天文上田原合戦前哨戦
村上義清のイメージは、1986年放送の大河ドラマ「武田信玄」の上条恒彦氏です。
天文十七年二月初旬、この年の冬いつもよりも降雪量が多く、一月末から降り続く大雪は武田勢、村上勢共に進軍速度を遅らせ、無理をかけられた将兵達の体力を奪うなど、両軍ともに苦しい戦いを強いる事になった。
しかし村上周防守義清は、半年前に同盟国の山内上杉家が小田井原合戦に援軍を出せなかった事に悔い、さらに川中島の争奪戦を長年行っていた宿敵高梨家が、武田家との婚姻同盟を成立させた事に大いに焦燥感に駆られていた。
その事が前年の合戦に援軍を送れなかった理由の一つ、小笠原家との紛争を手打ちにし、その後村上・信濃守護小笠原・関東管領山内上杉の武田包囲網を作り上げる事に成功した。
そしてこの度、前年に大敗した山内上杉家は西上毛へ、小笠原家は塩尻峠を越えて諏訪へ、そして村上家の兵五千は、佐久へ出兵を行う事になった。
「皆の者!武田の餓鬼(晴信)がやってくる前、伴野刑部の頸めをここに持ってこい!!」
「前山城内は、将兵達の乱取りを赦す。皆、城攻めに励め!!」
この時、村上防州は四十七。この男、まるで物語の三國志の張飛を思わすような六尺近い身体を激情のまま家臣達に向かって吠え続けて、士気を鼓舞していた。
武田家家臣伴野刑部少輔貞慶の兵五百が籠る前山城を五千の兵で激しく攻撃を行い、攻撃開始から三日目で三の丸を占拠して、残るは二の丸、本丸のみに追い詰める。
村上防州の傍で城攻めの采配の補佐を行ってる島津左京進規久が、武田勢の動きを探っていた透破から報告を受けていた。
「殿、先程なんですが、武田勢先陣の板垣駿州の軍勢二千が、佐久内山城に到着。現地の上原備中、真田弾正忠、禰津宮内が合流、兵が四千余りになり明日にでも前山城に辿り着く御様子です。」
「左京進よ、諏訪上原城に集まった武田勢は幾らなのか?」
「はっ、凡そ八千余り。ただ小笠原殿が塩尻峠を越えて、諏訪を伺う事なれば、小県・佐久への進軍は不可能になりましょう。」
「ならば左京進、至急小笠原右馬助に軍勢を諏訪へ早く送る様に催促の使者を送れ。」
「はっ、承知しました。」
「気位が高いだけの戦下手でも、武田を牽制する位には役立つだろうよ。」
「殿、恐らく小笠原殿も我等を利用する気満々でしょう。」
「はっはっはっ、間違いなくそうだろう。しかしあ奴は、信濃守護職であるから、信濃の静謐に責任を取らねばならん。もしそれが不可能になるときが、儂が信濃守護職を幕府から賜る好機となる。」
「殿、そしたら明日は武田先陣を野戦で破り、後顧の憂いを無くして武田晴信との決戦を行うと言う方針で宜しいですか?」
「以前一度破ってる板垣駿州と海野一族の残党が相手だ。警戒すべきは上原備中だが、あ奴の手腕は籠城名人であって、武田の合戦名人と言えば甘利備前と飯富兵部が参加してないので、板垣駿州のみが敵だな。」
そして村上防州は、島津左京進に明日は野戦を行うので、前山城の攻めを一旦中断し将兵達を休息させよと伝えた。
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天文十七年二月上旬、武田大膳大夫晴信は、甲府に甲州勢一万二千を集めた後、まず先発隊板垣駿河守信方と諏訪刑部大輔頼重率いる兵二千が、一足早く出発して前山城救援に向かった。
翌日、武田勢本隊八千五百が諏訪廻りで出陣、途中諏訪に寄って小笠原家を牽制する様に進軍ルートを選び、村上勢と連携を取るならば、即座に対応出来るように諏訪上原城に長坂釣閑斎光堅と今井左馬助信甫の二人に諏訪衆四千五百を率いさせて、小笠原長時に睨みを聞かせる配置を行った。
しかしこの大雪にいつもより進軍に手間取り、その間に村上勢に包囲された前山城は危機に陥ってた。
「おい、平五郎!三の丸は落ちた。これ以上前山城に残るとお前は仕官先の土岐原家に申し訳が立たん。早くこの城から、出てけ。ここから先は、大人達の御祭りだから、小僧は去れ!!」
城内では村上勢の巧みな波状攻撃により犠牲者も多く出して、前山城主伴野刑部少輔貞慶ら伴野一族は、城を枕に討ち死を覚悟に腹を括ってた。
「刑部様、拙者は旅の途中で、銭を失い露頭に迷ってたのを刑部様に御恩を授かりました。武士の端くれとして、御家が危機に瀕してる時に見捨てて城から離れる事など出来ませぬ!」
若侍は、そう叫びながら、山城をよじ登ってくる村上勢の足軽を次々と一刀の元に切り倒してゆく。
本来ならば、個人の武勇が戦局に影響与えぬのだが、この度は村上勢が梃子摺ってる間に武田勢接近の方が入ったので、短い期間の激しい城攻めだったけれども、伴野刑部に一宿一飯の恩義を感じた師岡平五郎が二の丸での奮戦により、落城を免れた。
夕方、猛攻を行ってた村上勢五千は一旦包囲を解いた為、その隙に三つ目衆の鳶介が前山城へ入城、伴野刑部へ晴信からの文を渡した。
晴信からの文を読んだ伴野刑部が鳶介を労う。
「鳶介殿、よくぞ包囲を破ってこられた。して板垣駿州殿が内山城に辿り着き、明日こちらへ進軍すると言うのは誠か?」
「如何にもその通りでございます。今、上原備中殿、真田弾正忠殿、禰津宮内殿が只今部隊の再編制と軍議を行っております。それに伴い、村上勢も我等の軍勢を察知して、前山城から軍勢を引いて郊外野沢の地にて、明日の合戦の準備をしております。」
「承知した。御屋形様からの命では、板垣殿と村上勢が合戦を起こしても前山城から出撃せず、堅守せよとの指示だ。」
「確かに伴野殿に文を渡し申した。某は、只今より、御屋形様の元へ戻り伴野様へ連絡がついた事を報告します。」
「鳶介殿、御無事で。」
伴野刑部へ文を齎した鳶介は、再び闇夜に紛れて武田晴信の元へ去って行った。
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「備中殿、この騒ぎはなんだ?」
内山城にて、久し振りに上原備中に出会った板垣駿州は、野営してる兵士達が明日村上勢と合戦を行う緊迫した状況とは違う喧噪を感じ取っていた。
すると上原備中の陰にいた禰津宮内が、騒ぎの理由を語り板垣駿州に謝罪した。
「駿州殿、誠に済まない!我が愚娘里美が己の鍛えた女武者隊を参戦させろと禰津勢について来たのです。」
その話に板垣駿州は驚いた。
「禰津殿、某は女子が先陣に加わる事を罷り成らぬと思うておる。理由は言わずとも分かりますよな。例え某よりも驍勇を誇ろうとも女子には、差し出がましい事をされたくないな。」
板垣駿州は、禰津宮内をギロりと睨みつけながら、そう答えた。
すると板垣駿州が話終わると同時に声をかけられた。
「板垣駿州様、貴方は私達の武術を見ずにして、よくその様な口を叩きますわね!」
板垣駿州が声が聞こえた方向を振り返ると、其処には全身尽くしの防具を身に纏った勝気な美少女が立っていた。
師岡平五郎景久 のちの師岡一羽。美濃土岐氏出身。常陸の親族土岐原氏に仕える。土岐原氏に仕官中に飯篠山城守家直の弟子となり、のちに一羽流の開祖となる。




