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滋賀城降伏、そして碓氷峠を越えて

滋賀城攻め、西上野攻めの顛末回です。


西上野は、今後しばらくは一進一退になりますが、状況が変わるのは軍神様が参戦してからでしょう。

後、上毛の黄班(とら)長野信濃守業正は戦上手ですが、それ程人望が無くて同僚と揉めたりして、山内上杉氏の名が無いと大軍を集めるのに苦労します。


 小田井原合戦の疲労を癒す為、二日間合戦に参加した将兵に休暇を与えると将兵達に布告すると、(たちま)ち武田勢の駐屯地に近隣住民が食料や物資、中には春を売る者などがこの地に来て、臨時市に様変わりした。


 なんせ平時に一万以上の人口がこの地に集まる事は(まれ)なので、武田晴信が乱暴狼藉は厳禁、やらかす者は甲州法度に沿って処分すると布告されたので、住民達はおっかなびっくりで集まり始めた。


 喜信は、甲府にいる四郎がやりたかった事を考えながらも、この臨時市の賑わいが今後の武田領の各地に必要な事だと思い、いずれ四郎の助けを借りながら、武田領内を豊かな地に変えたいと考えていた。



「なあ、兵部。今頃、穴山豆州殿は、交渉をうまく(まと)めたかな・・・」


「さあ、(それがし)には交渉事の駆け引きは全く想像がつかないでございます。」



 交渉事に関して、不得意な飯富兵部に代わって、鮎川玄蕃丞に尋ねてみる。



「喜信様、今回の交渉事は降伏にしろ、城の明け渡しにしろ、どちらでも武田家の軍勢に囲まれた交渉事なので、敵が聡明ならば、結論は程なく決まるでしょう。」



 一方、降伏した上杉勢の将兵は、各地域や領主の配下毎に集められて、武田家へ仕えてるかどうかの意思確認がされた。


 上杉勢の足軽達は、自分らを戦場に連れてきた領主様の気持ち次第で、故郷に帰還出来るかどうかの瀬戸際だったので、領主達には当然足軽達の望む決断をしてほしい感じだった。



「おい、知ってるか。武田家は今回の戦、上杉家から始めた戦なので、滋賀城が落ちたら、上毛方面にこのまま侵攻するらしいぞ。ここで大軍失ってる上杉家は、このままだと滅びてしまう。そうなった時に武田家に降ったとしても、どう扱われるかわからんぞ。」



 このような流言が捕虜になってる将兵等に流れていた為、捕虜になってる豪族達の中には、激しく動揺が隠せないでいた。



「殿!武田からの誘いがありますが、殿の考えはこのまま上杉家に忠義を尽くすのでしょうか? それとも武田言う領地からの保釈金を持ってきてもらうか、一定の労役を行う事で解放するとも武田は言っていますが?」



 佐位郡赤堀館主赤堀又太郎影秀の家臣赤堀山城守は、ここでずーっと捕虜でいる位なら、武田家に通じても良いと言う考えがあったが、昨年善当主赤堀上野守親綱が河越合戦で戦死した後を継いだばかりの赤堀又太郎には、まだ武田家に仕えると言う気持ちには成り切れなかった。



 上杉家にまだ忠義の心を持った国人は、武田家に仕える選択肢は無く、大抵は領地にいる親族へ保釈金を用意してもらい開放される方を選んだが、貧しい領地を持つ国人や昨年は北条、今年は武田と二度の大敗を二年連続起こしてしまった上杉家に、もはや見切りをつけている豪族も中にはいた。


 結局、この赤堀家は領地の親族へ文を書き、その後生き残った家臣や足軽分を合わせて、百五十貫文を支払う事で翌年天正十八年になってから解放された。


 ちなみに百五十貫文の大金になったのも武田家は、長期の拘留分の家賃や食費、さらに怪我や病気にかかった者は、主が治療を御願いしてないのも係わらず、武田家が勝手に治療してやったので、家臣や足軽には喜ばれて感謝されたが、当主は複雑な心境になってたと言う。


 余談だが、これらの労役や保釈金で上杉家国人衆から得たのが、大よそ三千貫余りに成りこれらの資金はこの滋賀城攻め・小田井原合戦に参加した将兵の褒賞及び武田勢の活動資金に廻されたと言う。



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 小田井原合戦から一週間後、その間武田勢は滋賀城を包囲をしたが、一発の矢も放たずに滋賀城主笠原新三郎清繁からの返答を待ち、滋賀城を明け渡して笠原新三郎は縁戚の高田憲頼の領地へ一族全員が退去すると言う和議が成立した。


 その後、滋賀城代に真田弾正忠幸綱を任じ、武田勢は西上毛に向けて行軍を開始する事になった。


 武田家に降った西上毛勢は二千五百余になり、西上毛衆を先陣に碓氷峠に八月下旬に侵入したと言う報告が上杉家本拠地平井城にも届いてた。



「箕輪城の長野信州は何をしとるのか? 兵を集めて出陣せよと使者を送るのだ!」



 武田勢が小田井原合戦で、山内上杉勢を大いに破った為、未だ上毛には将兵がポツリポツリとしか帰国しておらず、さらに帰国した国人達も被害が大きくて出兵拒否してる国人もいた。


 結局、長野信州の手元に集まった兵力は千五百余で、箕輪城に籠城を行う以外身動きが出来なくなる。


 武田勢は、降伏した国人を味方に引き入れ、抵抗する城には降伏した国人達を先陣に使って陥落させて十月上旬までに、上野国の碓氷郡松田井城主安中越前守重繁、後閑館主北条内匠頭政時、甘楽郡丹生館新田景純、白倉城白倉五左衛門重佐、吾妻郡岩下館主富沢但馬守行連、羽尾城主羽尾治部丞幸世、山田館主、山田与惣兵衛直安、鎌原城主鎌原宮内少輔幸重、那波郡赤石城那波刑部大輔宗俊、群馬郡和田城主和田右衛門大夫業繁、片岡郡倉賀野城主倉賀野左衛門五郎尚行等から、従属或いは武田寄りの中立を宣言して、事実上長野信州の旗下の戦力は手元の三千余りしか残らなくなり、上野国は上杉家の統制が崩壊した状態に陥った。


 上毛遠征も冬も迫った十月中旬に甲府に引き上げる事を決め、先に降伏した小幡尾張守憲重を上野先方衆旗頭に任じて、元同僚で仲が悪かった箕輪城の長野信州と幾度も対戦することになる。





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