三郎兄上の誓い
三郎兄上は影が薄いですが、上総国にて、北条・佐竹・里見に囲まれてたのに、豊臣秀吉の北条攻めまでが起こるまでの約四十年近く領国を維持してました。 天正十八年(1590年)当時、動員兵力千五百騎と言う記録があり、意外と大勢力である。
俺は甲府に帰還してから,いろんな人から説教を受けたが、二郎兄上を始め兄上姉上達からは、そんな説教を誰一人として言わなかった。
その代わり二郎兄上からは、俺がいない間に工藤源左衛門と工藤玄隋斎に作事奉行が行う事を機会ある度に学んでいたと言う。
工藤兄弟から学んでいた事で、多少は建物の普請の事を重要な事だと理解するようになって、最近は俺が将来統治する高遠城の縄張図を描いてた山本勘助晴幸と一緒にいて、山本勘助から城郭普請を学んでた馬場民部少輔信房の二人に気になる事を色々尋ねていた。
三郎兄上は、武田家庶流の西保家を継いだが、今年に入って上総国の武田分家の庁南信濃守清信が父上に三郎兄上を養嫡子として、迎い入れたいと御願いしてるらしい。
ただ正室の円姫が三郎はまだ幼くて、養子に送るのは十歳になるまで待って欲しいと父上に嘆願した為、庁南氏への養子入りは、今のところ凍結されている。
また昨年関東で大きな戦(河越夜戦)が起きて、庁南信濃守清信は里見方として動員するが、北条方が勝利した為、庁南家内部も敗戦の混乱が起きており、三郎を養子に迎い入れる状況ではなかった。
その為三郎兄上はまだしばらくは西保家当主として、躑躅ヶ崎館に残ってるので、この頃は俺や兄姉達から知識を学んでた。
「三郎兄上、只今戻りました。兄上は、御機嫌如何ですか。」
「あっ、四郎。やっと戻ってきたんだね。四郎は僕より小さいのに、ほんと偉いよなー。僕も四郎も別家に入ってるけど、僕は十になったら上総の庁南家の跡継ぎへと求められてるみたいなので、それまでに文武両道を極めて、東から父上や兄上達を支えるよ。」
三郎兄上は、まだ五歳ながら宗家を支える意気込みは凄いな。 三郎兄上が上総国へ行く前に兄上が欲しい知識を与えるつもりだ。
もし三郎兄上が里見を下して、上総・安房を統治してくれたなら、同盟国北条氏を通じて、色んな物資を行き来が可能だよな。
そうすると今川攻めなくても武田家は上総と安房の海が手に入るので、父上と太郎兄上の反目の可能性が減るよな。
里見を喰ってしまう事は飛び地になるが、今川・北条との三国同盟を継続させる意味が出てくるから、割と良い策なのかも?
北条には、下総や下野、常陸などに拡大してもらえばと考えてると、三郎兄上から話かけられた。
「ねえねえ、四郎。 四郎って、いろんな知識知ってるけど、僕に必要な知識って、何かな?」
三郎兄上が必要な知識か? まずどんな事をやりたいか聞いてみようか。
「僕が継ぐ予定の家って、里見家と接しているよね? 僕は里見家の家臣、里見八賢士を配下に出来たらいいな。」
あれ? 南総里見八犬伝は、確か江戸時代末期の滝沢馬琴が書いた物語だったよな? それとももしかして史実をベースにした物語だったのか?
そんな事よりも、例え里見の家臣団の中にいても武田家家臣に寝返る訳ないでしょ。忠義第一の八賢士なんだし、この事を三郎兄上に指摘して良いんだろうか?
「ねえ四郎、僕が武田一族の庁南家に養子で呼ばれるのは、庁南家の庶流の真里谷家があるのに何故武田宗家の血が必要なんだろうね?」
三郎兄上は、まだ幼児なのに自分が置かれる環境の事をずーっと考えていたのか。
「三郎兄上から、その話題を聞く限りでは、庁南家では男子に恵まれず尚且つ(なおか)不仲な親戚から、庁南家への干渉を防ぎたいとか?」
三郎兄上は、幼児ながら俺に向かってニッコリ笑顔を見せながら、答えてくれた。
「流石四郎、大当たりだよ。そこからの推測の続きなんだけど、北条や里見に挟まれた地域だけに遅かれ早かれ僕は天寿を全う出来ないので、上総国の方で、気ままにやらせてもらうかな。丁度には鹿島神道もあるので、父上に御願いして撃剣の師範を付けて貰って習うつもりさ。」
えっ、三郎兄上って、本当に五歳? 俺みたいに知識無くてもどこかからの転生者じゃないだろうな・・・
「四郎よ、僕は庁南家を継いでも父上を始め母上、太郎兄上、二郎兄上、梅姫姉上、見姫、四郎、甲州武田の家族の事は、みんな大好きだし、一生が長くても短くても忘れない。だから・・・・」
もしかして五歳ながら決死の覚悟を聞かせてくれてるのでは?
そうだとしたら、俺は三郎兄上を全面バックアップして、殺させる訳にはいかない!!
「三郎兄上。僕は三郎兄上が危機に堕ちた時は、必ず助けに行きます。そして兄上が国作りで困ったなら、必ず救済を行いますので、三郎兄上一人では考えず、僕ら兄弟で一緒に正解に導きましょう。」
そう俺が言うと、三郎兄上は幼い俺の身体を抱きしめて、俺の耳元で四郎有難うと言いながら、涙を垂らしていた。
四郎を抱きしめた後、俺を話して三郎兄上は決意をした雰囲気になり、語り始めた。
「四郎よ、僕は決めたよ。太郎兄上が他の兄弟皆を集めて、四郎は諏訪大明神の生まれ変わりだから、強大皆で四郎を護ろうって。そして僕等は太郎兄上から、武田家が将来苦難に陥ろうと四郎を信じていれば必ず救済してくれるとね。事実、四郎が太郎兄上に伝えた農業知識が、武田家を今後救う事になると思うから。」
三郎兄上、俺は神の子ではないよ。ただ前世が恵まれなくて、ネットからの知識を得る事で一生を終えた人間なんだよと口にしたかった。
「だから僕は、強くなりたいと思った。祖父の信虎公みたいに荒々しくも武田の家族達を護れる強さが以前から欲しかったんだ。そこに丁度上総国の庁南家から、養子の話が出た時は、気持ちは複雑だったよ。甲斐を離れたら、みんなを助けれなくなる。しかし考えを切り替えて一城の主となったら、僕は鹿島の陰流の妙技を身に付ける機会もあるし、上総や安房で庁南武田家を大きくしてやれば、貧しき甲斐への支援になれるのかと思った。」
三郎兄上恐るべし、五歳児でここまで思考するとは。
「三郎兄上、僕達は離れていても、何時までも兄弟です。僕は、三郎兄上が向こうへ行かれたら、直接助言は出来ませんが、手紙や人のやり取りで、お互いを盛り立てる事も出来ます。そして、いざお互いが危機に陥れば、連動して協力に当たれる状況作りを目指します。」
「四郎よ、僕は四郎から恩を受けっ放しだね。どちらが兄かわからないや。」
三郎兄上は、そうボソリと言うと笑い始めた。
西保三郎信之 1543年生まれ 最初甲斐の武田一族西保氏を継ぐが、1553年に上総国の武田一族庁南信濃守清信の養嫡男として迎い入れられ、名を庁南兵部少輔豊信を名乗る。 上総国では、第二次国府台合戦の結果、里見氏から北条氏へ乗り換える。甲斐武田宗家とは、細々ながら繋がりが残っており、武田が滅亡した時に、仁科盛信遺児など武田一族を庁南豊信を頼り匿っている。




