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武田の威光

喜信、初陣からこき使われる。

 武田大膳大夫晴信が、七月下旬に小田井原に到着して陣を張ってから、数日後に上杉勢が到着した。


 武田勢は、本隊武田晴信五千、吉田典厩信繁二千、甘利備前守虎泰二千、小山田出羽守信有千五百、そして上原備中守虎満千五百の軍勢が上杉勢を仕留める為に今か今かと待ち受けていた。


 一方、上杉勢は碓氷峠を慌てて越えてきて、疲労を蓄積しながらも武田勢を上回る二万の軍勢を率いてきてた。


 総大将に指名されたのは、本来は倉賀野家当主倉賀野為広だが病弱な為、陣代に指名された金井淡路守秀景が倉賀野十六騎衆三千を率い、他に西上野衆ら一万七千の計二万の軍勢が小田井原に姿を現した。


 前日から、天候が悪く雨がシトシトと降り続く中、武田勢は上杉勢が出現するまでに食事を済ませ、将兵全員が身体を冷やさぬように、皆に(かさ)(みの)を身に付けさせてた為、身体を強張る事なく戦いに挑める状況にしていた。


 武田信濃守喜信は、まだ(とお)で幼かった為、父上から身体を冷やして風邪を引く事を心配して、従卒達に命じて、板戸を立てかけて簡易囲炉裏を作り、ずぶ濡れにならぬように配慮を受けた。



「父上、僕は戦いに来たのです。このような乳母日傘(おんばひがさ)な待遇は要りませぬ。」



 喜信は、他の武将に(しめ)しがつかない事を嫌い、皆と同じ処遇を望んだ。


 しかし父上は、喜信の意見を受け流して、そのまま板戸の下に居る事を命じ、何故喜信の待遇が違うのか語った。



「喜信よ。儂が何故其方(そなた)を特別扱い行ってるか、今後の為に(しか)と覚えるが良い。」



 早く一人前に成りたがる喜信に対して、大将の心構えを説き始めた。



「喜信よ。武田家総帥の座を引き継ぐ者として、大将は常に冷静沈着であり軍略や智謀も大切だが、勝利を引き寄せる一番大切なのは、大将自身が威風堂々として、家臣達に迷いや不安を見せず、常に将兵達から見られる意識をしなければならない。将兵達の目を意識したら、自然と醜態は見せなくなり、周囲の戦場の状況が読めるようになる。」


「そして勝ちを求めすぎて、その後の状況判断を誤ってはいけない。戦とは、戦場から帰還する時も継続してると考えなければならない。戦いとは、いかに被害を最小にする事を意識するかだ。敵を倒した数を考えるのは、大将の器ではない。それは家臣達の仕事であり、手柄でもある。」



 雨の中、上杉勢が戦場に姿を現すまで、父上は喜信や近習達に語ったりして、戦の極意を伝えてた。



「越前には、朝倉宗滴と言う器量人(きりょうびと)がおるが、()の者は軍事の妙才を極めており、儂も彼の者の采配を認めておる。もし采配を学ぶなら朝倉宗滴の妙技を学ぶと良いぞ。」



 そのような語りを喜信を始め若手将校相手に語ってる姿を喜信は見てると、まるで寺院での説法のように感じた。



 ____________________________________________________________




 戦場に現れた上杉勢は、倉賀野十六騎衆三千を先鋒に兵力の多さを前面に出した平攻めで武田勢を圧倒して、そのまま押し潰して武田勢を撃破しようと単純だが、もっとも嫌らしい戦い方を陣代金井淡路守は行った。


 武田勢は、力押ししてくる上杉勢に対して、上杉勢の勢いが一番強い箇所に弓矢の雨を降らして、行軍で疲労してる上杉勢の足を止め、軍勢の動きが鈍ったところで、武田勢の戦場移動に着いていけない上杉勢は、横合いに廻された郡内衆千五百を率いた小山田出羽守が上杉勢に食らいついた。



「皆の者、突けっ!!突けっ!! 上杉勢を突き崩すのだ!!」



 上杉勢は大軍である故に只でさえ、各備(かくそな)えの動きが取れず、平攻めしていた大軍の優位な部分も郡内衆が上杉勢の中に()り込んで、疲労困憊になってた上毛将兵は足を使って、逃げる事も敵わず運良い者は降伏したが、運の悪い者は武田将兵の手柄の為に、頸を取られる武将が続出した。



 ここで父上は、喜信と喜信の傅役飯富兵部少輔虎昌に百足衆を送り、勝負を決めるので上杉勢の退路を断つようにと指示を受ける。


 但し、死兵となった上杉勢は、無理して戦う事は無い。逃してもそれは軍功を減らす事は無いとの指令を受けたので、喜信勢二千は雨で抜かるんだ大地で速戦を行った。



「兵部よ。其方(そなた)は、僕が誕生した頃、村上義清の軍勢を僅か八百で追い返したと聞いたが、その時もこんなに急いだ行軍だったのか?」



 喜信も初陣でまさかこのような戦場移動など、想定してなかった為、まだ不慣れな乗馬に苦戦しながら、行軍速度を落とさないように必死に手綱を引いていた。


 飯富兵部も若殿に答えて、赤備えの飯富衆三百を飯富兵部の甥で、前年に初陣で大きな手柄を立てた事で、甲斐の名跡山縣氏を継いだ山縣三郎兵衛尉昌景に指揮を任せて、(おのれ)は喜信の御曹子衆八十騎の指揮と喜信勢二千の采配を同時に行った。



「若殿、拙者が村上勢を追い返した時は、移動速度は同じ位でもこのような雨天での合戦ではありませんでした。確かに初陣でこんなに泥まみれになるなど、御屋形様が語った事とは違いますが、ここは勝利を信じて、敵勢を食らってやりましょうぞ!!」



 飯富兵部は、どうやら高揚していて、このまま上毛に攻め込む勢いを感じられた。


 疲労が少なかった喜信勢二千は、武田勢に敗れた上杉勢より先に信濃上野国境近辺に辿り着くと、まもなくボロボロになった上杉勢将兵が、少しづつ現れたが碓氷峠を塞ぐ位置に出現した喜信勢に驚愕して、次々に降伏していった。


 喜信は、次々と逃げてきた上杉勢に降伏する者達には、武装解除させ抵抗が強い者には、足軽達には無理せず逃して良いとの指示を行ってたので、喜信勢はほとんどの出血する事は無かった。



「抵抗する者達もいるが、ほとんどの輩((やから)は我々の軍勢を見て、抵抗も諦めて降伏か自刃する者が多いぞ。これも味方の血を流さず捕虜を得てるので、軍功の一つにはいるかな?」


 飯富兵部は、当然と言わんばかりに返事をする。



「若殿、捕虜は全て評価に繋がります。頸を取るのも手柄ですが、捕虜は身代金と交換や労役を与えたり、場合によっては武田家へ仕官される事もありますから、御屋形様は敵勢を討つより捕虜にする方をこ好まれます。」



 そのような事を夕方まで続けると、父上から連絡があり、戦場は武田勢で制圧したので、捕虜を連れて本隊へ合流せよと指示が来た。



 こうして喜信勢が合流すると、御屋形様が味方の将兵が上げた手柄の頸実験を行われていた。



「喜信よ、御手柄だったな。飯富兵部からの報告によると大将頸が四つに戦場で五百余討ち取って、捕虜は三千人以上確保したと報告があった。」


「武田勢全体では、大将頸十五、討ち取った将兵が四千余、捕虜も五千余確保した。これにより上杉勢二万はほぼ壊滅し、西上毛に動揺を誘う事が出来る。」



 父上はそういうと、次々と働いた将兵の勲功を報いて、知行安堵や金子(きんす)の贈与や活躍した者への感状をその場で書いて、論功行賞がしばらく行われた。


 そういう作業の中、喜信は捕虜にして捕まえた上杉勢将兵の行く末を気になり始めた。



「父上に尋ねたい事があります。」


「喜信は、初陣だったな、どのような事を知りたいのか?」


「未だ陥落してない滋賀城の事でございます。」


「喜信に、滋賀城を陥落させる何か策はあるのか?」



 父上は、何か腹案を抱えてるみたいだが、喜信の考えが通るのか言うだけ言う事にした。



「この度、小田井原合戦を大勝し、山城の滋賀城からも武田の勇猛さを確認してるはず。ならば彼等はこのまま戦い続けても援軍無く、犬死だと思います。そこでただ降伏勧告するだけでは、武士の意地を張り全員玉砕まで戦うでしょう。ならば彼等の戦意を挫くには、どうするかと考えました。」


「ほう、それでどのような策を使うのか?」


「戦意を挫く積もりなら、捕虜にした上杉将兵を敵前に並べてみせます。ただ敵将が逆に意地を張る可能性があります。次に、敵将の名誉を重んじるなら、父上の名に基づいて、朝廷から官位を受けてる武田家に仕えるか城を捨てる代わりに籠城兵全員見逃すかを選ばせます。」


「官位の件は以前言ったが、こちらから官位をチラつかせる事は出来ぬぞ。」


「はい、それは理解してます。僕が考えるのは、捕まえた捕虜の中に笠原清繁や高田憲頼の親族も居られるでしょう。それらに武田家が戦う意義は、朝廷の荘園を横領した国人達から取り戻す為であり、国人達の生命や本貫地(先祖代々の土地)を奪う為ではないと伝えさせるのです。こちらからの使者なら聞く耳持たずになるけど、親族の命を救ってると解れば、意固地になった気持ちを和らげれる可能性があると思いました。」



 喜信が伝えた策に少し考える仕草を見せると、重臣達に喜信の考えが通用するかと問うてみる


 まず軍配者の加藤駿河守虎景が語り始める。



「御屋形様に申し上げます。(それがし)は、若殿様の策を行う事は宜しいと思います。何故なら、今まで武田家に抵抗してる理由の一つとして、武田家の信濃支配の正統性が無いと称しての抵抗でしたが、現在我が武田家以外、信濃の統治する証を持ってるのはいません。信濃守護職の小笠原長時も幕府から任じられながら、信濃国内の治安を回復する実力なく朝廷の荘園の回復も出来ぬ不覚悟者(ふかくごもの)でございますので、朝廷が武田家に官位を賜ったんだと(それがし)は思います。」



 続いて、近年仕官した新参者ながら、能力が認められて御屋形様の懐刀的存在になりつつあった山本勘助晴幸が言う。



(それがし)も加藤駿州様と同じく、若殿の献策に賛成したいと思います。理由は、滋賀城の抵抗は十分彼等の面子を大いに(ほどこ)し、武門の誉れになってるからです。それに我ら武田家も降伏する者達に寛容な家だと各国人達に伝われば、武田家に心を寄せる家も増えて、結果的に攻め落とすよりも時間も犠牲も費用も全て軽減出来るからです。」



 続いて海野一族で、小県・佐久郡出自の真田弾正忠幸綱が語り始める。



「この地は、(それがし)の地縁があって、肩入れする意見を出す積もりではありませんが、我が地縁を通じて、武田家の統治を受ける事で、生活が楽になる(ある)いは、武田家中で公平に評価されると言った外様の心境を汲み取れるのは、日ノ本では武田家たけだと周辺に浸透する事によって、我ら武田家に靡く者達が後を絶たなくなるでしょう。」



 そして最後に、板垣駿河守信方が昨年に戦傷受けて、静養中の今、唯一の宿老甘利備前守虎泰に考えを問うた。



「御屋形様に申し上げます。加藤駿州、山本勘助、真田弾正忠、武田家が誇る三人の知恵者(ちえもの)達の御考えは誠に素晴らしい意見です。(それがし)も敵に寛容な武田家と言う評判が世論に広がる事で、戦わず降る者達が後を絶たなくなると思います。そして武田家には、例え背く者が現れたとしても盤石な家だと思わせる事こそ、武田家家臣達も安心して信頼を寄せてくれると思います。」



甘利備州が言い終わると父上は、四人の意見を満足そうに頷いて、滋賀城の処分を決める事にした。



「ここにいる諸将に申す。滋賀城には、城内全員の生命の保証の上城引き渡しの選択も(かんが)みた降伏勧告を行う。降伏勧告には、正使に穴山伊豆守信友、副使に今福石見守友清、それに上杉家降将小幡憲重が滋賀城に伴う。」



こうして孤立無援になってる滋賀城へ、降伏勧告の使者を送る事になった。




不覚悟者(ふかくごもの) 覚悟を決められない優柔不断な者。また油断して、失敗をする者。

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― 新着の感想 ―
[一言] 晴信は大膳太夫だそうだが・・ 本来大膳職ってのはお食事の際に副食・調味料などの調達やら、それ用の製造・調理・供給えをする係だそうで。 例えると今のホテルならデザート(果物とか餅)作ったりする…
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