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「姫、今日も若殿は凄まじい人気でございましたな」
私の隣の席に座る眼鏡を掛けた女の子が芝居がかった調子で言ったきた。ユウちゃんこと、野路結愛ちゃんだ。結愛ちゃんと呼ぶと凄く怒る。
「そうだね。毎朝早起きして待つのも大変だよね」
私が素直に感想を述べると、ユウちゃんはちょっと変な顔をした。
「お聞きしたいことがございまする、姫」
「なに?」
「姫はあの真っ赤な若殿と、深い仲ではござらぬのか?」
深い仲……付き合いの長さで言えば、深い仲と言えるのだろうか。でも私を真剣に見つめるユウちゃんが求める答えはそうじゃないような感じがする。
「ええと……幼稚園からの付き合いだよ。何ていうんだろう、腐れ縁――いやいや、一晃君に失礼だよね……あっ、王子様と下僕みたいなものだよ」
適切な関係名を口にすると、ユウちゃんはサラサラの綺麗な長い髪を両手で掻き回して悶え始めた。
「そうか! この子天然だったわ! 合ってるけど合ってないよ! 違うの、私が言いたいのはそういう仲じゃないの!」
折角の綺麗な黒髪がクシャクシャになるのを勿体無いなぁと思いながら静観していると、ユウちゃんはひとしきり唸った後真顔になった。ユウちゃんは興奮すると口調が素になるのだ。
「姫、それがし姫の御身が心配でございまする」
あ、口調が戻った。
「心配? 私が?」
「はい。それがし二日前、姫の下駄箱に多量の画鋲が仕込まれていたのを目にした次第。昨今にしては、いささか古風な嫌がらせだと思わず感心いたしたが、嫌がらせが増長する恐れも充分にございまする」
たしかに二日前、体育の授業が始まる前に下駄箱に入れっぱなしだった体育館シューズを取りに行った時だった。下駄箱を開けたそこには、驚くほどの量の画鋲が散乱していたのだった。
意味がわからず、取り敢えず体育館シューズを取り出した後、シューズを抜いて空になった袋に画鋲を全部入れて仕舞っておいた。折角これだけの画鋲がタダで手に入ったのだからと、貧乏くさいと思いつつも有り難く一つ残らず回収しておいた。画鋲はお祖母ちゃんから貰ったお菓子の空き缶にしまって、机の上に大事に置いてある。
「……嫌がらせ。画鋲を沢山あげるのが嫌がらせなの?」
「あぁ、やっぱ天然だったわこの子! 凄いわ! 全然気にしてなかった!」
今度は頭を上下に振り始めたユウちゃん。脳震盪を起こさないか心配だ。
「ユウちゃん、あんまり頭を振ると危ないよ? 脳震盪の危険性もあるし、首への圧力もかかるし、脳は色んな血管と繋がってるから血管に傷がついて大変なことになりかね――」
「冷静! そしてなんと友思いであろうか! それがし感動のあまり前が見えませぬ!」
「うん、そうだね、下向いてると前は見えないよね」
「ともすれば冷たきお言葉も、それがしと姫は恐れ多くも友の契を交わした仲! であるからには、物理の帳面を拝見させて頂きたく存じ上げまする!」
頭を下げたまま、座った椅子をジリジリと私の方へと引き寄せて、そのままギュウッと抱きついてきたユウちゃんは言ってきた。
「三限目の物理の宿題で分からないところあったの?」
「分からない所があるどころか、もう分からぬ所しか在りませぬ姫!」
「そっかー、じゃあ私が教えられる部分は教えるから、一緒に頑張って三限目までに間に合わせようユウちゃん」
「ありがたき! ありがたきお言葉痛み入る!」
感極まったようにギュウギュウと私を抱きしめるユウちゃんの背中をポンポンと叩いてあげる。ユウちゃんは国語や地理歴史、公民などは驚くほど詳しいのに、数学や理科などがとても苦手らしい。
「姫ー! それがし姫に一生付いていきまするー!」
「うーん、一生は無理かなぁ……」
「額面通りに受け答えする姫も愛おしゅうございまするー!」
ユウちゃんはたまによく分からない受け答えをするけれど、私の人生の中で一緒に居て息苦しくならない初めてのお友達なのだ。だから大切にしなくちゃいけない。
*
なんとか物理の宿題をやり遂げたユウちゃんは、物理の授業を死にそうな顔でなんとか乗り切り、その次の体育の授業を今度は私が死にそうになりながらも、なんとか乗り切った。そして私達は午前の授業を終えて昼休みを迎えたのだった。
「姫、昼餉にいたしましょうぞ。それがし腹と背がくっついてしまいまする」
ガタガタと自分の机を私の机に寄せながら、ユウちゃんは昼食の準備を始めた。私も鞄の中からお弁当を取り出した。
ユウちゃんと並んでお弁当を広げていると、にわかに教室の入り口が騒がしくなる。
何事かと顔を上げて見てみると、何人かの女子生徒たちが悠然と教室内に入ってきた。
入ってきた女子生徒たちは皆美人で、先頭を歩く女子生徒は中でも群を抜いて美しかった。モデルもかくやと言わんばかりのスタイルに、全てのパーツが完璧な比率で収まっている顔。緩く波打つ髪は上品な琥珀色に輝いている。
一晃君も美しいけれど、彼女は違った雰囲気の美人さんだった。
そしてそんな美人さんが、一直線に私の方へと向かって歩いてくる。彼女の後ろからゾロゾロと他の女子生徒たちも付いてきている。
「……またでござるか」
隣りに座るユウちゃんが苦々しく呟くのが聞こえた。
恐ろしいほどの美人さんが、ピタリと私の机の前で止まった。睥睨するように見下された私は、そのあまりにもの美しさにしばし魅入ってしまう。毎日見てるけど、何度見ても綺麗な人だと思う。
「あなた、今日も金剛院様と一緒に登校したらしいわね」
怜悧な容貌に見合った、冷たく美しい声で目の前の美人さんが言い放った。
「はい、そうですけど」
問われた内容に関して素直に返答するのは私の悪い癖らしい。その証拠に、美人さんの秀麗な眉がキュッと険しく寄せられた。
「あらまぁ、よくもぬけぬけと言えるわね。平凡な貴女が、あの金剛院様の隣に立つことが、どれほど図々しいことか理解できていないようね」
「……顔だけの女が何を言う」
念のために言うと、今しがた低く地を這うように放たれた言葉は私じゃなくて、隣りにいるユウちゃんの発言だ。彼女はお弁当のおかずにブスリと箸を突き刺しながら、全身から不機嫌なオーラを発しているように見える。
ユウちゃんの言葉が聞こえたのだろうか、美人さんの後ろに控えていた女子生徒たちが生意気だのなんだのと囁く声が聞こえてくるが、ユウちゃんは全く気に留めた様子もない。彼女は自分の興味のあることや好きな物事以外は、塵芥にしか感じないらしい。彼女と初対面の時、堂々とそう言い切られたのを今でも鮮烈に覚えてる。
美人さんは優雅に片手を上げて背後の女子生徒たちを制すると、私のお弁当を見下ろして馬鹿にしきった表情で笑った。
「貧乏人らしいお弁当だこと。なにかしら、このおかずは?」
そう言うと止める間もなく、私のお弁当からお母さん手作りのチーズ入りミニハンバーグを素手で掴んで自分の口へと運んでいった。美人なのに大胆な人だと思う。
彼女の隣にいつもいる可愛らしい容姿の女子生徒も、同じように私のお弁当からおかずを素手で掴んで口に放り込んでしまった。もうミニハンバーグは一つしか残っていない。残念だ、このミニハンバーグ結構好きなのに。
「はぁ……貧乏くさい味だわ。よくこんな物が食べられるわね」
控えていた女子生徒からウェットティッシュを受け取ると、これまた上品に汚れた指先を拭き清めた。隣の可愛らしい女子生徒も同様だった。
「ねぇ、八嶋姫子さん。いい加減、金剛院様に付きまとうのは止めてくれるかしら? 彼が何も言わないのを良いことに、調子に乗るのはいかがなものかと思うのだけど」
どちらかと言うと、一晃君の方が毎日私に色々言ってくる。主にバカだの鈍いだのという罵りの言葉だけど。
調子に乗っているかは自分では分からなかったけど、他人の目から見れば私は調子に乗っているらしい。昔ある時に言われた言葉を思い出し、胃の辺りがギュッと痛んだ。
「――ちょっと、アンタいい加減に……」
「分かりました。もう調子に乗りません」
地獄から這い出るような声音で何かを言いかけたユウちゃんの言葉に重ねるように、私は素直に美人さんに返答した。
なのに、なぜだか美人さんは一層険しい顔をする。なにか答えが拙かったのだろうか。
「あなた、ちゃんと考えて答えているの?」
「はい……一応」
「一応? その程度の思考で、この私に返事をしたと言うの?」
ダメ出しをされたので、再度私は黙考する。一晃君と一緒にいられるのは嬉しい。だって私は一晃君が好きだからだ。
だけど一晃君は私のことを下僕程度にしか思っていない。彼が常々私に言う様に、私は彼にとっての引き立て役。だから引き立て役は、役目を終えれば文句を言わずに去らなければいけない。
「あの、美人さん……じゃなかった、えっと……あっ、紅玉堂先輩」
「何かしら、八嶋姫子さん」
美人さんもとい、紅玉堂麗華先輩は、威風堂々と私を見下ろしながら応じた。
「紅玉堂先輩は、一晃君のことが好きなんですよね?」
私が問いかけると、先輩の顔が更に険しくなる。今朝の一晃君と同程度の憤怒の形相だった。そして彼女の後ろに控える女子生徒たちが「金剛院様を呼び捨てにするなんて厚かましい!」と喚き散らしているのも聞こえる。先輩の隣に立つ可愛らしい女子生徒だけは、なぜだかニコニコと楽しそうに笑っていた。
「――当たり前のことを聞かないでくれるかしら? 紅玉堂家の子女である私と双璧をなす金剛院家の子息である彼、貧乏人で平民である貴女と彼。どちらが彼に相応しいのか、考えるべくもないでしょう?」
一晃君は、完璧超人だけでなく、その家柄も凄い。日本で有数の財閥の本家筋の人間であるらしく、一晃君のお家はとても立派なお邸だった。王子様な彼にピッタリの、豪華な洋館なのだ。あぁ、そう言えば最近一晃君のお家で飼われてるガリレオと会ってないな。凄く大きくて凛々しい犬で、私によくなついてくれている可愛い子なのだ。
「八嶋姫子さん、ちゃんと聞いているの?」
思わず意識がガリレオへと飛んでいると、目の前の紅玉堂先輩がヒヤリとするほど冷たい声で私の名を呼んだ。
「はい、聞いています。先程の件ですが、私の独断ではお答えできないので、一度一晃君の判断を仰ぎたいのですがよろしいですか?」
一晃君の知らないところで彼に関する事柄を決めると、彼は鬼神のごとく荒れ狂う性質がある。だから彼が私を簡単に手放すと分かっていても、一応承諾を得なくてはいけない。
「……愚かな人だこと」
ポツリと紅玉堂先輩が呟く。その意味を測りかねていると、用は済んだとばかりに彼女は踵を返して教室を出ていった。彼女が引き連れていた女子生徒たちも慌てて後に続いて出ていく。
私は少しずついつもの騒がしさを取り戻し始めた教室の中、どういう風に一晃君に言おうかと悩んでいた。
「姫、あんな勝手な言い分、まかり通るわけないんだから無視しなさいよ」
珍しく素の口調でユウちゃんが言ってくる。
「うーん……でも先輩の言う通りだから仕方ないよ」
「はぁ!? あれのどこが言う通りだっていうのよ! 家柄だとか何だとか、今時なに時代錯誤なこと抜かしてんだって話よ!」
いつも時代錯誤な物言いをするユウちゃんが言うと、少しだけ可笑しくなってしまう。
「なに笑ってるのよ」
「ううん、なんでもない。それよりもお弁当食べよ。時間が無くなっちゃうよ」
納得した様子のないユウちゃんだったけど、私が黙ってお弁当を食べ始めると渋々彼女も自分のお弁当に手を付け始めた。
大丈夫だよユウちゃん。私はいつでも一晃君から離れる準備はできてるんだから。




