14,嫁の危うい決意
小さな彼に、一体どんな事情があるのか。私にはサッパリわからない。
時間を遡ってその過程を観測する術を、私は持ち合わせていない。
だが、その結果たる現在を観察する事はできる。
彼の本格的観察を始めてまだ二日目だが、わかった事がある。
彼は、小動物だ。
体が小さいから、とか言う話ではない。
……いや、そう言う話でもあるけれど、それだけではない。
小動物と言うのは、大概が弱々しい。小さな身体を小さな陰に隠して、平穏な生を求める。
しかし、小動物は決して「何もできない」訳ではない。鋭い爪や牙であったり毒であったり、いざと言う時の護身術は備えている。その気になれば、それなりに戦う事ができる。
それでも、小動物はいざのいざと言う時まで、戦う事を選択しない。息を潜め、逃げ回る努力をする。必死に、そして徹底的に闘争を忌避する。
彼は、そう言う小動物的側面を持っている。
どう言う事情でそう言う側面が形成され、前面に押し出されるに至ったかは……先に言った通り、私では知る術が無い。彼の口から聞くにも、人格構成の根幹に関わる様な事情を語ってもらうには、今はまだ時期尚早だろうとも弁えている。
とにかく、彼はどうしようもなく温和な性質であり、温厚な性格。
それは悪く言えば臆病者であり、良く言えば平和主義者。
まぁ、過程や言い表し方はどうあれ、今、結果としてそれが彼の【個性】であると言う事実は揺るがない。
武士と言う観点から見れば情けない至極だが、武士である以前に彼は私のダーリン。
私はハニーとして、武士と言う概念よりも、彼と言う個性を尊重すべきだと考える。
そもそも、私は別に、彼に勇ましさや厳つさを求めるつもりはない。それらは、彼のチャームポイントにはそぐわない。私は彼の小動物らしさを愛おしく思う。
……ギャップ萌え、と言うのも素晴らしい文明だが、ギャップと言うのはポロリと自然に溢れるから萌えるモノだ。
無理に演出されても、然程。
……いや、待って。無理をしてプルプルしている姿も意外とイケるのでは……!?
どうしよう、悩む。
……しかし、まぁ、だとしても無理を強いるのは違うだろう。
彼が率先して、覚悟を以て、無理をしたいと言うのならさせれば良い。その時は背を支えて応援しよう。
でも、もし、くよくよと悩んでいる様なら、させない。
彼は、きっとこれから先、幾度と無く苦悩する事だろう。
何せ、彼の性質は、武士として生きるのに余りにも向いていない。苦悩しないはずがない。
私はハニーとして、彼を支援しよう。
彼が苦悩している案件を、私がズバッと解決する。
そう、彼の自己意思や自己能力で解決に至れない案件は、全て私が管理してしまえば良い。
それでイこう。
彼は小動物。愛おしき庇護の対象。
私は守護者。愛する者を守る。
彼の個性を尊重し、彼が何かしらの困難を前に足踏みをする様であれば、守ってあげる。全力全霊を以て。
彼は不本意な無理をする事はなく、私はただただ欲望のままに彼を可愛がれば良い。
うん、そう言う方向であれば、お互いに幸せなはずだ。
つまり、これが私達の一番収まりの良い接合方法。実に合理的な共依存関係。
「鳳蝶さん!? 鳳蝶さんってば!? さっきから独りうんうん頷いてないでそろそろ僕と会話して!? ねぇ!? 僕今ものすごく混乱してるし寂しい状況だよ!?」
「ああ、失礼致しました。なんでしょうか」
少々考え事に熱中していた。
私とした事が、ダーリンの話を無視してしまうとはとんでもない。
「何故に、僕は突然にゃんこスタイルでお持ち帰りされる事になったの!?」
「言葉を尽くすよりも手っ取り早いかと思いまして」
ダーリンは戦極道部の見学に行く事にひどく悩んでいる様子だった。
戦極道、対人要素のある競技は見るのもげんなり、と言う様子だのに、見学に誘ってくれた後輩への義理が……、と言った具合に。
ならば、私の出番だろう。
彼に、戦極道部見学を中止する大義名分を作ってあげるのだ。
「明日、あの後輩に何か言われたら『マイハニーがどうしても一緒に帰りたいと言って聞かなくてね、物理的にテイクアウトされてしまったよ、HAHAHA』とでも言えば良い」
「……あー……うん。鳳蝶さんがなんだかすごく僕に気を遣ってくれた事はわかったけど、うん、相も変わらずちょっとアグレッシブが過ぎるね!?」
「伊達に行動力オバケなどと陰口を叩かれてはいません。面目躍如といきましょう」
「もうこの男前! でもちょっと待って鳳蝶さん! 持ち帰られ方に不満があるし、僕としてはもうちょっと悩んでみたい案件と言いますか……!!」
「誠実性を拗らせた末に獲得してしまったであろうその優柔不断ぶりを否定するつもりはありませんが、既に校門は目の前です。ここまできたら諦めるのが建設的ですよ」
「いつの間に……!?」
歩行速度には自信がある。
「待った待った待った鳳蝶さん! ちょっとだけ待って本当に!」
「却下」
「一分の逡巡も無しッ! かっこいいけどお願いちょっと待って!」
む、こちらを怪我させない様にと言う配慮が透けて見える程に控えめではあるけれど暴れ始めた。
……全く、仕方の無い。
……………………。
「…………。はい、これで満足していただけましたか? では」
「あぁんもう!! ちょっと止まってくれてありがとうございます!! うぅんそう言う冗談もイケるんだね鳳蝶さん!! でも違ーう!! 違うんだよ鳳蝶さァーん!!」
今のちょっと待ったのとダーリンが要求している「ちょっと待つ」が違うのは承知している。
しかしまぁ本当に往生際が悪い。
つくづく、武士として生きるのに向いていない。
だがダーリンはそれでも良い。
私には恋愛経験が無く、恋愛に関する知識も乏しい。
理想の恋愛対象像など持ち合わせてはいない。
だが、私がダーリンに初めて迫ったあの日、私は確かに鼓動の高鳴りを感じた。
武士らしくなく実に可愛らしい貴方を、私の様な対人能力壊死系武士を綺羅星の様な瞳で見上げて「かっこいい」「好きだ」と言ってくれた感性異質な貴方を、私は、尊く感じたのだ。
と言う訳で好きなだけ迷えば良い。好きなだけ醜い往生際を晒せば良い。
何があろうと、私は揺らがず、貴方の守護者を貫き通す。
「では、今まさに校門通過します」
「うぉぉおお見ればわかる事をわざわざ口頭で追い打ちッ!? さては焦る僕を見て楽しんでいる節があるな!?」
おや、見抜かれてしまった。
流石ダーリン、私の心情はお見通しと来た。
相思相愛とはこれこの事か。素晴らしい素晴らしい。はい通過……
「ッ!」
右方向、何かが突っ込んで来――速――
「わぶッ!?」
「…………!?」
……何が、起きた……?
今、私は何やら右方向から突っ込んできた高速移動する巨大な物体に衝突して……、? 背に、手が回されて……
「ああ、申し訳ない。遅刻気味だったもので急いていて……まさか一日に二度も女性を跳ね飛ばしてしまうとは」
「……………………」
……理解した。
私は今、この他校の制服を来た男子生徒に横から体当たりを喰らう形になった訳か。
そして咄嗟に、男子生徒は私の背に手を回し、私が転倒するのを防いだと。
大した反射神経……それに、衝突時の移動速度や衝撃、接触している腕から伝わるしなやかな筋肉の感触……相当の実力者と見た。
ただ、顔は余り厳つくはない。むしろ最近流行りのしゅっとしたイケメン系統、と言う感じか。
「こちらこそ回避が間に合わず、申し訳ありませ………………? ダーリン? 大丈夫ですか? 何やら驚いている様子ですが……」
「ぁ、いや、ごめん……鳳蝶さんの方こそ大丈夫?」
「この程度、もちろんの事。それより、何にそんなに驚いていたのです?」
「そりゃあ、だって、この人は……、?」
「……?」
……何だ?
今度は、件の男子生徒の方が驚いたと言うか、呆気に取られた様子で沈黙している。
視線の先は……ダーリン?
「……付かぬ事を、聞かせていただいてもよろしいかな?」
「え、あ、僕? ど、どうぞ」
「その制服姿……君は、高校生なのかい?」
「………………………………」
あ、ダーリンの目が死んだ。
「……そっすかー……そんな驚きますかー……デスヨネー……」
「おぉう!? い、いや、申し訳ない! 余りに可愛らしい見た目と声変わりなど知らぬと言わんばかりの可愛らしい声だったもので……」
「……フォローニナッテマセンヨ……」
ダーリンが死にそう。初対面、それも平均より大幅に恵体な男子に覗き込まれるだけでもメンタルダメージが大きいだろうに、加えてこの連撃とくれば、こうもなるか。
とりあえず頭をナデナデしておこう。
それにしてもこの男子生徒、私と気が合いそうだ。
「あぁぁ、こんな小さな子をしょげさせてしまった……本当に申し訳ない……」
申し訳ないと言う割にはきっちり追撃を入れていくとは……やはり手練。
「幼い子供は美しい存在だ……しかし、曇った顔は美しくない……そうだ、さっき真元梨さんにもらった喉飴……っ、ハッカ味……! 小さな子供にはバッド……!!」
「あの、流石にその辺で御勘弁を。ダーリンが両手で顔を覆って動かなくなってしまいましたので」
「おぉう!? 悪化ァ!?」
……おそらく、恵体故に子供っぽい外見の者が抱える劣等感が理解できないどころか、羨ましさすらあるのかも知れない。
あれだけダーリンに取っての禁句を連打しておいて、本当に悪気と言うモノが微塵も感じられない。
「ま、まいったなぁ……どうしたものか……」
「どうやら脳を機能停止させて悪意無き言葉の殺戮行為から心を守っている様です。これはもう言葉ではどうにもならないかと……肉体に訴えるか時間の経過を待つしかないでしょう」
「あちゃあー……」
「……ところで、先程、ダーリンが貴方を知っている風でしたが、貴方のその反応は一体……?」
ダーリンはこの男子を知っている風だったのに、今の男子の方の反応は完全にダーリンの可愛さを初めて味わった風だった。
その齟齬は一体、どう言う経緯で生じているのか、理解ができない。
「ん? ああ、うん、まぁ、ボクは少しばかり有名人だからね。芸能人なんだ。君は知らない?」
「成程。……はい、申し訳ありません。その手の話題には疎いもので」
ダーリンはテレビの向こう側の人間として、この男子を知っていたと言う事か。
だから出会って驚いた様な反応をしていたのか。
「じゃあ、名乗っておくね。ボクは忌河美求。棲朧賀大附属戦極道部所属の二年生。好きなモノは美しいモノ全般、よろしくね」
「私は彩灯鳳蝶。終刕高校二年生。代理として、こちらのダーリンは同じく終刕高校二年生、雄大信市です」
「……ふぅん、雄大くん、雄大くんか。うん。ありがとう、――絶対に覚えておくよ」
「そうですか。それでは、私達はこれで」
「あ、うん。またね」
――この時、私は一瞬だけ、奇妙な感覚を覚えた。
悪寒に近いが、それほど不快ではなく……そう、少々難儀な事になる予感、と言った所。
そして、そう遠くない内に、その感覚は間違いでなかった事を知る事になる。