雪解けの春
前世で、寝たきりで人付き合いなど無かった四郎に人道の問題が起きます。
「四郎様、それはなりませぬ。流民は敵からの細作が紛れ込む可能性があるし、河原者は武田へ税を納めておらず、庇護の対象ではございません。山家者にいたっては、家を持たず山深き所で狩りや盗みを行いながら暮らす山賊でございます。」
二郎兄上と寅王丸と源与斎は、キョトンとしてたが、他の者達は余り良い顔してない感じに見えるな。
しかしどうしたらよいか、別に領民だけでも事業を進められるが、甲斐に暮らす者達は身分卑しき者達も貧しい甲斐では、貴重な労働力だ。
それを理解させるには、今この場で議論しても解決しないだろうな。
父上か太郎兄上しか、この状況を変える事が出来ないので、ここは一旦話を下げる事にした。
「攀桂斎の言う事、承知したよ。」
「御分かりに成られるのなら、爺も一安心でございます。」
今は、自由に動けるようになった時、必ず武田の貴重な戦力に加えるぞ。
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雪が解けて、軍勢が動かせる二月末になると、父上は小県郡の砥石城を板垣信方を大将に任じて、三千五百の兵で攻めるが砥石城の抵抗激しく、大将板垣武方は深手を負い、さらに村上義清が後詰を素早く行い、短い時間で引き上げる。
損害は、二百余りの死傷者ながら、村上義清は武田勢を追い払って勝鬨を上げた為、武田に下った者達が怪しい活動が目に付くようになった。
父上は宿老板垣信方の敗退に、駿河守(板垣信方)は驕ったなと言い放ち、しばらく信方には静養せよと言い事実上の謹慎を命じた。
父上と太郎兄上は、朝廷からの勅使を迎え入れる準備に忙しく、太郎兄上も朝廷の勅使が来る前に十歳で元服を果たし、名を武田太郎喜信と変えた。
太郎兄上は、父上から政務に参加する事を許されて、甲斐国内の政策を太郎兄上独断で行う事も限定的ながら、許されたので大喜びするかと思ったら、逆に気を引き締めていたので、どこまで真面目なんだよと思った。
二月の終わり頃、朝廷の勅使が来て、半年前に来た同じ顔触れで大納言三条公頼様と権中納言四辻季遠様が来て、父上と兄上に官位を授けていった。
「皆の者、面を上げよ。今日より儂は武田大膳大夫晴信である。そして我が嫡男太郎は、武田信濃守喜信と称する事になった。」
父上と兄上が授かったのは、前世では永禄二年(1559年)の事だから、いくらなんでも朝廷は与えるの早すぎだろー。
それはともかく勅使が武田家に与えた物は、まさに今一番欲しかった大義名分だった。
これがあれば、上杉謙信と戦うにも互角に戦えるし、信濃の国人達も武田に降ったり、好を通じたりする事も可能になった。
そんなビックイベントが武田家に舞い降りた影響は、周辺勢力にすでに与え始めた。
まず小笠原長時や村上義清配下の国人達から、武田家と好を通じたいと手紙を遣すになった。
さらに信濃北辺の高梨政頼からは、村上義清と領土紛争が長年起きてたが、もし今村上氏と争ってる領地だけ認めてくれたら、武田家へ馳せ参じると手紙がきた。
そしてその手紙の最後には、我が嫡男高梨政親の正室に晴信公の娘を迎え入れたいと遣してきた。
この話には続きがあって、木曽義康からも嫡男義昌の正室に娘を下さいと手紙がきて、父上は悩む事になる。
父上の悩みは、現在伊那高遠城の増改築普請の縄張を行ってた山本勘助が話を聞いて、急いで速達を送り献策してきた。
『 御屋形様、高梨政頼の背後には親戚関係の越後長尾氏が、木曽義康の背後には東美濃遠山氏が居られます。御屋形様の娘子がくて幼くて、婚姻に早ければ、武田の血を引いた養女を娶らせるのは如何でしょうか。
この時を逃せば、高梨も木曽も潰す為に婚姻を断ったと受け取るし、例え婚約にしても高梨も木曽も不安が拭えないでしょう。
しかし養女であれ、武田の血を引いてるなら、相手方も急な婚姻にも対応するぐらい、自分の家が重用してると感じ、悪い気がしないはず。
弱い立場の者は約束は時間をかけたら、反故にされる恐怖心が起きるので、鉄は熱いうちに打つ事を勧めます。 山本勘助晴幸 』
この手紙の後、父上は武田一族の中から、今は亡き叔父勝沼安芸守信友の二女栄姫と南部下野守宗秀の三女勝巳姫が父上の養女となり、来年輿入れする事に決まった。
こうして村上義清と小笠原長時の背後に、武田家の連枝が出来る事に危機を感じていた。
最初に動いたのは村上義清で、五千の兵で高梨領を併合する為、兵を勧めて、戦上手の村上義清は、高梨政頼の飯山城を狙い高梨勢の夜戦を行い勝利した。
この戦いで、政頼は嫡男高梨源五郎政治を失ってしまい、危うく武田家との婚姻が失敗することになりそうだったが、嫡子となった次男秀政に嫁ぐ事で話が纏まった。
しかし養女とは言え、父上の娘婿になるはずだった高梨政治が討ち死したことで、父上は弔い合戦も理由にして、村上義清を攻める事に決めた。
「先程、村上義清に一杯食わされたが、武田家が信濃統治の名目は朝廷が与えてくれた。今後、信濃守喜信の軍勢に歯向かう者共は、朝廷に弓引く逆賊だと内外に申し渡す。」
躑躅ヶ崎館の一番の大広間に重臣達を集めて、こう言い渡した。
「皆の者、これより佐久・小県へ進み村上義清を成敗して、儂の前に膝まづかせよ」
「ハッ!」
「甘利備前守虎泰を大将に上原伊賀守昌辰、真田弾正忠幸綱は、海尻城を奪い取れ。」
「御屋形様、承知しました。」
「吉田典厩信繁を大将に、飯富兵部少輔虎昌、小山田出羽守信有は、薄井峠にて上州勢の侵攻を止めよ。」
「兄上、命に代えましても長野業正を信濃の地へ一歩も入れませぬから、安心して村上義清と決着してください。」
「後の者は内山城の大井貞清を攻めるぞ。」
武田家に信濃統治の大義名分を得たので、士気軒昂となった。
「皆の者、御旗楯無を御照覧あれ!」 「エイッ!エイッ!オーーーッ!!」
こうして武田勢は、佐久・小県郡制圧に乗り出した。
俺は、留守番組なんで、父上には出兵する前に色々許可貰って、頼み事も行い流民、河原者、山家達を雇用しても良いとの許可を得た。
父上としては、人材活用出来るかお手並み拝見と言う気持ちだろう。
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俺は、母上に頼んで生まれて初めて、母上へ別行動した。
「しぃぃぃろぉぅぅぅぅぅぅっ!」
母上は、まるで今生の別れのように泣いている。 凄く心が痛い・・・・
今は、小笠原源与斎におぶって貰い、傅役長坂釣閑斎と近習衆八人全員を伴って、関東から来た流民達がいる甲武国境秩父の山奥近くにやってきた。
「ぜぇはぁぜぇはぁ、しぃろぉうぅさぁまぁぁぁ すっこぉぉしぃぃ やぁすぅぅみぃぃましょょう」
俺を背負ってる源与斎が死にかけてる。 がんばれ、俺がお前を見届けてやる。
「四郎様、ここです。関東から戦乱で焼き出されて甲州まで逃れてきた者達は。」
諏訪新六郎が、この先に流民達がいると知らせてくれた。
すると長坂釣閑斎が俺をこれ以上行かないように止める。
「四郎様、これ以上は危険ですので、ここでお待ちください。」
長坂釣閑斎が、有無を言わさず俺をここに留めさせ、秋山紀伊守が交渉に行くと言って、先へと馬を走らせた。
しばらくすると怒号が聞こえて、何か言い争う声がこちらに聞こえてきた。
士気軒昂 軍事用語で、大いに意気込みがある事。類似語に意気軒高、士気高揚がある。




