランティスを攻略したなどと嘯くものは」

「いえいえ。俺はただ、忘却の海底神殿ロスト・アトランティスの件でお耳に入れたいことがあると話しただけです」

「ふん。申してみよ」


 さあ、ここからだ。

 気を引き締めて、斬り込む。


「要するにですね、交渉をしたいんですよね。お互いに、利のある取引をね」


 俺の言葉に、市長は何も返さない。

 代わりに顎を横に振る。先には椅子がある。

 腰を掛けろという事だろう。

 おとなしく腰掛ける。


「さて、私は忘却の海底神殿ロスト・アトランティスに再び潜ることはありません。目的は達成しましたからね。その意味は、ご想像にお任せしますが、俺はこれを言いふらすつもりは無いんですよね」

「ほう? SSSランクの未踏迷宮となれば、富も名声も得られるぞ?」

「ああ、それは俺が欲する物じゃないんですよね」

「ならばお主は何を求める?」


 食い付いた。

 ほころぶ顔を隠すことなく、高慢に。

 俺は市長に語り掛ける。


「迷宮への潜水艇の運航禁止」

「……は?」


 想定外の要求だったのだろう。

 市長からなさけない声が零れる。

 思考が停止したこのタイミング。

 畳みかけるように手札を切る。


「当然、文句は出るでしょう。ですので、その元を断っていただきたいんですよね。具体的には、鯨油の供給を」

「止めると言っても、どうやって」

「方法は色々あるでしょう。例えば……そうですね。養鯨場を取り壊して、水族館を作るなんてどうでしょう?」


 風船クジラの謎の大量死と、海が凍るという超常現象は、一日もあれば町中の人の知るところだ。

 それを、市長を語る男が知らないはずもない。


「どうです? これが実現すれば、忘却の海底神殿ロスト・アトランティスは最後まで、前人未到のダンジョンになる。不要な金を出して、冒険者を絞ることもない。市長にとっても悪い話ではないと思いますが」

「……それでお前に、何の得がある」

「それをあんたが知る必要はない」


 俺の目的は一つ。

 アッコロを今の呪縛から解放する事。

 だが、こちらの弱みを見せる必要もない。

 不要な札は切らずに手に持っておく。


「……どうやら、勘違いしておるようですな。この場で交渉が行われている時点で、立場は対等ではないのだよ」


 アクアリウムのガラスの向こうに、大きな白い影が現れた。全長20メートルを超えるだろう、超々巨大な悪魔のような烏賊。

 キョダイオウイカだ。

 大きな触手をうごめかせている。


「お話しいただけますかな?」


 男が笑顔で言うものだから、俺は笑顔で返した。


「«沙羅双樹の色欲宮アスモデ・グレイシャー»、キャダイオウイカよ、その場で足を絡めてろ」

「……は?」


 新たに手にした七天の力。

 それを行使した瞬間、それは支配下に置かれた。

 何本もの足を互いに絡ませて、身動きも取れない。


「は? はぁ? はああぁぁ!?」


 男が首を振る。「ありえん」と。

 俺は嗤う。何も語らない。語るまでもない。


「お、お前! 私は大商人だぞ! こんな脅迫まがいのこと――」

「そういえば、まだ名乗っていなかったな」


 逆切れしそうになる男。

 問題ない、織り込み済みだ。

 冷や水を浴びせるように、言葉を叩き斬る。


「賢者伯、シヴァルス=ヘイム=アルフォンス。どうぞよろしくお願いします。大商人様?」

「……き、きき、貴族?」


 俺は笑う。


「どうすればいいか、おわかりですね?」


 尊大な男は、カチコチとその場で頷いた。


 ◇◇◇


「水族館……?」


 それから二日経って、アッコロに掻い摘んで話をした。

 養鯨場の代わりに水族館を建てる事。

 もう鯨油を使う事は無い事。

 その辺りだけを説明した。

 余計な心配をかける必要はない。


「そうだ。迷宮で見せた、お前の知識。お前の生き物に対する愛情は間違いない。間違いなくアッコロの力が必要になる」

「……あかんよ。たくさん殺したうちが、何かを育てるなんて、烏滸がましいわ」


 唯一の想定外は、彼女の傷心が予想以上だった事。

 同時に強く、罪悪感を抱いているようだ。


「だったら、それだけの命を輝かせればいい」

「……なんて?」

「アッコロは、今まで殺した命に申し訳ないと思っているんだろ? 罪の意識を抱いているんだろ? だったら償えよ。許されるまで贖えよ。それが唯一の救いだ」


 こうなった相手を励ましたって仕方ない。

 必要なのは「赦し」だ。

 それは何より強い原動力になる。


「……ホンマに、言うとるんそれ。いったい何千匹、面倒見んなあかんねん」

「さてな。一生かかっても足りないかもな?」

「……ふはっ、ほんま、おもろいやっちゃなぁ」


 虚空を見つめる瞳。

 海色に煌めくそれに、ハイライトが宿る。

 生きる意志が再び灯る。


「それも、ええかもしれんなぁ」


 瞑目して、潮風を感じるアッコロ。

 陽に照らされて、金波銀波と輝く千重波。

 それを背景に、やがて刮目したアッコロ。

 決意を固めて、口を開く。


「よっしゃあ! やったるでぇ!」


 そこに苦しむ影は無かった。

 代わりに顔を覗かせたのは、初めて見た時と同じ、明朗として生気に溢れる女性の姿。


「今に見ときや! 絶対にしたるわ! 世界一の水族館になァ!」


 ああ、奔走して、良かった。

 アッコロはもう、大丈夫だ。

 折れそうだった彼女の心は、再びしっかりと地に足をつけている。


「ああ、楽しみにしているよ」


 見上げた天心には、太陽が燦々と輝いていた。

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