4 スルメイカと宿題
八重はなんとなく退屈で、ガラス戸の近くへと歩いていった。そのガラス戸の隣には八重の勉強机が置かれている。机上には文庫本が積まれていた。ガラス戸の先には小さなベランダがあったが、今は由依のジャージとタオルが干してあるだけだった。その向こうには新緑の山並みが横たわっていて、白い雲が青空の下にまばらに浮かんでいた。さらにガラス戸に近づくと、眼下に広がる湖が見えてきた。湖には弁天堂のようなものが浮かんでいた。湖の彼方には、小さく時計台のようなものも見えていた。湖面には鳥のようなものが飛んでいる。すべて目に見えるものは太陽の輝きに包まれて眩しかった。
「文芸部はゴールデンウィーク明け、なんかするの?」
と由依が尋ねてきたので、八重はガラス戸の外を見るのをやめて振り返った。
「さあ、ミーティングでもあるんじゃない?」
「ふうん」
よく見ると由依はいつの間にか、スルメイカを鞄から出してかじっていた。
八重は文芸部員だった。彼女は中学の頃から詩や小説を書くようになった。内気だった彼女は、原稿用紙の上に自分に相応しい表現の場所を見つけた。それは精神的に偉大な跳躍だったのである。
それまで彼女の生まれもった過多な感受性は、ただ単に彼女の私生活を圧迫する以外のなにものでもなかった。しかしそれこそが、原稿用紙という紙の上ではかえって、 西遊記の石猿が雲に乗って飛翔する、あの筋斗雲のように自由闊達なものだった。感受性と想像力さえあれば、紙の上ではどこまでも自由自在になり得たのである。
そのようなわけで、八重は紫雲学園に入るとすぐさま文芸部に入部したのだった。といっても、四月中にはミーティングが一度あっただけで、そこでは軽い自己紹介を済ましただけだった。部室には一度も足を踏み入れていない。
「八重、やばいわ」
由依はスルメイカをかじりながら、俯き加減の真顔で呟いた。
「どした」
「宿題やってないわ」
そういえばゴールデンウィークが始まる前に、山のように宿題を出されたのだった。八重は嫌々ながらも昨日どうにか徹夜で済ませた。
「やばくない?」
「そう、やばいんだよ……」
「うん……」
「反省文書かせられる……」
「……いや、宿題やれよ」
「間に合わんわ」
と何故か、由依は関西弁風になって頭を掻くと、宿題を始める風でもなくベッドに仰向けになった。
「これで何枚目だろう……」
「反省してない証拠だよね……」
由依は苦笑いをして、またスルメイカをかじった。




