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せっかちな兄上

太郎兄上は生真面目ですので、民の為になるなら早速行動してしまったようです。

 あれから数日経って、俺の話を聞いてた太郎兄上は、早速俺から聞いた事を実践してみたくて、傅役の飯富兵部少輔虎昌とその嫡男弥右衛尉門昌時と次男左京亮虎景を伴って、甲府の近隣にある保坂惣郷の名主清左衛門の処に相談しに行った。



「若君、なんで百姓風情の処に向かうんですか?館に名主を呼びつければ良いでしょうに。」


「ほんと左京亮は馬鹿だよな。若君は、百姓に今年から試す新しい作付け方法を指導しに行くんだ。お前みたいに百姓に下手したら狼藉するような乱暴者なら、百姓の立場なら反発されるのが目に見えてるぞ。」


「兄貴、俺だって理不尽な事で怒らないぞ。ただ百姓が愚弄するなら剣を抜くまでだ。」


「お前と言う奴は・・・・武器持たぬ者に斬りつけたりするなよ。」


「お前達、戯言はそこまでだ。太郎様、先触れと共に(むら)の者共が入口で出迎えてますぞ。」


「兵部よ、そしたら挨拶は簡素でよいから、邑人達を集めてくれ。」



 太郎が飯富虎昌に指示すると、虎昌は名主の清左衛門と話して、村人を集めてもらった。


 邑人が五十人位、太郎の前に集まると皆が平伏して、名主の清左衛門が今回の訪問の理由を聞いてきた。



「これはこれは若君殿、今回はどのような事で御越しになられましたか。」



 すると兵部がそれに答えた。



「今回は、太郎様がお前達の暮らしを豊かにする為に、新しい農業知識を実践したいと思い、この邑で試す事に決めた。」


 

邑人達は、試されると言う言葉に動揺して、皆が無理難題が言われるのかと緊張感が漂ってきた。清左衛門は緊張した面持ちとなって、太郎が放つ言葉を待っている。



「皆の者、安心いたせ。この技術は、それほど難しくない。女子供にも出来る簡単な物だ。」



そういうと館で(あらかじ)め作らせておいた正常植縄を見せた。



「皆よ、この縄は正常植縄と名付けた物だ。この縄は一尺間隔に縄玉が作られている。これの使い方は、田植えを始める時、水田の楯に並べて、この縄玉を目印に植えていくだけだ。」



名主を含めて、皆が感心した声をあげて、太郎の言葉に耳を傾ける。



「それで清左衛門には、畑仕事の合間に邑人を使って各家々に行き渡るように、正常植縄を作ってほしい。」


「そして今年は正常植えの収穫高の試験なので、成長具合や収穫量を提出せよ。代わりに今年度の年貢は今年と同じ量で、余剰米はそのまま各農家の収入とせよ。あと今年の労役兵役は免除とする。」 



清左衛門ら邑人達は、損なのか特なのかは理解出来ずにいた。そりゃ、新しい農法を試しても夏の大雨や野分にて、川が氾濫して作物が被害を受ける事が甲州には多々あり、史実では釜石川流域が穀倉地帯として、新田開発が進むのが信玄堤が完成する1562年(永禄5年)以降なのだから、現状では余剰米が出るか出ないかもわからない博打みたいな感じになっていた。


しかし太郎は武田家嫡男であり、不興を買いたくなかったから受け入れざる得ないというのが、邑人達の心境になっていた。それに太郎自身まだ九歳ながら生真面目であり、領民の事も気にかけてくれる若殿様と言う甲斐民衆の印象であった為、清左衛門も最終的に新式農法(正常植え)を受け入れたのだった。


この事件?は、保坂惣郷の代官長井次郎衛門からの注進が父上の耳に入り、まず太郎兄上が父上に無断に試験を決め、越権行為を行ったと言う事でしこたま怒られた。


裏ではゲンコツで頭頂部を一発ゴチンと殴られて、大泣きしたと聞いた。さらに傅役の飯富虎昌もしこたま怒られて、反省文を提出しろと言われた。


まるで会社の始末書だな。


そして、一連の実行犯が処分の沙汰を下した後、数日後父上は奥御殿の俺と母上がいる処にやってきた。



「御香、四郎、壮健だったか。」


「はい、(わたくし)も四郎も元気でございます。最近は、春が近づき寒さも緩んで来た為、比呂と共に四郎の新しい着物を縫っておりました。」



母上は、上機嫌で父上に語られてて、本当に楽しそうだったな。しかし今回来たのには、なんか俺に言いたい事がありそうな気配がする。


そう考えてると父上は、三月入ると佐久小県へ出兵すると言い、もう一つは俺に釘を刺してった。



「もうすぐ信州に出兵するが、儂の不在中は決して、新しい方策を実施するなよ。この間太郎が儂に許可取らず保坂惣郷の百姓に新しい農法を指導してたが、これには四郎が関わった事ではないので、不問にいたす。もし儂が不在中に新たな事を行いたいなら、儂へ手紙を必ず寄越せ。」



そう申し渡すと、傅役の跡部攀桂斎と長坂釣閑斎に留守の間を後事を指示して、部屋から出て行った。


この出来事の後日談として、太郎兄上が無断に決めた保坂惣郷との約定は父上は守り、この年の秋例年にない位の稲の実りが保坂惣郷にあった為、たちまち周辺農村に拡散し、のちに【三管領様(のちの太郎が貰った幕府職)の豊穣】と誰となく言うようになり、秋の収穫祭にて武田信玄公と共に三管領様が祭られるようになったと言う。





保坂惣郷代官 長井次郎衛門 架空の人物

保坂惣郷名主 清左衛門 架空人物



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