四郎、陰陽師を得る
史実の小笠原源与斎は、武闘派馬場美濃守信春にインチキ手品師扱いで嫌われております。
小笠原源与斎、土御門家系吉田家傍流であり若狭国出身だったが、若狭国で起きてる戦乱を嫌い親族であった甲斐吉田氏を頼り、甲斐国に流れ着いた。
源与斎は若輩ながら、陰陽術とりわけ神変(式神)を扱うのが得意だったので、山本勘助晴幸と同時期に雇用された。(山本勘助と違い、仕官ではない。)
源与斎は、正式な仕官に繋げる為、度々神変が役立つと言うパフォーマンスを行ったりしたが、武田晴信を始め馬場美濃守信房や山本勘助など、外連味を嫌う諸将からは、芳しい評価は得られなかった。
そんな事があって、そろそろ武田家から退去を考えていたら、御屋形様から呼ばれて今年の初めに誕生した四郎様の話を源与斎にされた。
何でも産まれたての赤子なのに喋り始めたと言うではないか。
英邁な御屋形様は、何より奇を衒う事を嫌い道理を通った事を好まれる質なのだが、どう考えても赤子が喋り、さらに武田家への将来に関する重大な事も発言したという事で、妖の類かと疑って、陰陽師を操る判兵庫と源与斎が呼ばれて相談を受けた。
すると判兵庫も源与斎も四郎殿には、力強き魂が赤子の身体に宿されてると言い、この魂を持つ人身は、今の日ノ本には他にはいないと言う。
陰陽師二人からそのような話を聞いて、その後四郎殿と会談を行って、四郎殿と御約束を交わしたらしい。
その約束の一つに四郎様の知識の漏洩を防ぐ、防諜担当者を付けて欲しいと言われた為、伴兵庫と源与斎の陰陽師の二人の内どちらかが四郎様の傍に仕える事になったが、簡単に源与斎に決まった。
判兵庫も源与斎もそれぞれ優れた陰陽師であり、軍配者として武田家に仕えたが何の事はない判兵庫の方が軍事的資質が高いと御屋形様に見なされて、源与斎は武田軍参謀としてより、四郎様の補佐役が向いてると思われた為だ。
年長である判兵庫は、己の陰陽術をひけらかすような性格ではなく、求められた事に対して淡々と助言する質であり、その辺りの物が御屋形様が好む人材だった。
一方、源与斎に対しても信頼しており、もし源与斎が認められてなかったなら、奥方様が飲むようになった牛の乳汁や乾酪等を食する事はなかったと思われる。(おそらく土御門系吉田氏と繋がりある甲斐吉田氏を武田晴信の弟、典厩信繁が継承した事が関係か。)
御屋形様に呼ばれ、新たな辞令と正式に知行七十五貫にて仕官を認めた書状を受け取った源与斎は、一旦支度を整えに躑躅ヶ崎館城下にある自宅の長屋に戻った後、翌日躑躅ヶ崎館の奥御殿に登城した。
奥御殿に入るには、正室三条円姫様の承諾が必要だが、御屋形様から渡された書状を奥御殿を護る御寮人様衆の前嶋和泉守に渡すと無事御香様の御殿まで案内してくれた。
御殿まで付いていくと、四郎様の傅役安部加賀守と近習達が一緒に立ち会って、御香様の部屋に入室を許可された。
「御入りなさい」
乳母比呂の声が入室を許可されると、御香様と御香様の胸に抱かれてる四郎様、そして入室を許した乳母比呂が御香様の傍にいた。
「初めまして、御香様。私めは御屋形様にこの度仕官を御許しなされた、若狭国遠敷郡名田庄の住人土御門氏庶流吉田氏出身の小笠原源与斎と言います。故あって、この武田家にこの度仕官が相成って、主君晴信公から、御曹司四郎様の側近へと命じられたものでございます。以後良しなにごさいまする。」
すると母上がニコニコしながら受け答える。
「其方が小笠原源与斎殿であるか。何時ぞやは、私が四郎出産後、身体の体調を失った時、奥方様より牛の乳汁と乾酪を御授かり食しもうた。あの時、源与斎から贈された物は、食事を受け付けなかったこの身体に染み渡り、大変助かりました。本当に感謝します。この度、我が子四郎の御傍に御仕えなさる事、大変嬉しい限りです。どうか良しなにしてください。」
そういうと母上は、深々と謝辞の意を表して頭を下げた。それを見た俺も真似して頭を下げて、母上と同じく謝辞の意を見せた。
「ところで其方は、御屋形様より、四郎の事を伺っておりましたか?」
緊張した面持ちで源与斎は、御屋形様よりきかされてりますと答えた。
「ならば四郎は母親が言うのも何ですが、諏訪大明神が武田家に与えもうた神童です。これから四郎が口にする事に一々(いちいち)驚いて取り乱さなないように。」
母上がそう言うと、俺は源与斎に尋ねた。
「源与斎よ、其方は父上から僕に仕えなさいと命じられてきたのですか?」
「御屋形様より、四郎様の御傍を御守りする御役目を仕りました。」
「僕の周りには、頼もしい傅役達と近習達が居られるが、其方の役目は闇に蠢く者達、つまり敵の忍びや陰陽師からの攻撃から護ってくれる事なのか?」
「その通りでございます。」
「それと僕が必要とならば、其方にも助言を求めるからな。」
誕生してままならないのに、四郎様はここまで達者に喋るのか・・・・
「源与斎に聞きたいんだけど、式神とはどこまで操れるのかな?」
四郎の言った式神の話に吃驚した源与斎は、思わずえっ!と声をあげてしまった。
「本当に驚いてしまいしまた。陰陽師の式神を使役してる事は、世間の人々は知らない知識、四郎様はどこでその知識を得たのか不思議でなりません。」
俺は苦笑しながら(赤子なので、表情は判らないけど。)源与斎の問いに思わず誤魔化した。
「僕も知識の出所は判らないけど、源与斎程の術師は日ノ本にはいないと思ったから、術で何でも出来ると思ったから、聞いたんだよね。」
「四郎様、私が使役出来るのは、思業式神と擬人下位式神までは、可能でございます。」
「思業式神と擬人下位式神はどのような物なのだ?」
まさか赤子がここまで陰陽師の話に喰いついてくるとは思ってなかったので、明らかに焦りの表情を見せていた。
「思業式神とは、術者の思念によって、式神を創り出します。式神の能力は本人の能力によって変化します。一方、擬人式神は、紙や藁、草木で人形を製作し、そこに術者の霊力を注ぎ込みます。上位擬人だと自我を持ち、下位擬人は自我を持たせない物になります。あと私がまだ会得してないのに悪行罰示神と言う術があり、過去の悪霊を勝負して従属させて使役させるのですが、術者の力が弱いと逆に飲み込まれてしまいます。」
そう源与斎が答えると、四郎様はしきりに感心していた。
小笠原源与斎は記録にありますが、経歴の設定はオリジナルです。




