ローカル支線に乗り換えて
快速電車は北へ向かって走る。温泉地の手前で5両編成の快速電車から、支線を走る2両編成の電車に乗り換える。クリーム色の電車が、昔ながらの電車のモーター音を出して走り出す。快速電車と違ってよく揺れる。山奥の温泉地に向かうけど、ローカル線の利用者が少ないので廃駅が目立つ。ワンマン運転なので、後ろの車両のドアから乗車し降りるとき前方の車両にいる運転手に切符を見せる。
ローカル線を走る電車は、いくつもの駅を通過する。通過された駅は十数年前に廃止された。若い男性たちが多く乗っている。鉄道マニアたちである。高音質録音機で古い電車の走行音を録音する。デジタル一眼レフカメラで、2両編成の電車を撮影する。
「とても古い電車に乗ると、気が休まる」
レールのつなぎ目ごとに、電車の台車から「ゴトン」という音が聞こえる。電車を動かすモーターの音がする。一生懸命、電車が走っているように感じる。
1990年代に作られたレトロな電車は、精密な電子回路で制御されていないし、一つ一つの部品がIPv6でインターネットに接続していない。沙織は、5分もしないうちにボックス席で寝てしまった。
「ねえ、着いたよ」
親友の黒猫が言う。
「ちょっと寝ただけなのに・・・」
「早く急いで。電車が次の駅に行くから」
「運転手さん、待ってください」
沙織と黒猫は乗車切符を運転手に渡した。
「二人とも、良い旅をしてください」
「ありがとう」
鉄道マニアたちを乗せた電車は、より山奥へと向かった。沙織と黒猫の二人は、温泉街の旅館に向かった。鉄道よりも高速バスが主流の時代、駅前には高級感を感じるバスがたくさん駐車していた。駅前では外国人女性の乗務員たちが、高速バスの乗客たちをホテルへと案内した。
沙織は中学受験の時、都立工業高校に進学したかった。沙織の母は、ハードは頭打ちだから、ソフトウェア関係の勉強をするように薦めた。親子でも意見が食い違う。結局、英会話が上手だしグローバルで仕事するなら、ソフトウェア関係の高校に進学した。高校の授業は、英語で行われインターネットの回線を使い東南アジアやオーストラリア・ニュージーランドの高校生たちと会話しながら勉強をした。自分で作ったプログラムとかDTP作品、パソコンで作ったイラストなど世界各国に公開した。男子生徒は日本人が多いが、女子生徒はいろんな国の人たちばかりである。
沙織が高校に入学した時代、長いスカートの制服なのにヒステリックな女性運動家からスカートを切られ「体制派」「不道徳!これからの女性はスカートを履くな」と怒鳴られた。それ以来、沙織はスカートは履かない。ジャケットにパンツスタイルで高校に通うようになった。
「男性なら、ハード関係の勉強ができるのに。電子工学とか機械工学なども。最近の電気製品は、とても複雑でブラックボックス化しているから、それを探求したいの。所詮、人間が考えて作ったものだから」
黒猫は答えた。
「21世紀前半までは女性はセックスアピールが自由にできたのに、今はドレスコードが厳しいし、日本人の女性たちは結婚の自由がない。それに女性解放と言いながら、女性たちを縛り付ける。確かに女性だけの特権も増えたけど、何かおかしいわ」
「結局、女性運動とはなんなの?フェミニスト原理主義者の自己満足じゃないの」
沙織は女性が運転するタクシーを呼んで旅館まで送ってもらった。
「こんど生まれ変わったら、男性になりたい・・・」
「で、私も男性に生まれ変わって、男子校に入り、男同士でキスして抱き合って」
「ねえ、これを小説にしない」
沙織はボイスレコーダーで自分の小説のアイデアを録音した。
「今度は私みたいな大人の女性が男子高校生に転生して、かわいい男の子と裸で抱き合う話しを書くわ」
沙織の妄想が膨らむ。
未来社会でも、どの政党が政権を取っても、大きな変化はない。革新でも保守でも、機械文明を放棄することはありえない。知的テロリストたちは機械文明を憎んでいる。彼女たちからみれば政治的に「革新」も「保守」も同じ「体制派」なのである。
20世紀の前半は『科学』が二度の世界大戦で大量殺人を行い、21世紀の初めに『宗教』が911同時多発テロなどで世界を震撼させ、アフガン戦争とイラク戦争で多くの人たちが苦しむことになった。科学も宗教も人間を幸せにできないと理解したら、次は『知識』の時代に突入した。その『知識』も使い方を誤れば、社会を混乱させたり場合によっては大量殺人へと発展する。
より正確な知識を求めるためには、紙媒体で印刷され製本された本を読むことが重要となる。インターネットでは引きこもりたちの妄想ばかりが飛び交い、テレビのドキュメンタリーでは信憑性が薄い。怪しい情報が多い。だから、情報化時代でも本を読む人が多い。
その知識も、人間を傲慢にさせて過激な行動を引き起こすので宗教テロに似たようなものとなる。
政治思想の違いを超えて、ちゃんと学校教育を受け、高校に進学し、クラスメイトとのつきあいを通して、人間的に成長しなければ、多くの知識があっても、自己満足に終わり、他の人たちの自由と人権を奪うのではないかと思う。知識を詰め込むだけなら学校に通う必要はない。政治思想が異なっても、心の成長が重要視されている。