年明け早々、太郎兄上と語らう④
四郎は、主だった高遠家家臣達と新年の宴を行った翌日、堺にいる赤口関左衛門宛に手紙を送った後、御前中に太郎兄上に会った。
兄太郎喜信は、四郎の顔を見るなり、嬉しそうに話しかけてきた。
「四郎よ。昨年敵対していた村上氏、小笠原氏を信州から追いやったので、今年から某や四郎が望む武田の国造りを本腰入れて行う事が出来るようになるぞ。ところで、昨日商人達や高遠家家臣達に会ったそうではないか。何か商人達に依頼した事があるのか?」
「はい、太郎兄上。実は富国強兵の為に商人達に、海外の作物の種子や様々な職人達の招聘を依頼したのです。信州が落ち着いたので、今度は何れ発生する飢饉に対しての備えを行うべく、様々な対策を行いたいのです。」
「暫くは、足軽達は農作業に専念出来ると思うが、父上は越中・越後方面の動向と関東の動向が気になるらしい。」
「上野国から追放された上杉兵部少輔憲政が常陸に逃れて、佐竹家を関東管領陣代に任じて、関東に再び戦乱を起こすような気配があると、父上も新年の話で家臣達に語っておったので、もしかすると北条からの手伝い戦があるかもしれぬ。」
「なるほど兄上。俺としては、なるべく足軽を戦場に出さないで、武田領内の改革に全力を尽くしたいですね。俺の見込みでは、十年新田開発や産業育成に力入れる時間あれば、今の国力から二倍に増やせますよ。」
「それは凄い話だが、それだけ戦乱により国土が荒れてると言うのか?」
「はい、そうです。海を持たないのは残念ですが、農地を整備して土地に栄養を与えながら、水利を整備してやると、元々甲信地方は頻繁に洪水被害が発生していたので、土壌は豊かなのです。」
「その様な豊かな国に変わるのなら、他国への進出など考える必要もなくなるよな。」
「その通りです。今年は、消石灰を生産する窯を作りました。それをさらに規模を増やして、百姓達に配り土壌を豊かにしたいのです。」
「焼いた石灰は、その様な効果があるのか。」
「人体に付着したり、吸い込んだり目や口に入ると身体を傷つけますが、使い方を間違いしなければ今後沢山必要になる物で、伝染病対策にも使えるんですよ。」
「四郎の言いたい事は分かった。戦乱を自ら興すより国造りに集中する方が、我々武田家は豊かになると言うのだな。」
「はい、そうです。武田の領内で作れぬ物は、他国との貿易で手に入れれば宜しいのです。」
「今年は、四郎に言われた事ばかりやると沢山散財しそうだな。」
「それは仕方ありません。その為、ギヤマンや陶器や磁器、絹織物、干し椎茸に石鹸、新式農機具や蒸留酒や清酒、木綿など売れる商品を殖産興業行いながら武田領全体で作りたいのです。」
「四郎が行った事は、数年後には武田領内に広まってるので、どんどんやって欲しい。勿論予算には限界があるので、勿論資金を稼ぎながらやって貰いたいがな。」
「もしどこかの海や湊が武田家の所有や利権が手に入りましたなら、もっと豊かにできますよ。」
「叔父上の駿遠三のどこかに湊を取り引きや援軍での報酬で要求するのはどうだろうか? 恐らく将来に上洛の戦を起こすかもしれん。その際、武田家からも援軍要請が来られると思うので、恩賞として湊を要求するか。」
「その様な事が上手くいけばですが、戦国の世で必ずしも大きな勢力が順当に勝ち進む訳とは限りますまい。俺の記憶によれば、この先の歴史は二転三転します。無論我が武田家も周囲の大名と争い疲弊して、三十年後には滅亡してしまうので、この最悪な流れに乗らぬ様に舵取りしていかないといけません。」
「四郎よ、父上としては周囲の国境が安定してない事に気になさってるが、当面は甲信に関わる事以外は、協調路線で行くと考えてる。しかし越後にいる村上防州等が再び信濃で騒乱を起こすのは、其方に教わってるので、高梨家や越後長尾家のと関係は今後重視していくだろう。」
「歴史にはもしもと言うのはありませぬが、俺が記憶してる歴史とはだいぶ違っておりますので、今後慎重な判断が必要でしょう。その中の一つには父上と兄上の不和もありましたので、武田家の方針にはお互い擦り合わせる必要があります。」
「確かに四郎の話を聞かずに、父上と某が時の流れのまま経過すると、祖父と父上の関係の二の舞になるだろうな。しかしお互い何が大切なのか、四郎の言葉によって知ってるので、父上も同盟と言う物を信義を持って守ってくれるだろうし、某も父上が抱えてる武田家の苦悩を知る事になった。お互いに伝えたい大切な事が知れるようになったので、家族の中での意思疎通は大変上手くいってると感じるぞ。」
「ならば太郎兄上に御願いがあります。」
「うむ、何だろうか?」
「今後、もし今川の叔父上が戦で敗死した時、父上と太郎兄上での武田家の方針がぶつかり合いますが、双方の言い分どちらかが通っても武田家の衰退を招きます。もしその様な事が起こるならば、父上と太郎兄上が協力して、第三の方針を選んでください。」
「四郎よ、第三の方針とは?」
「信義を守りながらも利益を得るのです。」
「その様な状況に持ち込む事が可能なのか?」
「出来ます。しかし、それには武田家が国力を充実させてる必要がありますが。」
「もし武田家がそれ相応の実力がついたとしたら、天下は狙わぬのか?」
「天下ですか? 天下なんて狙うのは、自ら望んでやる事ではないですよ。恐らく武田が天下を制する機会など、訪れない方が幸福だと思いますよ。」
「四郎は、何故そう考えるのだ? 天下を取らぬ大名は、天下人の命に従って各地で戦いにあけ狂う事にもなるかもしれんぞ。そうしたら領民への負担も大きく、領地も荒廃するかもしれんぞ。」
「その様な事は確かにあるかもしれませぬ。しかしその様な見えない恐怖に囚われ過ぎて、天下自体を乱す元凶がこの戦国の世を創り出したのだと思います。太平の世を創るには、どのような立ち位置であれ犠牲は必ずあると思います。ならば先の時代の歴史を知ってる俺としては、武田家一門が体制維持してこそ一番の勝ち組になると思います。」
「なるほどな 、父上と某の対立こそ、武田家滅亡の元凶だと知りうるならば、己の考えを曲げてでも武田家第一として考える必要があるよな。」
「その通りです。父上と太郎兄上は、武田家にとって両方必要な扉の鎹の様な関係なので、絶対に親子で争ってはいけませぬ。」
「四郎よ、今後も某を支えてもらいたいぞ。」
「勿論で御座います、太郎兄上。今は、新しい国造りの為の種蒔きの時なので、思い通りに行かなくとも辛抱してまいりましょう。」
四郎から、そう言われた太郎兄上は四郎の小さな両手を包み込む様に、ぎゅーっと両手で握り包んだ。
「四郎がいるから、父上も某も安心して武田家の舵取りが行えるのだぞ。もし四郎がいなければ、四郎の口から語られた様な武田家になっていると思うぞ。だから多少の辛抱なぞ、何も苦ではないさ。」
「話は変わるが、父上が四郎の手足となる三ツ目衆の中で、十人の人選は決まったそうだ。」
太郎から、配下の忍びの者が決まった事を聞いた四郎は大喜びして、早速その忍び達と会いたいと太郎に言うと別部屋に控えさせてるから、四郎に呼んでみよと言った。
「忍び衆、ここにいでよ。」
すると扉の音も立てず、それどころか扉を開けた気配も感じさせないで、四郎の前に何も特徴も感じない普通の武士が、いつの間に膝間ついていた。
「初めまして、四郎様。拙者は窪谷又五郎家房と言い、我等の頭領富田郷左衛門より、四郎様の元で働くようにと仰せ仕りました。我等十人は四郎様の手足となって働きまするので、以後遠慮なく御命じなられて下さい。」
窪谷又五郎が挨拶を終えた後に、太郎兄上が四郎に話かけて来た。
「どうだ四郎、以前から望んでいた忍び衆が配下に与えられた気持ちは?」
「太郎兄上、俺はとても嬉しいです。彼らの働きにより、上方や他の地域の情報が入手しやすくなったり、まだ小笠原源与斎たけしかいなかった防諜方が増やせまする。」
「忍び衆なんて、武田一門では父上と某しか与えられていないのだから、四郎は武田家では特別な存在だと言う事を実感するんだぞ。あはははっ!!」
太郎兄上は、そう言うと嬉しそうに大笑いして四郎の事を見つめていた。
窪谷又五郎家房 坊小説の忍者の名前を弄って、四郎配下の忍者衆として登場。他の忍びも名前を弄って登場させます。




