マクベスとユウキ
「じゃあ、マクベス役は佐藤で決定で!」
放課後のホームルーム。
黒板に書きこまれる自分の名前を見ながら、まぁ予想どおりの流れだな、と思った。
たった今、文化祭でやるクラスの英語劇の役決めが終わったところだ。
シェークスピアのマクベスをやるとなったら、その主人公役はまぁ自分だろう。自分で言っちゃなんだけど、クラスの中で女子から一番モテる自信あるし。
「佐藤はやっぱ安定の王子様キャラだな」
隣の席の高橋にどつかれた。
王子様?
マクベスって錯乱した王様じゃなかったっけ。脚本読んでないから詳しいことは知らんけど。
そんなことを思いつつ、言い返すのも面倒なので黙って肩を竦めておいた。
「暫定の脚本回しまーす。ひとり一部取って!」
脚本担当の女の子が冊子を配る。
それをぱらりとめくりながら高橋が言った。
「あ、お前、妹尾とのキスシーンあんぞ」
キス?
錯乱した王が?
ご冗談を。
そう思って脚本を見たら、妹尾演じる妻とのキスシーンががっつり入っていた。
何の陰謀だよ。
文化祭はキスシーンとか入るとやたらと盛り上がるので、どうやら点数稼ぎのために加えられたらしい。
とはいえ、高校の文化祭。
本当にキスするわけではない。
フリだけだ。
それに、
「別に嬉しくない」
そう言うと高橋は、「まぁお前はなぁ」と言って笑った。
妹尾は可愛い。学年のマドンナってタイプじゃないけど、なんていうか、キュート? いっつもニコニコしてて、色白で。マドンナよりも実はこういう女子の方がモテる。
でも、妹尾にそういう意味での興味はない。キスシーンが嬉しいってこともない。
「それよりこのホームルーム早く終わんないかな」
イライラと時計を見て、スマホをいじる。
役が決まったんだからもう解散でよくないか。照明とか音響とか衣裳とか、明日でいいんじゃないか。
タップする音がよほどうるさかったのか、高橋がにやつきながら尋ねてきた。
「何だお前今日デート?」
そう問われて、嘘をつく理由もないからと小さく頷いた途端、高橋が声を張り上げた。
「おい、佐藤今日デートだってよ! 早く終わらせて帰りたいって! 我らがマクベス様のために皆急げよ!」
あ、おいバカ、と言っても遅かった。
この手の話が大好きなクラスメートたちからキャーともワーともヒューともつかない声があがった。
「余計なことを」
高橋をジト目で睨むと、やつは肩をすくめてみせた。
「本当のこと言っただけじゃん」
それにしたって、こうなるってわかってて何でわざわざ。
高橋のおかげだったのか何なのか知らないが、ホームルームはその後驚異のスピードで終わった。
「じゃあとりあえずそんな感じで! みんながんばろう!」
学級委員の早口なその声を合図にすぐに立ち上がり、カバンを肩にひっかけた。
「可愛い彼女によろしくな」
高橋のニヤリ顔に「うるさい」と一言投げてから、教室を飛び出した。
「土屋」
改札前にたたずむ土屋に声を掛けると、ぱっと顔を上げた土屋は嬉しそうな笑顔を見せた。
「ユウキ」
そう呼びかけられ、心臓が跳ね上がる。
「ごめん待った?」
「今来たとこ」
あり得ないほどベタなやり取りを交わし、ふたりで歩き出す。
行き先なんて決まってない。放課後デートはもっぱらブラブラするだけ。もうすっかり日は暮れ、一緒にいられる時間はあまり長くない。
「今日文化祭の話し合いだった」
土屋が言う。
「ああ、そっちも?」
「そっちもって、そっちも?」
「うん」
同じ高校だったら楽しそうだったのに。
どうしようもないことを思ったところで、それを吹き飛ばすような言葉が飛んできた。
「ミスコンのクラス代表に選ばれた」
思わず前のめりにこけそうになった。
ミスコン……?
「プロのメイクさん呼んでばっちりメイクするんだって。あと、ドレスも着る」
それは、さぞかし。
土屋は小柄で華奢で目がクリックリ。色白だし、まつ毛も長い。メイクしてる姿を見たことはないけど、可愛いんだろうな。
土屋、気をつけて。いろんな意味で。たとえばそう、男共に惚れられないように、とか。
そう思ったけど、口には出さなかった。
「ユウキは? 文化祭何やるの?」
「英語劇。主役やるよ」
そう言うと、土屋は嬉しそうな声を上げた。
「見に行く」
「いや、恥ずかしいからいい」
「だからこそ行く」
思わず立ち止まり、土屋をジトリと見た。
ときどき土屋はこうやって、からかってくる。
「じゃあ、土屋のミスコンも見るよ」
「別にいいよ」
土屋はケロリと言ってみせる。
くっ。
「劇、見られたくない理由でもあるの?」
頷いて、カバンを探った。
世界中のどこのどいつが、好きなひとに見られたいなんて思うんだ。狂気の王を演じる姿なんて。
「これ、脚本」
そう言って脚本を差し出すと、土屋はぱらぱらとめくり、途中ではたと手を止めた。
「あ、キスシーン」
注目してほしいのはそこじゃないんだけどな。
まぁ、いいけど。
「キスシーンて、本当にキスするの?」
「気になる?」
「そりゃあね」
「するわけないじゃん」
「そっか」
何か気まずい沈黙が流れたけど、なんていうか、この沈黙の意味が分からない。
まぁ、わかんなくて普通か。
付き合ってまだ4ヶ月。
土屋とは中学のクラスメイトだった。
中2からずっと好きで、卒業したときに両想いだったことが分かった。
その時のことを思いだすといまだに顔がにやけるんだけど…
――ずっと好きでした。
――俺も、ずっと好きだった。
あんなことは二度と言えない。
「なんでニヤニヤしてんの?」
土屋に問われ、答えに窮する。
「なんでもない。ちょっとね」
「思い出し笑いする人って、エロいんだってよ」
ちょっ、
「うそうそ」
土屋はときどき平気でこういうことを言う。
デリカシーってものが。
自分のより下にある土屋の髪の毛がつやつやしていて、そんなことにいちいちドキドキしてしまう自分はもしかしたら本当にエロいのかもしれない、と思った。
二人の足は自然といつもの公園に向かう。
小さなベンチと鉄棒。たったそれだけの、本当に小さな公園。学校帰りに待ち合わせをして、このベンチに座って他愛もない話をするのが定番のデートだった。
「なつかしいね、紅葉祭」
「うん」
文化祭と言えば。
中学のときも劇をやった。
当然、主役の男だった。
「ユウキ、主演だったね。主演賞とったじゃん」
「土屋は音響係だったよね」
「よく覚えてるね。音響なんて地味なのに」
「まぁ、ずっと見てたから」
それに実は、同じ役職を狙っていた。
少しでも土屋と近づきたかったから。
それなのに、推薦と言う名の押し付けにより役者に抜擢されてしまったおかげで同じ役職には就けなかった。
音響係にはモテモテで有名な紫吹が居て、土屋を狙っているらしいという噂だった。
あの時期は本当に、ヤキモキさせられた。
「音響ブースからさ、舞台の上見てて」
土屋が言った。
「うん」
「体調悪いのにそれ隠して練習してるユウキ見て、すごいなって思った」
あれ。
「リハの日、かなり体調悪かったでしょ」
何でそれを。
「知ってるよ。ずっと見てたから。出番の合間に舞台そでで寝転がって苦しそうにしてたのも。」
何だ、これは。
「剣道部の主将でさ、勉強もよくできたし、容姿も整ってるし。明るくて、クラスの人気者で。そういうユウキしか知らなかった。でも、それだけじゃないんだなって。みんなに隠して苦しんでるの見て、それで、もっと好きになった」
土屋がこんなこと言うなんて。
どうしたんだろう。
「守ってあげたいなって思った」
ズドン、と胸の辺りを押されたような気がした。
「同じような奴が現れたら、どうするんだよ」
土屋の言葉づかいが、いつになく荒れている。
「土屋、何言ってんの」
「キスシーンだって、フリとはいえ危ない。相手の男がやる気満々だったら『ついすべった』とか言って本当にキスされるかもしれない。よくあるだろ、漫画とかで。」
漫画とかだから、よくあるんじゃないかな。
現実ではありえないと思うけど。
それに、
「あのさ、土屋?」
「なに」
ムスリとした土屋。
「私がやるの、マクベス役だよ」
土屋が目を剥いた。
「あのさ、私のことが女の子に見えてるの、たぶん土屋だけだから。クラス全員一致でマクベス役をいただきました。つまり、男役。キスシーンの相手は、女の子」
土屋の肩からへなへなと力が抜けた。
ベンチに座ったまま前屈みになって、頭を抱える。
「やべぇ、俺、かっこわるい」
耳まで真っ赤にして「やべぇ」なんて。
「土屋可愛い」
「可愛いは禁句。男はそれ言われても嬉しくないから。」
前屈みの姿勢のまま、土屋が顔だけこちらを向いた。恨めしげな表情で、いつもよりちょっとだけ目が潤んでる気がして、なんか妙に心臓がいたくなった。
「でも、ミスコンだって」
男子校の文化祭でミスコンて。
悪趣味なのかなんなのか。
私は中学の時から身長が高かった。
細身で筋肉質で、声がハスキーで。
そのせいか、女子からよくモテた。
二人の弟がいるせいか言葉づかいも荒っぽくて、男子の友達が多かった。
バレンタインは完全にもらうものだった。
一方の土屋は、中学の時から小柄だった。
細くて華奢で、声が高くて。
そのせいか、男子からよくモテた。
ふたりのお姉ちゃんがいるせいか言葉づかいも優しくて、女子の友達が多かった。
バレンタインは完全に……いや、そこは別にあげる側ではなかったけど。
そんなだから、私たちが付き合い始めたと知って、多くの友達は「逆転カップル」と言って笑った。
同じ高校に進学した高橋もそのうちの一人で、いつも「お前の彼女元気?」と聞いてくるのだ。
彼氏だっつうのに。
「別に他のやつに言われるのはいいけど、ユウキには言われたくない。俺の台詞、取られちゃうから。可愛いは、俺の台詞。」
唐突にぐい、と腕を引かれて立ち上がった。
土屋の顔が近い。
「うん、もうちょい」
「え?」
「いま俺、成長期だから。そのうちユウキ抜くから」
「別に私はこのままでもいいけど」
「でも俺は、守りたいんだよ。守れるようになりたいんだ」
まったく土屋は、わかってないな。
みんなからかっこいいと言われるばかりで誰も女扱いしない私のことを、土屋だけは女の子だと思ってる。
それだけで、私の複雑な気持ちはいつも救われてるんだ。
もう守られてるよ、土屋。
かっこいいって言われたら嬉しいけど。
可愛いって言われた男の子が嫌がるように、私だって「かっこいい」じゃなく「かわいい」って言われたいときもある。
土屋はそれをくれる人。
長いまつげごしに土屋が私を見つめていて、鼓動が限界まで加速した。
Stars, hide your fires. Let not light see my black and deep desires
(星よ、灯を消せ。私の暗く深い願望を照らさぬように。)
電車の中でパラリとめくった脚本の一節が頭に浮かんだ。
私の願望は決して暗くも深くもないけど。
でも少しだけ、明かりを落としてほしい。
キスする勇気が欲しいから。
マクベスのユウキに、ほんの少しの勇気を。