清左衛門への御褒美
四郎は、清左衛門に稲に品種改良の初歩を教えて、寒冷地対応の稲作を試験させます。
木酢液、時間かかります。
俺は再び清左衛門の屋敷へ戻り、太郎兄上からと称して清左衛門一家に御褒美を与えようと思った。
しかし、ただ金銭を渡すのは良くないと思ったので、ある物を渡す事にした。
「生左衛門よ、僕は太郎兄上の代理で、清左衛門等に御褒美をあげようと思うだが、その前に少し頼み事があるんだよね。」
「四郎様、私に出来る事なんでしょうか?」
俺は自身たっぷりに言った。
「決して悪い事ではないが、もしそれが起きたのなら不幸ではあるが、必ず行って欲しいんだ。」
俺がそう言うと、清左衛門や息子の七郎太は、またもや不安そうな顔をしていた。
「まずはじめに言うけど、百姓をやってると毎年必ず豊作と言う訳ではないよね?」
「はい、四郎様り言う通り、苦労して育てた米が冷害や大雨にやられることも多々あります。」
俺は清左衛門に解ってるじゃないとか言う表情して、再び笑顔で会話を続ける。
「僕は、将来的に寒い地域での稲作を目指しているのだが、冷害や大雨でも稲は全滅する訳じゃなくて、元気に生き残って実を作る稲穂もあるのは、清左衛門は知ってるよね?」
「はい、それは知ってます。だけど、それだけの米では我々は餓死してしまいます。」
「僕はその生き残った元気でいる稲穂の種籾を食べないで、確保してて欲しいんだ。そして来年度に出来る一番元気な稲穂と交配させて欲しいんだよ。」
清左衛門は怪訝そうな顔で俺に聞いてくる。
「四郎様、そんな事やって何が起きるんですか?」
「そうする事で、香椎した品種は徐々に寒さや大雨長雨に強くなるんだよ。」
そんな事を初めて聞いた清左衛門と七郎太は、驚愕していた。
「しっしししっろうさまは、やはり諏訪大明神の化身なんですね。」
あまり喋らない七郎太も思わず口にした。
「ほんと四郎様の噂は本当だったんだ・・・」
俺は、そんな偉い者ではないと否定した後、再び話を続ける。
「清左衛門に七郎太よ。これは一年二年で、結果が出る事ではない。結果出るまでに清左衛門が亡くなって、七郎太が老人になるまで結果が解らないかも知れない。 それでも諦めずにその年の一番強い稲穂と交配を続けてくれるか?」
すると清左衛門と七郎太の親子は、意を決して大きく頷いた。
俺は、その言葉に満足したのか、二人に御褒美を伝える。
「清左衛門、七郎太よ。其方達には、今後も迷惑かけるがその代わりに僕が信州諏訪で作らせてる木炭から出来た副産物、木酢液を渡そう。」
二人は木酢液と言う聞いた事ない物を授けると言われて、どういう表情していいか分からなかったが、俺は木酢液がどう言う物なのか伝える事にした。
「木酢液とは、木炭を作る際に木炭から出る煙を冷やして溜まった汁の事なんだ。この汁には、害虫を避ける効果や弱った土壌を回復させる効果があるんだけど、直接触れると皮膚が爛れるので、必ず原液の五百倍に薄めて使って欲しい。」
「また汁の底にあるドロドロしたのは、そのまま土壌に捨てると草木が生えてこなくなる位、除草効果が強いので、別の使い方として、家屋の柱などに刷毛を使って塗るとシロアリ除けにもなる。」
清左衛門親子は、あまりに凄い物をくれると言うので、口をパクパクしたままだった。
「でもね、今すぐには木酢液が無いので渡せないんだ。今、木炭作りを行う人夫集めを行ってるんだけど、流民を雇おうと思ったら、流民の中で疱瘡が流行したせいで人夫が足りないんだよね。人夫が集まってから木炭作りが開始して、木酢液を集めるまでに一年近くかかるので、それまで待ってくれるかな?」
俺がそのような空手形を語っても清左衛門と七郎太は、全く不満な態度を見せなかった。
「四郎様、私達は何も不満など感じていません。寧ろ恐縮すぎて、武田家への御恩は一生かかっても返しきれません。」
清左衛門がそう言うと二人共、床に頭を擦り付ける程、平伏した。
その後二人共、俺に対して恐縮しっ放しだったので、俺はそろそろ甲府へ戻る事を伝えた。
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躑躅ヶ崎館へ戻ると、父上の正室三条円姫と俺の母上香姫と乳母の比呂に、傅役の跡部攀桂斎信秋と安倍加賀守宗貞、二郎兄上、三郎兄上、梅姫姉上、見姫姉上そして俺の祖母御北様が俺の帰還を待っていた。
「しろぉぉぉうっっっ!!母は、四郎に逢いたかったのよぉぉぉっ!!」
最初に声を上げたのは母上で、俺と離れてた期間はいつも不安と心配で、ずっと涙を流してを流していたらしい。
ちょっと母上の溺愛にドン引きであるかも。
その次に奥方様が俺に優しく窘めてきた。
「四郎殿、いくら神童でも母上をこんなに悲しませてはいけませんよ。太郎も四郎殿の事を心配してましたけど、朝廷から任官を受けた為に政務に励んでおりますので、この場に来れません。」
俺は奥方様の言葉を真摯に受け止め、二歳児の俺があちこち蠢いてる事に反省し、なるべく家臣に任せますと奥方様に伝えた。
その次に普段は余り奥御殿から出てこない祖母が俺の事を見て、一言言う。
「四郎よ。四郎は二歳児ながら、晴信より祖父信虎に性格が似てるのかもしれませんね。信虎様も四郎みたいにじーっと出来なくて、餒虎と呼ばれてましたよ。」
げげっ、祖母から俺の行動は、信虎と同じ餒虎と言いたいのか、結構ショックな言われ方だな。
祖母から聞いた一言で傷ついてると、隣では傅役の跡部攀桂斎、安倍加賀守と長坂釣閑斎の二対一で言い争ってた。
「釣閑斎!お前は四郎様の傍に疱瘡患者を近づけたのか!」
「そんな危険な事するか! あの時は、偶然徳本先生と出会って、落合の寺院を借り受けて読本先生らに四郎様が疱瘡の病気の特徴を教えた後、読本先生が引き継いで分かれてきたんだよ!」
「釣閑斎、俺は攀桂斎殿みたいに責めないが、何故我々に状況を手紙で知らせなかった? その事に怒りを覚える。」
傅役同士揉めてるが、俺が口出して誰かの肩を持ったなどと、言われたくないので放置する。
やれやれと思ってたら、乳母の比呂と二郎兄上、三郎兄上、梅姫姉上、見姫姉上が俺の方に駆け寄ってきた。
「四郎様っ、まだ幼児なのに、どうしてこんな無茶して、甲武国境などと行かれたのですか?香姫様は、大変悲しまれておりますぞ、」
乳母の比呂は幼い頃から母上と一緒なので、母上の保護者感覚で俺を非難してくる。
これもまた疲れる話だけど、比呂は傅役跡部攀桂斎の妻なので、無碍に出来ない。
「比呂、僕は武家の子なので、言い訳はしたくありません。素直に御免なさい。」
そう言って、比呂に全面降伏した。
御北様(大井の方) 1497年生まれ 武田信虎正室 武田晴信母 武田一族であるが武田宗家と敵対して、今川家と同盟結んでた大井信達の子女。 永正14年(1517年)に大井氏は武田信虎に敗れて、和睦した為、大井の方は人質兼正室として、信虎に嫁ぐ。その後信虎とは長女定恵院、嫡男晴信、次男信繁、三男信廉を産んだ。信虎は、嫡男晴信に甲斐を追放されたが、大井の方は信虎に随行せず甲斐へ留まる。
餒虎 餒虎とは唐語で飢えて牙を剥く虎の事。武田信虎が近隣からそう呼ばれてた。




