小笠原右馬助、上方に走る
六月に馬場民部信房と山本勘助晴幸の寡兵に敗れた小笠原右馬助長時は、平瀬甚平義兼の平瀬城に投げ込み、馬場民部と三村駿河守宗親の軍勢に数度攻撃受けたが必死の防戦により、何とか落城を逃れていた。
しかし籠城が続くせいで、十月半ばになっても平瀬甚平の領地から年貢が入らず、さらに山本勘助は平瀬領の民衆から年貢になるはずの米や麦を二倍の価格で買ってやってたので、あっと言う間に領内から貯蓄されてた食料が消えて、終いには密かに籠城してる足軽達が、城に備蓄してた米を武田家に売ってた事が発覚する。
赦しを請いながらも泣き叫ぶ足軽三人に対して、小笠原右馬助は問答無用で斬首を命じる。
「とっ、御殿様!! 御許しくだせっ!!」
スバッ、ズッバッ!!
罪を犯した足軽三人の頸を躊躇なく次々と斬り落として、落とした頭を掴み取った右馬助は、籠城してる将兵達に見せつけて叫んだ。
「お前達!! 儂を裏切ったら皆このようにして頸を飛ばす故、武田への利敵行為は死罪だ!!」
小笠原右馬助がこのような事を幾度か繰り返していると、ある晩平瀬甚平が大慌てで、小笠原右馬助の元に駆け込んでいた。
「とっ、殿っ!! 兵糧蔵の方から火災が発生しました!!」
「何っ!! はっ、早く、ひっ、火を消すんだっ!!」
慌ててる平瀬甚平は消化を命じてる最中、今度は平瀬家家臣の丸山彦兵衛貞政が飛び込んでくる。
「どうした彦兵衛!!」
「大変です!! 一部の足軽達が武田勢を招き入れて、平瀬城南を護ってた平瀬下野守様が突入してきた武田勢に討ち取られてしまいました!!」
小笠原右馬助と平瀬甚平は、二人共本丸の下にある南側曲輪を見ると暗闇の中で、攻めて来てる武田勢の松明の灯りがいくつも見えて、南曲輪を制圧しかかっていた。
「甚平!! 儂は城から出る上、其方達は儂が逃れるまで時間を稼げ!!」
「はっ、殿!! 承知いたしました!! 彦兵衛、其方は殿を安全な所まで、守り通せ!!」
「甚平様、どうか御武運を!!」
丸山彦兵衛は、急いで脱出用に用意されてた山道に小笠原右馬助一行を引き連れて、何とか落城前に脱出に成功した。
残った平瀬甚平は、武田勢の足軽を率いてきた原美濃守虎胤が本丸に突入すると、槍を構えた平瀬甚平が小笠原右馬助を逃す時間を稼ぐ為に、武田勢を待ち構えていた。
「拙者は、武田家足軽大将原美濃守虎胤である。其方は平瀬城の主将であるか?」
「如何にも、某は平瀬城主平瀬甚平義兼でござる。常々鬼美濃殿の異名を聞いて、槍にて勝負したいと思っていたのでござる。いざ尋常に勝負!!」
「この城の主自らが拙者と勝負してくれるとは、これは本気になってやらぬと失礼に値するな。」
原美濃守は、そう言うと剛槍を振るって十合余り打ち交わし、平瀬甚平の槍を簡単に弾いて飛ばして、平瀬甚平の左肩、左脇腹、左太腿を一瞬にして三ヵ所を突き刺していくと、大量の血を吹き出しながら倒れてしまった。
「おっ、鬼美濃殿、さっ、流石で御座る。さぁ、某の頸を刎ねて、鬼美濃殿の手柄と致せ。」
「然らば、南無阿弥陀仏・・・・」
鬼美濃が念仏を唱えた後に平瀬甚平の頸を刎ね飛ばすと、本丸の制圧を完了した事を主将の馬場民部に伝えて、敵味方の負傷した将兵の治療を行い、討ち死した二百余りの者達の埋葬を行う様に、地元の百姓に銭を与えて命じた。
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小笠原右馬助は、当初小岩嶽城に向かおうとしたが古厩平兵衛盛兼の使者が道中やってきた。
「拙者、田茂正吉兵衛と申します。我が殿古厩平兵衛は、大殿(小笠原右馬助)を御助けしたい所ですが、我が小岩嶽城は小城にて、籠城しても勝ち目在りませぬにて、村上防州殿を頼られてはどうか?と申しております。」
古厩平兵衛の考えを聞いた小笠原右馬助は激怒して、田茂正吉兵衛を手打ちにしようとしたが、三弟の小笠原孫次郎貞種に止められた。
「兄上、この者に手をかけてはいけませぬ。もしこの者が戻らぬならば、折角古厩平兵衛が情けをかけてくれたのに、その思いを踏み躙れば古厩平兵衛も我等を襲うでしょう。今は、古厩平兵衛の御心に沿うようにする事が肝心かと。」
「ならば儂は、村上防州などは頼らぬ。」
小笠原右馬助が村上防州に頼らぬと言った事で、まさか皆が自刃を覚悟しなければいかぬのかと言う空気が漂い始めたが、次の小笠原右馬助が言った事に一族や家臣達は仰天した。
「皆の者、儂は上洛して将軍家に訴えようと思う。それがダメなら分家の三好筑前守長慶を頼り、三好筑州が天下取りを手伝う暁に、三好勢を信州に送り込んで武田から領土を取り戻す考えである。」
それは一旦信州から離れる考えを小笠原右馬助が示したのであり、一族や家臣達もこのままでは皆が滅びるのを待つだけなのが分かってたので、この話に一部の者達を除き大部分の者は、小笠原右馬助について行く事になった。
一方、武田家では平瀬城を落城させた後、残りの小笠原家所属の国人衆をどう攻略しようかと、武田晴信は林城にて評定を開いてたら、古厩平兵衛からの臣従の使者がやってきた際に小笠原右馬助が上方を向かったとの消息を知った。
その為、一旦旧小笠原家家臣達への攻撃を中止して、従属を求める使者を各城に送って、その返答を年内一杯待つ事に決まった。




