表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
14/155

小原兄弟、初陣する。

天文枯薄(てんぶんかれすすき)

 流石に銭百貫は大金だったかもしれない。


 銭百貫なら、山本勘助仕官時の年俸だし、石高に直すと約四百石(72.000kg)。


 戦国時代、出兵時将兵に一日一升(1.8kg)の米を配ってたと言う記録があるから、一石で百人分の一日の兵糧、もうすぐ出兵するのに四百人分の百日分の兵糧にになるとしたら、そりゃ銭百貫なんて出さないわな。


 ちなみに今回佐久小県へ出兵する兵力は、約五千で史実によると三月初旬から五月末まで活動していたから、兵五千なら一日五十石、三ヶ月なら四千五百石。


 それらを武田領内全てから賄えるかどうかは怪しい。


 なんせこの当時の武田家は甲斐国、信濃諏訪郡、伊那半郡、佐久半郡、小県郡一部位だとしたら、石高に直すと甲斐国二十万石、信濃諏訪郡三万石、伊那半郡四万五千石、佐久半郡三万五千石、小県郡一部二万石で計三十三万石ぐらいじゃないかと思ってる。


 ほんと苦労した割には石高が低いんだな、父上が一生かかって広げても百万石超えた位だったんで、いかに尾張・美濃・伊勢を支配した織田信長が恵まれていた事がわかる。


 父信秀時代はその時でも二十万石位支配してて、津島湊と熱田湊の恩恵が羨ましい。


 それはさておき、父上から送られてきたのは二十貫、それに以前から頼んでおいた人足が十人到着し、頭領が柿屋五兵衛と言う人足頭であった。


 俺は、比較的忙しくない近習小原丹後守広勝と小原下総守忠国兄弟を呼び、赤子の俺の名代で人足達をクヌギ林へ連れて行き、俺が教えた椎茸栽培を行ってほしいと伝えると、まだ十代半ばの少年である小原兄弟は不服のようで・・・・



「四郎様、我々は四郎様の身辺警護の任を御屋形様より、命じられております。」


「我々は、百姓じゃないので、椎茸栽培など命じられても失敗するに決まってます。」



 二人とも嫌々なのがありありと見えてたので、俺は仕方なく母上に言った。



「母上、新しい富国政策を行う為に誰かが人足達を指導しないといけないのに、僕が任じようとした小原兄弟は辞退しましたので、仕方ないので僕自らが人足達を指導します。」



 すると母上は、四郎の話に乗っかり自分もついて行くと言う。


 その話に慌て始めたのが小原兄弟で、結局人足達を引き連れて春と秋二回で行う事に決めて、柿屋五兵衛には一日銅銭三十文、他の人足には一日銅銭二十文の合計一日銅銭二百三十文で、春と秋一ヶ月程づつ雇い、後は小原兄弟が毎日手入れして収穫の実験を行う事にした。


 椎茸の菌を榾木に植え付けた後、あとは小原兄弟に管理を任せる。



「兄上、御屋形様が佐久攻めに出陣するので、そこで初陣を行いたかったな・・・」



 弟小原下総守が愚痴ると兄小原丹後守が返事を返す。



「お前はまだ十三なので初陣はまだ早いぞ。俺なんて十六で今度の佐久攻めの初陣を済ませるつもりだったんだから。」


「兄上、こんなの武士がやる務めじないよなって、藪の向こうになんかいる!」



 ガサガサっと、草木を掻き分ける音を立てて椎茸の榾木(ほだぎ)を倒しながら、小原兄弟の方へ向かってくるのは、子連れで体長五尺余の体重四十貫超えの母猪。


 その勢いは女子供が跳ねられたら、命を落とすくらいの勢いで大切な椎茸の榾木(ほだぎ)を倒して、荒らしまわってた。



「おい!忠国、このままでは四郎様の椎茸がダメになってしまう。あの猪を討ち取るから、両側から挟み撃ちにするぞ!」


「承知した兄上!」



 本来なら佐久攻めに参加して、初陣飾ってると思い込んでる兄広勝はボヤキが止まらない。



「俺、初陣が猪じゃなくて、御屋形様や四郎様の元で、戦場働きが良かったのにな。」



 母猪は、兄小原丹後守を牙で刺して吹き飛ばそうと突撃してきたが、小原丹後守は紙一重でかわして、母猪が接近した瞬間に、小回りが利く脇差を首に突き刺した。



「ブッグィーヒィー!!」



 小原丹後守は母猪の返り血を浴びた時に、弟小原下総守が走りこんできて、母猪の心臓付近を太刀で一刺しをする。



「こぉのぉっ!兄上を傷つけるなっ!」



 止めは、小原丹後守が抜いてなかった太刀を母猪の首根っこに全力で叩き斬った。



「うぉりゃっ!!」  「ブゥォーッブォーッ!!」


「兄上、やっと母猪を討ち取りましたね。お怪我はありませんか?」


「ああ、心配ない何とか討ち取った。ウリ坊達は母猪が倒れたので、慌てて山奥へ逃げたみたいだ。」


「忠国、この母猪をどうする?」  「兄上、こいつを四郎様に献上しましょう。」


「我ら二人で、こんなの担げないぞ。」  


「どうせこいつの肉は我らだけでは食べきれないから、人足の奴らも運ばせる代わりにお裾分けしましょう。」


「そしたら忠国は、人足頭の柿屋五兵衛を呼びに行ってくれ。俺は逃げた瓜坊達が戻るかもしれないから、もし戻ったらとっ捕まえてやる。」


「承知しました兄上。すぐに戻るから気を付けてください。」


 小原下総守が、惣郷にいる人足達を呼びに行った後、倒れた母猪の傍にあった岩に腰かけて一息吐いた後に母猪に斬りつけた太刀を見て嘆息をした。



「やれやれ、父上から元服の時に授かった太刀が強引に斬りつけた為、刃毀(はこぼ)れしてしまってるな。」



 すると気がつかないうちに倒れた母猪の周りに一尺に満たない五頭のウリ坊が右往左往していた。



「こいつら母親がいないと乳吸えなくて飢え死にしてしまうのか。なら俺が五頭とも持ち帰って、四郎様が欲しがってた繁殖用の家畜にしてやる。」



 倒れた母猪から離れない五頭のウリ坊は、小原丹後守が悪戦苦闘しながらもウリ坊の胴体に縄を縛り付けて、連れ帰る事に決めた。


 一刻過ぎた頃、小原下総守が人足達を引き連れた戻ってきたが、柿屋五兵衛を始め十人の人足達は、倒れていた大猪に驚いて、こりゃ惣郷まで運ぶのは大変だと言うボヤキと新鮮な猪肉の分け前がもらえると言う喜びの半々の感情になってたのは、言うまでもない。



 翌日小原兄弟は、四郎に椎茸栽培の榾木(ほだぎ)を荒らしていた母猪を倒し、ウリ坊五頭を連れ帰ってきたと報告してきた。


 俺は、その報告に小原兄弟を褒め称える。



「よくやった、広勝!忠国!椎茸を護るだけではなく、五尺超えの大猪だったと聞いたぞ。其方(そなた)達は、若輩ながら敵の総大将(母猪)を初陣で討ち取るとは、見事な働き!ここに僕からの感状を受け渡す。」



 小原兄弟は、感状を(うやうや)しく受け取り、四郎から獅子(猪)殺しの小原と名乗るが良いと申せられた。


 なお四郎一人が猪肉が食べれない事を悔しがり、小原兄弟に僕が大きくなったら、猪をまた捕まえてとお願いしてたと言う。










小原丹後守広勝 1531年生まれ 近習衆 父上から「武道以外のこと、小原兄弟と秋山光次が相談し                    て、致せ」と言われた思慮深き兄弟と言われる。

小原下総守忠国 1534年生まれ 近習衆 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ