京都は、鬼の住処
入江弾正忠久秀と別れてから二日目には洛外(山城国)に到達し、猫有光江達一行は洛中(京都)に入った。
光江達は、ただ洛中を通り過ぎるのは勿体ないので、もし何か調達できる物があれば購入する積もりであったが、初めて都を見た光江は応仁の乱以来の都の荒れた姿を見て暫し呆然とし、初めて日ノ本の王都を見た原蹴煤一行は、都の惨状を見て日ノ本の統治者の権力の弱さに呆れていた。
「オー、コノヨウナスガタノトシハ、マルデタタールニオソワレタバクダートノヨウダ。」
それを耳にした高安彦右衛門一益は、原蹴煤が何と言ったか聞き取れずにいたので、原蹴煤の妻林姑娘に聞いてみた。
「林姑娘さんよ、原の旦那は一体何と言ってるのだ?」
「夫は、日ノ本の都が余りの惨状を見て、かつて栄華を誇ったバクダッドの都が蒙古の襲来によって、路滅んだ姿の様だと呟いたのです。」
「なるほど、言い得て妙を得てる話だな。ここの都の統治者は足利将軍家であるが八十年以上も前より大名同士の争いに巻き込まれて、常に戦によって荒らされてるのだ。今だって、昨日一緒に花見をした三好家とその主君筋に当たる京兆細川家が昨年より争ってる為、ここ洛中の政情が落ち着かないせいで、建物は焼け落ち市中には死体が転がり、野盗の類も蔓延ってるのだ。」
「なるほど、その様な状況でありましたか。私の故国の明でも国内外には動乱が起きて北虜南倭と呼ばれる脅威があり、しかも朝廷内の腐敗もあって前線で働く将兵達が孤軍奮闘している状況なのです。」
「なるほど林姑娘さんの故国も日ノ本の様に混乱してる状況なのだな。まあ拙者等傭兵にとっては、この混乱に食いっ逸れる事ない状況なので、稼がせてもらってるがな。」
その様な話が猫有一行の中で出て来てたが、このまま治安の悪い都での物見遊山は危険だと判断して最低限の買い物とかを行ったら、すぐに都から離れる事に決めた。
その時彦右衛門は、この様に荒れた都では異国人の女子供を連れた我々では、人攫いや野盗の恰好の餌に映るから、丁度入江弾正忠から餞別を貰ったので、これで追加の用心棒を雇うのはどうか?と光江に提案してきた。
「彦右衛門殿、現状は確かに我々は二台の荷馬車率いてるので、野盗に襲われた時は逃げきれないでしょう。その為、彦右衛門殿に護衛の依頼をお願いしましたが、もし良ければ都(みやこ護衛の者達を追加できるでしょうか?」
「光江さんは、我々二十人の護衛でも足りぬと感じるのか?」
「いえ足りぬと言いたいのではありませぬが、都がこのように荒れていたとは私が想像していた状況よりも危険なのだと思いました。」
彦右衛門は少々不満げに光江に答えたが、都の周囲は三好家と京兆細川家との戦乱が各地で起こっており、この先の近江国を進んでも京兆細川家と姻戚関係にある六角家の領地を横断する事になるので、信州高遠まで無事に原蹴煤達を連れて行かなくてはならない光江にとって、この都での惨状を見てしまった為に不安感が一気に押し寄せてきたのであった。
「ならば京で六角家を致仕して武芸師範を務めておられる知り合いを一人知ってるので、その者に声をかけてみるのはどうだろうか?」
「どの様な方なのでしょうか?」
「六角家では、弓術師範の家系に生まれたのだが家伝を巡って主家六角家との争いになり、家伝の断絶を恐れた父親から奥秘真伝を授けられて、京に逃れてきた者を俺は知ってる。ただその者は六角家と揉めてるから、我等と同行して六角領内を通過する事を嫌がるだろうよ。」
「それは残念ですね。確かに六角領を避けて東国に向かうのは、恐らく嫌でしょう。」
「ただ本人は嫌がるが、弟子達もいるのでその者達を信州までつけてもらうのは、どうであろうか?」
「なんと!! その様な事が出来るのでありましょうか?」
「光江さんよ。俺だって元六角家に仕官していて、吉田六右衛門とは顔見知りであるから、弟子を我等に同行願う事ならば可能だと思うぞ。」
「そしたら、私達は旅籠でお待ちしてますので、明日交渉にお訪ねしてもらっても宜しいでしょうか?」
「承知した。俺が不在の間は鈴木孫六に護衛の統率を任せるので、夕方まで旅籠で待っててくれ。」
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ビューーーーーーッ!!! スコンッ!!!
糸を引くように、美しい射線を描いて飛んでいく矢は的の中心に次々と当たった為、後ろで見ていた吉田六右衛門重勝は満足気に弟子の弓術を評価していた。
「喜左衛門よ、若くして吉田雪荷流の弓術の神髄を良く理解したな。其方なら、某の後を任せても良いぐらいだ。」
伴喜左衛門一安はそんな師匠の言葉も受け流して、集中力を切らさず再び矢を放ってた。そこに吉田六右衛門の小姓から、御客が吉田六右衛門を訪ねてきたと伝えられたので客間に通すようにと伝えた後、六右衛門も客間に移動した。
「やあ、六右衛門殿。元気だったかね? 鬼神の射手の力を借りに来たぞ。」
部屋でいたのは、六角家家臣時代に同僚だった高安久助範勝の次男高安彦右衛門一益が、胡坐をかいて出された茶を一気飲みして、まるで自分の屋敷かの様に寛いでいた。
「おやおや、高安殿の所の放蕩息子ではないか。して此度は何の用事だ?」
「駆け引き無しで言うが、俺は今さる人物の護衛の為に信州高遠まで行くのだが、近年起きてる三好と京兆細川との争いが大きくなって、街道の治安が損なわれてる。よって仕事の依頼者が我等だけの護衛に不安を覚えてな。俺としては少々面白くないが、依頼者の望みで護衛する者達を増員したくて、六右衛門殿を訪ねたのだ。」
「なるほど、その様な理由であったか。しかし某は六角領は近寄りたくないぞ。だからこの話は別の者に声をかけてくれ。」
「俺も六右衛門殿がそう言うと思った。だから六右衛門殿ではなくて、我が一族の小鬼伴喜左衛門を我々と一緒に来てもらおうと思ったのだ。」
「なるほど、そう言う事ならば、今喜左衛門をここに呼ぶので待ってなさい。」
吉田六右衛門は、今度は喜左衛門を連れてくるようにと小姓に伝えて呼びに行かせた。少ししたら喜左衛門は手拭いで首元を拭きながら部屋に入ってきた。
「師匠、失礼します。ところで・・・・・・ おおっ!!彦右衛門兄上ではないかっ!!」
部屋の中にいた彦右衛門に驚きながらも師匠の六左衛門に何故呼ばれたのか聞いてみた。
「師匠、拙者は何故呼ばれたのか教えてください。」
「うむ、実はそこにいる彦右衛門が今やってる仕事で、腕の立つ武士を集めておるのだが、どうやら信州高遠まで異国人を護衛する仕事だと言うのだ。某は六角家との因縁がある為、近江を通過する事が叶わんので、彦右衛門は親族である其方を指名してきたのだ。」
「なるほど、その様な理由でしたか。ならば師匠、一つ条件があります。」
「うむ、言ってみるが良い。」
「拙者は、師匠とは別に一派を立ち上げる許可を許されたいのでござる。」
六左衛門は、暫く考えこんだが伴喜左衛門の独立を許す事にした。
「一番弟子で、某の次に腕前がある其方を後継者にしたかったのだが、宜しい其方には新たな一派の立ち上げを許すぞ。」
「ありがとうございます。然らばすぐに彦右衛門兄上の元に行く準備をさせてもらいますので、御面でござる。」
伴喜左衛門は旅に行く準備を行って、同じく伴一族の者達八人と共に翌日には猫有光江が泊まってる旅籠に現れて、一緒に信州高遠まで向かう事になった。




