39 朝食の由依と牛乳
八重は、脅迫状の文面がしきりに頭をかすめて、ベッドの上では眠れなかった。じっとりとした冷や汗のようなものが、パジャマの内側の素肌を包んでいるように感じられた。それは蒸し暑い空気のせいでもあった。
由依の方を見ると、彼女はすっかり睡魔に襲われ、夏掛布団も足で払いのけ、すやすやと眠りこけている。仰向けの彼女の姿が、黄色のパジャマがはだけて、なめらかな白い肌と綺麗なおへそを可愛らしく覗かせているのが、なんとも罪深く感じた。
そうこうするうち、窓の外は赤みを帯びた空となった。ああ、朝が来てしまった、と八重は思った。恐ろしい一日になるのか、そうでもないのか、八重には見当もつかない。それに八重は、文芸部の詩を考えていないとも思った。このままでは、あの知的な文学少女である夏目部長に叱られてしまう、と恐れもした。
しかし、眠気のある今の八重の頭では、優れた詩は到底生まれてきそうもなかった。
(困ったな……)
八重は、困ったことだらけだと思った。美少女転校生の兄の死を調べて、脅迫状を送りつけられ、命の危険を感じながらも、文芸部員として詩を書かねばならず、おまけにその部活の先輩のことが頭をよぎって仕方がないのだ。八重は、もやもやとしながらも、それでもあれやこれやと考え出した。
そうしているうちに、窓の外には光が満ち溢れ、鳥の羽ばたく音が聞こえた時、彼女は不思議な安心感に襲われた。たちまち、眠気が彼女を包み込んだ。そして彼女はいつの間にか眠りの底に落ちていた。
*
「眠い……」
八重は、軽い頭痛に苦しみながら、由依と共に食堂に赴き、朝食を食べようとしていた。ここでは毎日、同じようなメニューの朝食だった。
八重は、料理を取る生徒の列に並び、バターロールを二個トレーに取って、苺のジャムを塗り、さらにウインナーと目玉焼きを皿に取った。そしてテーブル席へと戻った。
パンをこんがりと焼き上げるトースターの前には長蛇の列が出来ていたから、二人ははなっから諦めていた。あれは由依がいつも蟻の大群と呼びならわしているものなのだ。
「気をつけなよ。毒でも入ってるかもよ?」
と由依はテーブル席に戻るや否や、唐突に言った。八重ははっとしてバターロールを見つめた。
(まさか……)
でも、あの脅迫状の文面からすると、八重はすぐさま殺されるわけではなさそうだった。あくまでも、これ以上、七不思議について調べたときに殺されるものと読み取れた。
「大丈夫でしょ……」
と八重は呟くように言って、バターロールを口に運んだ。
そこに百合菜が現れた。百合菜は、相変わらずの可憐な美少女であるが、いつもよりも顔色が悪かった。百合菜も寝られなかったものらしい。
百合菜は、トレーなど持っておらず、そのまま二人のいるテーブル席に歩いてきた。
「おはようございます……」
と百合菜が言うから、由依はすぐさま、
「百合菜、ご飯は?」
と尋ねた。
「気分が優れないので、食事は遠慮します……ここにはお二人に会うために来たんです」
と百合菜は答えた。そして、その答えを聞いて、八重はへええ……と思った。そうか、美少女たるものは何かあるとご飯を食べなくなるのか、それに対して自分たちは、どんなことがあっても、食事だけは欠かすことがないし、悩みでもあれば、余計に食事量は増してしまうものだ、彼女の美の秘密はそこにあるのかな、ううん、是非とも見習いたいなぁと、八重は変なことに感心しながら、ウインナーを口に放り込んだ。
肉汁が口に広がった途端、彼女はなんだかもうどうでもよくなった。そして、朝食を抜くのは、やっぱり不健康だと考え直し、
「少しでも、食べた方がいいよ?」
と百合菜に声をかけた。
「ありがとうございます……でも食事が喉を通らないんです」
「そっか……無理しない方がいいね」
と今度は、由依がクロワッサンと、オニオンスープの入ったカップを両手にしながら言った。
「今日、何かが起こるかもしれませんね。くれぐれも無理をしないように……」
と百合菜が言うと、由依は自信ありげに、
「大丈夫だよっ、私にまかせな」
と言って、にやりと笑った。それを見て、百合菜は心配になったのだろう。
「あの、本当に気をつけてくださいね……」
「大丈夫、私、気ぃつけてるから……」
と由依は、にいっと悪戯っぽい微笑みを浮かべる。そして彼女は、牛乳が並々と注がれたコップを手に取ると、背筋を反らせて上を向き、一気にそれを飲み干した。
彼女は、白いシャツの胸元の頂きから、伸びやかな皺が放射状に幾筋も浮かぶほどに力強く、水風船のような膨らかで柔らかいものをぐいっと前に張り出し、反り立たせている。それは山のように立派だった。それに彼女はまるで、たおやかな白い首筋を見せつけているようだった。
「ふうっ……まあ、この私に任せな……」
由依は、手の甲で可憐な唇を拭うと、にやりと笑った。
何気ない仕草が官能的に輝いているようにも見えるところだが、八重の目には少し違って映った。
……それを見て、八重は貫禄を感じた。




