入江弾正忠の尋問
猫有光江と原蹴煤ら六人、そして護衛の高安彦右衛門一益等二十人は、原蹴煤が持ち込んだり堺で購入した荷物が多く荷馬車二台に乗せて二月末に堺を出て、九十二里先の信州高遠に一日三里歩いて、四十日余りで到着する予定だった。
ただこの陸路と言うのば、荷馬車が走るのに向いてなくて、明国や欧羅巴みたいに平坦で広い道は少なく、しかも河川が多い為、船に荷物を積み替えたりと手間のかかる事ばかりで、護衛の彦右衛門らは何度か船で紀州廻りで向かわないかと進言してみたが、今の所甲州武田家と争う姿勢がある大名はいないと言う事と、近江国には元武田家に仕えていた者がおるので、その者の協力を得るようにと堺から出発する数日前に届いた四郎様からの文を受け取った。
その者は、武田家に数年前まで仕えていたが、同僚の嫉妬によって泣く泣く武田家を致仕して、妻方の婿養子となり以前武田家に仕えてた時の三井姓から変えて、藤堂姓を名乗ってると言う。
また京には若狭武田家の親族衆が幕府に仕えていて、さらに若狭武田家と姻戚関係の近江六角氏や昨年戦をしたが姻戚関係になった美濃斎藤氏が、武田家の一行に危害を加えるとは考えれない為、その様な理由から陸路を移動してた原蹴煤一行は歩みは遅くなるが、この様な理由から陸路を選んで進んだ。
その為、意外にも一番危険な地域なのが、堺の町から出てすぐの三好家の支配地になってる和泉や摂津の地が京兆家細川氏との戦が発生していた為、街道の通過にはいくつもの三好家の関所や番所を通るので、毎回荷馬車の中を取り調べられ、荷物の説明をさせられてしまった。
さらに二月のはじめから摂津榎並城を三好家の大軍が包囲しており、京に向かう街道に対して三好家の厳重な監視をなされてるので、当初予定してた距離も進めずにいて仕舞には、街道を封鎖していた三好家の武将から呼び出されて尋問も受ける羽目になってしまった。
光江は信州高遠まで、原蹴煤一行を送る責任者として、自分一人だけ武将の所に行くと言い出した。
「皆様、私がこの一行の責任者ですので、三好家からの呼び出しに参ります。よってもし私に何かあれば高安彦右衛門殿に信州高遠までの一行の統率を何卒お願いします。」
すると高安彦右衛門は、光江に自分もついて行くと言い出した。
「か弱き女子一人向かわせるのは、武士の恥でござる。原殿の事は鈴木孫六に判断を任せる故、光江殿に拙者が同行しようぞ。後は頼んだぞ孫六、もし我等が戻らぬならば、孫六に原殿の護衛を任せるので、信州高遠まで宜しく頼む。」
「判ったよ、兄貴。こっちの事は心配すんな、兄貴は光江様と一緒に無事にいてくれ。」
彦右衛門はそう言うと、出頭を命じてきた三好家の武将の元に無理言って光江と一緒に訪れる事になった。
彦左衛門と光江の二人は、呼び出された三好勢の陣幕まで連れていかれて、そこで待ってた武将と面会する事になった。
「武田家の者達の一行と話を聞いて、思わず其方達をこうして陣幕の中に呼んでしまった事をすまないと思っておる。某の名は入江弾正忠久秀と言い、我が主君三好筑前守長慶の配下として働かせてもらっておる。して此度其方達をここに呼んだのは、実は異国の者達を連れた一行が街道を通過すると言う情報が数日前から入っておったので、ここを通った時に会いたいと思っておったのだ。」
「私は、引き連れてる一行の代表の白拍子の猫有光江と申します。そして隣にいる武士は、私が堺で雇った護衛の代表高安彦右衛門一益殿と申します。我等は武田の御屋形様に頼まれて、異国の技術者を雇って連れて行く事がここを通過する理由ですので、三好家と争おうとは到底考えておりませぬ。」
隣にいた彦右衛門も入江弾正忠に向かって、この一行に何も問題ある事はしてないと語り始めた。
「入江弾正忠殿、拙者は彼等の護衛として雇われたが、彼等は近年飢饉に苦しんでいる甲州や信州への飢饉対策の為に南蛮の百姓一家を招いて、新たな異国の作物を甲信で作る為に武田の殿様に呼ばれたのだ。決して、畿内の争いに影響する事を望んでおらぬ。」
二人の話を聞いてた入江弾正忠は、傍にいた甥の松永次郎永種が何か言いたそうだったので、意見を聞いてみる事にした。
「次郎よ、其方は彼等を見て何か言いたい事があるのか?」
「叔父上、彼等は甲斐武田家に仕える身と言っております。今、京兆細川家に対して戦を行ってる最中なのですが、確か細川右京大夫と武田大膳大夫殿は奥方同士が三条西公頼様の姉妹です。さらに副管領の六角弾正少弼定頼殿と若狭武田家の武田伊豆守信豊殿と姻戚ですので、武田大膳大夫殿は我等よりも細川右京大夫に肩入れする可能性がありますぞ。」
しかし入江弾正忠は、松永次郎の意見を否定した。
「次郎よ、まず武田大膳大夫殿の奥方の姉君は、先年に亡くなっており京兆細川家との姻戚関係は途切れた。今の細川右京大夫の細君は六角弾正少弼の娘になっておる。また若狭の武田豆州は六角家を通じて、細川右京大夫と義兄弟になられておるが、若狭国内は一つに纏まっておらず、我等に敵意を見せる余裕などなかろう。」
松永次郎の後ろから、先程まで武田家の荷馬車の検閲を行っていた大饗甚四郎正虎がやってきて、荷馬車に積まれた荷の内訳を書に纏めて、入江弾正忠に渡した。
それを一通り読み終えた入江弾正忠は、内訳の書かれた紙を松永次郎に渡した。
「荷の中身を見せて貰ったが、ほとんどは異国からの生活道具と異国の作物の種子とかであるな。ただ見知らぬ器具や道具が幾つかあるのだが、見た感じ武具などの類は積まれてないようだ。これならば、三好家に対して敵意が無いと言うのは証明されるな。」
「しかし叔父上、得体の知れぬ器具の使い道を教えてもらわぬと、何れその器具が我等へ危険を及ぼすかもしれませぬぞ。」
「次郎よ、其方はまだ元服して日が浅いが、これから儂が政を教えるが、此度の検閲も学びだと思って覚えるが良い。」
「甲州武田家が運ぶ物が例え武具に変わるとしても、これらの物が三好家に仇なす事には限らぬ。それよりも要らぬ警戒心が三好家にとって敵の数を増やす事に繋がるかもしれぬ。ならば多少目を瞑っても甲州武田家への誼を深める事が、我等三好家への利益となろう。それらの事を日頃から考える事こそ、将たる者の務めなるぞ。」
「判りました、叔父上。ならば彼等を開放しますか?」
「いやこのまま彼等を戻さぬ。」
入江弾正忠がこのまま解放しないと二人の前で呟くと忽ち二人は緊張した。
「猫有殿、本当に下世話な検閲を行ってすまなかった。某は、其方達一行をこれからもてなすので、一緒に花見を愛でましょう。」
入江弾正忠が突然猫有達に謝罪した後、花見をやろうと言い出した事に猫有や高安彦右衛門、それに甥の松永次郎も驚いてしまった。




