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2 紫雲学園

 八重は、長月駅前から赤いバスに乗った。紫雲学園行きのバスだった。


 八重は二人掛けの座席の窓際に座って、左手に流れる景色を見つめた。そこにあるのは長月の商店街だ。お洒落な喫茶店や飲食店がずらりと並んでいる。

 しかし、バスがさらにスピードを上げると程なくして、お洒落な商店街を抜け出した。賑わいははるか後方に消えてしまった。そして、今度は寂れた建物が並ぶ閑散とした町並みの中へと入ってゆくのだった。家並みの白い壁は、古びて黒ずんでいる。甍の瓦は日に照らされて輝いている。崩れそうな塀に、曲がったガードレール。ここまで来るとバスが走っているのは、いびつなアスファルトの上だった。

 そうかと思うとバスはすぐさま、その閑散とした街並みを抜け出して、深い緑に包まれた山道へと入ってしまった。


 八重はその時、我に返ってバスの車内を見まわした。

 この山道の中途に、一軒家が何軒かあることは知っている。そうした家の住人であるお婆さんなどがこのバスを利用していることがたまにある。しかし今、バスの車内には、紫雲学園の生徒らしき姿がいくつかあるだけだった。それはそうだったが、しかし……。

(知り合いはいないか……)

 八重はそう思って、また窓の外へと視線を移した。窓から見える緑色の景色は、巨大な木陰に包まれていた。

 曲がりくねった山道が続いている。次第にバスが山の斜面を登ってゆくのが八重にも感覚的に分かった。


(この上に学園が……)

 しばらくすると、青々とした深い色の森の中に、白い塀が車道に沿うようにして続いているのが見えてきた。高い塀だ。とてもよじ登れなさそうなその高さが、どこか刑務所に似通った閉塞感を思わせる。

 円を描いたような広場に、黒い門が聳えていて「紫雲学園」と彫られている表札が掲げられているのが見えたところで、バスは停車した。

 数人の生徒が、バスから降りてゆく。八重もすぐに鞄を持って、運転席の横の運賃箱に四百四十円を放り込んだ。

 硬貨は軽い音をたてて落ち、運賃箱のベルトの上を流れていった。

 硬貨は見えなくなった。


 バスを降りると、ふんわりと涼しい風が八重の肌に触れた。

 紫雲学園の黒い門の隣には、太い松の木が隆々としてそびえている。そして黒い門の向こうには、四階建ての白い校舎が並んでいるのが見えた。ほのかに日の光に輝いている厳かな建物だった。だが、それは広大な紫雲学園のほんの玄関に過ぎない。それは正門に近い一号館であって、歩道は右手に曲がりながら、一号館の裏の方へと続いているようである。その裏には、他の校舎がいくつも並んでいた。

 門の内側にも、青々とした森が広がって、あたりは木陰となっていて涼しげである。たまに木陰が途切れて、日が差し込んでいるところなどは、そよ風に揺られながら、地面は明るかった。


 門の奥には、噴水が輝いていた。白い飛沫(しぶき)が宙を舞っている。八重がそれに近付いて見下ろすと、緑色に透き通るような水が、さまざまな光を放ちながら波打っている。

 八重は、少し制服のシャツの内側が蒸れている感じがしていたので、人目さえなければ、それを脱いで、噴水に飛び込みたい気さえした。

(さすがにそれはできない……)


 それから八重は、学生寮へと急いだ。女子の寮は男子の寮よりも奥まったところにあった。

 そうは言っても、紫雲学園の敷地は広い。正門から女子の寮まで歩いて辿り着こうとするのは、少しばかり骨の折れることだった。

 紫雲学園では、職員室のある一号館などが正門の近くに集められている一方、寮や、部活棟や、食堂といった生徒たちのプライベートなスペースは、正門から離れている、森の奥深いところに集められていた。


 八重は、校舎の集まっているところを抜けるように中央の歩道を進んだ。そのあと、ぐるりと曲がった石畳の坂道を下ってゆくと、女子寮の白くて四角い四階建ての建物が見えてきた。

 今日は休日なのだが、明日から授業が始まるわけだし、ほとんどの生徒は寮で生活しているので、さすがに寮の周辺は人の声で騒がしかった。


 ……八重はこの寮の空気にも、まだ馴染めていない。

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