村上防州、北走す
村上周防守義清は、上杉勢が葛尾城を包囲してる郡内衆に一丸となって突入した時、村上勢は武田勢のもう一つの部隊上原隊に突撃していった。
村上勢は、以前に何度も上原備中守昌辰と戦っているので、常に武田家の最前線の佐久郡を任せられてる上原備中とはどれだけ優れた武将かは身をもって知ってた。
その事を知ってか、自軍の将兵を奮起させるために、自ら先頭に立って突撃する事を家臣の反対を押し切って行った。
「皆の者、我々の相手するのはあの守戦の備中じゃ!! だから敵を打ち倒す事を専念するのではなく、一人でも多く武田兵を負傷させて、敵の重荷を増やす事に専念せよ。然らばあの上原備中の事じゃ、負傷した将兵は見捨てず防御陣の内側に入れて陣形を狭めるから、その時こそ葛尾城に入城する機会が訪れるはずだ!!」
そう言うと村上勢将兵達は、村上防州の意図は解らずとも幾度も戦ってる上原備中が派手さは無いが、武田家隋一の守戦名人と知ってたので、敵将兵を負傷させても見捨てず後方に下げる采配が見事なのはよく理解していた。
上杉勢は、越後七郡敵う者無しと謳われた柿崎弥次郎景家が、先頭切って郡内衆に突入したのを見たのと同時に村上勢は、村上防州が薬師寺右近清安に命じて、軍勢を魚鱗に変えさせて上原隊に突入していった。
村上勢が突撃してくる事は、事前に想定していた上原備中は、この遠征を行う前に武田信濃守喜信から教えられた味方の足軽の槍を三間半の長柄槍に装備を変えて、秋の収穫期を終えた後に足軽達を集めて訓練を行っていたので、村上勢の突撃に対しても早く立ち直って、村上勢の足軽達に長柄槍を頭上から振り下ろしていく為、村上勢の足軽達は次々と負傷していくのが見えた。
奇襲を受けたが、すぐに冷静になり村上勢の突撃に関して適切な指示を将兵に与えながら、味方の小山田羽州の戦況を気にしていた上原備中は、郡内衆が謎の騎兵隊にズタズタにされてるのを見て、このままでは不味いと思い、郡内衆が潰走しない様に上原隊の隣接地域にいた小山田羽州の家臣小林和泉守昌喜に伝令を送り、窮地に落ちてる小山田羽州殿の本陣を救えと伝えた。
そして自軍の将兵達には、村上勢の勢いは長柄槍を持つ足軽隊を前面に出して、守りを固めよと差配する。
「いいか、村上勢の狙いは城兵との挟撃が予想される。だから郡内衆が崩れかかった今は、大変危険な戦況になってきてる。皆々は負傷した足軽は早めに陣の内側に入れて、抜けた場所は必ず穴埋めを行うのだ。」
上原隊の巧みな防戦は突撃している村上勢を苦しめ、その中で遮二無二突撃した小島権兵衛重成と森村左近清秀が討ち死してしまう。
それでも突撃をやめない村上勢は徐々に上原隊の将兵を死傷者が増えていくと、上原隊の陣が段々と縮小しているのが分かった。
それでも葛尾城までの道が開けず、強固な上原隊の守備に被害も多くなり、仕舞には隙を見て逃げ出す足軽達も出てきた。
「奮起しろっ!! ここで押し切れぬと武田の大軍がやってくるぞっ!!」
村上防州は将兵達を鼓舞するが、上原隊の三間半の長柄槍に苦戦して、村上勢にも無視出来ない位死傷者が、現れ始めた。
その様な戦況に苛立ちを隠せず自ら旗本衆を連れて前面に出ようとした時、突如として上原隊の横合いから一気に崩れ始めた。
上原備中は、混乱してる将兵の原因が謎の騎兵隊の突撃が原因で崩れた事が解り、このままでは村上勢と謎の騎兵隊の両方を相手取る事が無理だと理解して、味方の将兵達にはお互い支援しあいながら、後退せよと命じた。
上原備中の指示が将兵達を立ち直る気持ちに奮起させて、何とか戦場から離脱させる事に成功するが、今回の戦で武田方は、参加した兵五千五百の内、小山田隊が死傷者が千余りで、上原隊が四百余りで、真田隊は三百余りの被害を受けてしまった。
一方、村上・上杉連合軍は村上勢が八百余り、上杉勢が二百余り、葛尾城守備隊も二百余り損害を受けた。
村上防州は、最後まで奮戦してた上原隊の離脱を確認した後、武田本隊がすぐにでも来るかもしれないので、勝鬨や頸実検も僅かな時間で済ませて、すぐに葛尾城に入った。
葛尾城を守っていた杵渕左京亮国季をよく労い、此度の戦功は一番だと褒め称えた後、籠城戦で生き残った将兵三百余りに、すぐに葛尾城には武田の大軍が再びやってくるので、杵淵左京亮らに葛尾城を捨てて、一旦信州を出て体制を立て直して、上杉越州殿の支援を得て再びこの地へ戻るので、身支度を纏めよと葛尾城にいる者全てに伝えた。
また村上防州は、信州を離れたくない者達もいるだろうから、居残る者達決断する事も許した。
その結果、村上勢の中で八百余りの者達が信州に残る決断をして、残る者達に金品を渡し、水盃を交わして別れを告げた。
「村上防州殿、すまないが急いで信州から離れる事をお勧めしたい。どうやら明日にでも武田勢がこの地へ来襲するとの軒猿からの連絡があった。」
武田勢接近の報を受けた上杉弾正少弼は、村上防州に最低限の荷物を運ぶ事を勧めて、急いでこの地を離れよと伝えた。
「弾正少弼殿よ、儂等先祖代々の土地から離れ難き事であるが、再びこの地に戻る事を誓う。その時は、弾正少弼殿の御力をお借りしたい。」
「私も越後静謐を終えた後、防州殿を再びこの地に戻す事を御誓いしましょう。」
そして越後に村上防州と一緒に一旦逃れる者達は、千五百余りの将兵とそれらの家族ら五百余りが、上杉弾正少弼の居城栃尾城まで、同行する事になった。
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一方、葛尾城攻めで敗れた小山田羽州は、翌日武田本隊との合流前に命を落し、残った小山田隊は小林泉州が指揮を執って、後上原隊と真田隊が馬場民部信房ら兵八千の武田勢に合流した。
ここで初めて葛尾城の戦いに敗れた事を知った馬場民部、山縣三郎兵衛尉昌景、工藤左衛門尉昌豊、春日弾正忠虎綱らが急遽軍議を開いて、葛尾城を再び攻める算段を立てたのと上原備中と小山田隊副将の小林泉州から、戦況の聴取をする事にした。
最初に馬場民部は、城攻めの時に負傷してまだ起き上がれない真田弾正忠幸綱を除き、上原備中と小林泉州に話かけた。
「上原備中殿、小林泉州殿、此度の戦況の流れを知りたいのだが、御話してもらえるか。」
上原備中は、まず此度の敗戦の謝罪と小山田羽州が討ち死した事への無念を語った。
「此度の敗戦、誠にもって申し訳ない。越後の上杉越州の軍勢には、言い難き屈辱を味わってしまった。」
越後の上杉越州の軍勢が、信州に現れて村上家に加担したことを知った馬場民部ら四人は、大変驚愕した。
「越後からの援軍が送られて来たとは。長尾左衛門尉殿は上杉越州殿に敗れた為、未だ乱れてる信州に介入してきたのか。しかし何故我々と敵対したのだ?」
工藤左衛門尉は、上杉越州が何故村上防州の方に力を貸したのか、疑問に思って考えていた。
するとこの中で唯一直接上杉勢を見た小林泉州が、泣きながら状況を語り出した。
「皆々方、某が出会った上杉勢は、皆騎兵でした。その中で指揮官は、法衣を被った若侍でして、その若侍の指示の元騎兵は小山田隊の中をズタズタに引き裂いて、大損害を与えました。その騎兵の中の一人が、越後七郡に敵う者無しと謳われた柿崎弥次郎景家で、その柿崎弥次郎と我が殿小山田羽州が槍合わせを行い、命を落したのです・・・・・」
話の途中から、小林泉州は主君の無念に悔しくて、嗚咽しながら泣いてた為、その後の話は上原備中が繋いで話した。
「小山田隊と上杉勢が戦ってた頃、某は村上防州の軍勢と戦っていた。拙者は、今年夏に若殿喜信様から教わった長柄槍の足軽達を村上勢の突撃を封じる為に戦わせると、大変よく足軽達は働いてので、この時点では小山田羽州殿の災難は知らなかった。ところが上杉勢が小山田隊を後退させた後、こちらの横合いから錐もみの様に突入して、これ以上戦えぬと判断して葛尾城から離脱した訳だ。」
山縣三郎兵衛は、柿崎弥次郎の事を気になり小林泉州に質問してみた。
「小林泉州殿、柿崎弥次郎は槍の腕前は見たのか?」
「瀕死の殿を救う時に少しだけ見たが、あれは人間の持つ技ではない。まるで鬼神が乗り移った感じに思えた。」
「それ程とは、その様な大武辺者と是非戦いたいと思ってしまった。」
山縣三郎兵衛尉には、怯えるどころか逆に肝が据わって動じない態度で、柿崎弥次郎との対戦を望んでる様だった。
柿崎弥次郎に興味もった山縣三郎兵衛尉とは別に、上杉勢の法衣を被った指揮官に興味を持った春日弾正忠は、その法衣の被った指揮官の旗印を小林泉州に聞いてみた。
「小林泉州殿、走り周ってた上杉勢の旗印とどのような物が見られたのか?」
「確か毘の一文字と懸かり乱れ龍の旗でした。」
それを聞いた春日弾正忠は、笑ってしまった。
「あははははっは、その大将は余程信仰心が篤いのか、それとも自ら毘沙門天になったと言いたい傲慢な心を御持ちなのかだな。また懸かり乱れ龍とは、龍の如き誰にも分る神聖な生き物。それを御旗にするとは、まさしくその者が操る軍勢は、龍が如く一糸乱れぬ恐ろしき軍勢よ。」
智謀優れた春日弾正忠は、法衣を着た大将の人物像の中に騎兵のみで他国の奥深くに入り込んで、喧嘩を売るような行為を行う大胆な性格は、今後武田家の障害として立ちはだかるのではないかと皆に話した。
「この法衣を着た大将は、天下武名が轟いてる武田家と敵対しても、何ら恐れを抱かぬ性質を御持ちのようだ。この様な大将は、我が御屋形様とは正反対の性分で、実に厄介な御仁となるであろう。まるで源判官殿みたいだ。」
春日弾正忠が下した上杉弾正少弼の批評は、その後御屋形様にも伝えられて、晴信は越後と言う国を意識する様になる。




