08,彩灯家の皆様
彩灯邸は、非常に古風な外観をしている。
その巨大で荘厳な門構えは、海外からの旅行者達の間ではプチ人気の写真スポットになっている程だ。
まぁ、古風を維持しているのは外観だけ。歴史ある名家だと言う面目を立てるための一応の措置だ。
なので、内部空間は必要に応じてリフォームを施され、しっかり時代に追随している。
一例を挙げれば、次期彩灯家当主である彩灯家長男・義龍の私室。
部屋の出入り口こそ襖だが、室内は床暖房完備の全面フローリング。義龍が愛でているフェレットのフィーくんとしても嬉しい仕様である。
休憩用の中二階スペース、つまり室内バルコニーもあり、その壁面には最新式のステレオが装置が埋め込まれている。
「ふふ、今日も愛い。愛いではないか。ふふふ、ふふふふ」
そんな義龍の私室、ロフトスペースに鎮座し、地響きの様な声を立てて笑う着流し姿の岩石……ではなく、大柄な男性。
大きく開いた目は常に白目……と思われがちだが、実はすごく小さいだけでちゃんと黒目がある。
鋭い八重歯の印象から「肉とか大好きでしょ」と決めつけられがちだが、大好物は千切りレタス。
筋肉の鎧が分厚過ぎて「拳銃で撃たれても平気じゃね」と侮られがちだが、ライフル弾までなら跳ね返せる。
まるで岩場の様な膝上にクッションを敷き、その上でフェレットを転がして撫ぜるこの大男こそ、彩灯義龍である。
「やはりレポート課題の息抜きはフィーくんに慰めてもらうに限る……ああ、ありがとう、ありがとうフィーくん。俺はまだ戦える……!」
「キキッ」
貴様には世話になっている。当然の還元だ。
そう言わんばかりにフィーくんが一鳴きし、さぁもっと撫ぜよと腹を振る。
「お兄様、鳳蝶です。少々よろしいでしょうか」
「!」
襖の向こうより聞こえたのは、妹・鳳蝶の声。
「構わないが」
義龍はすぐに許可を出し、ゆっくりとその膝上からクッションごとフィーくんを下ろす。お楽しみの途中ではあるが、家族を無下に扱うのは彩灯家の家訓に反する。
速やかにロフトスペースから降り、襖の方を向いて、堂に入った仁王立ちで鳳蝶の入室を待つ。
「では、失礼致します」
物音ひとつ立てずに、襖が開いていく。
ついさっき学校より帰ってきたばかりなのか、鳳蝶は私服の和装ではなく、まだ制服姿だった。
「どうした。制服のままとは……急な話か?」
「はい。一刻も早く、報告しなければならないと」
「ほう」
彩灯家の血筋は、呪いなのか何なのか、皆、表情筋が余り仕事をしない。なので自然と、身内同士は気配だけで相手の心情を察せる様になる。
鳳蝶は今、何やら非常に嬉しそうだ。昨日からそんな雰囲気はあったが、今日はもう露骨だ。
「如何な朗報か……言ってみろ」
「はい。ついに私にも、彼氏ができました」
「!!」
「昨日よりほぼ確定していたのですが、本日、相手方の了承を得、正式に決まりましたので、ご報告させていただきました」
「……相手方は、どの様な」
「まだ多くを知らぬ仲ですが、性格は誠実……少々気弱なきらいはありますが、ここぞの場面では並々ならぬ胆力がある所を見せていただきました。外面は愛らしいの一言。あれは良い。尊い。良縁であると確信しております」
「ふん、それはそれは。良かったではないか。応援しておこう。励めよ」
「はい。ありがとうございます。この鳳蝶、期待を遥かに越えていく様に精進励みます。……では、また夕食の時に」
「ああ」
鳳蝶がペコリと頭を下げ、これまた音も無く襖を閉める。
「…………そうか。彼氏、つまりは恋人か。もう、そう言う年頃なのだな」
義龍は静かにつぶやきながら、ゆっくりとした歩みで本棚の前へ。
太い背表紙が並ぶ中から、とある義龍は徐に一冊を抜き取る。
「まだまだだろうと思っていたのだが……ついに、この本が役に立つ日に目処がついたと言うもの」
感慨深し、と義龍が眺めるその一冊のタイトルは「猿でも納得、甥・姪の名前に捩じ込みたい素敵な一文字百選」。
よくある安っぽくて胡散臭いハウツー本だ。
「我が妹……アーたんが不埒な男を選ぶはずがない。その信頼度たるや言及無用。つまり俺が心配すべきはただひとつ、高校又は大学卒業後、二人が然るべきタイミングで子を成した時……その生まれ来る子の、名」
昨今のキラキラネームブーム……義龍は決して否定的ではない。
名前に置いて重要なのは【願い】である。
響きや字面も軽視すべきではないが、最も重要視すべきは【願い】それひとつ。
例えキラキラネームであろうと、その子にどう育って欲しいか、【願い】を込める事で、その子が己の名前を呼ばれる度に親の託した【願い】を自覚する。
必ずしも込めた【願い】に添ってくれるとは限らないが、子供に大きな指針を与えるのは、大人として当然の義務。
その指針をどう活用するかは子に委ねる。
だが、存分に活用してもらうには良き【願い】を乗せておく必要があるだろう。
可愛い妹の子、その人生に大きく関わる重要事項、命名ッ。
お兄ちゃんとして、義龍は口を挟む……もとい、アドバイスをする気満々マンなのである。
「……ククク……話は全て聞いていたぞ、愚息めが……」
「ッ!?」
突然、室内に響いた邪悪なエコーのかかった声。
「まさか……父上……!?」
この声は、彩灯家現当主・彩灯力道三のものだ。
「ッ……鳳蝶の報告、聞き耳を立てていたのかッ!!」
「然様」
いつの間にか、その男は義龍の背後に立っていた。
ただでさえ大柄な義龍よりも更に一回り大きな体躯、もはや人間かどうかも怪しい領域の肉量。
揺れる白髭はまるで滑らかにしなる白蛇の様。
どこの戦場で失ってきたのか、右目には黒革の眼帯。
御年まだ四〇歳半ばとは思えぬ風格……この男こそが、彩灯力道三。
表向きにはスポーツ省と言う国内の文化振興を主業とする組織のトップでありながら、裏では世界中に有り得ないくらいパないコネを持ち、肩書きを遥かに越える権力を握っている男。
見た目の風格も、行使できる権力の大きさや種別も、まさしく【裏社会の首領】と言える領域に在る怪物。
その恐ろしさは裏の筋人達に「遭遇する事すら御免被る」と猛毒の蛇に例えられ、定着した通り名は【魔蝮の力道三】。
「クハハハ……愚か愚か、実に愚かしい……」
何て事だ、と義龍は頭を抱える。
力道三は厳格な武士……高校生である鳳蝶が男と女の交際関係を持つ事を易々容認するとは……
「鳳蝶の子は、貴様の甥姪である前に、ワシの【孫】である事を失念するなよ……義龍ゥ」
そう言って力道三が取り出したのは一冊の本。
タイトルは「猿でもシュビドゥバ、孫の名前に全力で捩じ込みたい鮮烈な一文字百選」。
「ッ、父上……!!」
力道三、思いのほか、乗り気ッ……!!
義龍は大きな安堵に包まれると同時に、別の焦りを覚える。
「鳳蝶の子の命名に嘴を挟む事は諦めよ、義龍ゥ……子の命名に置ける大きな決定権は鳳蝶と未来の婿殿、つまりは【親】にある……親族が口を挟める枠は限られておォるのだァ……よもや、貴様……このワシを差し置いて、その限られた枠を欲するとは言うまいなァ……? 義龍ゥ」
「ッ……!!」
力道三はおそらく、まだ声に威嚇の圧を微塵も込めてはいない。
力道三に取っては、まだただ普通の会話でしかない。
それだのに、この圧力。義龍の額から頬まで、冷や汗がズルズルと流れ落ちていく。まるで薬缶で頭から水をかけられている様だ。
完全に【格】が違う。
人としての……なんて生ぬるい話ではない。
生物としての【格】が違う。
力量が、絶望的なまでに隔たっている。
刃を喉に突き付けられれば恐怖を感じるのと同様。力道三の声をまともに聞くと言う事は、抜き身の刃に囲まれるに等しい気分を錯覚させられる。
――いつもなら、義龍は頭を垂れただろう。
圧倒的生命体である父を敬い、畏れ、その言葉を尊重し、「滅相もありません」と大人しく従っていただろう。
それが賢く、そして正しい事であると、そう納得していた事だろう。
だが、殊、この案件に関してだけは――
「父上。この義龍、退けません……!!」
「!」
義龍の言葉に、力道三は一瞬だけ、僅かにその隻眼を剥き、直後、小さく表情を歪ませた。
それは――微笑。本人的には、限界いっぱいの満面の笑み。
「……ほう、吠えたな、ヒヨっ子愚息……いや、我が誇るべき息子よォォウ!! 義龍ゥ、義龍ゥ、義龍ゥゥゥ!!」
「子は親を畏敬すべき……だとしても、今は親子ではなく、男と男として譲れぬモノの話故ッ。失礼を仕ります!!」
「面白い! 面白いぞ! 大変に愉快だッ!! まさか貴様がもう既に男を語れる器に成っていようとは!! ああ喜ばしい!! 男子の成長速度は刮目せざるを得んと先人はよく言いなさったァァ!! さァァ義龍ゥ、貴様のその謀反めいた意気、正面から受け入れてくれようぞォァッ!!」
「しからば尋常に――戦極にてッ!!」
「ああァッ!! 雌雄をォォォ、決さんんんんんッ!!」
◆
……夜もそこそこな時間帯。健康優良児を目指すなら、そろそろ就寝すべき頃合。
僕も健康のため、いつもこの時間には就寝している。
そして、包帯交換を終え、あとは就寝するだけ……なんだけど、ひとまずベッドに腰掛け、スマホのディスプレイを点灯させてみた。
別に、僕は理由も無くスマホをポチポチタップタップランランランする様なスマホ依存症って訳じゃあない。
ただ、確認しておきたい事があるだけだ。
最初に僕を出迎えてくれた待ち受け画面は、僕がまだ小さい頃の写真を、改めてスマホの内蔵カメラで撮影した画像。……小ささが今と大差無いとか言うな。この頃に比べたら一〇センチ以上伸びてるよ。それでもアレだけど。
写っているのは、若干額に流血を拭った薄紅い跡が伺えるものの歳相応に無邪気さ弾ける笑顔を浮かべる僕と、僕の頭を撫でながら並び立つ父の肖像。
祖父が所有する山で山篭りをしていた時の写真だ。
父と過ごした時間の記録。大切で、素敵な思い出の一枚。
それはさておき。
誤操作抑制のための画面ロックを解除して、電話帳を開く。
サ行を確認すると……真っ先に載っていた【彩灯鳳蝶】の四文字。
「…………現実か…………」
夢じゃあなくて嬉しい様な、夢であって欲しかった様な。
すごく複雑な心境である。
嬉しさは半端ではない。正直、僕はこの事に関して足の腱が爆ぜ散るまで飛び上がって表現したって足りないくらいの喜びを覚える。
……それと同時に、激しく悩ましく、物凄く恨めしい、そんな気持ちも盛り盛りとあるのだ。
――「貴方の言う『大事な思い出とするに相応しい素敵ロマンチックな告白』、期待して待っていますよ。貴方と婚姻を前提に交際しながら」――
脳裏を過ぎるのは、今朝、鳳蝶さんが素敵な微笑と共に僕へ贈ってくれた言葉。
あの言葉の後、鳳蝶さんは「まぁ取り急ぎ、まずは連絡先の交換を済ませるべきですね」と僕のポケットからスマホを掠め取り、珍しくたどたどしい挙動でこの連絡先を登録してくれた。
そして「で、早速なのですが、今週末の初デェトの予定を立てましょう」と言う話になるも、HRの予鈴が鳴り自動的に中断。
……そこから先の記憶は非常に曖昧だ。
戦極の後から続く脳の不調があった所に、色々と衝撃をブチ込まれたせいだろう……学校では終始、意識が安定していなかった。ずっと夢の中に半身浴している様な気分だった。
休み時間の度に鳳蝶さんが様子を見に来たり、昼休みは購買で買ってきたと見られるファンシーなお弁当をあーんで口に捩じ込まれたり、放課後はまるで小さな弟が姉に手を引かれる様に引きずられて帰路を行き、さながら「お宅の猫ちゃんです」と言わんが如く鳳蝶さんに片手で持ち上げられて母に引き渡される形での帰宅となった気がするが……
どの記憶もボヤけていて、実は最初っから夢なんじゃあないかな、なんて思った。
放課後以降の記憶は特に、夢であって欲しかった。
で、包帯交換&風呂代わりに身体を拭いた後、少しストレッチをした所でようやく意識が安定してきたので、今、こうして改めて確認してみた訳だが……
まぁ、うん。きちんと現実だった様だ。
にしても……
「……交際はしつつ、告白は延期って……どう言う事なのぉ……?」
……アレかな? 結婚式を挙げずに籍だけ入れていた夫婦が、後々式を挙げるのと似たノリなのかな……?
それなら、わからなくはない話……だけど、告白の段階でもそれってありなの?
そんな話、聞いた事が無い。明らかにアブノーマルな事態だと思う。
って言うか、そんな割とアブノーマルな思い出が確定してしまった時点で素敵方向へ修正していくのは難しくはないだろうか……
いや、「何かと紆余曲折があったものの、こう言う素敵ロマンチックな告白から二人の正式なお付き合いが始まったのです!!」と言える状態にまで持っていければイケるか?
……だとすると問題は……戦極までブチかます程のドタバタ騒動のくだりを「何かと紆余曲折があったものの」とぞんざいに端折れるだけのインパクトがある告白をしなければならなくなった、と言う事か。
昨日の一件に関して「そこはどうでもいいから、告白の方の話を詳しく」と周囲に言わせるだけの告白、ねぇ……
ハードルの高さがエゲつないや。
「って、ぅおうッ」
お手上げだぜ☆とベッドにそのまま背中から倒れ込んだ途端。
突如、スマホが軽快なポップスのピアノアレンジを奏で始めた。
「はいぃ……?」
って言うか、何この着信音。
流行りの曲のピアノアレンジで、期間限定無料配信されていたから、とりあえずでダウンロードした記憶はあるけど……どこにも設定はしてなかったはずだ。
「!?」
画面を検めて、一瞬ぎょっとした。
……発信者……鳳蝶さん……!?
あの人、スマホ操作は慣れてない風だった割に、ちゃっかり個別の着信音を設定してたのか……!?
って、驚いている場合じゃあない。
意味も無く真っ直ぐに立ち上がって、通話開始をタップする。
「は、はひっ、も、もしもし? 信市ですが……」
『夜分遅くに失礼致します。鳳蝶です。今、御電話大丈夫でしょうか』
「も、もちろん……!」
嘘でしょ、僕のスマホから鳳蝶さんの平淡極まりない御声が聞こえる……!
すごい、これはすごい。と言うか良い。科学ありがとう。
電話を発明したのって誰だっけ。後で調べて感謝のお祈りをしておこう。
『突然に不躾なのですが、少々お願いがございまして』
「お願い……?」
鳳蝶さんが? 僕なんぞに?
一体なんだろうか。
まぁ、何にしても……
「任せてください!」
色々と釈然としない要素は残りつつも、僕は鳳蝶さんと交際する男。
ここはドーンと男らしく、どんなお願いだって聞いて……
『貴方の家にご厄介させていただけないでしょうか。端的に、しばらく御宅に宿泊させて欲しいのです』
「ぶふゥッ」
『ぶふゥ?』
なんだろう、僕、そんなに気管支系は弱くないはずなんだけど、最近しょっちゅうむせている気がする。
「ぁ、鳳蝶しゃん……? な、何故に突然……?」
一体、何がどうしたんだ……?
『屋敷が全壊してしまいまして』
一体、何がどうしたんだ……!?
『御父様と御兄様が、どういうつもりか邸内で戦極を始めてしまい、屋敷どころか、敷地全域が更地に』
どうしよう。本来なら「何の冗談?」と言うべきなんだろうけど「鳳蝶さんの父さんと兄さんならそれくらいできそうだね」と言う納得が強過ぎて言葉にできない。
『御父様と御兄様は罰として野宿、御母様は実家にしばらく戻るらしいのですが……御母様の実家は余りに遠く、私がそれ付いて行くと、通学に支障が出てしまいます。正直、最初は学校近くにホテルや下宿を取ろうかと思いましたが……これはひょっとして好機ではないかと』
「それでウチに……」
お互いに近距離で生活する事で、相互理解を早める好機、と言いたいのだろう。
相変わらず、発想と行動力のすごい人だ。吹っ切れていて格好良い。
普通の人なら何らかの建前を設けて隠すだろう「好機じゃね?」と言う下心も丸出しどころか、自ら申告してくる辺り、実に鳳蝶さんらしい。
『はい。終刕高校への通学が現実的な範囲で、更により近い距離で相互理解を深めつつ、花嫁修業もできる。一石三鳥。なので、雄大邸への宿泊許可をお願いしたいと。それと、形式については【居候】ではなく最近流行りの【民泊】の様な形式を提案させていただく所存です』
「? 別に居候でも母さん達は文句を言わないと思うけど……」
母は鳳蝶さんから僕を受け取る時に鳳蝶さんと何か楽し気に話していた気がするし、多分ウェルカム状態だろう。
と言うか、常にふんわりオーラを撒き散らしているあの人が誰かを拒絶する姿が想像できない。
市姫も、人をからかう事を好む女版光良みたいな奴だけど、根っこも光良と一緒で良い奴だから、おそらく問題無い。
『……私も、一時的とは言え、貴方の御家族と金銭的な生々しい関係を持つ事には気が進みません。しかし、手前勝手な話で恐縮な事に……その辺りは御父様、つまりは彩灯家の都合があるのです。お願い事をする立場でありながら大変に心苦しいのですが……どうか、当代彩灯本家当主・彩灯力道三の顔を立ててはいただけないでしょうか』
力道三氏の顔を立てるって……ああ、そうか。彩灯家は名家だもんね。しかも鳳蝶さんは正真正銘、本家本元の系譜だ。前時代の規範で言えば、俗世とは一線を画して生きていてもおかしくないくらいの家の格がある。
彩灯家の御令嬢である鳳蝶さんが「他所様に居候をする」と言うのは、今の時勢でも少々、世間体的に難しい事なのだろう。
行き先が婚姻を前提に交際している相手の家とは言っても「彩灯本家は『親しき仲ならば礼儀や失し、品位を忘れても良い』と言う教育を娘に施しているのか」と言われかねない……と。
格の高い家って、色々と大変だなぁ……
「うん、わかった。色々と大変なんだね、鳳蝶さん」
『ご理解、ありがとうございます。生まれを憎むつもりは決してありませんが、少々煩わしいものです』
あの常に強気な鳳蝶さんが、ほんのりとでも愚痴を零すと言うのは、それほどに名家の令嬢と言う立場は煩わしいしがらみが多いのか。……はたまた、僕が彼女に取って特別な関係に在るからか。
後者だとすると、なんだかこう、無性に背筋がむず痒い。
『つきましては、そちらの御家族の都合もあるでしょう。先程「任せろ」と即答いただいた事には喜びに打ち震える程の感謝を覚えますが、まずは御家族の方もしくは御同居人の方へ、確認を取ってはいただけないでしょうか』
「あ、うん。じゃあ、ちょっと切るね」
『手間を取らせてしまい、申し訳ございません……それでは、後ほど』
まぁ、先に言った通り、母と市姫は問題無く鳳蝶さんを受け入れてくれるだろう。
部屋については、ほとんど使われていない客間を片付ければ大丈夫だと思う。
寝具は予備兼客用の布団一式があるし、もし鳳蝶さんの方に抵抗が無ければ、母のダブルベッドに同衾と言う手もある。
母は酔っ払うと僕と市姫を寝室に拉致して強制添い寝する程度には人肌に飢えている様だし、丁度良いと言う考え方もできるだろう。
一応、本人達にも確認して、鳳蝶さんに連絡し直し……
……って、待てよ。
何か、すごい唐突にとんでもない展開になった気がするんだけど、気のせいかな?
ああ、やっぱり今日は上手く頭が働かないや。さっさと二人に許可を取って、鳳蝶さんに伝えて、眠…………………………
え? 鳳蝶さん、ウチに泊まるの?