北信濃戦後処理
前日に葛尾城を捨てた村上周防守義清は、一族郎党二千人余りを連れて上杉弾正少弼景虎の居城栃尾城を目指して進んだ。
十二月の真冬の逃避行な為、力尽きて倒れる者も出ていたが何とか十二月十六日に到着した。
この間、逃亡する村上家一行を武田家や高梨家が追撃してくるのではないかと思われたが、越後入国するまで、その様な敵は現れなかった。
武田勢や高梨勢からの追撃が無かった理由の一つに、高梨勢が上杉弾正少弼から受けた損害が多すぎて、身動きが取れなかったからである。
特に武田家と婚姻を結んだばかりの嫡男高梨源五郎頼治が柿崎弥次郎に討ち取られた事は、高梨家の中に暗い影を落した。
また武田家に関しては、まず自落した葛尾城や村上家の有力な城の接収、さらに武田家に降る国人衆との折衝や未だ抵抗する姿を見せる国人衆や城などの対応におわれて、さらに姻戚関係の高梨家の被害を補う為、領土分けの時に多少融通してやる事も行った。
この様にして、武田大膳大夫晴信と武田信濃守喜信は忙しかったのであり、さらに朝廷に約束した横領されてた荘園の返還などの手続きもあり、困った事に年内に甲府に帰還が出来るかどうか難しかった、
また折角北信濃まで来たので、武田家将兵の主だった者達を連れて、善光寺参りに赴き参拝した後、姻戚の高梨摂津守政頼と面会する為、村上勢に攻撃されて焼け落ちた居館中野小館城の詰め城鎌ヶ岳城まで、家臣達と足を運び、高梨摂州に御悔やみの言葉を上げた後、武田家から嫁いできた義理の娘とも会い、今後どうするのか高梨摂州と会談を行った。
「大膳大夫殿、信濃守殿,態々(わざわざ)我が息子源五郎の為、粉のような山城まで足を運んでくれて、大変申し訳ない。」
本当に済まなそうに話をする高梨摂州に父晴信は、今後の高梨家の行く末をどうするかと尋ねてみた。
「摂州殿、不幸にして嫡男源五郎殿が御亡くなれたが、武田家として高梨家と継続して同盟関係と姻戚関係を希望したい。その事に対して、摂州殿や一門の中では、どの様に考えになられるか?」
「儂としては、引き続き武田家との縁を重視したい。それに我らの縁戚長尾家も出来れば助けて欲しい。」
此度の不幸は、長尾家の内紛とそれを利用した越後上杉家の謀略が重なって起きた出来事だと理解した父晴信は、旧村上領の地に高梨家の支援と北信濃鎮撫の為に新しい城を築かせて、そこに武田の将を置いて、高梨家の支援を行う事を伝えた。
「摂州殿、私達は姻戚ですので、高梨家の不幸は我々の不幸でもあります。もし必要な物や人材があれば、遠慮なく言ってください。」
「ありがとうございます、大膳大夫殿、信濃守殿、当面は資金が苦しいので済まないが一千貫余り、銭をお貸ししてもらえないだろうか?」
「解りました。摂州殿の為に御貸しするのではなく、高梨家への見舞金一千貫を御渡ししましょう。」
「なっなんと、そこまでされてしまうと我々は、武田家に対して面目なくしてしまう。」
「これは摂州殿に恥をかかせる為ではありませぬ。我が息子信濃守喜信の仕事の一つなのです。喜信は朝廷より、信濃守を賜った折に信濃の鎮撫を命じられております。その為、災害にあった人々の救出や支援も行う事が当然なのです。だから摂州殿は心理的に負担を感じなくても宜しいのです。」
「そうです、義叔父上。我々は親戚なのですから、お互い助け合う事は当然なのですから。」
「大膳太夫殿、信濃守殿、本当に忝い。もし大膳太夫殿と信濃守殿の了承が得られるのなら、源五郎の夫人だった桜井御前を我が次男源八郎秀政に、嫁がせて貰いたいのだが?」
すると大膳太夫は、高梨家との縁を繋ぎ留めたかったので、高梨摂州からの申し出に大いに喜んだ。
「こちらからも、その話御願いしたかった。双方が同じ考えに一致したのだから、鷲から桜井御前に御願いしてみようと思う。」
その後、若くして未亡人になられた高梨源五郎の妻桜井御前は、源五郎の墓前を弔う為に出家したいと申し出たが、武田大膳太夫が桜井御前の美貌を惜しんで、高梨源五郎の次弟高梨源八郎秀政に嫁ぐように説得し、桜井御前はそれを了承した。
また今回戦場になった旧村上領の国人衆達には、領内で戦禍があれば救済も検討するので、名乗り出るようにと布告し、さらに春日弾正忠虎綱と山本勘助晴幸に川中島の地に堅固な城を普請する様に命じた。
また再び上杉勢が高梨領や北信濃へ侵入する事を想定し、葛尾城に次弟吉田典厩信繁を北信濃を守護する埴科郡代へ任じ、上杉越州の軍勢に警戒を強めた。
それらを短い時間で決めてから、ようやく甲府への帰途に付けたのが十二月二十日で、北信濃には吉田典厩他、与力に原美濃守虎胤や横田備中守高松、諸角豊後守虎定・玄蕃允虎登親子と兵六千を任せた。
十二月二十七日に甲府に帰還した武田勢二万は、此度の戦功上げた将兵への論功行賞を行い、さらに旧村上領の中で、武田家への直轄地になった所から信濃統一の暁に加増すると言う約束守って、主だった将兵に加増や恩賞を渡した。
この事により、朝廷には信濃平定の完了の報告を送り、幕府には武田家が実力もって信濃守護を全うするので、信濃守護職を要求する使者を送った。
また未だ反抗的で、武田家へ出仕を拒否してる国人衆には信濃守護として、圧力を加え幕府が信濃守護職を補任されるのでの期限を決めて、その期限を過ぎても反抗的な国人がいれば、討伐する事も視野に入れた。
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十二月十五日に、武田勢の追撃に怯えながらも何とか越後国に入り栃尾城に着いた上杉弾正少弼景虎と村上周防守義清の一向は、まずやる事は村上家家臣団の生活の場を創り上げる事だった。
景虎は、まず栃尾城の支城で廃棄された幾つかの山城や館を村上家家臣達に提供して、生活の基盤造りを行った。
それらの事の指導を景虎は、柿崎弥次郎景家や叔父の長尾十郎景信に任せて、景虎と村上防州は上杉越後守定実の館まで赴き、上杉越州に拝謁を行った。
「義父上、只今信濃より、村上防州殿を救出して越後へ戻りました。」
景虎と村上防州は、上杉越州に頭を下げて挨拶を行うと、上杉越州は鷹揚に答えた。
「うむ、流石は儂の養嫡子だ。其方が越後を不在の間だが、長尾左衛門尉晴景は大軍を春日山城に集めようとしたが、越中から一向一揆が侵入したので其方に兵を向かわせたわ。」
一向一揆と言う話を聞いて、景虎の祖父長尾弾正左衛門尉能景が越中の一向一揆の合戦において戦死していたので、話を聞いてた景虎は内心苦い思いをしてた。
しかし景虎は顔にも出さずに上杉越州の話を聞いてたので、上杉越州も越後統一の大義名分を得る為に、年明けにも朝廷と幕府に使者を送って、景虎を正式に上杉家の家督継承する事を奏上すると伝えた。
「景虎よ、其方は年明けの春には、正式に越後上杉家当主となろう。その時こそ、越後の国人衆を纏め上げ、越後の静謐に力を尽くしてくれ。」
「承知しました、義父上。私は私利私欲を捨て、この命を越後の民に尽くしましょう。」
その後上杉越州は宴席を用意して、景虎と村上防州から信濃での景虎の武勇譚を聞いて大いに喜んだ。
「のう、村上防州殿よ。儂の自慢の子景虎は、正しく越後の龍だと思わぬか?」
「上杉弾正少弼様は、全くもって龍の化身だと思います。」
「やはりそうだろう。儂が直江津の商人に軍旗を作らせた懸かり乱れ龍の軍旗は、景虎の印象を武田の将兵達に大いに記憶させただろう。何れ懸かり乱れ龍の軍旗を見るだけで、逃げ惑う敵兵も出てくるだろうから、景虎はこの軍旗を絶対に地べたに付けてはならぬぞ!! わははっ・・・・」
酒を酔いながら、機嫌良く景虎を村上防州に自慢して景虎の才能を信じてれば何れ信州へ戻れると慰めてくれる上杉越州に、村上防州は大いに勇気づけられてた。




