『鬼ヶ島』
「われらを殺す意味を本当に理解しているのか?」
奴は息も絶え絶えにそう口にした。
俺をまっすぐに見つめて。
その眼にどんな感情がこめられているのか、洞察することは叶わない。
「……知らぬか、そうであろうな」
振り絞る力で奴は俺へと手を伸ばすも、それは届かない。
奴のその身には、生きる根源たる血の一滴すらもろくも残ってはいないのだ。
「何とも哀れな……『 』よ」
その言葉が最期。
――『鬼』は絶命した。
鬱蒼とした山の中。
深く仄暗い川沿いを、ひたすらに歩きつめる。
そうして、いったい今はなんどきであろうか。
俺が里を出発したのは、朝露が滴るような時間であったが……。
こうして空を見上げる事も出来ぬような山奥では、時間を知る事も出来ぬ。
人の手が全く入っておらぬ山を歩くことは今までも、よくあった事だがここまでではない。
しかし、俺はどうしてもこの先に行かねばならなかった。
……そう俺はある縁ある川を遡っていた。
なんとも険しい道であろうか。
思えば、一人で歩くなどいつぶりのことだろう。
ここを遡ると共に鬼を打倒した仲間に宣言した時、灯篭には引き留められたものだ。
灯篭は、<狂犬>と異名を取る剣士だった。
振り返るに、彼に以前の面影はすでにない。
剛の者と見れば、場所時構わず真剣勝負を挑むような男であり。
見定めたものと死合うためであらば、いかなる手段も選ばなかった。
また風に聞けば、飢えた山犬にように恐ろしく、血も涙もない人の皮を被る獣であるとの話。
事実、刃を交え、殺し合いすらしたものだ。
それが、今では俺に対し、彼は『仮の主』と仰ぎ忠義を尽くしてくれている。
仮、とはつくものの、その彼の思いは決して揺らぐものではなかった。
ああ見えて、一度ふところに入れば情が深い。
それが故に、彼は命を落とすところであったのだ。
いったい何の奇縁か。
俺が彼を助ける事になり、共に肩を並べ戦い、今に至るわけだが。
その彼が俺に言ったのだ。
「鬼の言葉に惑わされたものの末路は、誰もが知るところだ」と。
だが、それでも俺は。
誰も連れずに、ここに来たかったのだ。
殺し合い、共に戦い、背中を預けられる最に信頼にたる友。
彼の言葉を切り捨ててでも。
「……ようやく着いたか」
丸一日歩いただろうか。
俺の口からかろうじて零れたのは、かすれにかすれた呟きだった。
目の前に立つは、今までに見たことがない。
ひたすらに真っ白な屋敷であった。
その建物の中も奇妙あった。
伝えに聞く竜宮城ですらも、その物珍しさには勝てぬだろう。
ありとあらゆる物が、俺の知識からはかけ離れている。
だが、俺の魂が訴えかけるのだ。
ここを俺は知っていると。
ここは……であると。
奇妙にひかり続ける球が、壁に埋め込まれ。
何の意味があるのか、目まぐるしく絵と文字が流れる窓があった。
楽器で奏でる事が出来ぬような音が、そこかしこから流れ出て。
先ゆく、俺を惑わせる。
それでも俺は迷うことなく、歩いて行った。
この奥に。
この奥に目的の物はあると。
「よくここに来たな、君はここに来る事はないと思っていたよ」
建物中に響くようにして、その声はした。
それがいったい誰の声なのか。
俺はなぜだかその声を知っていた。
懐かしいのではない。
俺はその声をいつも聞いていた。
「今までに何度送り出しただろうか」
引き返せ、頭のどこかで声がした。
「ここまで来たものはその中でたった二人」
それでも俺は歩みを止めない。
「君が殺した『鬼』と、『鬼』を殺した君だけだ」
俺はその目的の物の目の前で足を止めた。
やはり、か。
これが真実であったのか。
「……なぜ、ここに来る事を思い立った?」
「……ひとつは『鬼』が俺に告げた言葉だ」
「ほう?」
「そして、もう一つは……」
この館の脇に流れる川を下ると、俺の故郷である里がある。
その川にさらに下ればどこにつくか。
海へながれ。
そして……。
「必ず、『鬼ヶ島』に流れると気づいたからだ」
俺は里で拾われた子供だ。
桃のようなものに包まれ、川を下っていたらしい。
だが、もし拾われることがなければ。
そう、あの鬼ヶ島に俺は流れ着いていた。
目の前の巨大な硝子に入った男は。
それを聞いて、薄く笑った。
鍛え上げられた刃のような笑みだった。
「よく来たな、桃太郎。 いや、こういうべきか」
硝子越しにそいつは笑う。
聞き覚えのあるのも当然だろう。
そいつの顔は俺と同じだった。
「おかえり……わが子よ。そして、この世にいる最後の『鬼』よ」
そうだ、あの『鬼』は間違いなくこう言ったのだ。
「哀れな『わが弟』よ」と。