5話 迷宮攻略
忘却の海底神殿。
かつてこの地には、今よりはるかに優れた技術力を持った文明が栄えていたという。
エネルギーはレーザーによって供給され、通信手段は遥かに高度で、「オリハルコン」と呼ばれる特殊な合金を自在に操った。そう言われている。
そんな優れた文明は、しかし災害を前に滅んだ。
いくら技術を持とうとも、天災の前に人は無力だ。
海底に沈んだ文明。それがアトランティス。
入り口は海溝を下った遥か先。
かつては大地で、今は海底の一面だ。
荘厳な雰囲気を漂わせる柱が並ぶ神殿。
そこにダンジョンの入り口はある。
太古の技術からか。
この神殿には奇妙な特徴があった。
それは、壁を境界に、水を弾いていることだ。
シャボンでコーティングをしている様にも見える。
このシャボン、下層の部分だけは外から破れる。
特に最下層部分は砂が堆積していて、そこに着陸してからダンジョンに潜るというのが主流だ。
ただ、内側から外側へは自由に出られるらしい。
「表口には正規入場者がたむろしとるさかい、裏口から入るで」
「裏口入学みたいだな」
「もっと堂々していこうよ」
「なあ、真面目にやらんか?」
そんな海底神殿を、俺達は目の当たりにしていた。
この街で知り合った養鯨場の娘、アッコロ。
彼女の所有する潜水艇を以て、突入を今か今かと待ち望んでいた。
「失礼な、俺はいつだって真面目だ。真剣にふざけている」
「堪忍な、突っ込む気力もないんや」
「あなたが突っ込まず誰が突っ込むの!」
「ええい! ノリツッコミでもしとき!?」
と、なかなかに船の中は賑やかだ。
少しでもアッコロが元気になれば。
そう思っての事だったが、効果は薄そうだ。
「ほら、もうすぐ着くで。衝撃に備えや」
海底ギリギリを行く潜水艇。
それが今まさに、シャボンの内側に突入しようとしている。
シャボンを突き破り、内側に潜った瞬間だ。
浮力を唐突に忘れてしまった潜水艇は、砂が溜まった神殿裏口に不時着した。
想像以上の衝撃が伝わってくる。
「……ここが忘却の海底神殿か」
大賢者の日記に出てきたダンジョン。
一度は、ディーチェと共に諦めたとも書いていた。
大賢者はディーチェとの思い出の迷宮に遺産を隠したと言っていたから、ここに在ってもおかしくない。
ちなみに、残りの遺産がどこにあるのかは、ディーチェ自身も知らないそうだ。
流砂の楼閣にあるのを知っていたのは、あそこが最初の封印場所で、その時だけ首飾りを大賢者が持ち込んだから分かったらしい。
逆に、二つ目以降はペンダントを家に残して行ったらしく、どこに隠したのか分からないとのことだ。
おし、やるぞ。
◇◇◇
このダンジョンにはシーウィードリーパー、甲殻トカゲ、水玉ダルマなどの魔物が棲んでいた。
多分、どれもこれも強い。
はずなのだが、パルティの双剣の前に、ばったばったとなぎ倒されていく。
「思ったほど強くないわね」
「二人とも、ホンマに強いねんな」
「俺は何もやってないけどな」
「期待しとるで!」
目をキラキラさせながらアッコロは言った。
やめとけ。
七天紋章の荒御魂を使うのは危機的状況だ。
使わないで済むことに賭けるんだな。
それから、しばらくした時の事。
とは言っても下層の出来事だが。
恐ろしい事が起きた。
海の向こうから、大きなシャチが。
こちら目掛けて突進してくるのだ。
「っ! 二人とも下がれ!」
「え?」
「何?」
二人がそれに気づいた時には、遅かった。
音を立て、シャボンの壁を突き破るシャチ。
そこから海水がなだれ込んだ。
「きゃあああ!?」
「くっ!」
重力を思い出した。
そう言わんばかりに迸る海。
俺は気付いた。
眼前に迫る海の塊。
これは鈍器だ。
当たったが最後、血と肉片に爆ぜる。
予感、瞬間。
悟った時、世界は色を失った。
時はものすごく緩やかになった。
まるで粘り気の強い水飴の中だ。
もがくように手を伸ばす。
「っ!?」
凍てつく、何もかもが。
錯覚を起こす。まるで雪山にいるような。
全ての運動が停止するような、そんな錯覚だ。
次の瞬間、なだれ込んだ海水は、飛び込んできたシャチもろとも氷像へと姿を変えていた。
「……なんだ、今の」
世界が元に戻る。
色付いた世界、時の清らかな現実。
それが視界に広がっていた。
「おお! シヴァルスもやるやん! これやったら行けるで!」
驚愕に染まっているのは、俺とパルティだ。
アッコロだけが無邪気にはしゃいでいる。
「ほな先を急ごか。行くで二人とも!」
「あ、待て! 前を行くな!」
「誰にもうちを止められへんでぇ!」
「止まれっつうの!」
なんだったんだ、今の力は。
◇◇◇
『ん? 見覚えのない仕掛けだね』
部屋をまたいだ。
そこでディーチェがそう呟いた。
「仕掛け?」
『ああ。私たちが来たときは、普通に階段があったからね。これは当たりかな。きっとあいつが付け加えた仕掛けだね』
言われて、部屋を一望する。
仕掛けって言ったって、そんなものどこに。
「シヴァ! 見てこれ!」
「お、何かあったのか?」
「うん! ほらこれ、秤?」
そこにあったのは天秤。
それから、9体の海の生き物のミニチュアだ。
なんだこれ。
そう思うと今度はアッコロが声を出した。
「お? 二人とも見てみぃ、仕掛けの説明が書かれとるで」
「おー、読み上げてくれ」
「かまんで。えーと? 全てのミニチュアを余すことなく使い、重みの釣り合いを取れ。やとさ」
「……は?」
え、仕掛けって、そういう謎解き?
いや、海の生き物の重さなんて知らんし。
一応、確認してみる。
イカ、タコ、エビ、アザラシ、イルカ、クラゲ、カメ、クリオネ、クジラ。
いやちょっと待て。
クジラ一匹で全部足した奴より重いだろ。
どうあがいても釣り合いなんて取れねえよ。
『ふぅん? また訳の分からない問題を』
ディーチェは少し楽しげだ。
謎解きが得意って大賢者も書いていたもんな。
バカは死んでも治らないとはいうが、好きは三回死んでも変わらないらしい。
あるいは、単純に賢者のパズルだからか?
「どれ、うちにも見せてな」
部屋を一通り探索し終えたアッコロが、天秤の前に立つ。それからミニチュアを一体一体、眺めていく。
色々な角度から舐めるように。
「なるほどな」
そういって、頷くアッコロ。
どうせ分からないんだろうな。
と、思ったのだが。
「分かったで! このアザラシだけな、妊娠しとんねん!」
「……そうなんだ」
それが分かってどうするんだよ……。
「ええか? 問題文をよう思い返してみ。不自然な部分なかったか?」
「不自然な部分?」
「あっ、もしかして、『重さ』じゃなくて『重み』だったところ?」
「せや」
『……ああ、なるほどね。確かに、私たちには解けない問題だ』
ディーチェは一足先に答えに辿り着いたようだ。
よく分からん。
重さじゃなくて重みと表現することに、何の違いがあるんだ?
「つまりや、問われとるのは体重やない。命の重みや。せやから片方にアザラシと3匹乗せて、もう一方に5匹乗せたら……」
アッコロがミニチュアを分け終える。
5匹の方にイルカとクジラが乗っていて、どう考えても体重は釣り合わない。
しかしだ。
「階段や!」
ゴゴゴと唸りを上げて、次のフロアへの道が切り開かれた。
マジか、こいつ。
迷宮踏破のプロ、ディーチェより早く謎を解いただと……?
「アッコロ、お前すごいな」
「まあな! 近海の生物の事についてやったらうちに聞き。分からんことも多いけど、誰より詳しいで!」
得意げに頷くアッコロ。
彼女は階段を見ると、駆け出した。
「おっしゃあ! 次行くでぇ!」
「あ、コラ! だから先走んなっつうの!」
「ふははー、捕まえてみぃ!」
そう言い、駆け抜けるアッコロは、すごく楽しそうだった。
それだけで、彼女を連れて潜った甲斐がある。
俺はひそかに、そう思った。




