塩尻評定
美濃斎藤勢六千が木曽家に臣従してる東美濃に襲来し、木曽中務大輔義康本人と明智遠山家の十兵衛光秀からの援軍派遣要請を快諾した武田晴信は、ただちに伊那郡代秋山伯耆守虎繁を援軍三千を与えて、先発隊として明智城へ派遣した。
そして斎藤勢の襲来の御蔭で、小笠原右馬助の本拠地信濃府中に侵攻する気であったが、武田勢の予定変更を翌日に諸将を集めて伝えた。
「朝早くから、諸将が集まって誠に大義である。昨夜木曽中務大輔殿自ら本幕を訪問し、先日木曽に臣従してる東美濃に蝮の軍勢六千が押し寄せてきた。そこで昨夜の内に秋山善右衛門尉に命じて、すぐに出発させたが蝮相手の戦なので、油断は出来ん。そこで新たに援軍を送る積もりだが、府中へ押し込めた小笠原右馬助が留守の間悪さするかもしれんし、足軽達を春の農作業期にも戻す必要がある。この事を踏まえて、何か良い意見は無いか?」
すると両職の甘利備州が現状において、寝返ってきた国人衆の懸念を語る。
「御屋形様、仁科や三村などの新参組が今回の斎藤勢の事を知り、武田家に頼み甲斐無しと言う見られ方をして、再び小笠原方に寝返る算段を立てられる可能性もありますな。」
諸国御使者衆の駒井高白斎昌武も村上家や小笠原家、それに山内上杉家を相手取る上にさらに蝮率いる斎藤家まで敵対すると武田領内の国人衆の動揺も起こる可能性があるので、この状況を長期に続ける事はこの先深刻な事態に落ちる可能性を伝えた。
一方、武闘派で武田一族の重鎮小山田出羽守信有が代表として語り始めた。
「まず山内上杉、村上、小笠原各家への懸念は最もだと某も思います。動員を三ヶ月以上続けると、領内の収入にも大きく響きます。だが我等にも敵に囲まれてるとの同じく、村上には高梨、小笠原には武田、山内上杉には北条が敵対しております。そして此度村上、小笠原家は勢力を大きく削ぎました上、負け戦からの回復に躍起になって、我々を阻害する活動も低調になると思います。」
「他に各々方の意見は、他にないか?」
すると山本勘助晴幸が己の考えを語りだす。
「御屋形様、ここは我が武田家が小笠原家と和議を結ぶか、斎藤家と木曽家との和議を仲介するのはどうでしょうか?」
晴信は、暫し考えながら、傍にいる喜信に山本勘助が言った事に対しての考えを問うた。
「喜信よ、其方は勘助の和議を結ぶと言う案にどう考えておるか?」
喜信は、父晴信から意見を求められたので、姿勢を正して己の考えを答えた。
「まず我々武田家の都合では、四つの敵を相手取り、どの敵もしぶとく頑強な敵である事はまず間違いないでしょう。その中で一番勢力が大きく武田へ脅威を与えてるのが小笠原家であります。もし小笠原家との和議が成立させたとするならば、どの様な条件なのかと考えました。おそらくですが離反した者達への不介入を武田家は求められると思いますので、折角武田家に味方してくれる国人衆を武田が苦境に落ちてるからと言って簡単に切り捨てるなどしたら、武田家に付き従う者達は大きく減ると思われます。」
「ここはもし和議を選ぶのなら、秋山伯州が明智城を防衛に成功した後、幕府や朝廷を介して斎藤家に和議を持ち込むのは如何でしょうか? その間武田家は、新参衆を保護しながら村上や小笠原に調略を進めて、動員兵力を削っていくのです。また木曽家に関しては、此度の事は木曽家にも問題があるので、将来は領地替えもやむを得ないでしょう。」
晴信は、これ等の内容を鑑みて、御一門衆の武田逍遥軒信廉と穴山伊豆守信友に声をかけて、幕府と朝廷の使者を手配するように指示を行った。
「孫六、それに彦六郎、其方等は、駿河へ行き今川殿を介して、幕府と朝廷に斎藤家と木曽家への和議を差配を行え。」
「ははっ、兄上。」 「承知しました、御屋形様。」
二人には、和議への工作費として金百両を渡して、直ちに甲州へ戻った後、駿河を経由して船に乗り、四月には京へ辿り着く様に手配した。
まず小笠原勢の逆襲を警戒する為に栗原左衛門佐昌清、初鹿野伝右衛門高利、南部肥後守満秀、飯田但馬守虎春に、新参衆の諸将と共に付城を普請させて、交代を送るまで小笠原勢を封じ込む事を指示する。
次に原美濃守虎胤、横田備中守高松、多田淡路守満頼、諸角玄蕃允虎登を呼び、三月末に其方らの足軽の動員を解除する代わりに一度甲府へ戻り傭兵を集った後、今小笠原領を包囲してる諸将と交代して、小笠原右馬助へ新参衆と共に対応せよと伝えた。
そして小笠原包囲網の総指揮は、嫡男喜信に命じ、小笠原勢の封じ込めを破綻させない様に伝えて、残りの諸将は、農繁期に差し掛かるこの時期から数ヶ月動員解除する旨を伝えた。
また感情奉行衆の跡部越中守行忠、青沼飛騨守忠吉、市川宮内助昌房に此度の経費を武田家の蔵から出す様にと申し上げた。
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三月十四日に木曽中務大輔と明智十兵衛は、秋山伯耆守虎繁と共に武田からの援軍伊那衆、春近衆兵三千を引き連れて塩尻の本陣を発ち、新参衆の領地を通過しながら三日後には木曽谷へ辿り着いた。
木曽谷へ到着すると隠居の前当主木曽左京大夫義在と木曽中務大輔の正室ふく、嫡男宗太郎、次男九郎次郎、長女御岩姫が父木曽中務大輔の帰還を館の門前で待っていた。
「中務大輔よ、武田殿より支援は受けれたのか?」
「はい、先陣として只今秋山伯耆守殿が兵三千を引き連れたきてくれました。あと後続の軍勢を編成して送ると同時に幕府や朝廷への和議の働きかけを行うと聞きました。」
「うむ、援軍の話は承知した。こちらは木曽谷からは兵二千を出す。後各遠山家から出せば、三千余りは集めれるだろう。そうなれば、こちらは八千の援軍を送り込む事が出来るので、例え蝮でも対抗出来るだろう。」
しかし木曽中務大輔は余り浮かぬ顔をして、父木曽左京大夫に答える。
「父上、美濃の蝮は、昨年尾張の織田三河守と加納口の戦いにおいて、二万五千の大軍を四千余りで破られております。だから本当は武田大膳大夫殿自らに出陣を御願いしたかったのですが、これから農繁期に入るので多くの兵の動員を期待出来ない事が辛い所です。」
「だが蝮はまだ国内に多くの敵がおるから、今年織田三州と婚姻を結んでおる。そして国内統一に力を入れる事業をまだ始めたばかりである。なので万の軍勢の編成は、難しいと思うが明智十兵衛殿はいかに思うか?」
突然話を振られて十兵衛は戸惑いを見せたが、すぐに答えた。
「斎藤家もこの時期の大軍の動員はきついはず。もし大兵力を使うともなれば、事前に傭兵を集めておいて、周到に準備を行っていたと言う事になるでしょう。」
それを聞いた秋山伯耆守は、十兵衛と一歳違いな事もあり道中の中で親しくなってた十兵衛に聞いて来た。
「十兵衛よ、美濃の蝮殿は傭兵を大量に雇える程、豊かなのか?」
「善左衛門尉殿、蝮殿の父親は元油商人。父親譲りの商売気質で、武士には考えつかぬ金策を行い、美濃の一部しか領有していないが、一国の主並の富を御持ちでござる。」
「そうか。そしたら蝮殿との戦は厳しいと見た方が良いな。」
そのような状況を確認した木曽勢と援軍の武田勢は木曽谷へ一泊した後、明智城に急行する事になった。




