残響
思えば自分は一体[ナニモノ]でさえも知らず、想えば自分は[ネガイ]も分からない。
ただ息を吸って吐くだけの面白みなど1つもない、一辺倒極まる世界だったというのは覚えてる。日々、不条理という絶望からあるはずのない希望を探して、「まだあるはずだ」と不様に抗って、「まだ自分はいける」と愚かに自らを奮い立てて。自分を見る奇怪な目、自分を蔑む罵倒、自分を無視する周りを無視して。たまに開き直って周りを見下してみる。だがすぐに客観的になって、そうして、情けなくなる。自分が嫌いになる。
ある日、見ず知らずの子供が迷っていた。都市で迷っているのではない。大人はおろか、同年代の子供でさえも余裕がない様子を装い、彼に手を出そうとはしない、世界は彼を置いていったかの様な仕打ちとも見てとれる、そんな惨状だった。
そしてそれを安渡していた者がいた。自分だ。
自分と同じ様な目にあっている人間がいた、という事実を知っただけで安渡だけでなく鼓舞までされているという、何とも愚かしく、屑な感情が湧いていたのだ。
他人の不幸を糧にして生きる人間など自分が最も嫌う筈なのに、世間や社会という1つの概念に呑み込まれて、知らぬ間に低俗な「ソレ」へと変貌していた。かつて持ち合わせていた優しさなんてものは何処にもない。ただ自分を満足させ、立場を良くするための強欲な偽善だけが、自分の心に深く根付いていた。
だから少年に手を差しのべたのも自分という存在を良くしたいという欲望からのものだった。
決して優しさなんてものじゃないというのは他の誰よりも自分が分かっていた。
「残念だけど、私の焔にそれは通用しないわ」
燃え盛る青い焔を囲みながら魔女は炭化しきり、黒ずんだ肉に対してそう呟いた。粉塵爆発は空中にまった金属粉や薬粉に連鎖的な引火が重なることで起きる現象である。それは燃焼という、物質が酸素と結合する条件が必要なのだが、少女の廻りに漂うそれは[酸素]無しで煌めいていたのだ。
燃焼が起こらないのであれば空中に舞った粉末薬はただ焦げるのみである。
それはまさに化学という理を超越した魔術という概念だからこそ成せる業なのだ。ただ少女が[使役]するソレは本当に魔術かどうかは疑わしいもので、どちらかというと超能力や魔法という一種の異能という方が近いだろうが。
「粉塵爆発で私の焔を封じようとしたのは賞賛するけど生憎私の焔にソレは通用しないの、まあ考えが単調過ぎたわね」
これ以上独り言をほざくのも馬鹿らしくなった少女はさっさと当初の目的地へ赴く、そして歩みを始めるその時だった。
「タンチョウ?いやいやこうしてワタシがメザめることがデキた
のだからコイツはジュウブン、おリコウだよ」
その言葉と共に魔女は驚愕しそして思い出す。砕けた記憶の欠片が1つ1つ繊細にはめ込まれていく。
どうして忘れていたのかと、何故覚えていなかったとあらゆる後悔と悲哀と憤怒が心の中で渦めく。
コイツだけはと心の中で殺意が昂る。
魔女は魔獣と再会したのだ。
魔女を取り囲む青い焔が無くなったかと思う一瞬、ゼスティリカの体が爆散する。
肉という肉を。
骨という骨を。
砕き尽くし、焼き尽くし、殺す。
空気中残ったごくわずかな細胞をも増殖する前に徹底的に焼く。
しかし何事もなかったかの様にゼスティリカは蘇る。
魔女は悪夢を見ているのかと錯覚する。
だが、それはどうしようもなく現実に近しい地獄で明らかにその魔獣は魔女が殺すべき仇敵だ。
そう、魔女は思った。
「ヒサしいなジャンヌまたオマエにアえてワタシはカンゲキだよ」
「貴様・・・!」
魔獣が激怒する魔女を嘲笑うかのような目で口を踊らせる。
「まあヨそうよ。オコルのはわかるけど、せっかくアタラしいカラダをテにイれたんだ。ここでアラソいたくはない」
魔獣はそう言って自分が散った要因を探る。
「ふむ、さしずめシネンソウサガタナノマシンがワタシのタイナイにイトテキにシンニュウし、コウシュツリョクのマイクロウェーブをショウシャ、そしてサイボウがタえきれずハレツといったトコロか(暗記)」
墓穴を掘った。
魔女はそう確信した。
今のは元来あらゆる物体が[人]であるならば確実に死滅させることが出来る思念操作型対人戦術制圧兵器[Keraunos]。端から見れば急に人が爆発したと思えば消し炭だけが残るというその武器[そのもの]を知らなければ何が起こったかも分からない、いわば彼女の奥の手とでも言える代物だ。
細胞を再生不可の状態にまで追い込み。そしてナノマシンが空気中に漂う細胞までもを殺す。それはあらゆる再生をも無効化する
。魔女が[青焔の魔女]という異名の他に[不死殺し]というもう1つの異名をもつ理由だ。
だから焦ってこれを使った所で相手からは何が起こったかも分からないし、第3者に見られても新型の魔術だとしか思われない。
情報面の隠蔽、確実に特定の生物を絶滅させる制圧力、ナノマシンであるため荷物にもならない携行性、それこそ正に人類という種が一方的な[殺し]する為だけにたどり着いた、[死ね]と思うだけで対象が死滅する、殺戮における究極点。殲滅兵器の1つだった。
だが、奴は確かにその絶対的な死から甦った。いや、再生したのだ。
「ふーむ、イゼンのワタシよりもムネがオオきい!」
魔物はそう言ってその不埒な脂肪と暴力的な欲望が満遍なく混ざった美の象徴を揺らす。そうして、揉みしだく。
「・・・」
奴のペースに呑まれるな。これはフェイクだと魔女はそう自分に言いつける
「ウオオオォ!ツルツルだああああ!」
バン!
「ギャアアアアァ!!フザケンナ、オマエ!リョウメツブスナ!ナンモミエンヤロガァァァ!」
この悶えるやかましい裸猿はどうすれば黙るのだろうか。
「マッテ!ヤメロ!ワタシはオマエのミカタだ!」
「はぁ?」
「ワタシだよ!ワタシ!フェンリル!」
フェンリル。
その言葉を聞いてまた思い出す。
「フェンリル?もしかしてあんた、アホ過ぎてかけ算ができないあのフェンリル?」
ゼスリティリカの体の目を治しながら魔女は聞く。
「そうだよ!ってサイカイそうそうなんてことイうんだよ!」
フェンリルと呼ばれた魔獣は叫ぶ。
「ゴメン。記憶が急に戻って動揺しちゃって、つい攻撃しちゃった」
魔女は申し訳なくなった。記憶が戻って錯乱したり、混乱して、あたり構わず攻撃するのは魔女が持つ悪い癖だった。急に湧き出す感情を抑えきれず、無関係の者達まで巻き込んでしまっている。結果的に「青焔の魔女」と呼ばれ恐れられることとなった。
だが本来なら精神崩壊をしている所を魔女は混乱程度で済んでいる。これは紛れもなく彼女の強さによるものだ。
彼女の心は決して弱くはないのだ。
魔女はふとなにかを思い出したように、
「というかあんた大丈夫なの?」
魔獣は痛がりながら、
「ダイジョウブなワケないじゃん!カラダジュウがむちゃくちゃイタい・・・でもナンでイきカエったんだろ」
「コイツの能力なんじゃない?あんたの能力たしか意識憑依でしょ?なんか記憶とか覗けないわけ?」
「ワタシのノウリョクはイシキをアイテにウツすだけだからあんまりそういうのはできないんだー」
魔女は「まったく・・・」とぼやきながら、自分のローブを魔獣に渡す。
「とりあえずアンタそれ着て、そこで寝てるヤツを担いで来なさい」
ドコにイくんだ?と訪ねる魔獣を前に魔女は口を開く。
「リーリア=ロスネル、知ってるでしょ?ソイツに情報を貰いに会いに行くのよって言いたい所だけど兵力が足りない以上、先ずはこいつらを前哨基地で保護しないとね。あんたが憑依しているそいつは恐らく[記憶持ち]よ。殺すのは惜しいと思うわ。」
そういって魔女は空を見上げる。
それは先程までの明快とした青い空ではなく暗雲としており、焔が彗星の様に弧を描きながら空を泳いでいる。
「ああそれがいいよ。ツァーリもキミのコトをヨんでいたからワタシをツカわせたわけだからね」
そういって魔獣はアイラを担ぐ。
「・・・」
「取って喰うんじゃないわよ」
「わかってるよ!」
「・・・して、お前達はこんな緊急時にじゃじゃ馬一匹と小娘一人を連れてきた訳か」
彗星が泳ぐ極黒とした空を描く窓を背景に魔王は椅子に背もたれしながら侮蔑が混じる言い方で呟いた。
勿論、それは正座する魔女と魔獣に向けての言葉である。
魔女は額に汗をかきながら辺りを見回す。
そこはまさしく上位の軍人が居るに相応しい毅然とし、上品とも見てとれ、一種の美として感化される空間だ。
視界の右側にはドラクロワが描いた[民衆を導く自由の女神]があり、また視界の左側には[ミロのヴィーナス]と思わしき石像が置かれている。だが、一際存在感を放つ視界の中央には勲章をご満と飾り付けた軍服をさも当然であるかの様に着こなし、そして丸眼鏡の奥に弱者は持つことがない傲慢と強欲が入り交じったかのような目を光らせる銀髪でオールバックの青年がそこに鎮座していた。
「ま、まあいいじゃん!ツァーリ!ちゃんとモドッてコれたのはジジツだしさ!あのフタリはただのジンザイホキュウだよ!」
ツァーリと呼ばれた男は侮蔑とも見てとれる様な視線で魔獣を見る。
魔王の凍てつくようなその眼光に魔獣は脅える。
「俺は人員を増やせとは言っていない、速やかに即座に機敏にここへ戻って来るようにと伝達せよ、・・・そう命じた筈だフェンリル。こんなガキでも出来るようなことを出来ないお前にはまたシベリアに行ってもらうとするか」
ヒィィィと脅える魔獣を庇いながら魔女は弁論する。
「もう一人の方はどうであれアイツは私を手こずらせたのは事実よ。フェンリルの助けがなければ私は死んでたでしょうね」
魔王は見透かすかの様に。
「手こずったにしては随分と小綺麗だなジャンヌ。仲間を守りたいのならもっと賢い嘘をつくんだな。信用を失えばお前達に生きる価値などないぞ。」
「!」
「だが、やつが瞬時に6人も殺害したのは事実だ。油断していれば、お前の方が殺られていたかもな。」
「アイツは速いだけじゃなく、頭もキレていた。ツァーリ、あんたはアイツに覚えがない?」
魔王は脳から情報を引きずり出すかの様に思考するが、
「ないな・・・。彼女が記憶持ちだったとして、[速い]に関しての殲滅兵器は覚えがあるが、[keraunosu]でも再生する代物は聞いたこともないぞ・・・。」
(今まで記憶持ちは互いに面識がある程度の記憶が総じてあった・・・。なのに、アイツとはそれがない・・・なぜだ?)
魔女と魔王が考え込んでいるため話に入れないフェンリルは一人正座をじっと我慢しながら、単純明快に質問する。
「アイツが殲滅兵器を持ったこのセカイのニンゲンってカノウセイはないの?」
すると、魔女が少しばかりの嘆息を込めた口調で。
「それはないわ、フェンリル。殲滅兵器は記憶持ちが目覚めた時に手にしていた武器で、新世界の人が持てることはまずありえないわ。第一、アイツが兵士を殺す際に使っていた格闘術は旧世界にアメリカ軍が採用していたMCMapのそれよ。
しかも情報によればアイツは倒れてた所をもう一人のあの女に助けてもらって匿われてたのよ。そんな奴がこの新世界の住人である筈がないのよ。」
フェンリルはつまんなそうに「うじゅー」と唸る。
「じゃあフシなのはどういうことさ。あんなのマジュツじゃないとムリだよ。」
「フェンリル。俺達が呼ぶ魔術というのは旧世界で行きすぎた化学がもたらしたに過ぎない産物だ。[keraunosu]は再生魔術に対抗する為に作られ、そしてそれらを封じ込めたことで知られる兵器だ。細胞全てをを消し炭にされてまで再生するのは化学を起源とする魔術では不可能なんだよ。」
魔王は訝しげな顔を浮かべながら、こう答えた。
その推論は馬鹿馬鹿しくもあったが、確かにそう考えるざるを得ないものだった。
白い石灰岩のような壁がまず目に写った。
次に薄暗く弱々しい光がぼうっと煌めいている。
(まるで炎みたいだ)
そう思って見るとますますそう見えるが、視界が明快になるにつれ、それは考え違いだとわかった。
古びた電球だった。
そこまで分かるとようやく彼女は自分がベッドで寝ているということを認識した。
それと同時に思考が現状に追いついていくにつれ、自分が置かれている事の状況に焦りが出る。
「‼」
右手に枷のようなものが見える。
彼女は渾身の力を振りだして枷を引きちぎろうとする。
何度も何度も懸命に頑張ってはみるが、体力が尽きていくにつれ、無駄だと分かり、とうとう彼女はじっとすることにした。
「全く、とんだ狂犬を持ってきてくれたもんだ。」
英語だ。
声がする方に顔を向く。
見ると銀髪の青年がティーカップを2つ、お盆に乗せてこちらへ歩みよっていた。
「即効性の睡眠薬を投与してまだ20分も経っていないというのに何故お前は起きているんだ?」
「・・・」
彼女は今、仇敵に合間見えたが如くに魔王を睨む。
魔王は何故自分が睨まれたかよく分からず見に覚えがなかったかのような表情をするが、少し考えると彼女が何故に激怒したか分かった様で、彼女の四肢を拘束している枷を外していった。そしてベッドの隣にあった机にお盆ごと乗せて椅子に腰かけた。
「あぁ、お前の連れは無事だ。今は我々が保護をしている。」
「保護?何が保護だ。あれは完全にお前らの強襲だろうが。ふざけたことを言うな」
発音が出来ない筈のゼスティリカの声から英語が出た。
「・・・あれはわが兵士の独断専行だ。すまなかったな。この件は俺の人選ミスだ。」
彼女は不服そうに魔王に二度尋ねる。
「拘束している理由はなんだ?謝罪する気があるなら普通はこんなことはしない筈だぞ」
「それに関しては別の話だ。パニックなっている人間に何を言っても無駄だし、何をするかも分からんだろ?現にお前はこの枷のおかげで冷静になっているんだからな。」
魔王は淡々と言葉を列ねながらコーヒーを啜る。
酸味が酷いーーー。魔王はそう思った。
「俺達はお前の味方だよ」
そう言って魔王はもう1つのティーカップを彼女に差し出さずに
代わりにポケットからなにやら透明な袋に入った彼女が知り得ない物を取り出した。
見れば、小さな輪が入っている。
「ほらやるよ。」
彼女は恐る恐る受けとる。
「これはなんだ?」
魔王はきょとんとしたが、まあそういうこともあるかと自分なりの解釈をしてそのブツの説明を始めた。
「それはドーナツだ。と言ってもそれはかなり小さいがな」
「食えるのか?」
「あぁ俺のお気に入りで貴重品だよ」
怪しくなる。
「ただの友好の証だよ。なにとって食おうというわけじゃないさ。」
少しでも酸味や苦味があれば毒物が入っている可能性があるから、その時は吐けばいい。彼女はそう思った。
そうして彼女は一口、その小さな輪を口に入れた。
「もっとよこせ」
警戒心が解けた声を聞いた魔王はまた右手をポケットに突っ込むと、その透明な袋に入った輪を手一杯に取り出した。