42 不審者現る
八重は、深い森の奥底に入っていっていると思った。今や、いびつなアスファルトの歩道も無くなり、土ばかりが剥き出しの道が細々とつながっているだけだった。そうしているうちに、右手に急な山の斜面が迫ってきていた。
その崖の上に、かすかに動く人影の気配があった。それは山の切り立った斜面の上のことであったから、八重ははじめ猿か鹿かと思った。しかし、それが誤りであることはすぐに分かった。その人影は、顔こそ見えないものの、黒い服を着ていて、刃物のような光るものを手にしていたのだ。
「あっ、あれっ!」
と八重が叫んで指をさすと、たちまち人影は木の裏側に隠れて、見えなくなってしまった。
「どうしたの?」
と由依は声に驚いて、八重に尋ねてきた。
「今、あの崖の上に不審な人影があったんだよ」
「猿じゃない?」
「でも、手に刃物を持ってた……」
「木こり?」
と由依は冗談めかして答えてから、そんなわけはないかとすぐに思い直したらしく、
「例の犯人かもしれないってことか……」
と呟くと、覚悟ができたような精悍な顔をして「私に任せな」と囁き、一目散に木々の生い茂る山の中へと飛び込んでいった。
「ちょっと待った! 由依、危ないって!」
八重は慌てて叫んだが、声は宙を漂うのみだった。由依の後ろ姿は木々の生い茂る森の奥に小さくなってゆき、ほとんど見えなくなってしまった。
「これはまずい……」
八重はすぐさまどうにかしないといけないと思ったが、自分までこの薄暗い森の中に入ってゆく勇気は出てこなかった。そこで、後ろから追いつくだろう百合菜を道の真ん中で待つことにした。
しかし、百合菜はよほど足が遅いのか、途中で倒れているのか、一向に姿を現さなかった。八重が、呆然として立ち尽くしていると、あまり親しくない生徒が走ってきた。背が低いわりにがっしりとした体型の、色黒の女子生徒である。見れば、仏頂面をしている。
「どうしたん……和泉さん、さぼってんの」
「いや……」
八重は、この女子生徒のことを、微塵も信用していなかったから、事情を説明する気にはなれなかった。そこで、わざと頭を抱えて、具合が悪そうにすると、
「走ってたら頭痛がしてきてさ……ちょっと休憩」
といった。
「まじで? 大丈夫?」
「大丈夫。自分のペースでいくから、先行って先生に伝えといて」
「了解」
その生徒は頷くと、また仏頂面をして、走って行った。
しばらくすると、山道の彼方に走ってくる百合菜の姿が見えた。彼女は、しばらく走っては、苦しくなったところで歩いて、立ち直ったところでまた走るという走法を繰り返していた。
「いや、百合菜……歩いてる……」
八重は、焦ったくなった。
百合菜は、ふらふらになりながらも八重のもとへと近づいてきた。彼女は、すぐに八重の深刻な表情を見て、何か起こったものと気づいたらしく、
「八重さん、どうしたんですか?」
と尋ねてきた。
「さっき由依が不審者を追いかけて、森の中に入っていっちゃったんだよ……」
「大変っ」
と百合菜は大きな声で叫んだ。




