断片旅行記
私がまだ二十歳になるかならないかの頃、奄美大島にいる親類に会いに行くという友人に引っ付いて、初めて奄美を訪れた。
船旅は子どもの頃以来だったけれど、子どもの頃と同じように、大きな船の魅力にはちっとも抗えなかったし、また抗う気もなく久々の船に私はすっかり浮かれていた。
貧乏学生らしく雑魚寝ごろ寝の船旅は、広々とした一室に居合わせた年代も生い立ちもきっとてんでバラバラであろう人びとが、毛羽立った毛布にくるまりながらわりと呑気に寝転がっている様子がなんだかとても牧歌的で、今も記憶に残っている。
最初こそ、菓子をつまみながら友人とだらだら喋っていたけれど、次第に何となく暇を持て余し、私たちは甲板に出ることにした。船の外はゴウゴウと唸る機械の音と、波を掻き分ける音が大きく響いていた。甲板で出会った、仕事で奄美に行くという年配の男性が缶のジュースを奢ってくれて、私たちはありがたくそれをご馳走になった。私も友人も人見知りをしない(もしくはそう見えない)質なので、思いのほか賑やかに話は弾み、三人でしばらく話したあと、ジュースの礼を述べて別れた。
幸いにも船酔いに無縁のまま、無事奄美にたどり着くと、港に友人の祖父が迎えに来てくれていた。初めての土地と言っても、気候も雰囲気も自分の地元とよく通ずるものがあって、私はすぐに馴染んでしまった。
一通り挨拶を終え、車に荷物を積んで乗り込む。お祖父さんの車は年季の入った軽で、どの道も知り尽くしているかのように頼もしく走った。お祖父さんは慣れた手つきでハンドルを捌き、私たちはガタゴトと後部座席で揺られながら、山道を行く。そうしてしばらくすると、海沿いにある友人の祖父母の家に着いた。
友人のお祖母さんは、ハキハキと気持ちの良い話し方をする元気な方で、私のパッとしない手土産にもとても喜んでくれた。もうその時分には父方の祖父母を亡くしていた私は、友人の寡黙な祖父と明るい祖母に、もういない自分の祖父母を重ねてしまった。たぶん、家の静かな雰囲気も似ていたのだと思う。
特にこれといって目的のない旅行だったので、観光をするわけでもなく、友人の祖父母宅の近所を散策したり、近くの海で少し泳いだりしてのんびり過ごした。
海に入ると、よく行っていた観光地化された地元のビーチ(それはそれでカラフルで好きなのだけど)とは対称的に人気のないそこは静かで、さらに広々と果てなく感じた。水平線より手前の沖の紺色が色濃く見え、反対側の岸部には白い砂浜、海岸沿いの道路を隔てて民家がポツポツと建っている。私たちは海の中でぽつねんと二人あって、私は急に心細くなった。心細さはいつだって急だ。海が広すぎるせいかもしれないし、私が小さすぎるからかもしれない。でも、もしかすると、人見知りならぬ海見知りをしていたのだろうか。似ていると思っても知らない土地、知らない海。帰り方を知らない心細さがどこかにあったのかもしれない。
腰が浸かるぐらいの位置で、私たちは泳いだり、潜ったりと思い思いに過ごした。不意に冷たい風が吹き付け空を見上げると、薄暗い雲がいつの間にか頭上を覆っていた。雨粒がひとつふたつと落ちるのを合図に、一気に雨足が強まる。視界が急に暗くなり、私たちは慌ててすぐに浜辺へと上がった。それはスコールのような夕立で、何事もなかったかのように一瞬にしてからりと晴れ上がる様子は、呆気に取られるほどだった。
海に叩きつけるように落ち、そしてとけていく雨を見送ったあと、もう一度泳ぐ気にもなれず、私たちは家へ戻り交互にシャワーを浴びて、畳間で横になり夕寝をした。
扇風機の音と、泳いだあとの心地よい疲労。背中に感じる畳の硬さと、瞼を透かす微かな西日の眩しさ。夢よりも夢のような時間。贅沢な時間の使い方だと、あの時は知らなかった。たぶん、それが若さだったのだと思う。
小さな公園で、鉄棒にぶら下がったこと。手のひらに染みついた鉄の匂い。他愛ない話も尽き、無言のままそれぞれの思考に耽ったこと。ソテツの木の細く鋭い葉先を、何ともなしに眺めたこと。背骨の輪郭が滲んだような雲の合間を、たくさんの星が這っていたこと。あの夕立、青灰色の空、表情を変える海、見つめるばかりだったこと。何泊したのかさえも、もう思い出せないけれど、ところどころの切り取られた、何気ない瞬間ばかりが鮮やかに蘇る。
友人は地元を離れ、今はもうなかなか会う機会も少なくなってしまった。それでも彼女のことを思い出すと、あの旅行を思い出す。何があったわけでもない、何をしたわけでもない、退屈といっていい程の時間。輝くような思い出ではないけれど、大事にしまっておきたい余白のようなそれは、淡くあの日の夕寝に感じた西日のような色に染まって、今も在りつづけている。