迂闊だった!!
こういうのは一気に感情のまま書く方がいいのか、なんか難しい
まずは兄弟親戚皆仲良く
前年の1545年、武田晴信が甲府に滞在していた時に、諏訪御寮人と共にしてたと想定して勝頼の誕生日を1546年1/10に設定。
2020 2/24 許しを宥免に変更。
いきなりの事だが誕生して一ヵ月、周囲の会話を聞けた範囲だけど、俺が知ってた歴史とは違う事実がある事を耳にした。
もしかすると俺が生きていた前世とは違い、情報の流布が人伝いの噂話みたいのしか現状はないし、前世に伝わってた歴史の情報自体改竄されていたのかもしれないが、当初想定していた歴史通りの想定で、今後の指針が引っ繰り返るかもしれないからだ。(俺視点で。周囲の人々は全くそういう認識無し)
まず俺が誕生して以来、いろんな人達が御祝いに母・香姫と俺の所に訪問してきたが、本来もう亡くなっていない人もやってきていたからだ。
俺が知ってた歴史情報では、祖父頼重は四年前に甲府に連行されて自刃してるし、叔母禰々は夫頼重の自刃によって、心痛しそのまま病を患い若干16歳で亡くなってたと思ったな。それがこうして母と会話しているのに驚愕してしまった。もしかして俺が知ってる歴史情報が間違ってるのか?
しかし俺が知ってる歴史と微妙に結果が違うみたいだ。まず寅王丸は母・香姫と父の母上大井の方が父に必死の嘆願と諏訪家全家臣に対して起請文を差し出させて、諏訪家の継承を確約された。
その結果、俺は諏訪家棟梁じゃなくて、俺が生まれる前年に降伏してきた高遠頼継の養嫡子になった。そして義父・頼継は、名ばかりの当主として甲府に留め置かれて、当主不在の高遠城は山本勘助晴幸と秋山伯耆守虎繁が大規模な改修を行って、城代に秋山虎繁が任じられてた。
そういえば今後俺の傅役になり、関係が深くなる長坂光堅(釣閑斎)は、父・晴信から勘気を受けてたが高遠頼継弟の蓮芳斎頼宗を打ち取る手柄を立ててたな。長坂光堅は後世の評判は悪いが実は忠臣で名将だったと評価が変わっていたな。
それと父の妹禰々御料人も三年前に夫諏訪頼重が自害させられた時に、心痛で落命してるはずなのに、俺が転生する前から生きてる為、俺が覚悟を持って歴史改変するつもりだったのに、何もしないまま歴史が変わっていた。
そう考えてたら、祖父頼重は母上に話をし始める。
「御香よ、其方が四郎殿を出産してくれた御蔭で、儂や寅王丸共々武田の親族衆として認められるようになった。さらに御屋形様は、寅王丸に諏訪家当主として相続を認めてもらったうえに昨年の高遠合戦の戦功によって、儂の罪を宥免(御許し)になり寅王丸の陣代として励めと申された。」
さらに隣にいた美少女が祖父の正室、父晴信の妹で俺の禰々叔母上も母上に話かけていた。
「御香様、四郎殿、兄上も義姉円姫様も武田の連枝が増え、より一層栄える事になると、大変御悦びになられました。そういえば御香様の乳の出が良くないと御聞きしました。乳母の乳も宜しいですが、私は源与斎様より教えられた、牛の乳や乾酪も赤子を育てるのに確保しやすいので、御裾分けしましょうか。」
そう言うと侍女に差配して、牛乳を入れたグラスを母に渡して、飲むのを進めた。
ん! グラス!? 何でこの甲斐にグラスなんてあるんだ・・・・?
確かに戦国時代にもガラス製品はあったが、貿易に向かないはずなのにガラス製品を持ってるとは。これって、誰かからの献上品か?
・・・・なんか前世で考えてた事よりも交易とかがあるのかも・・・・
「御父上もおめでとうございます。義姉上様(禰々)の御気持ちもありがとうございます。義姉様の御身体も以前よりも丈夫に成られたと侍医から御聞きしました。これも土御門家出身の幻与斎様からの御知恵の御蔭ですね。」
しかし母上も出産後一週間も経つと、だいぶ体調が回復してるようだな。母上は勝頼が十の時に亡くなるが、もしかすると後世に伝えられた事とは違うのかもしれない。21世紀になっても新情報が出るのだから、俺の前世情報は役立たないかもしれない。
そのような会話を母と祖父夫婦がしてる時に、義叔母(禰々)の背中に隠れていた三歳位の幼児が、親達の目が外れてる隙に、俺のほっぺをプニプニし始めた。
プニッ プニ プニ プニッ プニ プニ・・・・・
おい!やめてくれっ! 触感が良くて楽しいのはわかるが、おもちゃじゃないんだぞ!!
プヨッ プニ プニ プニッ・・・
「寅王丸! 四郎殿に失礼な事をしてはいけません!!」
「びぇ~ん!! 御許しくだちゃいおかあちゃまぁ~!!」
俺をずーっと弄って喜んでた幼児は、跡部攀桂斎の妻で乳母の比呂に身体を抑えられて、義叔母に抱きかかえられて、数回お尻を叩かれ泣きながら俺に謝っていた。
この寅王丸は、この間父晴信が祖父諏訪頼重を許す代わりに諏訪宗家を継承した現当主で元服も済ませて諱を宗頼と名乗り、この前朝廷に使者を送り正式に左近大輔の官位を貰っていた。
俺は寅王丸の姉の子供だから、叔父・甥の関係で従兄弟同士の関係でもあり、諏訪宗家と諏訪分家の関係でもある。 この寅王丸とは俺が思うよりもずーっと長い事相棒として頼る事になるとは、現時点では知らなかった。
しかし現状この耳に入る情報だけで、推測するしかないのだが祖父頼重が生きていて、俺の従兄妹叔父の寅王丸の陣代となるならば、俺って諏訪家を継ぐ歴史はどうなるのだろうか? このままだと別家への養子へ送られる事はまず間違いないな。
叔父典厩信繁は武田家庶流吉田氏を継いでるし、他にもまだ幼いが松尾家、一条家、河窪家等も今後継承していくだろう。戦国時代は、養子戦略を行って与力や友好大名を増やすのが基本戦略だから、四男に転生した俺は、目指す立場は毛利両川だろうな。
「・・・・・・しかし、こう転生してみると新しい情報ばかりって? ・・・・ハッ!!」
やべぇー、独り言声に出てた・・・・
「・・・・・・・・・・オギャーッ、オギャーッ!!」
俺は泣き声を上げて、その場を取り繕う
そのような事を思考しながら、ブツブツと呟いていたのが母香姫を始め祖父頼重、禰々御料人、寅王丸、乳母の比呂、侍医、侍女達に俺の呟きが丸々聞かれていたらしく、皆々が仰天して沈黙している中、母上が最初に喋りだした。
「父上、もしかしてこの子は、建御名方命が遣わされた神童なのかもしれません。きっとこの子は武田や諏訪に御力添えしてくれるのかもしれません。」
そう呟くと、母上は俺を優しく抱き上げて、頭を撫でてくれた。
すると今まで沈黙していた正式にまだ任命されていないが、傍に控えてたもう一人の傅役の安倍加賀守宗貞が一言申した。
「奥方様、四郎様の事を御屋形様に御伝えしますか?」
すると母は、不安そうに安倍宗貞に聞いてきた。
「加賀守よ、御屋形様がこの子の事をどうすると思いますか?」
「どのようになるか分かりませぬが、御屋形様は理知的な思考をなさる方でしょうから、もしかすると神童と捉えるよりも得体のしれない物の怪と御考えになされたら、四郎様を幼くして入道させて、寺から外へ出さぬようにするかもしれません。」
長坂釣閑斎も己の意見を語り出す。
「私が思うに嫡男太郎様がおられるが二郎様は、病弱で軍務には耐え難きこと。三郎様は、西保氏の名跡を継ぎ、さらに上総の親族からも跡継ぎへと求められて、只今条件交渉に入っております。したがって将来太郎様が頼りにする身内は四郎様が有力になり、さらに諏訪との繋がりを持つ為、寅王丸様とも武田の有力親族衆となります。その為、四郎様の聡明な素質は、御屋形様は即見抜いた上にきっと重用すると思われます。」
周囲の側近とかが意見を交わしていた時に、祖父は唯々(ただただ)驚愕していた。俺がブツブツ喋ってた事にも驚いてたが、このような奇妙な孫がもしかすると娘が言うように本当に諏訪大明神が遣わせた神童だったのなら、この孫の行く末を見守りたいと何とも言いようがない心境になってきたのだった。
突如、祖父は大声を出した。
「寅王丸、諏訪家は神に忠誠を誓い、神の守護を代々行ってきた一族である。其方は諏訪宗家だが四郎様に忠誠を誓い、常に四郎様の傍で御助けしなさい。」
「あい!」
祖父がそう言うと寅王丸は、笑顔になりながら返答して、どこで教えられたのか俺に向かって、正座をして頭を下げていた。
そこまで話が大きくなると、もはや俺も喋れる事を隠す理由を無くしてしまった。
「寅王丸様、貴方は私の宗主であり、私自身の寄親の立場です。諏訪庶流の四郎に頭を下げる必要はありませんよ。」
そういうと寅王丸に向かって、満面の笑みを見せてやった。
諏訪寅王丸宗頼 諏訪氏棟梁諏訪頼重と晴信妹で正室禰々御料人との間の嫡子。姉に晴信側室となった諏訪御料人香姫。歴史で言えば、父・頼重が諏訪頼重が武田家を裏切って山内上杉氏と手を結んだ事で諏訪家が武田家に滅ぼされた。その際、諏訪家嫡子だった寅王丸は廃嫡の危機にあった。しかし禰々御料人と香姫の嘆願。それに諏訪親族衆の諏訪頼隣・諏訪頼隆始め諏訪家家臣団の誓詞を差し出された為、香姫を晴信の側室として迎える事を条件に寅王丸は諏訪家当主として、武田家に認められた。傅役は小見氏と言われてるが詳細が分からない為、小見万十郎長兼(架空)と名付ける。
高遠頼継 諏訪氏庶流高遠城城主。惣領家に常に対立してたが諏訪頼重の父・頼満の時代に諏訪家に臣従させられる。しかし諏訪頼重が武田家を裏切った際、諏訪宗家の西半分の領土を支配する条件で武田家と手を結ぶ。諏訪頼重が武田軍に敗れて、甲府へ連行されると諏訪氏統領を志向した高遠頼継は、武田軍が諏訪東部を守備を残して甲府へ帰還した隙を狙い、藤沢頼親と謀って諏訪にいる武田軍を攻撃した。しかし武田晴信は、これらの危険を危惧していた為、直ちに一万の軍勢を率い、先鋒として板垣信方と甲府に蟄居してた諏訪頼重を先鋒として、諏訪郡へ進撃し三日にて高遠・藤沢連合軍は宮川合戦にて撃退された。そして宮川合戦の翌年、追い詰められた高遠頼継は、再度藤沢頼親と信濃守護小笠原長時の支援を得て、武田家に反抗する。武田晴信は、同腹弟の吉田(武田)信繁を大将に討伐軍を差し向け、諏訪上原城にて、板垣信形と合流し伊那郡攻略を行い、高遠頼継は城を捨て武田家に臣従した。