shutdown -r -m \\Ātman -c "Reincarnation"
――世界が、ぱっ、と、明るくなった。
明るくなった……?そんな馬鹿な!あの感じは死んだだろう!?
それが、目覚めて最初に思った事だった。
こんな体でまだ生かされ続けるのかよ……!
と、恨み言を頭の中で呟いたあたりで、俺は気付いた。やけに思考がハッキリしている。
病気と、一日でも長く命を繋ぎ止める為のあれやこれやの投薬のせいで、最近は回っているかどうかさえ怪しかった頭が、それが嘘であったかのように通常回転している。寧ろ、(表面上)健康だった頃よりもよく回っているような錯覚さえ覚える。
それに、薬が切れたなら襲ってくる筈の、あの忌まわしい痛みや苦しみが、今は全く無い。
流石に手足は動かないし、やっぱり首も動かないようだが。
これはもしや……「峠は越えた」というヤツなのだろうか。だとすれば、ここから快方に向かって、もう少しすれば元通りになったりするのか。
わ、ワンチャンス、あるのか……?
「――さて、成功であれば嬉しいのだが」
ひとしきり狼狽え、ひとしきり希望に目が眩んだ辺りで、頭上から女性の声がした。どうもスピーカー越しのようで、多少ノイズが混じっているが、それでも分かる涼やかな声だった。
……誰だ?俺の治療にあたってくれたドクターや看護師さんの声を片っ端から想像するが、どれ一つたりとも合致しない。
そこで気付いた。この天井、死んだ――と思った――時と違う天井だ。
だいぶ高くて、小さい明かりが規則的に並んでいる。
周囲では、ごうん、ごうん、と、何かの機械が動いている音がしている。
そうすると、意識を失った後に、何処かの施設に運び込まれて、そこで、何か……こう、スゴい最先端医療とかで治療されて、その甲斐あって今起きた、とか、そういうコトだろうか。
すると、この知らない声の主はその施設のドクターとかなんだろう。なるほど、それなら何となく納得もいく。
「それじゃあ、確認に移ろうか。あー、あー、聞こえているかな?リピートアフターミー。『こんにちは、世界』!」
リピートアフターミー。繰り返して言え、と。起きるなり変わったリハビリだ。
「は、はろー、わーるど」
お、おお……!思った以上にしっかり声が出た!
暫く声なんて出してなかった、いや、出せなかったせいか、ちょっとザラッとした音質で聞こえたが、それよりも普通に声が出たことの方が大事だ。
いや、これ、劇的に良くなってるんじゃないのか。ワンチャンスどころではないのではないか……!
「ふむ。多少覚束なかったのは、まあ良しとしよう。」
唐突に人生に射した光明に感動している俺をよそに、涼やかな声は淡々と言葉を続ける。
「では続けようか。私の言葉を記録してくれたまえ」
<記録>……?<記憶>、ではなく?まあ些細な事か。それがマトモな人生に戻る為に必要だというなら、何だって記録しますとも!
「今日の日付は……ええと……む、時計は何処だったろうか……少し待っていてくれ?」
声は一旦止み、後から何やらバサバサと、紙の山をかき分ける音がし始めた。声のイメージに似ず、案外ガサツな人なのだろうか。
しかし、なるほど、日付。確かにリハビリ向けの項目だ。
そういえば、意識を失ってからどのくらい経ったか分からない。すぐ目覚めたと思っているのは俺だけで、もしかしたら数日、いや、数週間。下手をすれば数年経っていて……なんて、想像したくない話だ。
なるべく時間に隔たりが無いことを祈りながら、声の主の帰還を待つ。
「いや、済まないね。どうにも散らかしてしまっていけない……」
やはりか。
いや、それは良いんだ。さあ、今日は何日ですか?
「気を取り直していこうか。今日は……」
飲めもしない息を飲む。さあ、今日は何日後なんだ……!
涼やかな声は確認を終え、あっけなく告げた。
「7月28日だ。記録したまえ」
にじゅう、はちにち?
そう言ったのか?
本当に?
……だって、だって!意識が途切れたのは23日だったろ?
え!?たった一週間足らずでこんなに良くなったの!?なんて出来すぎた奇跡!サイコーだな日本の医療技術!
と、心の中で自分史上最大級のガッツポーズを決めそうになった辺りで、大事な情報が抜けている事に気付く。そこが分からなければ喜べない。
喜びたい気持ちを必死に抑え込みながら、俺はそれを素直に口にする。
「あの、年は!今日は何年の7月28日ですか!?」
「ん?ああ、済まない。忘れていたよ。んー、どうにもいかんな最近……。今日は――」
自嘲気味の呟きの後、涼やかな声は俺に告げる。
「西暦2105年、7月28日だ」
……は?
……にせん、ひゃく?
この人は何を言っているんだ?まだ俺の頭が起きてないのか?言っているコトが理解できない。
急に頭を金槌でブン殴られたような、眩暈のする感覚。その衝撃で頭蓋骨から漏れ出した混乱が、口からだらしなく漏れ出す。
「……は?何て?いま、何て?ワケわっかんねえんですけど……!」
思わず語気が荒くなる。理解が及ばな過ぎてもう怒るというより半笑いだ。
「ん?記録出来なかったか?今日は」
「聞こえてますよ!聞こえてますけど!何ですか!2105年!?冗談ですよね!?起きぬけのジョークとしちゃキツ過ぎる!」
「……ふむ。どうも、妙だね。ひとつ、根本的な事を確認させてくれ」
キレ笑いみたいになっている俺の態度が面白かったのか何なのか、涼やかな声は訝しがるように、とんでもないことを尋ねてきた。
「君は、対話型操縦支援システム『Ātman』か?」
――今度こそ、彼女の言葉が自分の理解の範疇を遥かに超えていった事を知覚した。
西暦云々の話が理解の1キロ先だったとすれば、これは最早光年クラスの距離の隔たりがある。
流石に酷い話だ。死にかけの人間捕まえて、君はシステムかって?違うに決まってる。アートマンって何だ?芸術家?
「違うに決まってるでしょう!俺には久間真斗って名前がある!!」
混乱が次第に苛立ちへ、更に怒りへと変わっていくのを感じながら、衝動を抑える事無く発した叫びは、部屋中に響き渡り、山彦のような余韻を暫く残し、次第に消えていった。
そこで気付いた。
――反響が大き過ぎる。これじゃまるでコンサートホールだ。高い天井といい、俺はどれだけ広い部屋に移された?おかしくないか?
一つ違和感に気付いた途端、まるでドミノ倒しのように、次から次へと違和感が連鎖的に湧き出してくる。
天井もそうだ。LEDか何かだと思っていたが、よく見れば、サッカー場の投光器のような、それなりに大きな照明だ。
それを俺は「小さい」と認識した。
まるで、自分が巨人にでもなったかのように。
声だってそう。さっき叫んだ時、もともと感じていたザラっとした印象が、更に強くなった。
……いや。知覚したくはないが、知覚してしまった。
声が、音割れを起こした。
そんなの、普通の人間がどれだけ叫んだって起こり得るはずがない。
俺の体に何が起きている?
いま、一体俺はどうなってしまっている?
自分の体に信じられない何かが起きている事に対する恐怖で、もはや怒りを口にするコトも出来ない。
そんな中、涼やかな声を発していたスピーカーから、急に野太い怒号が発された。
「馬ッ鹿野郎てめえパーラ!クレーンで資材運ぶ時は機体の上を通すなって何回言ったら分かるんだ、あぁ!?」
音量自体はそこまででもないあたり、どうやらマイクから遠い所で口論になっているらしい。
「す、スンマセン!すぐ止めます!」
次は女性……というよりは少女の声。パーラと呼ばれ、怒られているのは彼女のようだ。
「ふざけんな!止めてどうすんだ!いいからもう通しちまえ!」
「は、ハイ!えーと、あ、あれ!?どうするんでしたっけーー!?」
「今更操作忘れてんじゃねえ!いいから一回落ち着けバカ!」
狼狽えるパーラと呼ばれた女性と、上司と思われる野太い声の男が延々と口論を繰り広げている。
あまりに素っ頓狂なやりとりに、深刻だった心が若干軽くなったのもつかの間、頭の右上から機械音が迫ってきた。何かと思ってそちらに視線を向ける。
ごうん、ごうん、という音と共に、視界の右端から鉄の柱が何かを吊り下げながら現れ、頭の真横辺りで静止した。
吊り下げられていたのは鉄板だった。何に使われるのかは分からないが、曇りない銀色で、クレーンの動きの余韻でゆらゆらと揺れる度、天井の照明を反射し、輪郭がぎらぎらと強い光を放つ。
反射光に目が慣れるまで少し。
その輝きの奥に見えたものに気が付くまで、そう時間はかからなかった。
「それ」を見て、捉え、知覚した瞬間。全身の血が凍り付く感覚が俺を襲った。
銀色の鉄板が、鏡となって俺を、映す。
そこに見えたものは、見知った顔ではなく、鉄の頭蓋骨。
眼窩の奥では、動揺するし彷徨う俺の視線に合わせ、青く光るセンサーのような球体が落ち着きなく動く。何かを語る口は無く、無機質な鉄のマスクが覆っている。
「ぁ……?ああ…?何だよ、これ……」
口から漏れ出ていると思っていた呻きは、どうやら喉元のスピーカーらしきものから発されている。
嘘だ。
そんな。
こんなことって。
さっきは、「巨人にでもなったか」と思っていた。
けど、違う。これは。これって。
信じたくない。けれど。もはや、そうだという以外に無い。
俺は、巨大なロボットになっている。
「嘘だ……嘘だあああああああああああああああアアアアアアァァァAAAAAAAAAaaa!!!!」
絶叫が工廠を震わせ、ぶつり、と、スピーカーユニットの破損をもって、途切れた。