1話 風船クジラ
海に隣接した町は穏やかな潮風に吹かれていた。
澄み渡った空。カモメが群れを成して踊っている。
再臨した海底都市。
かつては忘却の海底神殿という迷宮だけがあった。
海中深くに眠る海の都は昔から冒険者の夢だった。
しかしそこに辿り着く手段を持つ者が少なかったために、門前雀羅を張っていた。
状況が変わったのは、次の時代。
『大賢者が、秘宝を七つの迷宮に封印した』
そんな噂が流れ始めてからだった。
それ以降このダンジョンは賢者の遺産が隠されている最有力候補として、数多くの冒険者が訪れるようになった。
人が行き来する場所には、取引が発生する。
商人が目を付け、宿屋が目を付け、次第に周囲一帯には大きな環状都市が生まれていた。
そんな環状都市の最外殻に、俺達はいた。
「海だー!」
海は随分前から見えていたぞ。
今更……と思ったが、入国し終えたことで旅の緊張感がほぐれたからとかだろうか。
「シヴァ! 泳ごう!」
「泳ぎません」
「何よー、私の水着が見たくないのー?」
ニヤニヤとこちらを覗くパルティ。
これ違うな。旅の途中と変わらん。
からかう言葉を思いついたから無理やり話の流れを持って行ったんだろう。
俺をからかおうなんざ10年早いぜ。
「何が悲しくて他人にお前の水着を見せないといけないんだ」
「なっ!?」
「どうした? 熱でもあるのか?」
「うにゃああぁぁぁ!!」
一転攻勢。
顔を赤らめてうずくまるパルティ。
それを高みから見下ろす俺。
勝った。第二章完。
「もう! シヴァのバカ! もう知らない!」
パルティが叫んだ。
その瞬間。
遠く、蒼海が爆ぜた。
どぉん。
「おお、すごいなパルティ。お前の発言が海を怒らせたぞ?」
「冷静かッ! というかどっちかというと私の感情に呼応してくれた感じじゃん!」
海が隆起した。
ドーム状に海水が盛り上がり、大波が押し寄せる。
あたりを見回してみるが、道行く人々は慌てる様子はない。日常茶飯なのだろうか。
と、一周して冷静になったり、その裏側で不安になったりしてみたが、終わってみれば杞憂だった。
どうやら最外殻にある外壁は防波堤の役割もこなしているらしく、巨濤はぶつかり砕け波になった。
俺たちが感心していると、快活な声が掛けられた。
「あはは! お兄さんたち面白いね! この街は初めて?」
見れば露店から、肌の焼けた女性が微笑んでいる。
あとは無造作のショートヘアが印象的だろうか。
店には風船が並べられている。
地面に置いた重しに紐で括りつけてあった。
売り物だろうか。
「どうもこんにちは。お察しの通り、今しがたこの街についたばかりです」
「せやろせやろ! 最初はみんな驚くんや! 気になるやろ? 気になるよな? 知りたいよな!? 海が盛り上がる仕組み!」
「そ、そっすね」
俺は一歩退いた。
何この人圧がすごい。
どうしてこう、海辺の町の人は早口なんだろう。
見ればパルティも引きつった笑みを浮かべている。
「ふふん! しゃーないから教えたるで! 実はな、これは風船クジラっていう生物の仕業なんや。体長15メートルくらいのでっかいクジラでな? 体重が400キロもあんねん!」
「へー。……400キロ?」
「お! 気付くか! お兄さんなかなか博学だね?」
いや、え、だって、ねぇ。
たしか10メートルくらいあるサメの平均体重が20トン弱だったはずだ。
400キロといえば2メートルから3メートルくらいの魚のイメージがある。
間違っても15メートルもの魚の体重じゃない。
というか、下手したら空気より軽くないか?
その風船クジラとか言う生き物。
「実はやな、生きとる間は2メートルくらいしかないんや。せやけど、死ぬと話は別やねん。お兄さんら自己融解って知っとる? 生き物ってな、死ぬと自分の酵素で自分を分解するんや。それが風船クジラやと独特でな」
得意げに語り続ける店主。
「そもそも魚っちゅうのは水より重いでな。普通やったらどんどん水底へ沈んでしまうんや。せやから浮袋っちゅう器官が体の中にあって、それで浮力を得とるんやけどな……」
「長い! 要点!」
「それは別料金やなぁ」
「いらんわ!」
こっちはお前の話に付き合ってやってる側だっていうの。というか金払ってまで聞きたい話じゃないし。
俺がそう言うと、女性はカラカラと笑った。
それからニッと口角を上げれば、綺麗に並んだ白い歯が顔を覗かせる。
「ええツッコミくれるやん。要するにな、死ぬと体が膨張するねん。んで、水圧に耐えられんくなってボカンや」
「……バカなのか? その風船クジラっていうのは」
「いやいや、そんなことあらへんで? お兄さんらフグって知っとる?」
ぷくっと頬を膨らませ、手首から先をパタパタさせる店主。
釣り上げると膨らむ奴だろ?
知ってる知ってる。
「アイツって毒もっとるやん。それとおなじやねん」
「毒?」
「せや。毒を持つ魚をわざわざ食べようと思わんやろ? それと同じやねん。食ったら爆発する。いわば自己防衛やな」
「随分と過激だな」
「まあな。でも、種としての生存率はぐっと上がるで? 天敵を確殺するからな!」
ああ、よく英雄譚とかで見るな。
やられる間際に自爆しようとする魔物。
死なばもろともの精神か。
爆弾魔みたいな奴だな。
確かに、個としての性能はイマイチだろう。
だが、そいつの死が次の命を守る仕組みは、確かに種としては強力だ。
理解できる生態ではないが、それは毒を持つ生き物全般に言えることだ。
不思議な生き物もいるんだな。
それくらいに思っておけば十分だろう。
「ん? てことはさっきの荒波は」
「……せや。また一匹、クジラが死んだんやろな」
一転。
女性の顔に陰りができる。
先ほどまではお日様が輝くような笑顔だっただけに、まるで暗雲が立ち込めたようにも見える。
しかしそれは錯覚、というよりは日食だった。
すぐに元の明るさを取り戻した店主は、先ほどまでの明るい笑顔でこう口にした。
「それでな! 今話題に上がった風船クジラ! そいつから作った土産があんねん! それがこの風船やねんけどな」
店の前にある地面と紐で結んだ球体。
それを指さしながら、店主は言った。
ああ、なるほど。
この風船は件のクジラから作ってあるのか。
「どや、話ついでや。一つ安くしとくで?」
女性は済んだ笑顔でそう言った。
やり切った。
そんな清々しい顔をしていた。
……やけに親身だと思ったわ!




