秋山善右衛門の帰還と甲濃講和交渉
斉藤方と木曽・遠山三塊方の和議がお互いの事情によって成立した後は、皆一日でも早く動員を解除して、今年の農作業を始めさせたいので、木曽勢や遠山勢は別れの宴を行った後には、翌日早朝にも引き上げて行った。
武田勢を連れてきた秋山伯耆守虎繁、援軍を通じて仲良くなった明智十兵衛光秀とそれに明智城を包囲してた斉藤勢を一人で突破して名を高めた吉村太郎左衛門氏勝の三人は、明智城での講和後に意気投合して、別れの宴が終わった後も話が途切れず、遠山兵庫頭が秋山伯耆守の為に用意してくれた寝間に酒を持ち込み、三人だけで再び酒盛りを始めていた。
「十兵衛殿、太郎左衛門殿、ささっ、遠慮なく飲んでください。あと某の事は善右衛門とお呼びください。」
善右衛門が進めると太郎座衛門は盃を出して、並々と盃に注がれた酒を一気飲み干す。
「ぶはーっ、美味しいでござる。酒が美味しいのも勝ち戦と言う珍味もあるからですな。はははははっ!!! 秋山殿を善右衛門殿と呼ぶなら、拙者も源斎とお呼びください。」
酒が割と好きな源斎に対して、十兵衛は酒が苦手なみたいで余り進んでいなかったので、善右衛門は無理にお酒を進めず、秋山家の従者を呼び何本かの徳利の中身を水に入れ替えてもらった。
十兵衛が苦手だと口にも出さないのに、そっと酒から水に切り替えてくれた善右衛門の心遣いに十兵衛はいたく感動して感謝の意を深く表すと、善右衛門も律儀な十兵衛の姿に同じく好感を持った。
「善右衛門殿、拙者への其方の細やかな気遣いは大変感謝しています。善右衛門殿は武田家の重臣であられるのに、明日甲府へ旅立つのに我々と一緒に居ても大丈夫ですか?」
真面目な性格の十兵衛は同世代の武将である善右衛門と一緒に話を交わせる事の喜びもあるけど、一軍の将である善右衛門が帰国の途に就くのに深酒をするのは、迷惑をかけてしまってるのではないかと気にしてた。
「十兵衛殿、某を心配してくれて忝い。ただ十兵衛殿や源斎殿と酌み交わす酒は、甲斐で親しかった者達と飲み交わすのと同じぐらい楽しかった。これからは二人共、某の友であるぞ。ところで十兵衛殿、其方の機知はとても優れてると思う。源斎殿は古今東西に稀有な才能の文武両道の優れた御仁だ。濃州には危険な蝮がいるが十兵衛殿と源斎殿がいる限りは、遠山三塊もすぐに破れないと思うが其方ら二人に何かあれば、すぐに駆け付けるぞ。」
それを聞いた二人は嬉しそうに善右衛門に答えた。
「善右衛門殿、某も其方に悩みが出来たのなら是非力になりたい。だが自分自身を冷静に評価した場合、このままでは叔父上にも其方にも力添えするには、身に付けてる知識や技術が足りぬ。だから善右衛門殿が帰国した後には、叔父上に頼んで暫く西国や畿内に赴き、沢山の知識と素養を学ぼうと思う。」
「拙者も、さらに己を磨こうと思う。武芸もそうだがこの地に根を張る百姓達の為に、もう一度旅に出て作事や農政などを身に付け、この地の民達を飢えさせる事無いようにしたい。」
「そうなると我々三人は、暫く会えないな。ならば三人、桃園の誓いではないが再び会って宴を行おうではないか。」
「それは良いですね。義兄弟と言うように柄ではないですが、再び楽しく一緒にいられる親友として、また逢いみまえましょう。」
「拙者も二人を親友として、今度逢う時には、拙者が旅先で見つけた酒の肴を振舞おうぞ。」
三人は遅くまで善右衛門の部屋で宴を行い、それぞれの道への激励を行って翌日には、秋山伯耆守は、斎藤家からの使者牧村牛介政倫を伴って、武田勢の帰途についた。
四月上旬の頃になるとになると、武田家と村上家・小笠原家との戦はお互い膠着状態になった後、足軽の動員解除して自然休戦状態となった為、信州に覆われていた戦乱の雰囲気は各領主達が慌てて足軽達を農作業に戻した為に、すっかり霧散してしまった。
また西上毛方面に山内上杉勢の動きを警戒する為に派遣されていた、吉田典厩信繁も晴信から村上勢・小笠原勢と自然休戦に入ったとの文を受けて、西上毛方面を小幡尾張守憲重に西上野衆を託して、甲州へ引き上げて行った為、山内上杉家もやっと戦時体制を解除して、荒れた領国を復興に勤しむ事になった。
秋山伯耆守は、途中伊那衆と春近衆の動員解除する為に高遠城に寄り、出兵した国人衆には褒美を渡した後、一晩もてなしてから動員の解除を行った。
その後、牧村牛介と共に甲府へ向かうのだが、昨年まで見てた百姓達の田植えの作業が今までのやり方と違う事に気が付いた。
斎藤家の使者、牧村牛介も他国と違う田植えの仕方を見て、秋山伯耆守に質問してきた。
「秋山殿、武田家では稲苗を綺麗に等間隔に並べて、植えてるのですか?」
質問された秋山伯耆守も農作業の事は詳しくないので、傍にいる近習達に聞いてみた。
「牧村殿、某も農作業の事は分からないでござる。誰か農作業の事で詳しい者はおらんか?」
すると一人の小姓が秋山伯耆守に答えた。
「あれは、最近流行りの農法だと聞きましてございます。何でも百姓の疲労を軽減するそうです。」
「なるほど、武田領は山がちで百姓の仕事は決して楽ではないので、その様なやり方が自然と民衆の中から生まれたのだと思いますぞ、牧村殿。」
「ほう、そうでしたか。美濃は平らな土地が多いですので、あの様なやり方は見た事なかったのです。」
牧原牛介は、そう言った後、左程農作業に興味を持たなくなった。
一方、秋山伯耆守は、内心冷や冷やして牧村牛介の興味を反らせる事に成功する。
・・・・いやぁ、危なかった。牧村殿が四郎様の発案した農法に興味を持って、美濃に技術を持ち帰って真似されたら、数年後には蝮の脅威が増大してしまうとこだった・・・・
秋山伯耆守は、こうして他国の使者と一緒にいると武田家の見せたくない物が沢山ある事に気が付いて、戦に出るよりも神経を擦り減らす事になった。
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甲府に到着した秋山伯耆守一行は、牧原牛介は外来客が宿泊する別館に接待役に案内されたところで別れて、秋山伯耆守本人は躑躅ヶ崎館に登城して此度の遠征の経緯を報告していた。
「御屋形様、此度の信州での武田家の勢力拡大、祝着至極でございます。」
「うむ、此度勝利で、来年辺りには小笠原・村上共に屈服させれる算段を立ててる。ところで善右衛門、濃州での働き大義であった。」
「御屋形様、東美濃では斎藤勢での明智城陥落を阻止する事に成功しましたが、ただ斎藤家との和議は、木曽家・遠山三塊と武田家を分けて行いたいとの話になりました。」
「そうか、流石蝮よの。本当に強かな奴だ。蝮の父は商人生まれで、蝮自身の銭の使い方が上手い。もし武田とあくまで戦うと決めていたら、蝮が銭で雇った兵に武田は窮地に落ちてた可能性があった。しかし儂等は運が良い、幕府と朝廷に送った和議斡旋の依頼を武田孫六と穴山彦六郎を送って、双方とも色良い返事が来た。」
「そうでしたか、我々が単独で蝮と講和しても裏切られる可能性がありますからな。幕府と朝廷双方に講和の証人となって貰えば、蝮はしばらくは東美濃へ手を出す事が出来ないですな。」
「今回、西方が安定させれる機会が訪れた。ここで講和が成立したら、一気に信濃統一が進む事になるだろう。」
翌日、別館に滞在させた牧村牛介を呼んだ晴信は、早速講和の話を切り出した。
「牧村殿よ、お互い講和する事に何ら問題にすることはないな?」
「大膳大夫様、如何にもその通りです。斎藤城州様も大膳大夫様と争う事は避けたいと言う事です。」
「武田家も斎藤家も争いを避けたいとの考えにお互い同じ考えで良かった。しかるに丁度幕府と朝廷に送った使者が昨日戻られてな、戦前の状態にて和解せよとの意向を伝えてきよった。後日勅使を両家に来られるので、その時に正式な講和が成立するだろう。」
その話を武田晴信から聞かされた牧原牛介は、忸怩たる気持ちになった。武田側が、このような展開に最初から嵌める為に問題が起きた時から、幕府や朝廷に講和の依頼を行ってた事を理解した。
朝廷や幕府が絡む講和になると、もしどちらかが講和を破って侵攻したならは、破られた方は大義名分が発生する。
この場合、武田家が言う戦前の状態なのは、武田家が斎藤家と戦う直前の状態の事を言ってると思うならば、明智城は斎藤家が掌握してた訳ではないので、斎藤家が軍勢を差し向ける前に話に落ち着く事になる事を理解した牧原牛介は、武田家との講和の話は一度持ち帰らせてもらいますと晴信に伝えて、そそくさと美濃へその日の内に帰国してった。
四月十八日、慌てて帰国してきた牧村牛介は、すぐさま登城して斎藤城州に面会を求めると少し待たされた後、斎藤城州との面会を許された。
「殿、武田大膳大夫殿と講和の話を行いました。大膳大夫殿は我等と戦う前から、朝廷と幕府へ朝廷依頼を行って、調停の仲介を行うとの返信があったと言ってましたので、某の一存で決めれなくと伝えて、戻って来ました。」
すると斎藤城州は口を開いた。
「牛介、御苦労だった。其方が美濃へ戻る前に、稲葉山城にも幕府から和議への御内書が届いた。どうやら大膳大夫殿は、それを見越しての講和を仕掛けたみたいだな。」
「そっ、それでは当面は東美濃はこのままを御認めの条件に決めるのですか?」
「講和は、大膳大夫殿の顔を立ててやろう。ならば牛介よ、それとは別に大膳大夫殿へ婚姻を申し込むのだ。」
「分かりました、東美濃がこのままの状態になるならば、大膳大夫殿に婚姻を申し込んで、東の国境を安定させます。」
再び牧原牛介政倫は、今度は婚姻話も携えて甲府へ向かって行った。




